大野 翔平。 大野将平の世界柔道選手権・選手・金メダルが話題

大野将平に王者の貫禄、勝利より求む己の追求が強さ

大野 翔平

経歴 [ ] プロ入り前 [ ] (現在の)に、の選手だった父と選手の母を持つ、スポーツマンの両親の家に、三人兄弟の末っ子として生まれる。 「翔平」という名前は、父がにゆかりのあるにちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられた。 姉体小学校3年時に水沢で野球を始め全国大会に出場。 当時のが体が逃げてしまう程、球が速かったと語っている。 小学校5年生にして110を岩手県営野球場で記録している。 時代は一関に所属し、ここでも全国大会に出場した。 に憧れ、彼の出身校のへ進学。 入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある。 1年夏迄はとして起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により 、1年春は「4番・」で公式戦に出場。 その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。 3年のでは初戦の戦は、11三振11四死球で9失点と大敗するも、からホームランを放った。 延長戦を除き1人の投手が奪三振、四死球ともに二ケタは、98年()が2回戦の戦で11奪三振、10四死球を記録して以来、大会14年ぶり。 しかし決勝の戦では5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。 甲子園通算成績は14回を投げ3. 77、16。 野手としては2試合で. 333、1本塁打。 9月にはのに選出され、主に四番・として起用された。 9月18日、を提出した。 前には日本プロ野球だけでなく球団からも注目され、本人は当初「(か日本かは)五分五分」と語っていた が、や、との面談を経て 、10月21日にを表明。 会見では「からのスタートになると思うけれども、に挑戦したい気持ちでいる。 入学当初からの夢だった。 若い内に行きたい思いがあった。 日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った。 しかし、10月23日にのが大谷をドラフト会議で1位指名する事を公表し 、日本ハム監督のも「大谷君には本当に申し訳無いけれど、指名をさせて頂きます」と話していた。 10月25日に行われたドラフト会議ではが大谷を1巡目で単独指名し交渉権を獲得。 指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。 でも、自分の気持ちは変わりません。 評価して頂いたのは有り難いですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り 、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった。 しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け 、両親を交えた入団交渉も4度に渡って行い 、3度目の入団交渉からは栗山も同席する。 交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料 が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡ったの野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方がメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明された。 更に前年までが着用していた背番号 11、投手と打者の「」育成プラン等を提示され、12月9日に日本ハム入団を表明。 12月25日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定) で仮契約を結んで入団会見した。 背番号は上記の通り前年までダルビッシュが着用していた「 11」に決まった。 会見後にはで監督の栗山英樹と投打で1球勝負するエキシビションも行われた。 11月に花巻東高校が岩手県内向けに放送した生徒募集のについて、同校が大谷を(高野連)の承認を得ないで出演させていた事が2013年1月に判明し、抵触のため高野連が実態調査に乗り出し 、野球部部長が厳重注意を受けた。 日本ハム時代 [ ] 春季キャンプでは投手と野手の練習メニューを並行してこなし、2月途中から一軍に合流。 ・春季でも投手、、として出場。 3月21日の戦のオープン戦では、投手として登板した後に打席に立ち、更に右翼手の守備に就くなど、本格的な二刀流起用を想定した采配をされる。 投手登録のまま打者として開幕一軍入りし 、3月29日のシーズン(戦、)では8番・右翼手で先発出場。 高卒外野手の開幕戦先発出場はの以来で、球団ではの以来54年振りだった。 その開幕戦で2安打1打点を記録、高卒新人が開幕戦で複数安打を記録したのはの以来53年ぶり2人目。 その後は下位打線で出場しながら二軍の試合で投手として調整していたが、4月13日のオリックス戦()で外野守備中に右足首をし 、出場選手登録を抹消された。 5月4日に復帰し、5月6日の西武戦(西武ドーム)ではプロ入り後初めて一番打者として出場した。 5月23日の戦、投手として初登板・初先発。 5回2失点で勝敗はつかなかったが、新人投手の初登板では史上最速となる157を記録した。 6月1日の中日戦でを務め、5回3失点でプロ初勝利を挙げる。 6月18日の広島戦()はセ・リーグ球団の主催試合で指名打者が使えないため、五番・投手で先発出場。 先発投手が三~五番を打つのはの以来50年ぶり。 投手としては4回3失点で降板したが、降板後に右翼手の守備に就き、打者としては1安打1打点を記録した。 7月10日の楽天戦()ではからプロ初本塁打を打つ。 高卒新人でプロ初勝利とプロ初本塁打を記録したのはの以来、46年ぶり。 しかし翌11日(楽天戦)の試合前練習中に外野をランニングしていたところ、フリー打撃の打球が右のこめかみ付近に直撃し試合を欠場、「右頬骨不全骨折」と診断された が、その3日後の14日(戦)で復帰し、から自身初の本塁打・本拠地初本塁打・2試合連続本塁打となる2号本塁打を打った。 第2戦では高卒新人としてはオールスターゲーム史上初となる一番打者で起用され、第1打席で初安打となる二塁打を記録 、続く第3戦では高卒新人としてはの以来となるオールスターゲームでの打点を記録し、敢闘選手賞とスカイアクティブテクノロジー賞を受賞した。 8月9日のロッテ戦では6回からプロ入り後初の救援登板を果たす。 8月18日の戦()では五番・右翼手で先発出場し、8回からは投手を務め1回を1安打無失点に抑える。 投手としては13試合に登板し、3勝無敗、防御率4. 23を記録した。 打者としては77試合に出場し、打率. 238、3本塁打、20打点を記録した。 3月30日のオリックス戦(札幌ドーム)でプロ入り初のを記録。 4月12日の西武戦(札幌ドーム)でプロ入り初の二桁奪三振とシーズン初勝利を記録。 5月13日の西武戦()では、9回を被安打6・奪三振9の内容でプロ入り初。 20歳となった7月5日のロッテ戦では、プロ入り初の1試合2本塁打を記録。 7月9日の対楽天戦()では毎回の16奪三振で1失点の完投で8勝目。 1試合16奪三振は、のと並ぶ球団タイ記録。 毎回奪三振は自身初で、球団では史上10人目(13度目)。 また1968年のの20歳2ヶ月を更新する16奪三振以上のNPB最年少記録とした。 には前年の外野手に続き、投手として監督推薦で選出。 投手と野手の両方で選出されるのは 以来2人目。 公式戦を入れると、2008年の以来の史上2人目のタイ記録。 1イニングを投げ、打者5人に対し3被安打1失点の内容で、全23球のうち12球で160キロ以上を記録した。 試合は12対6でが勝利し大谷が勝利投手となる が、20歳0ヶ月での先発勝利はの19歳1ヶ月に次ぐオールスターゲーム年少記録となった。 8月26日のソフトバンク戦()で自身初の10勝目を挙げたが、同一シーズンで10勝と6本塁打を記録したのはパ・リーグ史上初。 8月29日のロッテ戦()で初回に自身初の2日連続となる8号本塁打を記録し、二桁勝利を挙げた投手としては1950年の(26勝)の7本塁打のNPB記録を更新した。 9月7日のオリックス戦()で10号本塁打を記録し、NPB史上初となる「同一シーズンで二桁勝利と二桁本塁打」を達成した。 10月11日の(CS)ファーストステージ(オリックス戦)の第1戦(京セラドーム)でポストシーズン初登板初先発。 2回には二死満塁からの2四死球で2点を取られたが、6イニングを3失点に抑えCS初勝利を挙げた。 20歳3ヶ月の投手がCSで勝利するのは2009年のの20歳11ヶ月を更新する史上最年少記録。 投手としては24試合に登板し、11勝4敗、防御率2. 61を記録した。 打者としては86試合に出場し、打率. 274、10本塁打、31打点を記録した。 オフにはのに選出。 背番号は過去に等が着用した「16」に決まった。 第1戦では中継ぎとして登板し、1回を三者凡退に抑えた。 先発となった第5戦では4回2失点7奪三振という結果だったが敗戦投手になった。 12月には高卒3年目選手では以来史上2人目となる年俸1億円(推定)で契約を更改した。 5月14日の西武戦(西武ドーム)では、チームではの以来となる完投勝利での開幕6連勝を飾った。 一方で打撃面では低調で、4月1日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では先発のから野手では2試合目、6打席目でのプロ入り最速となる第1号本塁打を放つが、4月19日のソフトバンク戦ではプロ入り初の1試合4三振を記録した。 オールスターには2位のと28万票以上の大差をつけ、投手部門で選出。 投手と野手でファン投票選出されたのは53年の投手部門、63年の外野手部門で選出された関根潤三以来2人目となった。 オールスターには第1戦に先発し、結果は2回2安打1失点という成績だった。 8月8日の楽天戦では自身初となる安打を記録した。 8月18日、対ロッテ戦 QVCマリン で9回12奪三振の完封で前年の11勝を上回る自己最多の12勝目を挙げた。 最終的には10月6日のパ・リーグ全日程終了時点でハーラートップの15勝、防御率2. 24、勝率. 750で、、の投手三冠に輝いた。 高卒3年目での15勝到達は、球団ではの以来となった。 一方野手としては年間通して低迷し、最終的な打率は. 202に終わった。 10月9日に、の最終ロースター28名に選出された事が発表された。 チームがリーグ2位で迎えた第1戦に先発したが3回途中5失点で敗戦投手となった。 第3戦では1点ビハインドの8回1死1. 3塁のチャンスで代打で登場するも三振を喫してしまうなど投打に精彩を欠きチームはCS敗退した。 プレミア12では投手一本で専念。 プレミア12開幕戦の韓国戦で先発して、6回を2安打無失点に抑える活躍を見せて勝利に貢献した。 日本はグループリーグを突破して準決勝の韓国戦でも先発し、7回を1安打無失点に抑えたがチームは3-4で敗れた。 この好投を評価されてプレミア12のベストナインに選出された。 この年はその他、8月17日にが大谷の写真を使ったセットを北海道内で発売すると発表した。 プロ野球選手の切手は前例があるが、日本ハムの選手では初めてとなった。 開幕投手を務めたが、打線の援護に恵まれず、先発した5試合で白星が無かった。 先発6戦目となった5月1日のロッテ戦(QVCマリン)で9回を4失点で抑えてシーズン初完投初勝利を飾った。 しかし、5月途中まで防御率3点台と、シーズン途中まで投手として調子が上向くまで時間を要した。 その一方で、このシーズンは打撃が好調。 5月11日のオリックス戦(東京D)ではから、自身初の4試合連続の本塁打を記録した。 5月29日、楽天戦(コボスタ宮城)ではパ・リーグ史上初となる指名打者を解除し、6番・投手としてスタメン入りをし、投手としては7回4安打1失点で3勝目をあげ、打者としては3安打1打点の猛打賞を記録した。 7月3日、ソフトバンク戦(ヤフオク)では自身初となる 1番・投手として先発して、打者としては初球先頭打者本塁打を放ち、投手としては8回10奪三振で抑え、8勝目(4敗)をあげる活躍をした。 投手のNPBにおける1番先発はの以来45年ぶり史上3人目だが、先頭打者本塁打は史上初。 因みにに置いても投手の先頭打者本塁打は過去に例がない。 6月は4勝0敗、奪三振41個、防御率0. 29の成績で自身2度目となるを受賞した。 7月10日の対戦で試合中にを潰してしまい途中降板。 その影響で約2ヶ月の間、先発投手としての登板は無かった。 では投手としてファン投票に選出されたが、マメの影響で投げられない事が考慮され、異例の野手として出場が許可された。 7月15日、オールスター第1戦試合前のホームランダービーでは一回戦で山田哲人、決勝戦で柳田悠岐を破り、優勝を果たした。 7月16日、オールスターの第2戦では5番・指名打者として先発して、自身初のオールスター本塁打を放つ等MVPを受賞する活躍を見せた。 7月24日の対戦で、3年振りとなるリリーフ登板で1回を無失点に抑え、プロ初を記録。 9月28日の西武戦(西武ドーム)で9回1安打15奪三振で完封勝利を挙げ、日本ハムの4年ぶりのリーグ優勝達成に貢献。 この試合で10勝を挙げ、自身2度目の「同一シーズンで二桁勝利と二桁本塁打」を達成し、NPB史上初の「10勝、100安打、20本塁打」を達成した。 惜しくもにあと3回満たなかったため2年連続の最優秀防御率は逃した。 ファイナルステージでは、第1戦に8番・投手として先発出場し2打数1安打、7回1安打6奪三振無失点で初勝利。 第5戦では3番・指名打者として先発出場し9回にDH解除でリリーフ登板。 自身初セーブを挙げ、4年振りの進出を決めた。 日本シリーズでは、第1戦(マツダスタジアム)に8番・投手として先発出場、6回3失点で敗戦投手となる。 投手としてはこの1試合のみの登板となるが、打者としては第2戦に9回表に代打で出場、第3・4・5戦(札幌ドーム)では3試合とも3番・指名打者として先発出場する。 特に第3戦では延長10回裏、2死2塁の場面でからサヨナラ適時打を放ち、チームのシリーズ初勝利に貢献した。 チームはこの勝利から4連勝で4勝先取となり、自身初の日本一も経験した。 優勝が決まった第6戦では出場機会が無かったものの、スコア4-4の同点、8回表2、打席に、次の打者が投手のという場面で大谷がで待機したが、後に栗山監督は「大谷を起用するつもりは全く無かった」と、相手投手に重圧を掛ける意図があった事を明かしている。 結果的に中田は押し出し四球で、その後この回だけで計6得点が入った事に因り勝敗がほぼ決まった。 10月18日に「 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。 東京ドームで行われた11月13日のオランダ戦では、7回表に放った打球が右翼方向の天井に入り、ルールに因って二塁打となっている。 因みにこれは、2002年に記録した以来となる。 11月25日、パ・リーグのが発表され、史上初の投手と指名打者のダブル受賞を果たした。 本来、ベストナイン投票規定では投手部門と野手部門の重複投票は禁止されていたが、今季の大谷の活躍を考慮し9月下旬に規則変更されていた。 12月22日、とマネージメント契約を締結した事を発表。 WBC日本代表に選出されるも足首の調子が悪く辞退。 4月8日のオリックス戦で1塁への走塁の際に、左(太もも裏)を痛め、大阪市内の病院で検査を受けた結果、左大腿二頭筋の肉離れと診断され9日に登録を抹消された。 6月27日に1軍復帰出場を果たすものの、シーズンも怪我の影響で満足のいくプレーは出来ず、投手としてはプロ入り後ワーストタイの3勝、野手としても65試合出場、8本塁打という成績に終わっている。 9月12日の楽天戦で通算40勝となり、史上4人目となる40勝・40本塁打を達成。 最終登板となった10月4日のオリックス戦ではプロ野球史上66年ぶりとなる「 4番・投手」で出場し、打席では4打数1安打、投球では10奪三振の完封勝利を記録。 10月12日に東京都内の病院で内視鏡による「右足関節有痛性三角骨(足関節後方インピンジメント)除去術」を受けた。 11月11日にを利用してメジャーリーグに挑戦する事を表明した。 MLBの労使協定により、プロ経歴5年で23歳の大谷はインターナショナル・ボーナス・プール での契約対象選手であるため契約金は低額で、且つしか締結できない(を得るまではMLB最低保証年俸程度で選手を保有できる) ことから、資金力に関係なく様々な球団が大谷の獲得を目指した。 交渉期間はからの要望により、大谷に限って通常の30日間から21日間に短縮され、その代わり交渉期間前の書類によるプレゼンテーションが許可された。 11月29日に代理人を通じてMLBの全30球団に対し、「自身に対する評価」「今後の育成法」、といった内容を書き記した質問状を送付した。 12月4日に書類審査の結果、移籍先候補はアメリカ西海岸沿いを中心とする7球団(、、、、、、)に絞ったと代理人が声明する。 落選した球団には、やといった名門も多く含まれており、MLBファンの間でも大きな反響を呼んだ。 エンゼルス時代 [ ] (日付は全て現地時間) 2017年12月9日にと契約合意に至ったと発表され 、同日に球団側も大谷の獲得を表明し 、背番号は「 17」と発表された。 翌10日に契約を結び、ルーキー級アリゾナリーグ・エンゼルスに配属され 、本拠地ので入団記者会見が行われ 、日本ではその一部がの情報番組「」内で生中継された。 代理人は Nez Balelo 、通訳は。 2月6日、に招待選手として参加。 オープン戦では投手として2試合で先発登板、打者としても指名打者で11試合で起用されるが、防御率27. 00、打率. 125、0本塁打、長打0と投打ともに不振にあえいだ。 現地の一部メディアでは「マイナー起用すべき」との声も上がったものの 、3月28日にメジャー契約を結び、入りした。 戦に登板する大谷(2018年5月6日) 3月29日、の戦で「8番・指名打者」で先発出場し、初打席初球初安打を記録。 4月1日のアスレチックス戦で初登板初勝利、4月3日、本拠地初戦の戦で指名打者として出場し、第1打席で初本塁打を放った。 勝利投手が2日以内に打者として出場した試合の初回に、本塁打を記録したのはの以来、実に97年ぶりの快挙である。 4月6日のアスレチックス戦の第1打席で、3試合連続となる第3号ホームランを放った。 日本人による3試合連続ホームランは、9月(2年目)と7月に記録した以来2人目であり、1年目の4月に達成したのは日本人選手史上初。 メジャー史上では4人目の快挙。 また、打点が公式記録となって以降で、本塁打と2打点を本拠地開幕戦から3試合続けたのは、ア・リーグでは初めてである。 4月8日に本拠地初登板となったアスレチックス戦で、7回を投げ1安打12奪三振1四球の快投を見せ、開幕2勝目を挙げた。 新人投手としてデビューから最初の2試合で6奪三振以上は、球団史上3人目の記録となった。 また、デビュー登板から2試合のうちに12奪三振を記録したのは、ア・リーグタイ記録であり。 開幕から10試合で2勝&3本塁打は1919年のジム・ショー以来99年ぶりの快挙となった。 4月9日、週間MVPに選ばれ初受賞した。 日本人選手の受賞は8月7日の以来、2年ぶり。 また、にア・リーグで「Players of the Week」が作られて以降、二刀流選手としては初の選出となり。 1年目の日本人選手で4月上旬の選出は最速で、23歳9ヶ月というのも最年少記録となった。 4月22日に4番・指名打者で出場した が、同一シーズンで3試合以上先発登板している選手が4番で出場したのは、メジャーではの以来57年ぶり 史上16度目で13人目。 4月24日には、戦で100(160. また、昨年ア・リーグMVPだったを3打数無安打(うち2奪三振)に封じたため、同一シーズンで「サイ・ヤング賞投手」(4日に対戦した)から本塁打を打ち、「MVP打者」から三振を奪ったメジャー史上5人目の投手となった。 4月27日のヤンキース戦で、メジャー初の5番・指名打者で出場し、第1打席で第4号本塁打を放った。 1カ月での4本塁打、25奪三振達成は1971年9月の以来、47年ぶり史上4人目。 5月2日に、4月のア・リーグに選出された。 日本人選手の選出は4月の以来6年ぶり6人目。 6月8日、右肘のを損傷し、自身初となる10日間のに登録された。 7月3日、戦に6番・DHで6月4日以来、約1ヶ月ぶりに打者として復帰した。 7月23日のホワイトソックス戦(エンゼル・スタジアム)で8号ソロを放った。 これまでの本塁打全てが本拠地エンゼル・スタジアムで放ったものであり、新人選手が最初の8本(最終的に9本)全てをエンゼルスタジアムで放ったのは球団史上初となった。 8月3日、敵地クリーブランド・インディアンス戦に3番・DHで先発出場し、からメジャー初となる第1打席に先制10号2ラン、続いて第2打席に2打席連続の第11号ソロ本塁打を放った。 メジャー1年目での日本人選手による2桁本塁打到達は2012年の(10本)以来、6年ぶり7人目となった。 9月2日、アストロズ戦で6月6日のロイヤルズ戦以来88日ぶりに投手として復帰登板した。 1シーズンで10試合に先発登板し、かつ10本塁打を記録したのは、ベーブ・ルース以来の出来事で史上2人目の快挙である。 9月5日の試合前にの結果、大谷の右肘靱帯に新たな損傷が判明し、医師からは靱帯再建手術()を勧められていると発表した。 9月7日、5番・DHで出場したホワイトソックス戦でから3試合連続の第19号勝ち越し3ラン本塁打を放ち、(2006年)に並んでいた日本人1年目の本塁打記録を更新し、単独1位となった。 9月10日、今シーズン2度目となる9月3~9日までの週間MVPに選ばれた。 日本人メジャーリーガーのシーズン2度目はの野茂英雄以来2人目となり、1年目では史上初の選出となった。 9月15日、4番・DHで出場したマリナーズ戦の第一打席でから第20号ソロ本塁打を放った。 日本人選手のシーズン20本以上は松井秀喜に次いで史上2人目。 このシーズンは打者として104試合(代打22試合)に出場し、打率・285、22本塁打、61打点、10盗塁。 投手としては10試合に先発登板し4勝2敗、防御率3・31の成績を残し、メジャー史上初の「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成し、シーズンを終了した。 10月1日、ロサンゼルス市内の病院でトミー・ジョンを行い、成功した。 同日、9月のア・リーグに選ばれた。 4月以来2度目の受賞となり 、日本人選手が同賞を複数回受賞するのはのイチロー以来となった。 2位のに48ポイントの大差をつけ、ア・リーグのに選ばれた。 日本人選手の受賞は2001年のイチロー以来17年ぶり4人目となった。 開幕からリハビリを重ね、5月7日の戦で打者として復帰した。 6月13日の戦に「3番・指名打者」で出場し、日本人初のを達成した。 1900年以降、投手で2勝以上し、サイクル安打を放ったのは、、の(5勝、サイクル安打2度)以来史上2人目、98年ぶり。 6月27日のアスレチックス戦で2年連続2桁本塁打となる10号2ランを放った。 日本人メジャーリーガーで入団から2年連続10本以上の本塁打を打ったのは、松井秀喜、井口資仁、城島健司、に次いで5人目となった。 9月12日、翌13日に左の手術()を行うと発表した。 全治まで8週間から12週間の予定で、2019年シーズンは終了することになった。 106試合に出場し、384打数110安打、18本塁打、62打点で、打率. 286をマークした。 当シーズンから"Two-Way Player"()がルール上定義され、大谷はMLB初の適用選手となった。 "Two-Way Player"適用選手は、昨年までは不可能だった「投手として入りし、の試合にリハビリ登板しながら rehab assignment 、同時に野手としてMLB公式戦に出場する」ことが可能となり(詳細は 「」 を参照)、エンゼルスは開幕から大谷をで起用しつつ、同時にマイナーで調整登板させ、5月中旬を目処にMLBで復帰登板させるプランを発表した。 選手としての特徴 [ ] パ・リーグ主催試合では指名打者を解除して先発投手ながら打席に入る場合や、セ・リーグ主催試合では先発投手ながら主軸を打つ場合もある。 又投手としてのみ先発登板するケースや、野手としてのみ(指名打者で)先発出場するケースの他に、投手として先発出場し降板後に野手として守備に就くケースや 、野手として先発出場し途中の回から救援登板するケースもある。 2020年シーズン前、筋骨隆々となった体型でマスコミの前に出たが、は2月23日の『』で「ダメだねえ、大谷は。 あんな体つくっちゃダメだよ。 プロレスじゃないんだからね。 野球に必要な体だけでいいんですよ」と話した。 はがメジャーに行った後に体を大きくして一時打撃の感覚を狂わせたことがあったと説明した。 投手 [ ] 大谷の投球フォーム(2013年) 2018年の投球データ 球種 配分 平均球速 水平運動 鉛直運動 in 46 97 157 -3. 6 8. 4 25 82 132 8. 7 -0. 2 22 88 142 -3. 2 0. 3 7 75 120 6. 4 -10. 6 から繰り出す、平均96. 7mph(約155. プロ入り後、フォークを習得。 高校時代はやも混ぜた。 高校時代はフォームの安定やスタミナが課題とされていた。 高校通算奪三振145に対し、与四死球61を記録するなど制球力にも課題があり 、NPB通算与四球率 は3. 3に達している。 日本ハム時代にとしてバッテリーを組んだは「リズムが出来てくればしっかりとコースにコントロール出来るが、から崩れるという失点パターンに注意している」と語っている。 野手 [ ] 打席での大谷(2013年) 打撃センスも高く評価され、高校通算56を記録した抜群の長打力 に加え、一塁到達まで3. 8秒台の俊足 、ノーステップで遠投90メートルという強肩 を兼ね備える。 高校時代にはプロのスカウトから「タイプでを狙える素材」 「以来の長距離打者」 と評された。 指名打者の難しさについては「極端な言い方をすると、4回代打で出場する様なもの。 如何に集中しながらゲームに臨むかが一番大事だと思います」と話している。 打席数に比べて三振が突出して多く、例として2018年シーズンは367打席で102三振を記録している。 これに対して2018年シーズン終了後に雑誌で「これも実力が足りないなりに、捨てた部分ではあります」「打率も出塁率も残しながら、求められているのは長打力だと思っているので」と回答をしている。 二刀流に対する賛否 [ ] 先述の「二刀流」という起用法に関しては、OB選手や専門家の間でも意見が大別している。 具体的には以下の通り。 二刀流賛成派 [ ]• 入団直後の大谷を見て、「バッターも良いけどやっぱり俺はピッチャーだな。 とにかく彼はこれまでの日本人が持っていない物を持っている。 何より体がいい。 (身長も)194~5(cm)あるわけでしょう。 それでいてあの身のこなしが出来る。 あの動きを見ると、やっぱりMLBのピッチャーだなと思う」と投手派の意見を語っていたが 、後に「今は(二刀流をやめろとは)言えないね、スケールが違う。 二刀流のままでいい」と意見を変えている。 将来的に投手と打者のどちらかに専念していくという見解を持ちつつも、「200勝、2000安打のどちらかなんて言わず、両方達成してに来ればいい。 二刀流を続けるというなら、それぐらいの意気込みでやってほしいよな」と語っている。 「せっかく自分がやりたいと言っているのに、その芽を摘む必要がどこにあるのか。 やらせてみて、結果責任は自分で取ればいい」 「人のことなんだけど、気にはなるじゃないですか。 見てみたい。 野球をやっていた人間として、本当にこれが米国でできるのかどうかっていうのを見たいっていうのは人より多いかもしれない」 と述べ、大谷本人の意志とメジャーリーグにおける二刀流の可能性に興味を持っていることを語っている。 、 両者とも本人の意思を尊重した選択を勧めており、「可能なら両方続けたらいいし、いずれどちらかに決めるならそれもいいと思う」 、「なかなかできることではない。 納得するまでやればいい」とそれぞれ語っている。 投手専念派 [ ]• 当初は二刀流起用について「日本プロ野球界を舐めるな」と言った旨の意見を持っていたが、その後の活躍を見て翻意。 二刀流を続ける事を勧めており、「あれだけのバッティングとピッチングが出来るなら、大賛成。 今まで誰もやった事がない事をやるというのも、魅力である。 『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」と語っていた。 しかし2017年4月のインタビューでは「『二兎を追うもの一兎をも得ず』にならないか」「ピッチャーは五体満足じゃなければ投げられない。 全力投球は全身を使った仕事だから、どこのケガも本当はダメ。 ただ、俺が監督だったら、大谷は文句なしにピッチャーで使いたいね。 バッターにはいつでも転向できるけど、165キロを投げる選手なんて居ないんだから」と二刀流起用の懸念点を述べている。 投手としての大谷を「あの投げ方を見ると、アメリカのバッターは打てないと思う」と称賛し 、「二刀流は怪我するし、世界一のピッチャーになれるかもしれないのにそのチャンスを二刀流で怪我して逃すのはもったいない。 このような逸材を二刀流で怪我して失うのは球界においての大損失だ」と述べ怪我のリスクの点から二刀流を批判したが 、バッティングの技術があることも認めており、「あの打ち方を見たら、代打起用くらいだったら良い」とほんの一部だけ二刀流を認めている。 「No. 1になれる可能性があるとしたら投手なので。 1になれる可能性を取ったが方が良い。 (二刀流は)プロ野球の人気を考えれば見ていて面白いし興味がある事になると思うけど、本人がMLBに行きたいと思った時は絶対に足を引っ張る事になる」と述べ、投手に専念する事を推奨している。 「大金を出して獲得する選手に、MLBはそんなリスキーな事はさせない。 各チームとも、DHは最も年俸の高いスラッガーが打つだろうし、守る場所も無い。 せっかく投手として可能性があるのだから、本気でMLBを目指すなら打者は早々に諦めるべきです」とコメントした。 二刀流起用経験選手 実際に二刀流の経験があるは、「MLBに来たら両方やらせてくれる事は無い。 両方をやっていたら色んな事が起きるからだ。 例えば、自打球を足首や足のつま先に当てて骨折でもしたらどうする。 特に年間に500〜2000万ドルも稼ぐ奴ならまず無理だ」と語っている。 また、大学時代に二刀流選手をしていたは、「おそらくプロのチームは、大谷が100マイルを投げられるなら彼を守りたがるだろう。 そして、投手としてやらせたいと考えるはずだ。 だって、守っていれば無理な体勢から投げなければならない時もある。 そんな時に腕でも痛めたらどうするんだい」と語っている。 ただ、ベストナインを2部門で受賞した2016年オフには、MLB機構が公式サイトで「伝説誕生」として大谷のダブル受賞を報じる など、「二刀流」起用を念頭に置いて大谷に注目するメジャーリーグ球団も現れている。 打者専念派 [ ]• 「バッターをやればいいのにと思いました。 すごいピッチャーはいくらでも出てきます。 でも、あんなバッターはなかなか出てこない。 実際にグラウンドで対戦した訳でも無い距離感の中での話ですけど、彼程のバッターは中々居ないと思います。 」「(二刀流は)ピッチャーをやって、その翌日に外野を守れるなら両方やってもいいと思います。 」と述べ、メジャーリーグでは大谷レベルの投手が希少ではないことを指摘し、打者寄りの二刀流、もしくは打者に専念する事を推奨している。 「大谷は開幕直後からプロの投手の球に対応できている。 」「とてもじゃないが高卒ルーキーの打撃ではない。 あいつは本物の天才。 」「ストレートで三振を奪える球を武器として身に着けているなら投手一本で行け。 だが変化球で交わす投球を主体にしなければ抑えられないと感じたなら、思い切って打者一本にすることを俺は勧めたい。 『一流の投手』にはなれると思うが、野茂・松坂クラスの『怪物』には及ばないと思ってもらいたい。 だったら、打者に専念してほしい。 」と述べ、投球スタイルに関する条件をつけての打者専念を勧めた。 「絶対どっちかにしないといけないなら」という仮定のもとで、「僕が監督だったらバッターで毎日使いたい」「飛距離がすごい」と評価している。 二刀流にも賛成はしているものの、日本ではに匹敵するあるいはそれ以上のホームランバッターで、打者に専念したら50本以上は打てる潜在能力を秘めた選手と評している。 走塁にもすぐれ、ホームランも打てる点からタイプのバッターだと述べている。 人物 [ ]• 父のは、を卒業してからでプレーしていた元選手。 現在はシニアの監督。 母の加代子は元選手としてに出場した実績を持つ。 7歳上の実兄・は、かつて独立リーグのに所属し、現在はでプレーする社会人野球の選手。 好きな選手にはダルビッシュ有と を挙げている。 高校時代には野手としても高い評価を受けていたが、本人は投手に対する拘りが強く 、「世界一の投手」を目標に掲げていた。 「誰もやった事が無い様な事をやりたい。 さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。 刺激というか、やる気になる」という考えから 、高校3年時には日本のプロ野球を経ずに直接メジャーリーグ球団との契約を目指す意向がある事を明かし、「日本を選択した場合でも、肉体的だという25歳でメジャーに挑戦していたい」 「日本人投手として最初の入りを果たしたい。 メジャーで殿堂入りする為にはメジャーで最低15年はやらないといけないという話なので、30歳近くになってからメジャーに挑戦するのは遅いと思う」 「マイナーリーグから這い上がってメジャーに行く事も魅力」と話し 、日本ハム入団を表明した後も「やっぱり最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分の憧れている場所」と話した。 アメリカで生活していく覚悟についても「その気持ちはあります」と話し 、日米のや、野球の違いについては「合うかどうかというより慣れだと思っています。 そういう意味も含めて、若いうちに慣れた方がいいと思うんです。 だから不安はありません」と話した。 日本ハム時代にチームメイトだったは「僕のほうが1学年上なのに平気でいじってくる。 で話し掛けて来る時もある。 まさにクソガキみたいな部分もある。 でも、普段は礼儀正しい」と語っている。 同じくは「投手と野手をやっているので全員に隔てなく接して話す事が出来ている。 誰とでも気さくに話すし、言いたい事もしっかり言える。 皆んなから親しまれている」と話している。 プライベートでは外出を殆どせず、「二刀流をやろうとしている事を考えたら、我慢しなくてはいけない事が一杯ある」という方針から外出する際は監督の栗山英樹に許可を得なければならないが、本人は「制限されてもされなくても変わらないと思う。 何したいとか特に無いですし、いいのかなと思います」と話している。 「無趣味」とも公言しており、強いて挙げている趣味は読書とDVD鑑賞。 読書については「その時にもよりますけど、読める時は1日で一気にいっちゃいますし、移動の際とか、時間があって眠くない時に読んでいます」と話し 、ではの『』や『』、の『』等を読んだ事があると語っている。 にはでウェブにをあしらったり刻印を施している。 好物は。 ファイターズ時代にはコンビニエンスストアで生チョコクレープをよく購入していた。 本人はが大好物と語っているが、管理のため比較的分の少ないを食べる様にしているという。 高校時代の好きな教科はで、「特にが好きですね。 日本が近代的に変わっていく為の新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。 やというものに惹かれるんです」と語っている。 彼の専属通訳であると仲がよくプライベートでも関わりある。 詳細情報 [ ] 年度別投手成績 [ ] 球 団 13 11 0 0 0 3 0 0 0 1. 000 274 61. 2 57 4 33 0 8 46 2 0 30 29 4. 23 1. 46 24 24 3 2 0 11 4 0 0. 733 639 155. 1 125 7 57 0 4 179 6 1 50 45 2. 61 1. 17 22 22 5 3 0 15 5 0 0. 750 621 160. 2 100 7 46 0 3 196 9 0 40 40 2. 24 0. 91 21 20 4 1 1 10 4 0 1. 714 548 140. 0 89 4 45 0 8 174 6 0 33 29 1. 86 0. 96 5 5 1 1 0 3 2 0 0. 600 105 25. 1 13 2 19 0 0 29 1 0 9 9 3. 20 1. 26 10 10 0 0 0 4 2 0 0. 667 211 51. 2 38 6 22 0 1 63 5 0 19 19 3. 31 1. 16 :5年 85 82 13 7 1 42 15 0 1. 737 2187 543. 0 384 24 200 0 23 624 24 1 162 152 2. 52 1. 04 :1年 10 10 0 0 0 4 2 0 0. 667 211 51. 2 38 6 22 0 1 63 5 0 19 19 3. 32 1. 2019年度シーズン終了時• 各年度の 太字はリーグ最高 年度別打撃成績 [ ] 77 204 189 14 45 15 1 3 71 20 4 1 0 2 12 0 1 64 3. 238. 284. 376. 660 87 234 212 32 58 17 1 10 107 31 1 0 0 1 21 0 0 48 4. 274. 338. 505. 842 70 119 109 15 22 4 0 5 41 17 1 0 0 2 8 1 0 43 1. 202. 252. 376. 628 104 382 323 65 104 18 1 22 190 67 7 2 0 4 54 2 1 98 7. 322. 416. 588 1. 004 65 231 202 24 67 16 1 8 109 31 0 1 0 3 24 0 2 63 0. 332. 403. 540. 942 114 367 326 59 93 21 2 22 184 61 10 4 0 1 37 2 2 102 2. 285. 361. 564. 925 106 425 384 51 110 20 5 18 194 62 12 3 0 4 33 1 2 110 6. 286. 343. 505. 848 :5年 403 1170 1035 150 296 70 4 48 518 166 13 4 0 12 119 3 4 316 15. 286. 358. 500. 859 :2年 220 792 710 110 203 41 7 40 378 123 22 7 0 5 70 3 4 221 8. 286. 351. 532. 883• 2019年度シーズン終了時 年度別守備成績 [ ] 年 度 球 団 試 合 試 合 刺 殺 補 殺 失 策 併 殺 守 備 率 2013 日本ハム 13 2 7 0 1 1. 000 54 75 7 1 1. 988 2014 24 8 23 1 1. 969 8 15 0 0 0 1. 000 2015 22 15 29 1 0. 978 - 2016 21 9 23 1 2. 970 - 2017 5 3 5 0 0 1. 000 - 2018 LAA 10 1 6 0 1 1. 000 - NPB 85 37 87 3 4. 976 62 90 7 1 1. 990 MLB 10 1 6 0 1 1. 000 -• 2019年度シーズン終了時 タイトル [ ] NPB• :1回 (2015年)• :1回 (2015年)• :1回 (2015年) 表彰 [ ] NPB• :1回(2016年)• :2回 (投手部門:2015年4月、2016年6月)• :1回 (2015年、捕手:)• 年間大賞:1回 (2014年)• Bi-weekly賞:1回 (2014年度第2回)• :2回 (野球部門:2015年、2016年)• ・日本生命賞:1回 (2016年)• :1回 (2014年)• WBSCプレミア12・ベストナイン:1回 (先発投手部門:)• :2回 (2016年、2018年)• (2014年) MLB• (2018年)• :2回(2018年4月2日 - 4月8日 、2018年9月3日 - 9月9日 )• :2回(2018年4月、2018年9月)• グランプリ(2018年 ) 記録 [ ] この選手の記録に関する文献やが必要です。 ためにご協力をお願いします。 ( 2014年7月) NPB投手記録• 初登板・初先発登板:2013年5月23日、対2回戦()、5回2失点で勝敗つかず• 初奪三振:同上、2回表にから空振り三振• 初勝利・初先発勝利:2013年6月1日、対4回戦(札幌ドーム)、5回3失点• 初完投勝利・初完封勝利 : 2014年5月13日、対7回戦()、9回9奪三振• 初ホールド:2016年7月24日、対15回戦(札幌ドーム)、6回表に2番手で救援登板、1回無失点 NPB打撃記録• 初出場・初先発出場:2013年3月29日、対埼玉西武ライオンズ1回戦()、8番・で先発出場• 初打席:同上、3回表にから見逃し三振• 初安打:同上、5回表に岸孝之から右線二塁打• 初打点:同上、6回表に岸孝之から右前適時打• 初盗塁:2013年6月29日、対埼玉西武ライオンズ11回戦(札幌ドーム)、6回裏に二盗(投手:、捕手:)• 初本塁打:2013年7月10日、対10回戦()、4回表にから右越2ラン MLB投手記録• 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:2018年4月1日、対4回戦()、6回3失点• 初奪三振:同上、1回裏にから空振り三振 MLB打撃記録• 初出場・初先発出場:2018年3月29日、対オークランド・アスレチックス1回戦(オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム)、8番・で先発出場• 初打席・初安打:同上、2回表にから右前安打• 初本塁打・初打点:2018年4月3日、対2回戦()、1回裏にから右越3ラン• 初盗塁:2018年5月23日、対2回戦()、9回表に二盗(投手:、捕手:)• 毎回奪三振:同上、球団史上10人目• クライマックスシリーズ最年少勝利投手(20歳3か月):2014年クライマックスシリーズファーストステージ第1戦• 球速に関する記録• 2016年6月5日、対3回戦()• 101. 1 mph• 2014年10月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(札幌ドーム)• 11 (2013年 - 2017年 ファイターズ)• 17 (2018年 - エンゼルス) 登場曲 [ ]• 「ドリームメイカー」(打席時、2013年)• 「」(登板時、2013年)• 「」(打席時、2014年 - )• 「」(登板時、2014年 - )• 「」 (登板時、2015年 - )• 「Do or Die(Remix)」 (登板時、2015年 - )• 「WRAPPED UP FEAT. TRAVIE McCOY」 (打席時、2015年 - 2018年)• 「」(2018年 - )• 「Showtime」(得点圏時、2018年 - ) 代表歴 [ ]• 関連情報 [ ] 著書 [ ]• 『』、2017年2月。 関連書籍 [ ]• 『』、2013年10月。 『』、2015年3月。 『』、2015年7月。 『』、2016年2月。 アスリート研究会『』、2016年11月。 『』、2017年8月。 『』、2018年2月。 『』、2018年3月。 児玉光雄『』、2018年3月。 『』、2018年6月。 『』、2018年11月。 『』訳、、2019年3月。 『』訳、、2019年3月。 『』、2019年9月。 出演 [ ] テレビアニメ [ ]• (、2019年) - 本人役 CM [ ]• (2015年、2016年)• 「SAVAS アクアホエイプロテイン100 グレープフルーツ」(2016年~2018年)• 「」(2016年)• 「」(2016年)• (2015年、2017年)• (2017年、2018年)• (2017年)• 「」(2017年)• (2018年、2019年)• 「」(2019年)• (2019年) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 近鉄時代の1953年に投手で1回、1959年から1963年にかけ野手で4回出場。 投球回に制限のあるオールスターゲームでは、先発投手は5イニング以上投球していなくとも勝利投手になる事が出来る。 日本国外のプロリーグを含めても(1918年、、13勝・11本塁打)や(1982年、、10勝・13本塁打)の例しか無い。 CS導入以前のパ・リーグプレーオフを含めると、1982年の、2006年のに次いで3番目• 日本国外のプロリーグを含めても、同一シーズンで二桁勝利と二桁本塁打を挙げたのは(1918年、、13勝・11本塁打)や(1982年、、10勝・13本塁打)の例しか無く、自身2度目の達成は大谷が世界初と云える。 又、「10勝・100安打・20本塁打」は世界的に見ても過去に例が無い記録である。 過去の3人は(49勝・61本塁打)、(60勝・212本塁打)、(65勝・59本塁打)• 2016年締結のMLBの労使協定により25歳未満のドラフト対象外選手との契約はマイナー契約に限定されるため。 9イニング辺りの与四球数。 出典 [ ]• Twitter 2020年3月10日. 2020年3月11日閲覧。 2016年3月16日閲覧。 Sponichi Annex• 花巻東・大谷最速147キロ! 10K…春季岩手県大会、、2011年5月25日。 33』日刊スポーツ出版社、2012年、12-14頁。 2012年3月22日. 2019年3月17日閲覧。 2012年7月20日. 2012年10月17日閲覧。 2016年10月29日. 2016年12月24日時点の [ ]よりアーカイブ。 2016年12月24日閲覧。 2016年10月29日. 2016年12月24日閲覧。 2012年9月19日. 2012年10月17日閲覧。 2012年10月19日. 2012年10月21日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月21日. 2012年10月21日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月21日. 2012年10月21日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月24日. 2012年10月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月25日. 2012年10月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月25日. 2012年10月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月26日. 2012年12月9日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年10月27日. 2012年12月9日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年11月2日. 2012年12月9日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年11月11日. 2012年12月9日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年11月18日. 2012年12月9日閲覧。 Sponichi Annex. 2012年11月26日. 2012年12月9日閲覧。 Sponichi Annex. 2012年12月3日. 2012年12月9日閲覧。 北海道日本ハムファイターズ 2012年12月13日. 2012年12月14日閲覧。 毎日新聞. 2012年12月9日. の2012年12月11日時点におけるアーカイブ。 2012年12月10日閲覧。 産経ニュース. 2012年12月25日. の2012年12月25日時点におけるアーカイブ。 2012年12月30日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年12月25日. 2012年12月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年12月25日. 2012年12月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2012年12月25日. 2012年12月25日閲覧。 YOMIURI ONLINE 読売新聞社. 2013年1月17日. の2013年1月20日時点におけるアーカイブ。 、2013年1月23日• nikkansports. com 2013年3月22日• 時事ドットコム. 2013年3月27日. の2013年4月26日時点におけるアーカイブ。 2013年3月27日閲覧。 2013年3月29日. 2013年3月29日閲覧。 2013年4月13日. 2013年4月26日閲覧。 2013年5月24日. の2013年6月8日時点におけるアーカイブ。 2013年5月24日閲覧。 日刊スポーツ、2013年6月1日。 2013年6月19日. 2013年6月19日閲覧。 -Sponichi Annex 2013年7月11日• 2013年7月11日. 2013年7月12日閲覧。 nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年7月15日. nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年7月20日. nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年7月21日. nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年7月23日. nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年8月10日. nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年8月19日. スポーツニッポン. 2014年3月31日. 2014年7月5日閲覧。 スポーツニッポン. 2014年4月12日. 2014年7月5日閲覧。 日刊スポーツ. 2014年5月13日. 2014年7月5日閲覧。 スポーツニッポン. 2014年6月5日. 2014年7月5日閲覧。 MSN産経ニュース. 2014年6月11日. の2014年6月15日時点におけるアーカイブ。 2014年7月5日閲覧。 デイリースポーツ. 2014年6月18日. 2014年7月5日閲覧。 日刊スポーツ. 2014年6月25日. 2014年7月5日閲覧。 スポーツニッポン. 2014年7月5日. 2014年7月5日閲覧。 スポーツニッポン2014年7月9日配信• スポーツニッポン2010年1月日配信• スポーツニッポン2014年7月4日配信• スポーツニッポン2014年7月20日配信• 朝日新聞2014年7月20日付スポーツ面• 2014年8月10日, at the. スポーツニッポン2014年7月26日配信• スポーツニッポン2014年8月3日配信• 週刊ベースボール2014年9月5日号97ページ• 2014年9月1日, at the. スポーツニッポン2014年8月30日配信• 読売新聞2014年9月8日付スポーツ面• スポーツニッポン2014年10月2日配信• スポーツニッポン2014年10月11日配信• デイリースポーツ関西版2014年10月12日付5面• 侍ジャパン公式サイト 2014年10月9日 2015年3月26日閲覧• 日刊スポーツ. 2014年12月6日. 2015年4月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2015年3月28日. 2015年4月25日閲覧。 日刊スポーツ. 2015年5月15日. 2015年6月18日閲覧。 日刊スポーツ. 2015年6月20日. 2015年7月11日閲覧。 スポニチ. 2015年6月26日. 2015年6月29日閲覧。 2015年8月9日. 2016年12月11日閲覧。 2015年10月6日, at the. : スポーツ報知 - 2015年10月6日22時13分• 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト 2015年10月9日 2015年10月9日閲覧• SponchiAnnex. 2015年10月10日• スポニチ 2016年7月4日• スポニチアネックス 2016年9月28日• 実際に最優秀防御率のタイトルを獲得したのはだったが、もし仮に大谷が後3投球回でが5以下であれば石川を上回っていた• 2016年11月1日. 2016年12月24日閲覧。 2016年10月29日. 2016年12月24日閲覧。 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト 2016年10月18日 2016年10月18日閲覧• 日刊スポーツ 2016年11月13日. 2016年11月14日閲覧。 スポニチアネックス. 2016年11月25日. 2016年11月25日閲覧。 スポニチアネックス. 2016年12月22日. 2016年12月22日閲覧。 nikkansports. com. 2018年5月15日閲覧。 日刊スポーツ 2017年9月13日. 2018年2月25日閲覧。 日刊スポーツ 2017年10月4日. 2017年12月16日閲覧。 SANSPO. COM. 2018年5月15日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2017年11月12日. 2017年11月12日閲覧。 MLBドラフト対象外である海外若手選手(アマチュア選手、25歳未満のプロ選手、プロ経歴6年未満の選手)の獲得時に使用できる契約金総額。 毎年、各球団ごとに上限が決められている。 菊地慶剛 2017年11月18日. 日本語. 2019年11月8日閲覧。 産経ニュース. 産経新聞社 2016年12月18日. 2018年2月7日閲覧。 日本語. 2016年12月9日. 2017年11月3日閲覧。 日刊スポーツ 2017年11月23日. 2018年5月26日閲覧。 MLB. com Press Release 2017年12月8日. 2017年12月30日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2017年12月9日. 2017年12月10日閲覧。 MLB. com 2017年12月9日. 2017年12月30日閲覧。 nikkansports. com. 日刊スポーツ新聞社. 2017年12月10日. 2017年12月10日閲覧。 日テレNEWS24 2017年12月10日. 2017年12月14日閲覧。 2018年4月12日閲覧。 sankei. com. 産経ニュース. 2018年4月11日. 2018年12月13日閲覧。 SANSPO. COM 2018年4月7日. 2019年8月13日閲覧。 nikkansports. com. 2019年8月13日閲覧。 nikkansports. com. 2019年8月13日閲覧。 スポーツ報知 2018年4月9日. 2019年8月13日閲覧。 ライブドアニュース. 2018年4月9日閲覧。 nikkansports. com. 2018年4月9日閲覧。 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部. スポニチ Sponichi Annex. 2018年4月9日閲覧。 INC. , SANKEI DIGITAL 2018年4月23日. 産経ニュース. 2018年4月23日閲覧。 ニフティニュース. 2018年4月23日閲覧。 J SPORTS. 2018年4月25日閲覧。 エキサイトニュース. 2019年8月13日閲覧。 デイリースポーツ online. 2019年8月13日閲覧。 MLB. com. 2018年5月3日閲覧。 nikkansports. com. 2018年6月9日閲覧。 SANSPO. COM(サンスポ). 2018年7月17日閲覧。 nikkansports. com. 2019年8月13日閲覧。 SANSPO. COM(サンスポ). 2018年8月4日閲覧。 CYCLE やわらかスポーツ情報サイト. 2018年8月4日閲覧。 ライブドアニュース. 2018年9月3日閲覧。 SANSPO. COM(サンスポ). 2018年9月6日閲覧。 SANSPO. COM(サンスポ). 2018年9月8日閲覧。 ライブドアニュース. 2018年9月11日閲覧。 Yahoo! ニュース. 2018年10月2日閲覧。 nikkansports. com. 2018年10月2日閲覧。 朝日新聞デジタル. 2018年10月2日閲覧。 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2018年10月2日閲覧。 Maria Guardado 2018年11月13日. MLB. com. 2018年11月17日閲覧。 毎日新聞. 2018年11月13日閲覧。 2019年6月14日閲覧。 日刊スポーツ. 2019年6月14日閲覧。 朝日新聞デジタル. 2019年6月14日閲覧。 nikkansports. com. 2019年6月14日閲覧。 nikkansports. com. 2019年6月28日閲覧。 nikkansports. com. 2019年9月13日閲覧。 2019年9月13日閲覧。 David Adler 2020年2月12日. MLB. com. 2020年2月13日閲覧。 Rhett Bollinger 2020年2月12日. MLB. com. 2020年2月13日閲覧。 nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年6月19日. 日刊スポーツ 2020年2月23日10時4分(2020年2月23日閲覧)• www. brooksbaseball. net. 2020年3月25日閲覧。 RS: 10先発・51. Brooksbaseball. netに基づく。 nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2016年10月21日. 『2015 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2015年、44頁。 nikkansports. com 日刊スポーツ新聞社. 2013年8月24日. nikkansports. com 2013年3月22日• 『2016 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2016年、30頁。 朝日新聞デジタル. 2012年10月2日. 2012年10月17日閲覧。 [ ]• Sponichi Annex. 2012年8月28日. 2012年10月17日閲覧。 」『野球太郎』No. 1、、 158-159頁、 雑誌69411-06。 Number Web. 2015年2月18日. 2015年6月18日閲覧。 サンケイスポーツ. 2016年8月5日. 2016年11月14日閲覧。 SANSPO. COM. 2013年12月15日. の2015年6月18日時点におけるアーカイブ。 2015年6月18日閲覧。 アサ芸プラス. 2013年4月9日. 2016年10月17日閲覧。 スポーツ報知. 2018年5月6日. 2019年6月21日閲覧。 デイリースポーツ. 2013年7月4日. 2015年6月18日閲覧。 Full-count. 2014年12月24日. 2015年6月18日閲覧。 週刊ベースボールONLINE. 2014年6月2日. 2015年6月18日閲覧。 ZAKZAK 週刊ポスト2017年4月14日号 2017年4月6日. 2017年4月8日閲覧。 サンケイスポーツ 2018年5月20日. 2019年11月14日閲覧。 中川淳一郎 2018年5月31日. BLOGOS. 2019年11月14日閲覧。 週刊ポスト2014年12月5日号(NEWSポストセブン) 2014年11月26日. 2015年7月16日閲覧。 ISM. 2015年5月21日. の2015年6月18日時点におけるアーカイブ。 2015年6月18日閲覧。 2015年5月21日. 2015年6月18日閲覧。 MLB. com、2016年11月26日(同日閲覧)。 、2016年11月26日(同日閲覧)。 、2016年11月26日(同日閲覧)。 日刊スポーツ紙面コラム. 2013年5月22日• 2018年12月30日. 2019年6月19日閲覧。 2020年4月28日閲覧。 大谷翔平23弾 - プロ野球オーナーズリーグ AkaWiki• 金ケ崎リトルシニア 2016年2月1日. 2017年1月8日閲覧。 2017年11月11日. 2019年6月20日閲覧。 2016年12月31日. 2017年1月8日閲覧。 、2016年2月18日• 2、廣済堂出版、 48-53頁、 雑誌69411-12。 日刊スポーツ. 2012年12月9日. 2012年12月9日閲覧。 Sponichi Annex. 2014年1月26日. 2015年7月11日閲覧。 日刊スポーツ. 2013年12月17日. 2015年7月11日閲覧。 夕刊フジ. 2015年1月7日. 2015年7月11日閲覧。 Web Sportiva. 2015年1月1日. 2015年7月11日閲覧。 夕刊フジ. 2015年1月7日. 2015年7月11日閲覧。 スポーツ報知. 2014年12月21日. の2015年7月11日時点におけるアーカイブ。 2015年7月11日閲覧。 2014年11月17日. 2017年9月13日閲覧。 nikkansports. com. 2018年4月9日閲覧。 nikkansports. com. 2018年9月11日閲覧。 毎日新聞. 2018年12月12日閲覧。 nikkansports. com. 2019年4月26日閲覧。 日刊スポーツ. 2019年6月14日閲覧。 日刊スポーツ. 2018年9月22日閲覧。 MANTANWEB 2019年11月17日. 2019年11月17日閲覧。

次の

大野将平合コン後美女とラブホテルへ!フラッシュに一本撮られる!

大野 翔平

Contents• asahi-kasei. やはり布教活動の一環としてスポーツで知名度を上げているのでしょうか。 ツイッターでの髪型の反応 それでは早速ツイッターでの大野選手の髪型の反応を見ていきましょう。 大野将平選手の髪型は、昔の小室哲哉みたいな髪型だよ。 — Rapid Limited Exp. 21012381 少なくとも1年以上前から髪型に関して物議を醸していたようですね。 あごに吹き出物ができて跡になるから潰したくないけど気になる度は大野将平の髪型レベルです。 ムッキー生ならわかるかも。 がんばれ! — まこねーる makonail 大野将平の髪型がどうも昭和チック 笑 — PSY8383 PSY83 へんな髪型の大野将平、決勝戦進出。 金メダル。 ほらな。 天才の証明。 恐ろしい攻撃柔道。 インタビュー「ま、独特の雰囲気はありますけど、普通の国際大会と一緒す。 気持ちの持ちようすかね」最高。 なんなんだ。 めちゃかっこよすぎる…泣ける。 あとは髪型だけだ!! — 山本太蔵 大西康陽 yamamototaizo 大野将平の髪型は80年代風だが、逆にイイねw — Kenta. S PIA15416 大野将平の髪型が、 如何なものか。 — RUVE rublaxrublax それほど表立って不快感を表すほどのものでもないができればなんとかして欲しい、というのがおおよその傾向ですかね。 80年代風、ツッパリ、小室哲哉、なんて意見が多々見受けられましたので、少なくとも現代においては非主流派だということは間違いないでしょう。 アマゾンより 一番下が小室さん。 ピンタレストより うーん、サイドを刈り上げて前髪だらりという点では似ていますが、大野選手のほうがもそっとボリュームがありますね。 jsports. konbini. まあ、無理やりの結論ですが、大野選手は尊敬する監督にあやかって同じ様な髪型にしたのではなかろうかというのが一つの結論でもあるような気がします。 一つの支点、或いは視点 これは今回の試合で内股で勝った時のシーン。 youtubeより ご覧のとおり、頭を軸にして相手を投げ飛ばしていますね。 あの髪のボリュームの多さは、ひょっとして畳との摩擦係数をより大きくし、安定して相手を投げ飛ばすために考案されたのかもしれませんよ。 ごく僅かな差が勝敗を決めるオリンピックにおいては髪型1つとっても勝敗を大きく左右する、そのような事を私は訴えたかったのですが、納得していただけたでしょうか? … んなバカな(笑)、と思ったアナタ、 正解です。 … 無理矢理感満載の文章で恐縮ですね、ホントに。 いずれにせよ髪型一つでこのように様々な妄想が膨らみ、多くの人々の話題をさらうという意味においては、オリンピックの影響というのは尋常じゃないなと、改めて思わされました。 以上大野選手の髪型の反応や理由についてでした。 関連記事.

次の

大野将平の世界柔道選手権・選手・金メダルが話題

大野 翔平

獲得メダル 金 73kg級 金 73kg級 金 73kg級 金 73kg級 金 2014 チェリャビンスク 73kg級 金 2015 アスタナ 73kg級 金 2019 東京 73kg級 銅 2013 リオデジャネイロ 73kg級 金 73kg級 金 73kg級 金 73㎏級 金 73kg級 金 73kg級 銀 73kg級 銅 73kg級 金 2018 ジャカルタ 73kg級 金 2018 ジャカルタ 混合団体 銀 2012 タシュケント 73kg級 金 73kg級 2013年10月22日現在 大野 将平(おおの しょうへい、〈平成4年〉 - )は、出身のの選手。 階級は73kg級。 身長170cm。 血液型はO型。 は右組み。 段位は四段。 得意技はと。 現在はに所属。 経歴 [ ] 高校まで [ ] 柔道は7歳の時に松美柔道スポーツ少年団で始めた。 道場の2年先輩には後に無差別の世界チャンピオンとなるがいた。 山口市立良城小学校卒業後、2歳上の兄である哲也を追って上京すると、の所属となった。 指導者の持田治也によれば、入学当初の大野は同じ学年の選手8名のうち7番手に過ぎなかったものの、の2年生になる頃には一切妥協せず常に真剣勝負を挑んでくる大野の姿勢に躊躇して、上級生を含めた他の選手が大野と組み合うのを避ける傾向が出てくるなど、その存在感を示すようになってきたという。 一方で本人によれば、この当時はあまりの辛さに泣いていた記憶しかないという。 2年の時に出場したでは5位となった。 3年の時には東京都大会決勝で3年のに旗判定で敗れ2位にとどまった。 団体戦ではとで5位に入った。 へ進み、1年の時にの準々決勝で東海大相模高校と対戦すると、同じ1年のに指導2で敗れ、チームも5位にとどまった。 の団体戦では3回戦で敗れた。 2年の時には73kg級の準々決勝で3年のをに入ってから有効で破るなどして決勝まで進むと、3年の垣田恵祐をで破って優勝を果たした。 全国高校選手権の団体戦では5位だった。 3年の時は、またしても東京都大会決勝でに敗れ2位にとどまりインターハイは出場できなかった。 なお、団体戦には1年の時から1度も出場を果たせずに終わった。 大学時代 [ ] 大学1年 [ ] 2010年にはへ進学。 1年の時にはフランスジュニア国際で優勝すると、にも出場して5位となった。 この当時、全日本代表チームの監督だった大学の先輩でもあるに、特例でジュニアからシニアの強化指定選手に引き上げて貰ったことでシニアの合宿にも参加してより力を蓄えていった。 大学2年 [ ] 2年の時にはで優勝すると、でも優勝を果たした。 2012年2月にはに出場して、シニアの国際大会初優勝を飾った。 大学3年 [ ] 3年の時には6月のの準々決勝でと対戦すると、100kg超級の に技ありで敗れるなどしてチームは5位にとどまった。 11月の決勝で大学の1年後輩である土井健史にで一本勝ちして初優勝を飾った。 12月のでは、決勝でのにで技ありを取った後に大外刈で一本勝ちして、大会初優勝を飾った。 大学4年 [ ] 4年の時には5月の準決勝で4年の西山雄希に指導1で敗れて3位に終わったが、国際大会などでの実績が評価されて代表に選ばれた。 8月の世界選手権では、初戦で元世界チャンピオンである韓国のと対戦すると、苦し紛れに掛け逃げを連発する王に反則勝ちを収めた。 続く2戦は内股と反則勝ちで勝利すると、準々決勝では元世界2位であるオランダのと対戦した。 お互いに有効を取りあった後に指導2でリードされるも、終了10秒前に指導を取り返してポイントで並びに突入すると、払腰で一本勝ちした。 準決勝では元世界3位であるベルギーのを大外刈で豪快に畳に叩きつけると、決勝では銅メダリストであるフランスのに対して、内股で有効をとった後にで破り、6試合オール一本勝ちで優勝を飾った。 この際に、「前に出る攻撃的な柔道ができた。 全て一本で勝てたことは満足している。 勝ち続ける選手になりたい。 もっと強くなってリオ五輪でまたここに戻って来たい」と語った。 なお、において90kg級のがケガのため出場できず、チームは4人での戦いを強いられて3位にとどまったが、こちらでも4戦全て一本勝ちして、個人戦と団体戦の計10試合をオール一本勝ちで飾ることになった。 その直後に後述の天理大学柔道部の暴行事件発覚で、強化指定選手取消、停学、活動停止、主将解任の処分となった。 一方で、フランスの柔道雑誌であるに世界大会7連覇を達成したことで2013年の最優秀男子選手に選ばれた100kg超級のは、「自分なら大野を最優秀選手に選出する。 世界選手権で見せた力強い組み手から繰り出される技の数々は非常に印象に残り、なおかつ魅力的なものだった」と語った。 社会人時代 [ ] の表彰式にて 2014年 [ ] 大学を卒業後、2014年からは旭化成の所属となった。 暴力問題以降初の大会出場となった4月の選抜体重別では、決勝で中矢に指導3までとった後にで一本勝ちして今大会初優勝を飾り、代表に選出された。 続いて、世界チャンピオンになったことから推薦により無差別で争われるに出場すると、2回戦で了徳寺学園職員である100kg級のを判定で破るものの、3回戦で今大会優勝した100kg超級のに指導3で敗れた。 なお、王子谷は今大会で大野のみ一本勝ちができなかった。 8月の世界選手権では初戦の2回戦でポーランド選手に腕挫十字固、3回戦でモンゴルのサインジャルカル・ニャムオチルを指導2で破ったが、4回戦で韓国の李栄淮に出足払でよもやの一本負けを喫して2連覇はならなかった。 世界団体では準決勝まで勝利するも、決勝で地元ロシアのデニス・ヤルツェフと対戦すると内股で技ありを先取しながら大外返で有効、大外巻込で技ありを取られて逆転負けを喫したものの、チームは3-2で優勝を飾った。 なお、今大会前にの60kg級金メダリストである指導者のから「お前はもう強くならん」と言われたことがショックで、それを消化できずに大会に臨んだ。 試合では前年以上に圧倒的な勝利を収めようと意気込み過ぎて色気や隙が出てしまって敗れたことで、細川が言ったことはこういうことだったのかとも思い巡らせた。 細川からはその言葉の真意を結局聞き出せなかったが、「今の力をそのまま出せば充分に世界で勝てるのだから、コンディショニングやピーキングをしっかりとして、大事な試合のときに一番自分の力を出せるようにだけ意識しろ」と解釈することによって自らを納得させた。 12月のでは、決勝で職員のに背負投の有効で敗れて2位にとどまった。 2015年 [ ] 2015年2月のでは、準々決勝までの3試合を一本勝ちすると、準決勝では韓国のにの技ありで勝利すると、決勝ではグルジアのヌグザリ・タタラシビリに対して内股で技ありを取った後に小外刈で一蹴して優勝を果たした。 4月からは天理大学の大学院に進んで、引き続き細川の指導を受けることになった。 選抜体重別では準決勝でのに大外刈の有効で敗れた。 しかしながら、に近い存在だとして、の代表に追加で選出された。 8月の世界選手権では最初の3試合を合技、大外刈、合技で一本勝ちすると、準々決勝ではヨーロッパチャンピオンであるイスラエルのに技ありと有効3つを取って圧勝した。 準決勝では安と対戦して指導1と内股の技ありを先取するが、その後に大外返で技ありを取られるも、終盤に裏投げで一本勝ちした。 男子では1975年の以来40年ぶりの日本選手同士の対決となった決勝では、世界チャンピオンの中矢を小外刈の技ありで破って、2013年以来2年ぶりの世界選手権優勝を果たすこととなった。 世界団体では準決勝のドイツ戦のみに出場して大外刈で勝利すると、チームも決勝で韓国を破って優勝を飾った。 なお、世界選手権後のインタビューでは、柔道という競技は世界選手権で勝っても世間からは評価されないし、オリンピックに出場できなかった場合や、例え出場しても負けた場合は全く意味をなさなくなる競技なので、オリンピックに出場して必ず金メダルを取りたいし、そういう部分にこそやり甲斐がある。 国に1つくらい金メダルしか求められない競技があってもいいのではないかと語った。 2016年 [ ] 2016年2月のでは最初の2戦を反則勝ち、準決勝では安を内股の技ありで破ると、決勝ではアゼルバイジャンのをも内股の技ありで破って、今大会2連覇を達成した。 試合後には、「全ては8月。 そこで勝たなければ意味がない」と語った。 4月の選抜体重別では決勝で中矢を指導1で破って今大会2年ぶり2度目の優勝を飾り、代表に選出された。 代表決定後の会見では、「全て(の経験)をリオにつなげられればいい。 必ず金メダルを獲得したい」とコメントした。 5月の強化合宿の際には、で金メダルを獲得したの「最高で金、最低で金」を思い起こさせる「最低でも金」というコメントを発した。 オリンピックではたとえ調子が良くなくても勝ち切れるだけの実力差を見せ付けたいという。 2014年の世界選手権で敗れた際のことを教訓にして、ピークもコンディションも本番に合わせられるように、練習をやりすぎずにオリンピックへ向けた調整を行うことを心がけた。 8月のでは初戦となる2回戦でコスタリカのミゲル・ムリジョを横四方固、3回戦でUAEのを内股でそれぞれ破ると、準々決勝でもジョージアのをの技ありで破った。 準決勝ではベルギーのバンティヘルトからで技あり、背負投で有効を取った後に巴投げで一本勝ちした。 決勝ではオルジョフと対戦すると、内股で技ありを取った後にで一本勝ちして、オリンピックにおいて日本男子柔道2大会ぶりの金メダルをもたらした。 試合後のインタビューでは次のように語った。 「うれしいです。 内容的に満足できるものではなかったですけど、柔道の素晴らしさ、強さ、美しさを見ている人に伝えられたと思います。 (勝つのが当然という)周りの声が聞こえていたので、当たり前のことを当たり前にやる難しさを味わいました。 五輪は独特な雰囲気はありますけど、ふつうの国際大会ですし、気持ちの持ちようだと思います」。 今大会における大野の活躍ぶりに准教授のは次のようなコメントを寄せた。 「大げさでなく、これは日本柔道の「教科書」だ。 やが五輪を去った後、十数年にわたって絶版になっていた教本の新装版がお披露目された。 「こういう柔道をしましょうよ」と日本の選手が国内外に手本を示した値打ちは、金メダル1個分にとどまらず、計り知れないものがある」「大野は 外国勢が得意とする 接近戦で相手に譲らなかった。 踏ん張る相手を、大外刈りから腰車へと体勢を移しながら強引に横倒しにした。 「日本人が柔道をするのに、何を譲ることがある」と語っているようだった」。 9月にはオリンピックでの活躍が評価されて県民栄誉賞を受賞した。 11月、を受章。 12月にはに出場予定だったが、古傷の右足首を負傷して出場を取りやめた。 なお、ファン投票により2016年のIJF年間最優秀選手に選出された。 次点のリネールに2倍以上の大差を付けての受賞となった。 2017年 [ ] 2017年4月の選抜体重別には大学院での修士論文の作成を優先させるため出場を見合わせることになった。 これにより代表からは外れる。 その一方で、オリンピック金メダリストであるために出場資格を有する無差別の全日本選手権に3年ぶりに出場することを決めた。 「全日本選手権はオリンピック、世界選手権と同等かそれ以上の価値のある大会。 自分がどこまで通用するのか試したい。 また、会場の日本武道館は東京オリンピックの会場で、そこで試合をしておきたい」と出場理由を語った。 全日本選手権では初戦となる2回戦で90kg級の選手であるのと対戦して指導2を先取するも、GSに入ってから指導2で追いつかれると、10分近い戦いの末に大外刈で敗れて初戦突破はならなかった。 この結果に関して本人は、「自分が評価することではない。 観客やメディアの方に逆に聞きたい」とコメントした。 オリンピック以来1年4か月ぶりの国際大会となった12月のでは初戦でキルギスタンの選手にGSに入ってから反則勝ちするも、大会前に右膝を負傷した影響などもあって次戦を棄権した。 「今無理をするより次につなげるほうがいい、という考えになった。 自分自身も悔しいし情けないが、今日の試合が現状の限界。 今はこれしかできなかった。 この経験をプラスにして、2020年に一番強い選手でありたい」と述べた。 2018年 [ ] 2018年1月には大外刈を対象とした修士論文を提出したが、その探求過程において自らの大外刈は時代に逆行した古くからある形の技であることを発見したという。 2月にはに出場すると、2回戦でヨーロッパチャンピオンであるアゼルバイジャンのを技ありで破るなどして決勝まで進むと、オルジョフを内股で破ってオリンピック以来1年半ぶりの国際大会優勝を飾った。 なおこの際に、L'Esprit du Judoから73㎏級のと称された。 4月の体重別では準決勝で講堂学舎の2年先輩にあたる66kg級から階級を上げてきた元世界チャンピオンのに内股で2度技ありを取られて敗れた。 この際に、「悔しいけど楽になった。 海老沼先輩に土をつけていただき逆に気が引き締まる」とコメントした。 代表には選ばれなかったが、代表には選ばれた。 8月のアジア大会では準決勝まで全て一本勝ちすると、決勝では安とGS含めて11分以上の戦いの末に内股で技ありを取って優勝した。 ここで引いたら東京オリンピックへの道が断たれるとの強い思いで臨むも、安とはケンカ四つのため相手の引き手がなかなか取れなかったが、「持ちにこい。 俺は逃げないぞ」とGSに入ってから相手に合わせて左組みで戦い、の裁定による微妙な判定ながらも勝利することになった。 11月のでは準決勝で3年のを終了間際の内股で破るなど全て一本勝ちして決勝まで進むと、海老沼をの技ありで破って優勝した。 2019年 [ ] 2019年2月のでは2回戦でイスラエルのトハル・ブトブルに手こずり9分過ぎにようやく技ありで勝利した。 その後の準々決勝でオルジョフを内股で破るなどして決勝まで進むと、海老沼をの技ありで破って優勝した。 試合後には、「結果だけを見れば『良かった』となるだろうけど、どうしても内容に目がいく。 もやもやするような、我慢の一日だった」とコメントした。 また、決勝で対戦した講道学舎の2年先輩である海老沼について、「互いに『矛』対『矛』だと思っている。 唯一、命のやりとりのできる相手」と語った。 3月には天理大学大学院を修了した。 4月の体重別では準決勝で海老沼を谷落の技あり、決勝で橋本を9分30秒もの戦いの末に隅落の技ありでそれぞれ破って優勝を飾り、代表に選出された。 8月にで開催されたでは準決勝でロシアのを合技(・)で破ると、オリンピックに続いての決勝対決となったオルジョフを内股で破るなど6試合オール一本勝ちして、2015年以来3度目となる世界選手権優勝を果たした。 この際に次のように語った。 「どうせ大野は勝つだろう、という周りからの甘い誘惑に打ち勝つことができた」。 世界団体では決勝のフランス戦でギヨーム・シェーヌを開始30秒での合技(内股・巴投)で破って、チームの優勝に貢献した。 優勝すれば代表内定の可能性があった11月のは、左第2指挫傷のため出場を回避することになった。 2020年 [ ] 2020年2月のでは4回戦でリオデジャネイロオリンピック66㎏級金メダリストであるイタリアのを内股すかし、その後の準決勝でスウェーデンのを内股で破るなど全て一本勝ちして決勝まで進むと、安昌林を内股の技ありで破って今大会3連覇した。 その後に開かれた強化委員会で、強化委員全員の満場一致により、代表が内定した。 2番手選手とのこれまでの成績差が歴然だと強化委員の3分の2以上によって判断された場合は東京オリンピック代表が内定することになっていた。 代表内定となった大野は、「「自分、そして周りが思ってる以上に2連覇は難しいこと。 ですが自国開催で2連覇を目指せるということはこれ以上ないモチベーション。 覚悟を持って準備するだけ。 やるべきことは今までと変わらない」。 」と決意を語った。 3月にはの影響により東京オリンピックの開催が1年ほど延期されることになった事態に対して、「東京五輪がいつ開催になろうと、私たちは決められた試合日に向け最高のパフォーマンスができるように覚悟を持って準備をするだけです」とコメントした。 5月に全柔連は常務理事会と強化委員会を開いて、1年延期になった東京オリンピックでは2月に決まっていた代表内定選手の権利を維持する方針を確認した。 内定選手は激越な代表選考をすでに経ているとしたうえで、国際大会の再開が今だ不透明で再選考が容易でないことを最大の理由に挙げている。 一方で強化委員長のは、「現場の監督、コーチが現内定選手で闘う自信をしっかり持っていることが一番の決め手」だと説明した。 その後、全柔連の全理事と監事の承認を得て、代表内定選手の維持が正式に決まった。 世界ランキングの年度別変遷 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年 順位 140 10 4 20 6 3 50 15 7 出典 、。 柔道スタイル [ ] 右組みから繰り出される得意技の内股や大外刈は非常に切れ味鋭く、豪快に相手をなぎ倒す威力を有している。 体幹が強く受けも比較的強い。 現在の柔道スタイルの原型は中学3年の時に作り出された。 とりわけ、大外刈りは引き手で相手の脇を掴みながら仕掛ける独特のスタイルを有している。 稽古では1日1000本の打ち込みをこなす。 2014年の全日本選手権では優勝した100kg超級の王子谷が対戦した選手で唯一技でのポイントを奪われなかったことや、2016年にスペインので開催された国際合同合宿における乱取りで、テディ・リネールを内股で投げて周囲をざわめかせたことなどからも示されるように、重量級の強豪選手とも渡り合えるだけの力を有している。 基本的に一本を取る柔道を理想としているが、最終的には勝たなければ意味がないので勝ちにこだわることに徹底している。 きれいに一本勝ちしようと色気を見せると隙が生まれることもあるので、その辺りにも細心の注意を払うように務めている。 なお、安のように低い体勢から背負投を繰り出すタイプの選手には深追いせずに、まずは指導を取ってペースを握ることが肝要だとも心掛けている。 オリンピックの60kg級で3大会連続の金メダルを獲得した野村忠宏は大野が高校3年の時に稽古を積んだ際に、その技のスピードや、瞬間のキレ味には大いに驚嘆させられたと語った。 また、大野と組んだことのある選手は誰もがその技に恐怖を感じているはずだという。 さらに続けて、下半身への手や腕による攻防が禁じられて以降、お互いの間合いが近づいた密着型の接近戦が多くなり、従来以上にパワーが重要になってきたが、長身で力の強い外国選手が上や横から柔道衣を掴んで反則狙いの潰しにかかってくると、普通は腰が落ちて後ろに下がってしまい技を仕掛けることができない。 対して、大野の場合は間合いを詰められても体の軸が強力なために体勢が崩れることなく、逆に前に出て相手を投げ切ることが可能となるとも指摘した。 大学時代から大野を指導していて、大野と同じように内股や大外刈を得意にしていた天理大学監督の穴井隆将は、自分が柔だとしたら大野は剛だとした上で、大野の柔道の特徴を次のように語った。 「技に入るときの威力、度胸がすごい。 大外刈りは返される可能性が小さくない技だから、私は何度もタイミングを測ったものですが、大野は『そこで行くの!? 』と思うようなタイミングで行ける強さがある。 相手は自分が組み勝っていると思っていても、懐に入ってきたときの大野の威力がすごくて対応できない」。 また、穴井からは頻繁に『我慢しろ』という言葉を掛けられるが、その言葉を苦しい場面でも気持ちを切らさず根気よく打ち勝っていくという意味に捉えることで、以前に比べて辛抱を強いられるような試合においても冷静さを維持しながら粘り強く戦えるようになったという。 なお、大野自らも自身の柔道を力で真っ向勝負するスタイルだと考えている。 崩したりいなしたりする伝統的なスタイルだけでは充分でないと感じており、外国選手にパワーでも負けたくなかったので、に本格的に取り組んだ。 結果として、力と力で勝負をする場面においても、それを真正面から突破できるだけのパワーを身に付けることになった。 2018年になると、筋力増量のためのウエートトレーニングよりも筋肉の瞬発力を鍛えるトレーニングを重視するようになった。 右の釣手のみならず左の引き手も決して離さず、両手に一気に力を込めて技を掛け切ることで切れ味が増すようになったという。 天理大学柔道部の暴力問題 [ ] 2013年9月には、天理大学柔道部で5月から7月にかけて天理大学柔道部4年生の男子部員4名が、1年生部員複数に対して暴力を振るい、そのうちの1名が鼓膜を破るなどのケガをしていたことが明らかになった。 柔道部主将の大野も暴行現場に居合わせたものの、直接暴力は振るっていないという。 大野は「(暴行を)止められず、ふがいない。 申し訳ない」と弁明した。 また、柔道部部長のや監督のらとともに暴行を受けた1年生部員の自宅に赴いて、「申し訳なかった。 これからは自分が4年生をきちんと指導する」と述べたという。 大学側はこの件を謝罪するとともに、大野は暴行現場には居合わせたものの、直接暴力とは関わっていなかったので世界選手権の出場を黙認したと説明した。 9月5日に大学側はこの件で柔道部部長の藤猪と監督の土佐を解任するとともに、大野を主将の任から解くことも発表した。 柔道部に対しても再発防止策が確認されるまで無期限の活動停止処分を下すことになった。 さらに専務理事の近石康宏は、今後の展開次第では世界チャンピオンである大野が全柔連の強化指定選手から外される可能性もあることを示唆した。 9月11日に天理大は大野を含む4年生の部員5人を30日の停学処分にしたと発表した。 それによれば、大野は1年生1人に対して平手打ちを2回したとのこと。 その一方で、実際に大野は暴力を振るっていなかったが、4年生の就職に影響が出てくることを恐れた大学側のたっての頼みで、一度は断った要請を飲んで暴力問題への関与を認める汚れ役を敢えて引き受けたと報じる向きもある。 また、後に大野本人も、同級生の内定事情などを考慮した上であえて罪を被ったと語っている。 事件があった当日は世界選手権の強化合宿があって不在だったとしている。 「俺に十字架を背負わすのか?これが大人のやり方か!」と、この当時思ったという。 このこともあって一時は現役引退も考えたが、結果として思いとどまった。 9月18日に全柔連は懲罰委員会を開いて、暴力行為に関わった大野ら4年生9名に3ヶ月の登録停止処分を下したことを発表した。 これにより、大野は全柔連の強化指定選手を外された。 復帰は処分明けに検討されることになった。 10月12日には、停学処分の解けた大野を含めた天理大学柔道部がの一環として、で仮設住宅の雨どいの清掃作業などのボランティア活動を行った。 この際に「主将として管理しなくてはいけなかった。 申し訳ないと思っています。 気持ちを新たに頑張りたい」と語った。 暴力問題後、全柔連からボランティア活動を求められていた天理大学柔道部は、停学期間中だった大野らを含めてすでに内や学内において清掃活動に従事していた。 11月5日には大学当局から活動の一部再開が認められて、大野も早速練習に取り組むことになった。 2014年1月5日には強化指定選手に復帰することになり、全日本の強化合宿に参加した。 その後の記者会見で、「人間としてどうあるべきか、改めて考えさせられる3か月でした」と事件を振り返るとともに、「ご迷惑をかけ、本当に申し訳ないと思っています」と改めて謝罪した。 続けて「最強かつ最高の選手になれるように努力したい」とも語った。 戦績 [ ]• - 団体戦 5位• 2006年 - 団体戦 5位• 2006年 - 団体戦 5位• - 5位• - 優勝• - 5位• 2009年 - 金鷲旗 5位• - フランスジュニア国際 優勝• 2010年 - 5位• 2010年 - 5位• - 全日本ジュニア 優勝• 2011年 - 優勝• - 優勝• 2012年 - 個人戦 2位 団体戦 2位• 2012年 - 2位• 2012年 - 5位• 2012年 - 3位• 2012年 - 優勝• 2012年 - 優勝• - 3位• 2013年 - 3位• 2013年 - 個人戦 優勝 団体戦 3位• - 優勝• 2014年 - 優勝• 2014年 - 2位• - 優勝• 2015年 - 3位• 2015年 - 優勝• 2015年 - 優勝• - 優勝• 2016年 - 優勝• 2016年 - 金メダル• - 優勝• 2018年 - 3位• 2018年 - 優勝• 2018年 - 優勝• - 優勝• 2019年 - 優勝• 2019年 - 優勝• 2019年 - 優勝• - 優勝 出典 、。 有力選手との対戦成績 [ ] 2020年3月現在 国籍 選手名 内容 4勝1敗 2勝1敗 2敗 3勝1敗 6勝 4勝1敗 2勝 2勝 2勝 5勝 1勝 参考資料:発行のバックナンバー、等。 日本選手の場合は、獲得賞金の半分はの取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂されて、賞金は全額選手が受け取れることになった。 2014年7月からはIJF主催の各大会でコーチにも賞金が支給されるようになったために、選手の賞金が従来の2割減となった。 脚注 [ ]• 2011年11月5日• 2012年2月12日• 2012年11月10日• 2012年12月1日• 2012年12月1日• 2013年5月12日• 2013年8月30日• 、2013年8月29日• 2013年9月2日• 「リオデジャネイロ世界選手権2013」 、2013年10月号• [ ] 2014年4月6日• 2014年4月29日• 2014年8月28日• 2014年8月31日• 「チェリャビンスク世界選手権2014」 、2014年10月号• 2015年2月22日• 2015年12月26日• 2015年4月30日• 2015年8月26日• 2015年8月26日• 2015年8月30日• 「アスタナ世界選手権2015」 、2015年10月号• 「金メダリストインタビュー 73kg級 大野将平」 、2016年10月号• 2016年2月21日• 2016年2月21日• 2016年2月21日• 2016年4月3日• 2016年4月4日• 2016年5月3日• 2016年8月9日• 2016年8月9日• 2016年8月9日• 2016年9月23日• 朝日新聞 2016年11月2日• 2016年11月29日• 2016年12月24日• 2017年3月1日• 2017年3月9日• 2017年3月9日• [ ]• 2017年4月29日• 2017年4月29日• 2017年12月2日• 2017年12月2日• 2018年11月13日• 2018年2月25日• 2018年4月7日• 2018年4月29日• 2018年8月30日• 2018年8月30日• 2018年8月31日• 2018年11月24日• 2018年11月24日• 2019年2月24日• 2019年2月25日• 2019年3月19日• 2019年4月7日• 2019年4月7日• 2019年4月7日• 2019年8月27日• 2019年8月27日• 2019年9月1日• NHKニュース 2019年11月15日. 2019年11月16日閲覧。 2020年2月23日• 2020年2月23日• 2020年2月27日• 2020年2月27日• 2020年2月27日• 2020年2月27日• 2020年3月25日• 2020年5月15日• 2020年5月15日• 2020年5月26日• 「アスタナ世界選手権観戦ガイド」 、2015年8月号• 2020年1月2日• 2020年1月2日• 2015年11月14日• 2016年2月23日• 2013年8月30日• 2016年6月30日• 「リオ五輪・柔道73㎏級 金メダリスト 大野将平 欧米選手に負けない フィジカル 強化法」 「IRONMAN アイアンマン 」 「フィットネススポーツ」、2017年2月号 15頁• 2018年11月28日• 2013年9月4日• 2013年9月4日• 2013年9月4日• 2013年9月5日• 2013年9月5日• 2013年9月11日• 2016年8月10日• 2013年9月16日• 2013年10月10日• 2013年10月12日• 2013年11月5日• 2014年1月6日• 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - Olympic results 英語• - 英語• - 英語• - Alljudo 英語• sono0203 -• ono0203 -.

次の