月 に 溺れる かぐや 姫。 月の世界のかぐや姫

月に溺れるかぐや姫~あなたのもとへ還る前に~ (2) (夜サンデーSSC)

月 に 溺れる かぐや 姫

来たる8月15日は、旧暦であれば「中秋の名月」。 そしてかぐや姫が月に帰って行った日でもあります。 「竹から生まれたかぐや姫は、五人の貴公子と帝からの求愛を拒み、泣いてすがるおじいさんとおばあさんを残し、月に帰ってしまいましたとさ」 ざっくり言えばこんなストーリーの『かぐや姫』 『桃太郎』や『一寸法師』のように「めでたしめでたし」では終わらないこのおとぎ話に、子供心に「かぐや姫、ひどい…」と、納得の行かない思いを抱いたものです。 ちなみに二大納得の行かないおとぎ話、それは『かぐや姫』と『浦島太郎』でした。 しかし、実は『かぐや姫』の元となった平安期の物語『竹取物語』の最後には、おとぎ話では語られていない部分があるのです。 そこには、人間界を去りゆくかぐや姫の思いと、残された人々の姿が描かれています。 『かぐや姫』が「はしょってる」、『竹取物語』の幕切れをご紹介しましょう。 8月15日の夜、物語はいよいよかぐや姫が月に帰る大詰めの場面です。 月からの使者達がかぐや姫を迎えにやってきます。 その中の一人は「天の羽衣」を、一人は「不死の薬の壷」を持っています。 着せかけられると、人間界のことをすっかり忘れてしまうという羽衣。 それを手にして近づく天人を制し、かぐや姫は、「ひとつ言い残してゆきたい事があります」と、文を書き始めます。 それは、帝に宛てたものでした。 実は帝とかぐや姫は、直接逢う事こそ無かったものの、三年もの間、文を交し合っていたのです。 「あなたからのお召しを拒んだのは、こうした 月に帰るという 事情を持つ身だったからでございます。 仰せに従わぬ強情者よと、あなたから思われたのは、私にとって辛いことでございました。 今はとて天の羽衣着る折ぞ君をあはれと思ひいでける 今、この世での事を忘れてしまう天の羽衣を着る時、あなたの事を懐かしく思い出しております 」 かぐや姫はこの文に不死の薬の壷を添えて、帝へとことづけます。 直接的な愛の言葉は無くとも、かぐや姫の帝へ対する思いが伝わり、物語にしみじみとした情趣を与えています。 そしてついにかぐや姫は、天の羽衣を着せかけられ、人間界での出来事を全て忘れて月へと帰って行ったのでした。 不死の薬を託された帝が取った行動とは? さて、残された人々はどうなったのか?不死の薬を飲んだのでしょうか? 翁と媼は、嘆きのあまり病み伏して、こう言います。 「姫のいない今、誰のために命を惜しむことがあろうか」 一方帝も、かぐや姫からの文と薬をご覧になり、 「逢うことも涙に浮かぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ」 姫に逢う術も無く、涙に浮かんでいるような我が身には、不死の薬など何の意味があるだろうか と詠んで、使者に命じ、天に一番近いと言われる駿河の山 富士山 の頂上で、文と薬の壷とを燃やしてしまうのでした。 かぐや姫を失った人達には、もはや永遠の命など必要無かったのです。 こうして『竹取物語』は、儚い命を選択した人間の姿を描いて幕を閉じます。 永遠の命を象徴するかぐや姫を主人公としたこの物語。 しかしもしかすると作者が最も訴えたかったのは、人間の命は儚くとも愛する者と生きる人生こそ尊いのだ、という事ではないでしょうか。 『竹取物語』の幕切れ。 是非子供達にも読んで欲しいと思うのです。

次の

かぐや

月 に 溺れる かぐや 姫

かぐや姫のその後は? かぐや姫のラストシーンは最後月の使者に連れてかれてしまい幕を閉じましたが、 その後については触れていませんでした。 一体かぐや姫は月に帰った後どうなのでしょう。 記憶は? 記憶自体はなくなりました。 しかし、わらべ唄と地球のことは脳裏に焼き付いています。 なので振り返るときに涙を流していますね。 言ってしまえばこれがかぐや姫の罰とういことですね。 なのでその後は新しい記憶で感情もないまま生きてくことがわかります。 死亡した? 月に帰ってから死亡するといったことはありません。 ですが正直言って月に帰るのは死後の世界に行くのと同じようにも感じます。 「かぐや姫の物語」は死と仏教の色が大変強いものとなっています。 最後のシーンなんかは記憶がなくなりますし帰ることを免れなかったので死を象徴しているようにも思えました。 仏教の考え方は、現世は汚いものを自分から煩悩を断ち切ることができれば極楽浄土に転生できるというものです。 かぐや姫の物語もストーリーとしてはこれに沿っている部分があります。 なのでかぐや姫の物語のテーマとしては「死」と「仏教」なのだと思われます。 結局どうなる? 結局どうなるのかといった答えですが、 正直なところ原作にもその後は語られていないので情報はありませんでした…。 しかし、自分の想像で考えて良いものだと思われます。 竹取物語とかぐや姫の物語は結構考えさせながらのストーリー展開だと思うのでどのようになるかは想像するのが一番いいかもしれません。 月に帰る理由は? 作品を視聴しただけだと月に帰る理由は何だったのかイマイチわからないですよね。 かぐや姫はもともと月にいたわけですが地球に憧れを持ってしまったことがバレてしまい月の死者から「地球の穢れを思いしってこい」とのことで地球に行くことになります。 そして地球で暮らしていく中で人間の醜さや穢れさをまんまと堪能しました。 翁には娘ではなくものとして扱われたり、顔もしらない男から求婚を求められたりと散々な目にあいました。 そんなこんなでかぐや姫は「月へ帰りたい」と願ってしまい、月の使者はほら見ろと言わんばかりにかぐや姫を迎えに来ました。 なので月に帰った理由としては、 かぐや姫が一瞬でも月に帰りたいと思ったことがきっかけなんですね。 さらになぜかぐや姫が月に帰ることをしっていたかというと、 罪の期限を知っていたからですね。 月に帰るきっかけとしてはかぐや姫が帰りたいと思ったとことから始まりましたが、どのみち罰の期限は満月の夜と知っていたのです。 最後伝えたかったこととは? かぐや姫の物語は難しいので正直何を伝えたいのかがわかりません。 さらに子供にわかりやすいように作られていないのです。 では何を伝えたかったのでしょう。 ・いろんな感情があるからこそ思いやることも出来るし生きる実感を得ることができる ・精一杯生きることはとても尊く素晴らしいこと ・今生きていること時代に感謝をし、この世にいられる時間を大切にしよう といったことを伝えたいのかと思いました。 生きることの大切や感情など様々な部分でとても考えさせられる作品なのではないでしょうか。 個人的にはかなり奥深い作品で生命の美しさ、醜さ、悲しさや喜怒哀楽を巧みな表現法でまとめていてとても素晴らしいと感じました。 まとめ ・月に帰った後は死亡しない ・伝えたかったことは「生きる」ことの大切さ 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!.

次の

月の神話(日本)

月 に 溺れる かぐや 姫

[注意]このエントリーは「かぐや姫の物語」の重大なネタバレに触れています。 今回は高畑勲監督の遺作となった「かぐや姫の物語」の「姫の犯した罪と罰。 コピーと本編の関係 「ジブリの仲間たち」という本によるとこのキャッチコピーはスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫が本作の企画書を読みながら「罪と罰」という言葉が浮かび「姫の犯した」というフレーズと合わせればインパクトのある言葉になると考えついたキャッチコピーです。 しかし高畑勲監督はこのコピーに反対します。 理由は当初の企画では「罪と罰」をテーマにする予定だったが、製作を続けるうちにこのテーマは上手くいかなかったからという理由でした。 しかし鈴木さんはこのコピーでポスターや予告編を作り出します。 すると高畑勲監督は宣伝と内容が一致しない事に不安を覚え本編の内容を変え始めたと書かれています。 つまり最初に企画してたテーマを諦めたが、その最初のテーマをベースにしたコピーに合わせるために最初のテーマに戻したのです。 鈴木さんのやり方はいつもメチャクチャだけど結果論作品にプラスになっているので心底感心します。 憧れ かぐや姫は月の住人ですが、地球に憧れます。 月で地球に憧れる行為は汚らわしいことなのでかぐや姫は罰として地球に月の記憶を無くした状態で墜とされます。 そこで自然に触れて楽しく生きます。 時には他人の作物を盗んだり、動物の命を奪いながら…• 絶望 翁は竹の中からお金が出てきたことでかぐや姫は都の姫になるべきと山から出ます。 かぐや姫は大きなお屋敷で大はしゃぎすると、とても怒られたのでヘコみます。 さらに祝いの席で悪口を言われ、逃げ出します。 月がとても美しく象徴的に描かれているのも地球の汚れとの対比に捉えられて残酷だ。 このシーンは特報段階では叩かれまくってたけど、かぐや姫の気持ちの暴走を描いた名シーンの1つだ。 かぐや姫は桜を見て大喜びで、桜と共に踊ります。 しかし桜に夢中で踊っているかぐや姫とぶつかった子供の親に土下座されます。 彼女の心は壊れ始めます。 彼女は自分の庭に昔住んでいた山を再現します。 この庭を見ると彼女の心は落ち着きます。 しかしこの庭は完全に彼女の闇を表しています。 彼女に言い寄る求婚相手は綺麗事を言うだけの口先野郎で相手の見た目で判断する女泣かせの男でした。 かぐや姫は人間の汚れに触れ続けます。 その上自分の為に一番真剣に頑張ってくれた人は自分の無理難題のせいで命を落としてしまいます。 かぐや姫はショックを受けて自分の山を再現した庭を「偽物!偽物!全部偽物!」と泣き叫びながら壊していきます。 彼女の心は完全に壊れます。 その後かぐや姫は好きでもない帝に強引に抱きつかれ、自分と結婚することが一番な幸せと説かれます。 彼女の心は限界を迎え、月に助けを求めてしまいます。 つまり彼女は憧れていた世界の汚れの部分に触れ過ぎたことで絶望をしてしまい地球で生きることを辞めたくなったのです。 これは人間にとして生きることを辞めることを望んでしまったことを意味します。 そして憧れの地で過ごさせ、その汚れに触れさせることでその地へ絶望させることが月からの罰だったのです。 受け入れ 人間に絶望したかぐや姫は月に助けを求めてしまいますが、記憶が戻ることで何故地球に憧れたのかを思い出します。 彼女が地球に憧れた理由は月には無い鳥や獣、草・木・花と触れ合い切磋琢磨することこそ「生きる喜び」だと感じ憧れたのです。 そして彼女は人間の汚れである辛い部分も含めて「生きる喜び」として受け入れて地球で生きることを再び望みます。 死 そんなかぐや姫の気持ちは関係なく月からのお迎えはやってきます。 このお迎えは「阿弥陀二十五菩薩来迎図」をモチーフしています。 「阿弥陀二十五菩薩来迎図」とは仏教で臨終の際にあの世から迎えに来る25人の菩薩です。 つまり月の世界は死後の世界であり、月に帰ることは人間としての「死」を意味します。 人間たちはかぐや姫を守るために戦おうとしますが弓矢は花に変えられてしまい、兵士たちは皆眠らされてしまいます。 この描写はとても愉快な音楽が流れながら行われるため「ふざけたシーンだ!」と怒ってる人もいるようですが、月の住人からするとそれだけ人間は取るに足らない存在であることと、絶対的に避けられない死を描いているとても悲しいシーンです。 元が月の住人であるかぐや姫はその力に逆らえないことを知っているため、お迎えに抵抗することなく全てを諦めてしまった哀しい目をしながら月の住人に連れ去られてしまいます。 「月の羽衣」を纏うと地球での記憶を全て消えてしまいます。 つまり彼女は地球に憧れたことも地球での楽しい思い出も辛い思い出も、汚れも受け入れ再び地球で生きたいと思った気持ちも全て忘れてしまいます。 そしてかぐや姫は月に帰る 人間としての人生を終えて 物語は幕を閉じます。 これはかぐや姫という特殊な人生でなく誰の人生にも当てはまることです。 過去の選択を後悔し、憧れてた世界の汚れを知り、時には死を望んでしまう程絶望する… そんな人間は多いと思いますが、それでもその汚れを受け入れ、やり直せるチャンスがあるならそれは「生きる喜び」なのかなと考えさせられました。 ラストで記憶を失ったかぐや姫が宇宙から地球を見て理由も分からず何故か涙を流す姿はとても悲しい… これからかぐや姫が月から地球をみる度に意味も分からず涙を流し続けるのかと思うと不憫でしか無く、これ以上の罰ば無いだろう。 これは月側が想定している以上のダメージを与えることになっている。 果たして本当に悩みも苦しみも無い世界が幸せなのか?かぐや姫が見つけた「生きる喜び」はそこには無くかぐや姫本人も既に忘れている… ちなみ本作は「金曜ロードshow!」でテレビ初放送された際のエンドクレジットは劇場版のものと異なり今までのかぐや姫の人生を振り返るダイジェストが付いている。 これは彼女に幸せになって欲しかったと強く思わせてくれるし、「人間として生まれ死んでいくまでの物語」だったということが暗示されるので本編の黒バックのエンドクレジットより好き。 個人的にはかぐや姫が最後に見た走馬灯だと解釈してる。 まぁ、走馬灯なんて見る暇なく月の羽衣被せられてたけどね… 再度繰り返しますが、既に地球で過ごしたエンドクレジットの様な思い出はかぐや姫には既にありません。 これがまた悲しい… [注意]ここから下は「風立ちぬ」のネタバレに触れてまいます。 「かぐや姫の物語」は宮崎駿監督の「風立ちぬ」と同じ2013年公開作品だ。 「風立ちぬ」のラストは人生を賭けて美しい飛行機を作ろうとした主人公の作った飛行機 零戦 は戦争の道具として使われて1機も帰ってこなかったことが語られる。 さらにその美しい飛行機を一番見せたかった妻は既にこの世を去っていた。 そのため主人公はカプローニからの「君の10年はどうだった?」と問いに「散々だった」と答える。 彼には最早これから先を生きる理由はなかった。 そんな絶望の中でも彼は生きなくてはならなかった。 どんな辛い中でも… これは「かぐや姫の物語」は真逆のラストだ。 しかしどちらも観た人には強く「生きたい」と思わせる共通のラストに解釈できる。 個人的には「風立ちぬ」のラストのが好きだ。 「風立ちぬ」については下リンクで書いてるので興味があったら読んで欲しい。

次の