台湾 と 中国 の 関係。 歴史的背景から考える、現在の中国と台湾の関係とは? | 大学生の困った!を解決するCampus Magazine

中国はなぜ「2020年、台湾武力統一」を目指すか:日経ビジネス電子版

台湾 と 中国 の 関係

増大する中国からの圧力に悲鳴を上げている香港と台湾に対して、おおっぴらに支援を表明し、実際に行動に移しているのがアメリカである。 そもそもアメリカには1997年7月1日の返還とともに発効した「香港政策法」があり、関税やビザ発給などで香港が中国大陸地域とは異なる特別な地域であることを定めている。 したがって、中国が香港の1国2制度をやめたら、アメリカは香港に対して付与している特別な地位を取り消すことが可能である。 ただし、この地位を取り消せば、中国大陸のみならず、香港やアメリカの利益も損なわれると考えられている。 昨年11月には、「香港人権・民主主義法」が成立した。 これは、香港の人権・民主主義を守るために、それを傷つけた個人への制裁(渡米制限、在米資産凍結など)を可能にした強力な法である。 「香港政策法」が「抜けない宝刀」になっている一方、「香港人権・民主主義法」は個人をターゲットにしているため執行が容易であり、抑止効果が強い。 香港は開放的な英語圏社会であり、渡米制限や在米資産の凍結は、政権を担うエリート個人にとって非常に痛い制裁だからである。 台湾は、中国政府の統治下にないため、香港よりもはるかに独立性が高い。 アメリカは1979年に「台湾関係法」を制定して、台湾を守る軍事力の維持、台湾への武器輸出、武力を使ってでも台湾を守る可能性の示唆、台湾の国際空間確保、台湾の原発運営を支持などの措置を保障している。 アメリカは中台の軍事バランスが中国に有利に傾かないよう注意を払ってきた。 アメリカの対台湾支援姿勢はさらに拡充 アメリカは、民主化が進むにつれ、そして中国の軍事力が増強されるにつれ、台湾への支援を強めてきた。 しかも、トランプ政権期になってから、アメリカの対台湾支援姿勢はさらに拡充した。 連邦議会で一昨年には「台湾旅行法」が成立した。 これは米台両政府の高官が相互に相手を訪問することを促す法律である。 年末には「2018年アジア再保証イニシアティブ法」が成立し、米台間の軍事協力の促進が定められた。 これらの法律により立法府が行政府の行動を促し、行政府の政策上のフリーハンドが増すことになる。 トランプ政権自身は、昨年7月にM1A2戦車を、8月には最新の戦闘機F-16Vを66機売却することを決定した。 アメリカから台湾への戦闘機売却は実に27年ぶりである。 トランプ政権の対台湾武器売却は、金額にしてすでに120億ドルを超えていて、歴代政権でもトップクラスである。 さらに6月には、アメリカ在台協会(AIT)台北事務所の新しいビルの落成式が行われ、アメリカ側賓客としてマリー・ロイス教育および文化事務担当国務次官補代理が式典に出席し、蔡英文総統と会見した。 ジョン・ボルトン国家安全保障担当大統領補佐官は、昨年5月にワシントンで台湾の国家安全会議の李大維秘書長と面会している。 このレベルの交流は1979年の断交以来初めてである。 アメリカの対台湾支援姿勢は明白であるが、果たして、米中対立と香港および台湾が、どれほどリンクしているのか。 中国では、香港問題と台湾問題の「悪化」の背後にはアメリカがいるという陰謀論が主流である。 アメリカなどの市民社会と香港および台湾の市民社会の間で、共通の価値観の下に同情や連帯感が強まっていることは間違いない。 しかしながら現時点で、米中貿易摩擦とアメリカ政府の対香港・台湾政策の間に、直接の関係は見当たらない。 アメリカによる上記の政策は、中国が1国2制度を変えようとしたことに対する反応と、台湾の安全を守ろうとする一貫した政策の一部であるにすぎない。

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中国と台湾と香港の関係がよくわかりません。解りやすく簡単に教...

台湾 と 中国 の 関係

これは知り合いの台湾人から聞いた話。 友だち2人と計3人(全員が20代の女性)で日本を旅行していたとき、ホテルのロビーで中国語で会話をしていたら、男性の中国人観光客から「あなたたちは中国人?」と声をかけられる。 すると3人は「いいえ、違います!わたしたちは台湾人ですっ!」と言ってそれからは、彼に内容が分からないよう台湾語に切り替えて話をつづけた。 こんな感じで中国と台湾には、とても複雑な事情があるのだ。 ということで今回は、両者がどこがどう違うのか書いていこうと思う。 まずは大ざっぱに日本の歴史で例えてみよう。 幕末の戊辰戦争(1868年~)で旧幕府側が薩摩・長州藩らの新政府軍との戦闘に負けて、榎本武揚たちは北海道へと逃げのびた。 そして榎本たちはその地で「新政権(蝦夷共和国:えぞきょうわこく)」の「建国」を宣言。 新政府軍(のちの明治政府)を認められない榎本たちは、江戸幕府につながる自分たちこそが「日本の本当の支配者」と考えたのだろう。 さて「本当の日本」は、国際社会に対して日本を代表する政府は、新政府側か旧幕府側(蝦夷共和国)のどっちだろう? この場合の新政府側が中国で、蝦夷地共和国が台湾(中華民国)と考えてほしい。 「新政権」のメンバー 前列右が榎本武揚 前回、中国と台湾の複雑な関係から起きた問題(台湾問題)について書いた。 平昌五輪では、韓国のテレビ局が台北を「首都」と紹介したことで中国人が激怒する。 日本では安倍首相が台湾にあてたメッセージの中に「総統」という言葉があったことで、中国側から抗議を受けて「総統」を削除した。 これらの問題の背景には、「台湾は中国の領土であって、絶対に国ではない」という中国の絶対にゆずれない認識がある。 世界のあちこちで起きている台湾問題は、中国人の「ひとつの中国」という考え方から生まれると思っていい。 習近平国家主席も全人代(全国人民代表大会=国会)で、そのことを強調していた。 毎日新聞の記事(2018年3月20日) 台湾問題については「一切の分裂につながる企ては失敗し、歴史の懲罰を受ける」と述べ、「偉大な祖国のわずかな国土であっても引き裂かれることを容認しない」と強調。 全人代閉会 習氏「憲法を忠実に実行」 「党高政低」印象づけ でも、台湾をはじめ世界には、「台湾は中国の一部ではなくて、別の国」ととらえている人がいる。 前回も書いたけど、国際社会は一般的に、「台湾は中国の一部(ひとつの中国)」という中国政府の主張を認めている。 日本政府もそう。 今回はこんな複雑な中国と台湾の関係を、歴史をふり返りながら、できるだけわかりやすく説明しようと思う。 「マクドナルド」を中国では漢字でこう書く。 でも台湾では「賣當勞」と書く。 1911年の辛亥(しんがい)革命から話をはじめる。 辛亥革命とは、孫文が中国最後の王朝・清を倒して中華民国を建てた革命のこと。 このとき孫文は臨時大総統となって中華民国の建国が宣言された。 この中華民国の時代、孫文をトップとしてその下に蒋介石や毛沢東がいた。 孫文がつくった「黄埔(こうほ)軍官学校」では蒋介石(しょうかいせき)が校長、毛沢東は面接の試験官をしていた。 ちなみに、この学校の政治部主任をしていたのが周恩来。 このとき彼らはひとつだった。 でもこの後、中国国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東とのあいだで内戦が始まる。 中国に攻めてきた日本軍と戦うために、一時休戦したけど、日本がいなくなるとまた内戦がおこなわれた。 内戦(国共内戦) 日本降伏後に再開された国民党と共産党の戦争。 1946年7月から本格化した。 国民党はアメリカの支援を受けたが、腐敗や経済混乱で大衆の支持を失った。 一方、共産党は農村での土地改革で支持を広げた。 「世界史用語集 (山川出版)」 この内戦は、毛沢東(共産党)が勝利する。 大陸に居場所がなくなった蒋介石と国民党(=中華民国)は台湾へ移った。 国家の存亡をかけて残存する中華民国軍の兵力や国家・個人の財産などを続々と台湾に運び出し、最終的には12月に中央政府機構も台湾に移転して台北市を臨時首都とした。 蒋介石率いる国民党は台湾を支配して、ここに中華民国政府が成立する。 中華民国政府 1949 内戦に敗れて12月に台湾に逃れた蒋介石政権。 当初国連の代表権を持っていたが、1971年に中華人民共和国に移った。 88年に成立した李登輝国民党政権の下で民主化が進められた。 「世界史用語集 (山川出版)」 いまの日本で呼ばれる「台湾」とはこの中華民国政府のこと。 これを幕末の日本で例えると、薩長らの勢力(のちの明治政府)が中国で、江戸幕府勢力による新政権が台湾になる。 台湾のお札には「」が使われている。 辛亥革命がはじまった1911年が初年。 だから、中華民国暦89年とは西暦2000年のこと。 孫文の意思を引き継いだ中華民国(台湾)は1911年からはじまった、ということだろう。 上は国民党の蒋介石。 下は共産党の毛沢東。 中華民国政府ができた同じ年(1949年)10月に、毛沢東により中華人民共和国が建国された。 蒋介石たち国民党は自分たちこそが「本来の正しい中国」で、毛沢東(共産党)の中国は「間違った中国」と考えていた。 だから蒋介石たちはいつか中華人民共和国を倒して、中国を再び手に入れようとしていた。 同じことを毛沢東の中国も考えていた。 台湾を武力で制圧して、中国を完全にひとつにしようとしていた。 でも、1950年に朝鮮戦争がはじまったから、この計画は不可能になる。 でも、それは昔の話。 いまの台湾(中華民国政府)は武力統一なんて考えていない。 中国と台湾の力の差を考えたら、絶対にムリだから。 いまの世界では、国連も国際社会も日本政府も、「中国」と認めているのは大陸にある中華人民共和国のほう。 中華人民共和国が代表権のある中国で、台湾はその一部であるとみている。 これが台湾問題についての習近平国家主席の言葉につながる。 「一切の分裂につながる企ては失敗し、歴史の懲罰を受ける」 「偉大な祖国のわずかな国土であっても引き裂かれることを容認しない」 裏は日本統治時代の中心だった台湾総督府 いまは台湾政府が使っている。 先ほど説明文のなかに、「台北市を臨時首都とした」と書いてあった。 このとき蒋介石率いる国民党は、台北を「一時的な首都」として、本当の首都は南京だと考えていた。 友人の台湾人は学校で、「われわれの首都は南京です」と教わったという。 でも彼にはその感覚がない。 彼のなかでは、南京はどちらかというと外国の都市で、「われわれの首都」とはどうしても思えなかった。 そんないまの台湾人は、中国と台湾の関係についてどう思っているのか? ボクが話を聞いた限りでは、「現状維持」を望む人が一番多い。 台湾が中国と戦争をして統一することはあり得ない。 でも、台湾が中国にのみ込まれる(統一される)こともイヤ。 だから、「台湾が独立宣言をする必要はなく、中国と台湾の関係は今のままでいい」という意見をよく聞いた。 でも、台湾で会社を経営している台湾人は「もうすぐ台湾はなくなりますよ」と言う。 「いまの台湾では、中国の影響力がとても強いんです。 中国の経済力はすごいですから。 台湾の経済は中国なしではやっていけません。 台湾はこれから、経済的に中国に支配されていくでしょうね。 でもこればかりは、どうしてもようもありません」 武力を使わなくても、中国は内側から台湾(中華民国政府)を「中国化」して、「ひとつの中国」を完成することができるかもしれない。 おまけ 台湾の台北市に「国立故宮博物院」がある。 故宮は辛亥革命で倒した皇帝が住んでいたところで、故宮博物院では、そこにあった貴重なものが展示されている。 北京にも 故宮博物院があるのだけど、台北の故宮博物院のほうが充実している。 その理由は、内戦に敗れた蒋介石と国民党が台湾に移動するときに、価値の高いものを台湾に運んでしまったから。 「国立故宮博物院」のホームページから。 12月初頭、中央博物院理事会は集まりで協議し、最も優れた逸品を選び、台湾へ移すことを決定。 残りの文物は運輸条件が可能な限り、運搬を進めることとなりました。

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台湾海峡と香港をめぐる「米中関係」と日本外交

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中国の習近平国家主席と台湾の馬英九総統が7日、シンガポールで会談した。 1949年の中台分裂以降、両国の最高指導者同士が会談するのは初めて。 この会談では、中国と台湾は分かれることの出来ない『一つの中国』であるという原則のもと、経済・文化交流を拡大することが話し合われ、中台の分裂後66年にして初の歴史的な会談となった。 「あれ?中国と台湾って仲悪かったんじゃないの? いつからそんな仲良しになってんの?」 という人や、 「そもそも、中国と台湾って仲悪いの? っていうか台湾って中国の一部じゃないの?」 という人のために今回は、中国と台湾の関係をわかりやすく解説します。 中国と台湾の関係を、老舗鞄屋のお家騒動に例えてみます 『中国帆布』は、その丈夫さや、シンプルながら使いやすい布製カバンの製造・販売で多くのファンを持つ老舗であった。 しかし、その経営権をめぐって、兄弟間で骨肉の争いが繰り広げられたのである。 もともと、数名の従業員で切り盛りしていた中国帆布の知名度を高め、大きくしたのは兄の力によるところが大きいのだが、最終的に兄は、弟との権力争いに破れてしまう。 中国帆布を追われた兄は、町外れの小さな店舗を買取り、そこで新たに『新中国帆布』の営業を始める。 一方、弟はというと、『中華人民帆布』という新たなブランドを立ち上げ、我こそが正当な『中国帆布』の後継ブランドであり、兄の『新中国帆布』は偽物であると、激しく非難する。 しかしながら、従来からの取引先は、中国帆布時代の兄との取引が長かったこともあり、初めのうちは、兄の店を中国帆布の正当な後継ブランドと見ていた。 ところが、弟が主導する『中華人民帆布』は、巨大企業であるソビエト工業と提携し、その力と規模を急速に発展させる。 その結果、従来の取引先も 「お兄さんにはほんま申し訳ないんでっけど、弟さんの『中華人民帆布』がここまで大きくなってしもうたからには、弟さんを正当な後継者として認めるしかないですわ。 」 として、『中華人民帆布』を正当な後継者であるとみなすようになる。 ついに世間からも中国帆布の正当な後継ブランドとして認知された『中華人民帆布』は、その巨大な力で 「おい!兄貴!!いつまでも、新中国帆布なんて紛らわしい名前を名乗ってんじゃねんぞ!!とっとと、俺の会社に吸収されてしまえ!!」 と、兄に圧力をかける。 さて、そんな窮地の兄に手を貸したのが、ソビエト工業と並ぶ大企業『アメリカコーポレーション』である。 アメリカコーポレーションの最先端のデザインを取り入れたモダンな兄の鞄は大評判となり、弟の『中華人民帆布』も、うかつに兄に手出しが出来なくなってしまった。 ますます、悪化する兄弟関係。 「今は泳がしてやってるけど、俺は認めねーぞ!!お前の会社も俺の『中華人民帆布』の一部みたいなもんだからな、それだけは覚えておけ!! だいいちお前がまだ『中国』の名前使ってることが許せねえ!!」 と、あくまでも兄の『新中国帆布』を認めない弟と、 「いや、もう『中国』とか正直どうでもいいし。 今はもう『TAIWAN』ってレーベル名の方がメジャーになって来てるから、『中国』って名前をお前が使うなって言うなら、別にそれでもいいよ。 だから、もう俺たちのすることにいちいち口出ししないで、自由にやらせてくれ。 」 と完全に新しい『TAIWAN』ブランドとして、『中国』との関係を断ち切りたい兄の意見は平行線のままであった。 しかしながらここ数年、弟が設立した『中華人民帆布』と、兄が育て上げた『新中国帆布』(今では『TAIWAN』というレーベル名で呼ばれることの方が多い)の両社の関係に変化が起きている。 きっかけは、最近『TAIWAN』の新しい社長に就任した馬永久という男である。 彼は、ますます巨大企業に成長した『中華人民帆布』の経済力に大きな魅力を感じ、彼らに擦り寄る方針に転換したのである。 しかし、この方針転換には、『TAIWAN』の従業員たちからも 「今まで『中華人民帆布』からの嫌がらせにも負けずに、必死で独自路線を貫いて来たのに、それを無駄にする気か!!」 「『TAIWAN』は立派な独立会社だ!!その誇りを失ったのか!!」 「『中華人民帆布』は今は調子のいいことを言っているが、どうせ、我々を吸収する気に違いない!!」 と反対の声も多数上がっている。。。 中台分裂から現在までの時系列 では、国民党と共産党の権力争いにより起こった、中華人民共和国と台湾の分裂から現在までを時系列で見てみましょう。 1895年 日清戦争に勝利した日本は、台湾を清から譲り受ける。 以後、第二次大戦終結まで日本が台湾を統治する。 1945年 第二次大戦に破れた日本は台湾を手放し、台湾は中華民国の領土に編入される。 1949年 中華民国における、共産党軍との権力争いに敗れた蒋介石率いる国民党は台湾に逃れ、そこを新たな中華民国とする。 一方、中国においては毛沢東率いる共産党が、中華人民共和国の成立を宣言する。 1971年 中華民国(台湾)は国連の常任理事国の座を失い、代わりに中華人民共和国が常任理事国となる。 これにより、名実ともに中華人民共和国が『中国』の代表となる。 1988年 李登輝が台湾出身者として初の総統となり台湾の民主化が進む。 また台湾として、中国からの完全な独立を望む声も強くなる。 一方、中華人民共和国はこれに強く反発し、台湾が独立を宣言した場合、武力行使も辞さないという法律を制定する。 2008年 馬英九が総統に就任。 中華人民共和国との対立による緊張の緩和と、台湾経済の発展を促進するため、中華人民共和国との関係性を改善する方針に舵をきる。 一方、台湾国内では、将来的に台湾が中国に吸収されてしまうのでは、と中国との結びつきを強める馬英九の方針に反対の声も多く上がっている。

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