ディアドコイ 戦争。 ディアドコイとは

図・地図・年表 プトレマイオス朝前後の簡易年表

ディアドコイ 戦争

ディアドコイ戦争(前323〜前280頃)とは、王アレクサンドロス3世亡き後、その配下の将軍たちが、王の後継者(ギリシア語でディアドコイ)の座、つまりアレクサンドロス3世の治世で築かれた広大な帝国領を争って繰り広げた戦争です。 アレクサンドロス3世が死去した紀元前323年から、紀元前281年のコルペディオンの戦い決着まで、40年と約半世紀にわたって続いた長期の戦争です。 主な後継者候補一覧• プトレマイオス1世• セレウコス1世• アンティゴノス• アンティパトロス• リュシマコス• エウメネス• ペルディッカス マケドニア王国はギリシア全土の覇権を確立し、地中海世界のみならず、はるか東方のインドにまで勢力図を広げる巨大な帝国を創り上げていました。 しかし前323年、王は広大な帝国領を引き継ぐ後継者を明示せず、ただ「 最強の者が後継者になれ」とだけ言い遺し逝去してしまいます。 事態はもう少し複雑ですが、簡単にいえばこの言葉が発端になり、マケドニア領土各地に拠点を持つ配下の将軍が立ち上がり、後継者の座を巡り争ったのがディアドコイ戦争です。 宰相ペルディッカスの統一支配強行を皮切りに、幾度もの抗争がマケドニア領内で繰り広げられました。 ディアドコイ戦争における主要な戦い• 前321年 ヘレスポントスの戦い• 前320年 オルキュニアの戦い• 前319年 クレトポリスの戦い• 前317年 パラエタケネの戦い• 前316年 ガビエネの戦い• 前312 ガザの戦い• 前311年 バビロニア戦争• 前306年 サラミスの海戦• 前305年 ロドス包囲戦• 前301年 イプソスの戦い• 前281年 コルペディオンの戦い• 前281年 コルペディオンの戦い 戦争の結果 最終局面では、最有力のディアドコイだったアンティゴノスに対し、リュシマコス、セレウコス、プトレマイオスなどの他勢力が連合を組み対抗する構図になりました。 最終的にはでアンティゴノスが敗れたことで、帝国再統一の野望は砕かれ、残された帝国領は3つに分裂しました。

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ディアドコイ戦争

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「アレクサンドロスの遺産」は、アドテクノスが朝日出版社と企画して出したシミュレーションゲームブックスというシリーズの第2作です。 デザイナーは若き日の越田一郎先生。 題材はアレクサンドロスの死後、その帝国の後継を巡って争ったディアドコイたちの戦争です。 シミュレーションゲームブックスの名の通り、シミュレーションゲームと本を融合した形になっており、折込のマップ、カウンター(きちんと厚紙のパンチアウト)、ルールブックに加えて、ヒストリカルノートに当る部分が本と呼べるほどに充実しているのが特徴でした。 シリーズのほかの作品はわかりませんが、この「アレクサンドロスの遺産」のヒストリカルノート部分は非常に充実しています。 アレクサンダー大王の東征から語り起こして、ディアドコイ戦争の全般までが日本語で読める貴重な資料として要領よくまとめられています。 そして、これに加えてディアドコイ戦争の全局を正に体感させてくれるヒストリカルシミュレーションゲームがセットになっているという訳です。 史実そのものについては、既に冊子に良くまとめられているので、今回はゲームの内容についてだけ語っていきましょう。 ゲームシステム ゲームシステムは、SPIの「ポエニ戦争」あたりを下敷きにしているということですが、マルチプレイヤーズゲームということで独特の部分もあります。 マップはヘクスマップになっていて、同一へクス戦闘、数へクスの距離に対してリアクションによる迎撃と事前撤退が可能というシステムです。 1年間を春・夏・秋に分け、そのそれぞれに徴税・徴兵と二回のアクションフェイズがあります。 ここで独特なのが、プレイヤーターンという概念がなく、アクションフェイズにはチットで決まるプレイ順に従って各自が自軍のスタックを1つずつ順番に動かすということです。 つまり、プレイヤーAが1スタックを動かすと次はプレイヤーBが、次はCが、そしてDが、そうしたらまたAに戻ってまた1スタックずつ動かしていくのです。 このことによりチェスムーブのような駆け引きが発生し、1回のアクションフェイズの中にも時系列がある展開が起こってきます。 プレイタイムが多少長くなるシステムなのですが、優秀な指揮官は限られているので、有力なスタックの数は多くなく、プレイ可能な範囲で考えられていると言えます。 ゲームの目的は、エリアを多く支配することです。 エリアを支配するには、そのエリアにある都市を支配していく必要があります。 このため、部隊を進出させて都市に外交を掛けたり、攻囲を実施したりしていくことが必要になります。 部隊には、エリートである陸戦A部隊、陸戦B部隊、海軍部隊、象部隊の4種類があります。 陸戦A部隊はB部隊の2倍の戦力を持っており、象部隊は使って見ないと効果がわからない不確定戦力という扱いになっています。 細かいところで面白いのは、象の戦力を判定する表が2種類になっていて「理想」と「現実」になっており、プレイ開始時にプレイヤー間でどちらを用いるか合意するようになっています。 都市攻囲戦は原則的には陸軍で実施するしかないのですが、海軍は沿岸沿いに高速で大量の部隊を送り込むための有力手段なので重要です。 海路でなければ到達できない島嶼も地中海には少なくありません。 実際に少しやってみて 今回ソロプレイで、数ターンやってみての感想をいくつか書いておきます。 ただし、そのためにはエリア名を聞いた途端に場所がピンと来ることは最低限必要なようです。 そうではない古代地図に疎い筆者のようなプレイヤーには、エリアの位置関係を見やすく整理し、かつ収入と徴兵力をすぐ参照できるプレイエイドがないと辛いと思います。 また、徴兵でマイナースタックが多数出来ると、用意されているユニットでは不足してしまう点や、どうせこうなると判っているなら勢力ごとのカラーの付いた無名指揮官を用意して欲しかったという気がします。 発売された時代が時代なので、こうしたプレイエイドに親切心が不足しているのは当時としては普通のことなのですが、今からプレイするといささか辛く感じます。 そもそもゲームシステムの部分で、徴兵に関しては隣接エリアくらいまでは融通を利かせられるようにしてその代わりに徴兵した部隊はすぐには移動させられないという風にした方が、徴兵の手順も、その後の部隊合流のための余分な移動もなくてスッキリとプレイしやすくなったのではないかという気がします。 兵種についても、仕訳として最低限でもこれだけは欲しいと言う4種類なのだと思いますが、このスケールであれば陸戦兵力と海戦兵力だけで良かったのではないかという気がします。 ゲームの醍醐味がディアドコイたちのマルチの駆け引きにあると思うので、そこに集中できるようにするためにはそれ以外の作業的な労力はできるだけない方が良いような気がします。 いろいろと注文を付けましたが、プレイエイドを作成して、煩雑な部分を省力化するようなローカルルールを作ってしまえば、かなり面白く今でも十分にプレイに耐えるのではないかという気がします。 その一方で、細かいルールの部分が史実に関するフレーバーや造詣をいろいろと感じさせてくれているというのも事実です。 決して見やすいとは言えないエリア特性の表もしげしげと見ていくと、この時代の地域の特性が良く分かります。 人的資源はギリシャ方面に豊富ですが、海軍を建設しようとするとどこらへんでできるのか、象を調達しようとするとどこらへんになるのか、兵員資源は少なくとも金銭的に豊かなのはどこかなどが如実に判ります。 都市の属性もそうで、同盟に呼応しない都市、難攻不落の都市などの位置付けがいろいろとあり、地図を見ていると興味深く読むことが出来ます。 このあたり、そのまま「ヒストリカルシミュレーションゲームというのは、プレイして楽しむことだけを目的にデザインするものではないのでは?」という問題提起が見えるような気もするのですがどうでしょうか?.

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ディアドコイ

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アレクサンドロス3世の死 紀元前323年、アレクサンドロス大王はついに後継者を明示することなくで死去した(熱病によって臨終の床にあった大王の後継者に関する遺言は「最強の者が帝国を継承せよ」というものであった。 皮肉にもこの言葉はディアドコイ戦争の動機かつ最終目標となっていく。 後継者の候補としてはこのときが身ごもっていた赤子と側妾が生んだ庶子ヘラクレスがいるのみであった。 このためマケドニアの、たちは一斉に集って大王死後の国家体制を話し合うことに決し、。 会議の場ではがヘラクレスを推したものの賛同者は現れず、将軍が大王の異母兄弟アリダイオスを推し、大貴族はロクサネの出産を待つべきだと主張した。 の仲裁もあってか彼らは妥協し、アリダイオスをとして即位させるかわりにペルディッカスが後見人となり、ロクサネの子が男子であるならば彼を共同統治者とする、という決定がなされた。 やがてロクサネが産んだ子は男子であったため、このとフィリッポス3世が共同統治者となった。 そしてペルディッカスがアレクサンドロス4世の、また声望の高かった将軍がフィリッポス3世の後見人にそれぞれ就任し、将軍らは領内各地に太守として封じられることとなった。 二人の新王のうちフィリッポス3世は精神に障害があり、アレクサンドロス4世は未だ幼少であったためペルディッカスは事実上の最高権力者の座に就いたが、会議終了直後に反抗の兆しをみせたメレアグロスとその一派三百人を処刑するなど当初から権力基盤は磐石とは言い難い状態にあった。 紀元前323年におけるディアドコイの勢力配分 が発行した銀貨にみられるアレクサンドロスの肖像 史料によって多少の差異も生じているため、ここではディオドロス史料を中心にして、他史料については相違点のみを記載する。 以下三点の史料に共通するものとして、インド・バクトラなどの遠方のアジア地域については、アレクサンドロス帝国時代の支配者(太守)が支配権を維持または継承することになっている(その他の太守の配置はを参照)。 の『 歴史叢書 ()』18巻の3節• :・・• :マケドニア本国• :・パフラゴニア(小アジア北東部)• :およびその周辺• :ヘレスポントス(小アジア北西部) クイントス・クルティウス・ルフス () の『アレクサンドロス大王伝 』10巻の10章 ディオドロス史料と異なる部分• : 抄録の著『ピリッポス史 』13巻の4節 ディオドロス史料には無い部分• :(Susiana) ディオドロス史料と異なる部分• :・パンフュリア• レオンナトス: ラミア戦争 紀元前322年、では、大王の死を契機になどで反マケドニアを掲げる反乱が発生し、これを鎮圧すべく出動したアンティパトロスが敗北するという出来事が生じていた。 敗れたアンティパトロスはテッサリア地方のラミアに篭城したが、レオンナトスが救援に小アジアから渡海、自らは戦死するもラミアの解囲に成功した。 アンティパトロスは小アジアにいたクラテロスにも救援を求め、これに応じたクラテロスは途中アテネの艦隊を撃破し、さらに紀元前322年のでアンティパトロスと共にギリシア軍を破った。 この後アンティパトロスはアテネに入城し、反マケドニア派を粛清・追放した。 なおこの戦役は、アンティパトロスが篭城した地名から「 」と呼ばれている。 小アジアでのエウメネスの活動 同時期、エウメネスが太守に任じられたカッパドキアとパフラゴニアはその時まだマケドニアの勢力下になかったために、彼は隣接する小アジア中部の太守であるアンティゴノスとレオンナトスに協力を求めたが、アンティゴノスからは拒絶され、レオンナトスからもラミア戦争への出兵を理由に断られてしまう。 やむなくエウメネスはペルディッカスから援軍を得て遠征を成功させた。

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