九字の切り方。 九字

九字護身法で九字を切って厄災を払う方法

九字の切り方

aloha ここのところ、海外出張から物件監修やらで、移動時間の調整なんかであちらこちらのカフェに立ち寄る(笑) 午後のカフェで繰り広げられる、専業主婦の皆様の主婦のお気楽なトークは私の大好物 先日も、地方の現場監修の合間に入ったモールのカフェで、5人組の主婦の愉快な奇跡のトークに遭遇した。 九字の効能はさらに素晴らしく・・・何でも九字を切ることで守られ、子供に九字を切っておくと事故から身も守る。 九字を子供に切ることで霊が消せるってことは・・・子供の守護霊も消えるね あ〜あ・・・守護霊切っちゃった きひひ。 九字を切ると霊感が冴えるようになって、霊能力も上がるとかなんとか・・・うさんくせぇ〜 てか・・・一霊能じゃなくて家事力を上げる方が一般的な主婦には重要だと思うのね・・・ さらに印を組むともっと効果があるといいながら・・・『こんな感じのやつっ!!』 と、大先生は適当感丸出しの印をリズミカルに組んでいる・・・ 周りからは『すごい!』『あっちゃんママかっこいい〜っ!!』と・・・羨望の眼差しだ・・・。 いや〜っ!!もう九字のバーゲンセールやで〜っ!!と、一人であたしが突っ込んでいると・・・ いきなり、その場で大先生の九字レクチャーが始まった・・・。 テーブルの五人が、まるで黒魔術か降霊術のように皆で、早九字のレッスンを始めてしまったのです・・・ りん・びょう・とう・ばん・じゃん・・・・私にはそう聞こえた・・・確かに聞こえた・・・。 九字も滅多やたらに切るなと習った・・・。 印は越三昧耶罪(おつさまやざい)になり、印の効果が裏目にでることもあるので、正式伝授を受けた修験道ではない限り印はご法度と習った・・・。 私は(神道なので)神仙系の九字を使用しますが、手刀の方は穢れの払いや結界を張るためのものとして使用します。 とはいえ、マニアックな話でいささか恐縮ですが、九字の護身術(方)は、元来は密教ではなく中国の道教が元祖です。 東晋の葛洪が書いた『抱朴子』という仙人になろう的な本の中で、仙道を修めたり仙薬を探すために山に入るとき、邪鬼を避けるための呪文として紹介されていて、九字は印ではなく禺歩(うほ)と同様に紹介されています。 道教の作法が日本に伝わり、密教・陰陽道・修験道に取り入れられ、九字の一つ一つに神仏が配当され今の形になっているので、 陰陽道では青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女の順になります。 映画陰陽師で出てくるワードなのでこれは有名ですね。 ちなみに、神仙系の私は「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前」と習いました。 というか・・・小さな頃からこの言葉は知っていたので、きっと何かしらのテレビで覚えたのでしょう。 真言だと「おん、きり、きゃら、はら、はら、ふたらん、ばそつ、そわか」を3回。 もしくは、「俺、縛、日、羅、納、舎、競」 「おん、ば、さ、ら、ど、しゃ、こく」と唱えて指をパッチンします。 もっと詳しく知りたい方は、秋頃に予定しているBeBeの魔術のクラスへ是非ご参加くださいませ 本日もぽちっと応援の指先をどうぞよろしく御願い致します。 みなさんの応援が更新の励みです チワワノウキワも更新したよ mahalo.

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九字で悪霊から身を守る

九字の切り方

先ず、 何時もの様に私が経験した事に基づいて、私流(わたしりゅ)の考えで、少し視点を変えて書きたいと思います。 このての資料は、それこそインターネット上にあふれきっていますが、殆んど同じ内容が多いと思われます。 九字護身法、「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陣」「裂」「在」「前」、九字を一字ずつ唱えながら、刀印をもって切る方法です。 修験、神道、各宗派により、九字の切り方に違いがあります。 印を結んで切る方法、同じく「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陳」「裂」「在」「前」と手印を結びます。 此方も、修験、神道、宗派により異なります。 一つ一つの九字には意味が有りますが、それは他のサイトを参考にしてください、皆同じですので。 護身法と名がついていますので、この修法を身につければ鬼に金棒です。 身に危険を感じたら、九字を切れば助かります。 いろんな場面に応用が効きます。 就職試験、入試など、競争相手が沢山居る中で、自分だけ助かりたい時など、打って付けです。 「臨」「兵」「闘」「者」「皆」「陳」「裂」「在」「前」とやれば良いわけです。 九字に宿る神霊が助けてくれます。 尚もって、最後に止めの剣を手刀で刺せば、相手は落ちて、此方は受かるわけです。 その上、幾ばくかの修行や先達からのレクチャーを受ければ、もう恐いもの無しです。 憎い相手に向かい、「臨」「兵」「闘」・・・・・・・とやれば良いわけです。 自分が助かって、尚且つ相手も助かるというものではなく、 相手は倒れるわけです。 倒れた相手はたまったものではありません。 いい迷惑です。 倒れた相手は考えます。 「何でや、おかしいで、何か、自分を落としいれた何かが有るで」、「何やろ」と考えます。 考えるだけではなく、「厄祓いに神社に行くか」となります。 神前で手を合わし、神社の神霊に言います。 「何かわからんのが邪魔をするのですが、もしそうなら神様の力で御祓いください」、と。 この様な低級な願いを待っているのが、神社にたむろしている低級な眷属です。 「わしらにぴったりの願が来たで、やったろやないか」 低級な眷属は九字を切った人物を探し当てる事など朝飯前です。 神社へ頼みに来た奴の被ったものはわずかでも、その何十倍の力をもって九字を切った相手に返します。 返された方はたまったものではありません、何しろその道の本職が返すのですから、下手をすれば命にも関わります。 返された方は苦悩します。 其れを見て、アホは喜んでいます。 最初、自分に良かれと思い九字を切った方は被害者になります。 話が後先になりますが、ある利己的な目的に九字を切ろうと思った時、要するに、修法(神事)を行おうとした途端、其れと同じ目的を持った目に見えない程度の低いものが臭いを嗅ぎつけ集まって来ます。 本来、九字が持つ意味の守護神が存在しますが、低級な目的で九字を利用しようと思った瞬間、守護神は退いてしまいます。 空です。 その空の所に、「しょうもない奴」、が入って来ます。 何も分からない貴方は、この「しょうもない奴」と力を合わせて「しょうもない事」をするわけです。 又「しょもない奴(貴方は)」は、「しょうもない奴(邪霊と)」と良く気が合います。 貴方の切った九字は良く効く事になります。 貴方の切った良く効く九字の被害者は、体調を崩します。 体調を崩すと、それを狙って低級なものが入って来ます。 その低級なものは、体調を崩した体に留まりながら、九字を切った相手に攻撃をかけます。 こいつらは困らすのがお役ですので、それが嬉しくてしょうがないのです。 この繰り返しです。 又この九字護身法を、目に見えないものに対し行う方(かた)もあります。 殆んどが低級なものに対して九字を切る事になります。 見えない者、感じない者、分からない者の強みです。 低級なもの(邪霊)に対し九字を切り、最後に留めの手刀を刺せば、刺された方は怒ります。 私に例えれば、普段、温厚に振舞っていても、関係の無い他人の子供が私に向かって水鉄砲で水をかけてくれば、その日の機嫌によってはカッとなるかも知れません。 増してや、邪霊に対し素人が九字を切るという行為はもっての外です。 この領域のお役が付いている方でも、慎まなければなりません。 直に、見事、返って来ます。 止めた方がベストです。 要するに、九字を切っては駄目です。 絶対と言っていい程、自分の方に返って来ます。 保障します。 次に「呪詛」についてですが、一番顕著に出た例が有りますので書いてみます。 簡単に説明します。 ある家同士のトラブルで、此方は何も依頼はしなかったのですが、知り合いの修験の行者さんが良かれと思い、相手の家に対し、呪詛をかけました。 此方の家では、相手の家の、何に対して呪詛をかけたのかは、全く知りません。 只修験の行者さんは、此方の家の窮地を見て、良かれと思い、その様な行動に出たわけです。 そしてこの行者さんは自宅の方で、期限を切って呪詛の成就を祈願したわけです。 しかし祈願の途中で急死されました。 高坏(たかつき)には塩が盛られ、その上から湯飲み茶碗を反対にかぶせて、湯飲み茶碗の底の部分にも塩が盛ってあります。 湯飲み茶碗の中を見ますと、図で示す様に、折った紙には、「臨」「兵」「闘」「者」・・・・・と九字が切られ、その祈願の文(書きません)が書いてあり、九字の中心には木綿針が刺してあります。 この様なものが四つ転がり出ました。 呪詛を放った行者さんの結果は書いた通りです。 行者さんが何を行ったかも知らないこの家も、何かと落ち着かない状態が続きます。 この家の方も被害者です。 呪詛をかけるという行為も命がけで行わなければなりません。 極端な例を書きましたが、九字を切るという行為、呪詛をかけるという行為など、絶対に慎まなければなりません。 実際問題として、九字を切る、呪詛をかけるといっても、その道に精通した方はそんなに居ませんし、その様な方は上記した様な失敗はしません。 しかし、 精通した者でない、ずぶの素人がやっても、ある程度の事が起こるという事実は、やはり慎まなければなりません。 絶対、自分や家族に返って来る事になっているのですから。

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九字の切り方

由来 [ ] 六甲秘呪は『』内篇第四「登渉篇」に晋の葛洪が「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」と唱えたとある。 日本での九字作法は、独股印を結んで口で「臨」と唱え、順次に大金剛輪印、外獅子印、内獅子印、外縛印、内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印(別称:隠形印)を結び、「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」を唱える。 次に刀印を結んで四縦五横の格子状に線を空中に書く。 道教では縦横法と称し、修験道等では俗に「九字を切る」と称する。 修験道では九種類の印にそれぞれ、・・・・・・・・を本地仏に配当する説がある。 ただし不動明王の印である独股印が毘沙門天、金剛界大日如来である智拳印が阿弥陀如来など、印の形と本地仏とは関連性のない配当がされており根拠は不明である。 また外獅子印、内獅子印の二つはインド撰述の密教経典には見られない、日本独自の印である。 そのほかに・・春日大明神・加茂大明神・・・丹生大明神・・を配当する説もある。 は中世には護身、戦勝の利益があるとして、武人が出陣の際の祝言に用いるようにもなり、やがて忍者の保身の呪術としても使われた。 また日蓮系統の法華行者では、日栄の『修験故事便覧』による法華経序品の「令百由旬内無諸衰患」を九字とする説に基づいて、格子状の九字を切る作法が相承される。

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