高島 忠夫 兄弟。 高嶋ちさ子の家族構成は?両親は田園調布のお嬢様?親戚に高嶋兄弟も|YU FIRST

高嶋ちさ子と高島兄弟の関係は?親戚同士で仲が悪い?不仲の理由は何?

高島 忠夫 兄弟

高島忠夫には、 子供が、息子が3人いるようです。 しかしその中で長男は、不幸がありお亡くなりになっているそうです。 その件については後に見ていきます。 では、まず高島忠夫の子供達ですが、私たちもよく知っている人もいるようです。 では、以後順に見ていきたいと思います。 第一子:長男 名前:高嶋道夫さん 誕生日:1964年3月から1964年8月 年齢:5ヶ月(生後5ヶ月で死亡されています。 )後に詳しく触れます。 性別:男 第二子:次男 名前:高嶋政宏(たかしま まさひろ)さん 誕生日:1965年10月29日 年齢:53歳(2018年の誕生日で) 出身地:東京都世田谷区 性別:男 身長:185cm 血液型:B型 職業:俳優 配偶者:シルビア・グラブ 学歴:成城大学法学部卒 高嶋政宏さんと言えば、俳優として活躍をしていることは有名ですね。 ちなみに参考までに高嶋政宏さんの出演している作品についてご紹介します。 「主な作品 テレビドラマ: 『純ちゃんの応援歌』 『同窓会』 『山岳救助隊・紫門一鬼』 『ストロベリーナイト』 『S -最後の警官-』 『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』 映画: 『ガンヘッド』 『トットチャンネル』 『BU・SU』 『ゴジラvsメカゴジラ』 『ヤマトタケル』 舞台: 『レ・ミゼラブル』 『エリザベート』 引用:ウィキペディア」 お父さん同様色んな作品出てますね。 第三子:三男 名前:高嶋政伸(たかしま まさのぶ)さん 誕生日:1966年10月27日 年齢:52歳(2018年の誕生日で) 出身地:東京都世田谷区 性別:男 身長:180cm 血液型:B型 職業:俳優 配偶者:美元(2008年-2012年) 一般女性(2015年-) 学歴:成城大学文芸部芸術学科卒 高嶋政伸さんと言えば、俳優として活躍をしていることは有名ですね。 ちなみに参考までに高嶋政伸さんの出演している作品についてご紹介します。 「主な作品 テレビドラマ: 『HOTEL』 『ダブル・キッチン』 『女検事の捜査ファイル』 『お祭り弁護士・澤田吾朗』 『こちら本池上署』 『臨場』 『DOCTORS? 最強の名医? 』シリーズ 引用:ウィキペディア」 「HOTEL」や「DOCTORS? 最強の名医」はよく見ました。 「姉さん事件です」は名台詞です。 高島忠夫長男殺人事件の犯人は家政婦で現在は? 上で、高島忠夫の息子達のデーターをご紹介しました。 その中で長男がお亡くなりになったことを軽く触れました。 実は、高島忠夫の家政婦が生後5ヶ月の高嶋道夫を殺害したそうです。 その事件の顛末についてご紹介します。 その事について記載された物がありましたのでご紹介します。 事件発生概要について: 「1964年8月24日未明、東京都世田谷区上野毛に在住の俳優・高島忠夫方より警察及び消防へ「息子が風呂に沈められ、部屋が荒らされている」との通報がありました。 同日午前2時40分頃、高島宅に住み込みで働いている家政婦Aが「長男(高嶋道夫・生後5カ月)の姿が見当たらない」と高島夫妻に連絡し、ただちに高島夫妻(高島忠夫・寿美花代)と家政婦Aが家中を探し回った。 室内は物色されており、風呂場できちんと蓋の閉まった風呂桶の中に沈められている長男が発見されて大騒ぎとなった。 スポンサードリンク 警察や消防への通報と共に、長男はただちに自宅近くの小倉医院へ搬送されたが、既に心肺停止状態であり、人工呼吸などが試みられたが助からなかった。 通報を受けた警視庁捜査1課と所管の玉川警察署は、殺人事件として捜査を開始しました。 引用:ウィキペディア」 自分で殺害して自分で通報するとは大胆ですね。 それにしてもいたいけな子供を殺す犯人の心理は理解できませんね。 犯人逮捕について: 「事件に最初に気がついた家政婦Aは「当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」「長男が激しく泣いてるのを聞いた」などと証言した。 しかし調べてみると 家政婦A以外に不審者を見た者はいない。 家政婦A以外に長男の泣き声を聞いた者はいない。 高島家では犬を飼っており、この犬は普段から不審者が近づくと激しく吠えるが、当日夜に犬は吠えていない。 普段、全員が風呂に入り終わった後に家政婦Aが風呂桶の残り湯は抜くことになっていたが、この日に限り家政婦Aは風呂桶の湯を捨てていない。 犯人が物取り目的で押し入ったのならば、生後わずか5カ月の赤ん坊に姿を見られたとしても、その歳の赤ん坊なら証人になるわけもなく殺すというのは不自然。 長男を風呂桶に入れて、きちんと風呂の蓋を閉めて立ち去るというのも不自然。 など次々と不自然な点が見つかり、これらについて家政婦Aを問いただしたところ、同日午後1時半頃に家政婦Aが自分の犯行であることを認めた。 引用:ウィキペディア」 やはり日本の警察は優秀ですね。 不自然な点をすぐに見つけるんですね。 推理小説ではないですが、完全犯罪はないようですね。 犯行動機について: 「この家政婦Aはもともと高島夫妻のファンであり、地元の新潟県の中学校を1963年に卒業してから、都内の墨田区にある会社で仕事をしていた。 そして、この墨田区にある会社にたまたま高島夫妻の知人がいる縁で、1963年暮れより高島夫妻宅に住み込みで家政婦として働くこととなった。 高島夫妻はこの家政婦をよくかわいがり、また家政婦も高島夫妻によく尽くしていたが、高島夫妻に長男が生まれた後は「長男へ愛情が移ってしまい、自分は疎遠に扱われるようになった」と感じていた。 そして高島夫妻が仕事でアメリカへ行くことが決まった時に「他の家政婦へはお土産を買ってくると約束していたのに、自分は何も言われなかった」として思い悩んだ末に犯行に及んだという。 引用:ウィキペディア」 どうしようもない身勝手な理由ですね。 ファン心理と言う物が以下に怖い物か思い知らされますね。 「お土産買ってくるね」と声をかけてもらえなかった事で殺害された、生後5ヶ月の子供にどんな咎があるというのでしょうか? 犯人も女性ならば将来自身の子供が殺害されて、その理由が同様ならばどう感じるのか理解できなかったのでしょうか? 犯人の名前は? では、この家政婦の名前が興味のあるところですが、 犯人が当時17歳の未成年ということもあり名前は公表されていないそうです。 当時は、ネットなどないのでこれですんでいますが、現在ならきっと名前・顔は判明してネットで拡散されるでしょうね。 ただ、この犯人の家政婦は、犯罪癖があるようで、寿美花代さんのアクセサリーを盗んだり、お客さんのバッグから1万円を盗んだりもしていたようです。 完全に、万引き癖のある性格のようですね。 犯人の家政婦で現在は では、その犯人の家政婦ですが、その後どのようになり現在はどのようになっているのでしょうか? その家政婦は、 1965年6月に裁判があり判決で3年~5年という不定期刑の判決が下されました。 しかも、3年で仮出所したそうです。 やはり未成年に対しては、日本は寛大ですね。 しかし子供を殺された高島忠夫夫妻にとっては、憤りは遺憾ばかりでしょう? そして犯人は、その2年後の 1970年には結婚されたようです。 どうしてこの様なこと分かったのでしょうか? 今回は、高島忠夫の息子達に付いてみてきました。 特に長男の高嶋道夫の殺害事件は、夫婦にとってかなり辛いことだったと推察されます。 その後も高島忠夫も体調がすぐれず現在に至っています。 しかし他の息子達は元気に育ち父親の意志を継いで皆俳優の道に進みました。 そして成功を収めているのではないかと思います。 いずれにしても、今後の活躍を見ていきたいと思います。 では、今回はここまでにしたいと、思います。 次の記事で、次男・三男の子供についてみていきます。 続きは以下のページになりますのでどうぞよろしくお願いします。 では、今回も最後までお読みいただきありがとうございます。

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高嶋ちさ子と高島兄弟の関係は?親戚同士で仲が悪い?不仲の理由は何?

高島 忠夫 兄弟

気になるところから読む• 高島忠夫さんのプロフィール 【訃報】高島忠夫さん、老衰のため死去 88歳 高嶋政宏・高嶋政伸兄弟が追悼コメント<全文> — ORICON NEWS(オリコンニュース) oricon 名前:高島忠夫(たかしまただお) 本名:高嶋忠夫 生年月日:1930年7月27日 没年月日:2019年6月26日(88歳没) 出生地:兵庫県武庫郡(現在の神戸市) 身長:181cm 血液型:O型 職業:俳優・タレント・司会者 著名な家族:寿美花代(妻)、高嶋政宏(二男)、シルビア・グラブ(二男の嫁)、高嶋政伸(三男)、高嶋弘之(弟)、高嶋ちさ子(姪) 活動:1951-2019年 所属:東宝芸能 1951年に映画会社新東宝のニューフェイス「新東宝スターレット」の第1期生として芸能界入り。 女優の寿美花代さんと2年間の交際を経て1963年に結婚。 結婚後、長男・道夫をもうけますが、1964年に生後5か月で当時17歳の家政婦によって殺害されるという悲劇に見舞われてしまいます。 (高島忠夫長男殺害事件)。 1980年代後半に二男の政宏、三男の政伸が俳優としてデビュー。 1995年に阪神・淡路大震災により実家が全壊。 生涯に糖尿病・アルコール依存症・重度のうつ病・パーキンソン病・不整脈を発症し、晩年は治療と芸能活動再開を繰り返していました。 2019年6月26日13時1分、老衰のため自宅で死去したと発表されました。 スポンサーリンク 高島忠夫長男殺害事件とは 神田うの ベビーシッター盗難事件で思い出す人も多い「高島忠夫長男殺害事件」とは? — 【公式】学生ITエンジニア就活情報 ITenginone 1964年8月24日午前2時ごろ、高島忠夫さん宅に住み込みで働いていた17歳の家政婦・A子が突然 「道夫ちゃんがいない。 男の人影を窓から見た。 強盗だ」と騒ぎ始めます。 道夫の世話係である看護師・X子と添い寝していたはずだった道夫がいない。 2階で寝ていた高島夫妻も1階へ降りてきて、全員で家中を探し回ります。 「ひょっとして」と思った寿美さんが浴槽のフタを外すと、お風呂場でバスタブに沈められている道夫くんを発見。 すぐさま病院へ連れて行きましたが、すでに心肺停止しており死亡が確認されました。 その後の警察の捜査により、犯人はこの 17歳の家政婦A子だったことが判明。 本人も犯行を認め、逮捕されました。 スポンサーリンク 犯人の女は誰?出所後の現在は? 高島忠夫・寿美花代夫妻、長男殺害事件を経験した人生 — 赤べコム akabecom では、生後5カ月だった高島さんの長男・道夫くんを殺害した17歳家政婦A子とは誰だったのでしょうか? この家政婦A子は元々高島夫妻のファンでした。 中学校を卒業後、集団就職で佐渡から上京し、知人のツテを頼りに高島夫婦宅に住み込みで家政婦として働くことになります。 当初お手伝いはA子一人で、高島夫妻はまだ若かったA子をよくかわいがり、A子も夫妻によく尽くしていました。 姉には「毎日の生活が夢のようで楽しくて仕方ない」と熱く語っていたそうです。 高島夫妻に長男が生まれた後は、高島家の遠縁にあたる69歳のY子さんと、道夫専任の看護師として28歳のX子さんが働き始めます。 やがてA子は 「高島夫妻はX子ばかりかわいがって、私はのけ者だ」と嫉妬の感情を抱くように。 夫妻が仕事でアメリカへ行くことが決まった時には、高島夫妻がX子に 「道夫ちゃんをよろしくね。 お土産を買ってくるから」と話しているのを聞いて 「自分は何も言われなかった、お土産も買ってもらえない」と被害妄想を募らせていきました。 さらに犯行の数日前から風邪を引いたA子は、道夫に近づくことを禁止されます。 犯行直前には、A子の部屋をX子がのぞいて「まだ寝てないの」と声をかけたことまで、X子に嫌がらせされたと感じたA子。 X子への嫉妬心を爆発させてしまいます。 そして犯行当日、午前1時過ぎに一人でお風呂に入ったA子。 戻ってくると道夫のぐずる声が聞こえたので、X子と道夫の寝室へ様子を見に行ったところ、道夫はA子の足をつかんできたそうです。 それをかわいいなと思ったA子は道夫を抱き上げ、涼むために庭先へ出て彼をあやしていました。 足が汚れたので洗おうと風呂場に戻った時に 「この子さえいなければX子は用なしになり、自分がまたかわいがってもらえる」と考えたA子は、道夫を湯船に沈め蓋を閉めて殺害しました。 犯行の動機は「自分だけが愛されたい」というX子に対する歪んだ嫉妬心からくる、あまりにも幼稚で身勝手なものでした。 さらに、このままでは犯行がバレると思ったA子は、物取りの犯行に見せかけるため室内を物色されているように装いました。 その後、逮捕された家政婦A子はどうなったのかというと、当時未成年でしたが成人と同じように殺人罪で起訴され、東京地裁で懲役3年から5年の不定期刑を言い渡されます。 服役中は模範囚であったため、3年後には仮出所。 さらにその2年後には結婚したそうです。 (相手の男性は事件のことも知った上で結婚したのだとか) その後A子がどうなったのかはわかっていませんが、一部メディアによると事件を悔やみ、高島夫妻に深く謝罪を述べていたといいます。 今の時代であれば、犯人の女の身元は簡単に割り出され、名前や住所・顔写真まで晒されていたと思います。 しかし、すでに事件から55年近くが経っているため犯人が誰だったのかはわからないままです。 当時17歳だったA子も生きていれば72歳。 子供や孫がいるかどうかなど、現在の生活については全くわかっていません。 スポンサーリンク さらに高島家を襲った悲劇 家政婦によって長男が殺害され、深い悲しみにくれる高島家にさらなる悲劇が襲います。 【 高島家…長男殺害事件の犯人・家政婦の現在とは? 】 芸能ファミリーの代表格として親しまれる高嶋さん一家。 その女性が本当に犯人だったのか、ただの嫌がらせだったのか、今になっては確かめようもありません。 悲しんでいる人に追い打ちをかけるイタズラする人って、一体どういう神経をしているんでしょうね?? スポンサーリンク まとめ 6月26日に死去された高島忠夫さんの長男殺害事件についてお伝えしました。 98年に重度のうつ病を発症後はすっかりテレビで見ることはなくなっていましたが、88歳まで生きられたのは大往生だったのではないでしょうか。 高島忠夫さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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高嶋ちさ子と高島兄弟は絶縁関係?!父親が兄弟でも仲が悪い理由とは!?

高島 忠夫 兄弟

ヴァイリニストとして、年間約100本のコンサートを行う傍ら、バラエティーなどでも活躍する高嶋ちさ子さん。 前回の放送では、ちさ子さんのコンサートへのこだわりや、ずっと支えてくれた母親の存在について明かしてくれた。 () 8月22日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、名司会者として一時代を築いた高島忠夫さんへの思いを、姪であるちさ子さんと、息子で俳優の高嶋政宏さんが語った。 肉好きのちさ子さんのために、政宏さんオススメのお店で再会。 2人が食事をするのは25年ぶりだという。 2つの高島家の中で特に仲が良かったというちさ子さんと政宏さん。 政宏さんから子どもの頃のちさ子さんについて、「こましゃくれてるんだけど、かわいい子って感じで、美人だなと思っていた」と明かされると、「知らなかった」と驚くちさ子さん。 しかし政宏さんが「いとこながら、ドキドキしていた」と告白されると、「気持ち悪い」と苦笑い。 そんな2人が今回、今年6月に亡くなった忠夫さんへの思いをテレビで初告白。 ちさ子さんはこれまで、公にコメントすることを控えてきたが、ちさ子さんによるとその理由は「おじちゃまの取材とかいっぱい来ていたけど、知らない人に話すより、バーブ(政宏)にする方が絶対にいいと思ってしなかった」と明かした。 政宏さんを「バーブ」という独特なあだ名で呼ぶちさ子さん。 その理由は「バーブが生まれた時に、ウチの姉が『政宏くん』って呼べなくて、『バーブ、バーブ』って言ってたら『バーブ』になった」とのこと。 ちなみに、弟の政伸さんのことは「あーちゃん」と呼んでいるという。 海外ロケで遺書を書いた! ? 神戸生まれの忠夫さんは、1951年に上京して芸能界入りし、21歳で俳優デビュー。 映画『坊ちゃん』シリーズで主役を張ると一躍名をはせた。 そして、『ゴールデン洋画劇場』での映画解説や、当時絶大な人気を誇ったバラエティー番組『クイズ・ドレミファドン!』の司会を務め、誰もが知る人気者となった。 ゲストの薬丸裕英さんは「『クイズ・ドレミファドン!』で本当にお世話になった。 僕、強かったので優勝することも何度かあったが、高島さんがそれを褒めてくださって、『アイドルをやりながら、これだけ曲を覚えられるのがすごい。 これは一つの才能』と言われて、すごく嬉しかった思い出があるんです」と振り返った。 1963年、番組の共演がきっかけで交際していた当時の宝塚歌劇団トップスター・寿美花代さんと32歳の時に結婚。 1965年には政宏さん、翌年には弟の政伸さんも誕生し、芸能界一のおしどり夫婦としてお茶の間に親しまれた。 政宏さんたちは芸能界デビューする前から、家族で海外ロケに行くこともあったという。 例えば、忠夫さんが大ファンで、1980年代に『黒い瞳のナタリー』を大ヒットさせたスペインの世界的歌手、フリオ・イグレシアスに会いに行くという番組。 そこには、憧れの歌手に会えたことでテンションが上がりまくる忠夫さんが、2人だけで夢のような時間を過ごしたいがあまり、息子たちをその場から追い出すほど興奮している映像が残っている。 しかし、この海外ロケの裏では死をも覚悟した話し合いがあったという。 忠夫さんが飛行機嫌いだったことから高島家では海外旅行も禁止だったと明かした政宏さんによると、「ある時、フジテレビの厚意でフリオ・イグレシアスに会いに行けることになって、『死んでもいいから行こう』って言うので、みんなで遺書を書いて。 弁護士事務所に渡して、弁護士の判をもらって、4人で乗ると一家全員何かあったらいなくなるから、飛行機の便を二手に分けた」という。 一方、ちさ子さんは忠夫さん一家が芸能界で大活躍していた頃、「バーブたちがデビューした時に、『迷惑にならないように、あの子たちの足を引っ張っちゃいけない』ってウチの父がいつも言ってた。 悪いことしたら『いとこが!』って言われちゃうから」と親戚ならではの注意をされていたことを明かした。 高嶋政宏、高嶋ちさ子が語る高島忠夫 大スターだった父・忠夫さんだが、政宏さんが知る本当の姿は、世間のイメージと違っていたという。 政宏さんは「厳しかった。 お客さんが来ている時に騒いでいると、客が帰った直後に直立不動でビンタ。 モデルガンとか『欲しい、欲しい』と言って、『買ってやる』となるんですけど、そこから騒ぐと全部なし。 没収も多かった。 買った物を返しに行くって言われたり。 もう泣いて、『やめて、ごめんなさい!』って言ってもダメだった。 そういうのは厳しいよね」と明かした。 そして、お小遣い制だったこともあり、興味を持ったロック音楽に使う楽器を買えず、「お年玉で何年かかったらこのギターを買えるか」とか考えていたと言い、「それが教育だった」と話した。 一方、幼い頃からヴァイオリンを始めたちさ子さんにも忠夫さんから真面目な一面がうかがえるアドバイスがあったという。 それは、「『ヴァイオリンやっているんだったら、もっと芸に没頭しなきゃいけない』って言われて。 私が、『おじちゃまって、聖子ちゃんとかトシちゃんとか会うの?』って聞くと、『バッハとか弾いている人は、そういう俗世間のものに耳を傾けちゃいけない。 バッハを弾く時は正座をしろ』って言われたの」というもの。 しかし、その時ちさ子さんは「(忠夫さんとは)話し合わないわ…」と思ったという。 「うつ病」発症後も妻と二人三脚で… ところが、ドラマやバラエティー番組の司会など幅広く活躍していた忠夫さんは、68歳の時に「うつ病」により、芸能活動を休止する。 当時、取材で父親の様子を聞かれた政宏さんは気丈に振る舞っていたが、家で目の当たりにした父親の姿は衝撃的なものだったという。 「うつになった時、急に変わり果てた。 痩せて、白髪の老人がソファで寝ている。 それを見た時にもう衝撃で。 この間、父は亡くなりましたが、うつ病発症の時のショックの方がすごかった。 風呂場で泣いて気づくと1時間くらい経っていて。 その時に、自分の価値観が全て変わった、それくらいの衝撃でした」。 うつ病になり、言葉も発さず変わり果てた父親の姿に、危機感に駆られた政宏さんは、忠夫さんに人前に出る気持ちを思い出してもらうため、リハビリサプライズパーティーを開催。 歌うことができなくても父親が拍手に包まれることを願い、事情を知っている知人が集まった。 そのパーティーで、会話もしなくなっていた忠夫さんが歌を歌ったという。 誰もが予想しなかった出来事に、弟・政伸さんは涙を流した。 家族の支えもあり、うつ病発症から5年後の2003年に芸能界復帰宣言。 しかし、うつ病に加え、パーキンソン病も発症し、さらに不整脈で心臓にペースメーカーを付ける手術を行い、忠夫さんは再び表舞台から姿を消した。 こうした中、2013年にフジテレビが独占密着した映像には、忠夫さんの闘病生活と献身的に支える妻・寿美さんの姿が映されている。 独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」~寿美花代・献身愛で闘う夫の病~(2013年放送) パーキンソン病の症状で手の震えが止まらない時は、忠夫さんをマッサージし、ボタンを掛け違えていれば、寿美さんは寄り添って手伝う。 深刻な糖尿病に加え、動脈硬化も進行。 血流が悪くなり、足が冷たくなる忠夫さんの血の巡りをよくするために足をマッサージ。 寿美さんは、忠夫さんの喜ぶ顔を見たい一心で、365日マッサージを欠かさなかったという。 重い病を患ったうえに、83歳という年齢を考えると「施設」に入るという選択肢もあったが、寿美さんは「どんなお家でも住んでいる家が一番なので、できる限り私は病院には入れたくない」と話していた。 独占密着!真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」~寿美花代・献身愛で闘う夫の病~(2013年放送) さらに、離れて暮らす息子たちが父親の顔を見に帰ってきた時の映像も残されている。 そこには血糖値が上がってしまうため食べさせることができないが、忠夫さんの大好物であるおはぎを、寿美さんが「私が食べたいから」とお茶目に取り分ける姿や、忠夫さんが心臓のペースメーカー手術に成功した瞬間の写真を携帯電話の待ち受け画面にしているという政宏さんが、「見ると元気をもらえる」と盛り上がる様子があった。 寿美さんと結婚して56年、芸能界一のおしどり夫婦と言われ、病になっても常に二人三脚で歩んできた忠夫さんは、今年6月26日に88年の人生に幕を下ろした。 忠夫さんの晩年の様子を政宏さんは「世間では、突然の訃報みたいな感じでしたが、最後の5年がとにかく呼吸が弱くなっていた。 徐々に慣れたという感じ。 おもしろいのが、『何食べたい?』って聞いたら『シャンパンとローストビーフ』、『ビール飲みたい』って。 ノンアルコールビールとか飲んでいました」と明かした。 さらに「『最近テレビで見たんだけど、もう俺たちの年代になると、お前のああいう下ネタ大好き!』と言った」という秘話も披露。 この意外な言葉に、横にいた母・寿美花代さんは苦笑い。 政宏さんも驚いたという。 実の兄弟である忠夫さんとちさ子さんの父・弘之さんが、ある時を境に疎遠に。 以前は、仲が良かった2人だが、ある日突然パッタリ会わなくなってしまったことに、ちさ子さんは「たぶん、ウチの母がいけないんだと思う」と話し始めた。 当時、ちさ子さんと政宏さんの祖母は、ちさ子さん側の母・薫子さんの計らいもあって、なかなか入れなかった病院に入院していたという。 その後、ちさ子さんの兄が結婚することに。 結婚式に祖母を出席させたがる弘之さんと薫子さん夫婦に対し、忠夫さんは「おばあちゃまの気持ちも考えろ」と反発。 これに薫子さんが「誰のおかげで病院に入れたのかしらね」と応酬…これがきっかけで顔を合わせることがなくなってしまったという。 ほとぼりも冷めた頃に会いに行こうとしたところ、忠夫さんがうつ病を発症。 そんな話をしていると、2人の前に突然、ちさ子さんの父親である弘之さんが登場。 1951年の戦後復興期、忠夫さんは俳優でデビューするため、弘之さんは進学のため、神戸から一緒に上京。 弘之さんは当時の忘れられない思い出について語った。 「兄貴は新東宝に入って、俳優座の養成学校にいて、絶対に人気が出ると思っていた。 それで、有楽町にあるおいしいトンカツを食べに行こうってなって、その時に初めてヒレカツを食べて。 あの時に食べたヒレカツ、世の中にこんなうまいものがあるんだって思った」と振り返った弘之さん。 政宏さんは「それを超えるものないですか?」と聞くと、弘之さんは「あるある!」と即答し、ちさ子さんに「あるのかい!」とツッコまれる一幕もあった。 また、「兄貴の人生は映画をやり、舞台をやり、そしていち早くテレビで司会者という地位を高くした。 それはすごく評価していいと思うけど、弟が評価してもしょうがないよね」と語った。 疎遠になった時期もあったが、ちさ子さんが「お兄ちゃん(忠夫さん)のこと、大好きだった」と言うほど、心はつながっていたという2人。 兄・忠夫さんがこの世を去って2ヵ月が経った今、弘之さんは「身内自慢になりますが、政宏・政伸というキャラクターも立つ、立派な息子を2人残して、兄貴は満足して死んだと思う。 それぞれの世界できちっと仕事もしたから、僕はいい人生だったと思います」と笑顔を見せた。 政宏さんは「もう巨大な存在でした。 芸能界でも、親としても、厳しいということもありましたし。 最後の2ヵ月くらいは、痰を切ることもできないような中、ちょっとずつ僕らを慣らしてくれて。 あんまり、みんなが落ち込まないようにしてくれたんじゃないかなという感じです」と振り返った。 ちさ子さんは「家の中での存在感がすごかった。 だから、家族一丸で支えて、みんなが心残りなく見送れたことが一番じゃないですかね」と話した。 ちさ子さん、政宏さん、弘之さんの思いを知り、番組MCの坂上忍は「ある期間がんばってくれたから慣れる時間が持てた、見送る覚悟ができた、という捉え方になっていくんですね」と、感慨に浸っていた。 (「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54).

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