サマンサタバサ 世永亜実。 株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド (Samantha Thavasa Japan Limited)

寺田和正に与えられた大きな舞台で活躍する情熱集団/サマンサタバサを支えるスタッフ

サマンサタバサ 世永亜実

週末は子どもに徹底的に付き合う! 子どもの興味が私の趣味 いま、長男は歴史にはまっています。 平日は一緒にゆっくりできない分、 週末はとにかく子どもが中心。 公園だって行きたいと言われればどんなに寒くても一緒に行って、「帰りたい」と言いだすまでは徹底的に付き合います。 ポップアップテントを持っていって、その中でじーっと待ってたりするので、ママ友と公園で出会うと笑われますけど(笑)。 歴史にはまっているからと、子どものお弁当もキャラ弁ならぬ歴弁を作ったりします。 武将の旗を作ってお弁当に刺して、「誰でしょう?」ってクイズ形式にしたり。 そういうのも苦ではなくて、楽しいんです。 週末に子どもが興味ありそうなイベントなんかも探しておいて「これどう?」って出したり。 「あ、行きたい!」って言われたら、「よっしゃー!」って思っちゃうんです(笑)。 そうやって子どもの興味を伸ばしてあげられるようなものを、子どもの一歩前に準備することも、大事にしています。 武将の旗を自作して作る歴弁。 「子どもはあっさり武将クイズを当ててきます(笑)」 常にフル回転! だから現状維持が2016年の目標 私は常に走り回ってフル回転。 でも、仕事をするということは、楽なことであるはずがないと思っています。 産休も同じ。 仕事から離れる以上、浦島太郎になってしまう恐れは常にあります。 だから、産休で離れたのと同じ期間は恩返しだと思って働くくらいの気持ちが必要だと思います。 7割の力でできる仕事なんてないんです。 時間に制限があっても、100%の成果が出せるように工夫をしたり、部下の悩みには24時間答えてあげたりしたいので家に帰ってからもLINEやSkypeを使って連絡を取り続けます。 働きやすさを維持するために、成果も出す。 会社に結果をきちんと返すことは大前提だと思っています。 だから、今年の目標はとにかく現状維持。 私は常に精いっぱいなので、もうこれ以上望むよりは現状を維持するために体力をつけて、ちゃんと回していくことだけです。 仕事は99%大変なことが起きる可能性がありますよね。 でも「死ぬわけじゃない」っていい意味で考えるようにしてるんです。 土砂降りがあれば、その後には虹がかかるはずですから。

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人事のプロが実感 年次評価より「1on1」で人は成長 (1/5):日経ARIA

サマンサタバサ 世永亜実

ビジネスにおける意思決定のアプローチとして、対照的に語れるのが 「論理」と 「直感」です。 論理がデータや数字をもとにした合理性を軸にするのに対し、直感は「美しさ」や「楽しさ」といった主観が意思決定に大きな影響を及ぼします。 これまでの社会では、物質的にもインフラ的にも「不満・不便・不安」が噴出していたため、多くの企業では正しく問題を解決するための論理を優先する傾向にありました。 ですが、安全かつ快適に暮らせる社会がほぼ実現した現在、「より豊かな暮らし」へと導く直感による意思決定の重要性が様々な場で語られています。 論理と直感を、どうバランスよく調和させていくか? 今回は、この大きなテーマに奮闘しながら、パラレルキャリアで働くメンバーを紹介します。 サマンサタバサジャパン リミテッドで非常勤取締役を勤めながら、Oisix ra daichiにてSpecial PlannerとPeople's Adviserという肩書きを持つ 世永亜実さんです。 人の心をワクワクさせるアパレルの世界と、毎日の生活に欠かせないライフラインである食の世界を行ったり来たりしながら、両方の世界をどうしたらよくできるか自問自答している世永さん。 現状で感じている課題や、これからの展望について話を聞いてみました。 === 自然体の自分で働けることの新鮮さ ーー 世永さんは、ミランダ・カーなどの海外セレブを起用した広告をはじめ、長年『サマンサタバサ』の世界観づくりを牽引されてきましたよね。 サマンサタバサの役員である世永さんが、Oisix ra daichiに入社し、パラレルキャリアで働くようになった経緯から教えてください。 世永さん: 実は、約17年間、がむしゃらに働いてきたサマンサタバサをすっぱり辞めて、まったく新しいことをはじめようかと思っていたんです。 まだ社員数が十数名の頃のサマンサタバサに入社し、目の前の課題に必死で取り組み、会社の成長とともに走り続けてきました。 ですが、40歳を迎えた頃から、 これまでの経験を活かして、社会貢献する新しく挑戦をしてみたい気持ちが強くなってきたんです。 そんなタイミングで、たまたまOisix ra daichiの役員の方々とお会いする機会があったのですが、その時の光景は今でも記憶に残っています。 これからの旬は小松菜。 今年の小松菜の味はやばい!よし、小松菜。 小松菜だな!やったー!そんな感じの会話でした。 男性の役員のみなさんが、小松菜について熱く語りあっているんですよ(笑)。 世永亜実さん。 大学卒業後、芸能プロダクションのアミューズ勤務を経て、2002年にサマンサタバサジャパンリミテッドに転職。 同社のブランディングやマーケティングを統括。 2008年に執行役員、2012年に上席執行役員に就任。 2007年に長男、2011年に長女を出産。 2019年、新しい働き方へ転向し、パラレルキャリアを実現。 世永さん: 私は、保育士になりたかったくらい子どもが好きなんです。 だから、子育てに時間を割くのは苦じゃないし、できればもっと時間を使いたいくらいです。 家事も料理も好きで、家庭にいる時間が大切なんです。 そんな私にとって、ものすごく家庭的な話をビジネスの場で熱心に語っている姿はとても魅力的に映りました。 ここで働くと、主婦としての自分を仕事でも活かせるのではないかと。 これまで職場にいる自分と家庭にいる自分は別物と割り切っていたので、そんな発想は全くなかったんですよね。 また、Oisix ra daichiのみなさんが口にしていた 「社会問題をビジネスのチカラで解決するのが僕たちの存在意義」という言葉もすっと心に入ってきました。 ここでなら、社会貢献しながら、自分らしい働き方ができそうと自然と思うようになりました。 異なる組織に同時に属することで広がる世界 ーー 確かにOisixは働くママのお客様が多いですし、世永さんの主婦としての感覚が仕事にも活きそうですよね。 また、働き方として「パラレルキャリア」を選ばれた理由は何なんでしょうか? 世永さん: 実は、仕事自体をすっぱり辞めて、一度は主婦に専念しようと思った時期もあったんですよ。 先ほどお伝えしたように、私にとって家庭にいる時間は大切ですし、ちょうど息子が小学校卒業間近で、一緒にいられるのは今だけだと思ったので。 サマンサタバサの役員メンバーにその旨を告げると、私の気持ちを理解したうえで、「非常勤でもいいので、サマンサの母として、これからもサマンサタバサに関わり続けてほしい」と言葉をいただきました。 私にとってサマンサタバサは我が子のような大切な存在なので、その申し出は純粋に嬉しかったですね。 Oisix ra daichiで新しいチャレンジをしたいけれど、サマンサタバサとの関係も続けたいと、Oisix ra daichiの社長であり、私の上長でもある宏平さん(高島宏平)に相談すると、「それならパラレルキャリアでやってみては?」と提案してくれました。 どちらかを切り捨てるのではなく、挑戦したいなら両方やってみればいいと、背中を押してくれたんです。 今でも、サマンサタバサのメンバーとは毎日のように連絡をとっていますし、必要な時は出社もしています。 そういう働き方を理解し、認めてくれるOisix ra daichiのメンバーには本当に感謝しています。 世永さん: Oisix ra daichiの役員には、パラレルキャリアで働いているメンバーも多いですよね。 COO(Chief Operating Officer)の だったり、CMT(Chief Marketing Technologist)の だったり。 私は、この働き方を応援してくれる風土は素晴らしいと思っています。 異なる業界や文化の会社に同時に身を置くことで、自分の視野がものすごく広がっている感覚があるんですね。 Oisix ra daichiで働くことで気づけなかったサマンサタバサの強みや課題を発見したり、サマンサタバサで得たことをコチラで活かすこともでき、いい循環を感じています。 ひとつの場所にいると、問題の解き方はひとつだと思ってしまいます。 でも、実は様々な選択肢がある。 パラレルキャリアは新しい働き方として社会にもっと認められていいと思うし、そういう働き方をしたいメンバーが現れた時に応援できる存在でありたいです。 直感を出発点にするか、論理で積み上げるか? ーー 実際にパラレルキャリアをはじめてみて、戸惑いや新鮮さを感じる部分はありましたか? 世永さん: 正直、毎日が驚きの連続でした。 私はOisixで扱っている米国発のヴィーガンミールキット『』のプロモーションや、Oisixと様々な企業とのコラボ企画などを担当していますが、 仕事の進め方がサマンサタバサと全く違ったんです。 サマンサタバサでは、「こんなものがあれば、きっとお客様も喜んでくれる!」という直感から企画がはじまり、それを磨いて自信をもった状態で世に送り出します。 一方、Oisixではお客様からフィードバックをいただいた声をベースに企画を考え、細かい改善を繰り返し、品質を積み上げていく思想が根本にあります。 わかりやすく言うと、 サマンサタバサでは「直感」がものごとの出発点になっていたのに対し、Oisixは「論理」で価値を積み上げていく文化だと感じました。 世永さん: Oisixで会議をすると 「エビデンス」という言葉が頻繁に登場します。 お客様の声やデータなど、その施策を行うべき根拠となる証拠を意味していて、自分たちの仕事がお客様のどんな課題解決に繋がっているかを全員が意識しているんですね。 会社の行動指針のひとつに 「ベストを尽くすな、Missionを成し遂げろ」とありますが、Missionが何で、それを成し遂げることがなぜ重要かを問うことから毎回はじめるんです。 Oisix ra daichiは顧客視点を大切にしている企業と聞いていましたが、ここまで意識づけしていると思っていなかったので驚きましたし、感動しました。 徹底的にお客様の課題と向き合う文化が醸成されているからこそ、毎日の食というライフラインを担うサービスとして、多くのお客様に支持されてきたのだと理解しました。 どう冷静と情熱を掛け合わせていくか? ーー 働くなかで、サマンサタバサとのギャップに苦労されたりしませんでしたか? 世永さん: 最初はなかなか馴染めず悩みましたし、そもそも私は論理的にものごとを考えるのが得意なタイプではありません(笑)。 これまで自分の直感を大切に仕事をしてきましたし、それが私の得意なスタイルだと思ってもいるので。 でも、Oisix ra daichiは直感を軽視しているわけでもなく、宏平さんを見ていても、 論理と直感をバランスよく調和しているように思います。 論理を最大限に用いても、はっきりしない問題に対しては、最後は直感による意思決定が必要ですからね。 Oisix ra daichiで働くには論理的思考で考えられるようにならねばと身構た時期もありましたが、 必要に合わせて思考を使い分けることが大切だと気づきました。 Oisix ra daichi流の問題解決法を学びつつ、私がやってきた直感を軸としたアプローチをうまく活かしていきたいと考えています。 ーー どういう場面で、直感を活かしたアプローチが必要になりそうだと思われますか? 世永さん: 例えば、情緒的価値を提供する際には、「こういうことをすれば、お客様も素敵だと思ってくれるはず」という直感が重要になると思います。 お客様の声からヒントを得ることもできますが、お客様の感動を生むためには、エビデンスとして明確になっていない心の声に思いを馳せる必要があるからです。 Oisixは安心安全で美味しい食生活をサポートすることにとどまらず、「Oisixのおかげで、毎日の食卓が楽しくなった」とお客様から言われる存在を目指していますよね。 そういう心のワクワクを届けていくには、 自分の直感を信じる勇気が求められるし、その熱量をメンバーと共有し盛り上げていく情熱が何より大切です。 とはいえ、情熱だけでは空回りする可能性がありますし、論理を持って施策の精度を高めることも重要です。 論理を積み上げていく「冷静さ」と、自分の直感を信じぬく「情熱」。 この両方を持っているチームが、これから価値を発揮していくと私は感じます。 Oisixをより愛される存在にしたい ーー 最後に、今後の展望を聞かせてください! 世永さん: 私には、同じ時代を戦ってきたママファイターの友人が大勢います。 年齢を重ねるにつれて、「継続的な社会にするために、私たちができることは何か?」と話すことも増えてきました。 そういった素敵な女性たちから、より愛される存在にOisixをしていきたいです。 実際、私の友人にはOisixの利用者が多く、Oisixのある暮らしを楽しんでいます。 こんなに愛されているサービスは世の中的にも珍しいと思いますし、それをもっと輝かせていきたいです。 そのためにも、 論理と直感をバランスよく調和させて、広い視野でビジネスを考えられる自分でありたいですね。 理想の状態にはまだ程遠いですが(笑)、日々勉強しながら、前進していきたいと思っています。 === 【お知らせ】世永さん初の著書が発売中! 世永さんにとって初の著書 が2020年7月13日に発売となりました。 社員の平均年齢27歳、女性9割のサマンサタバサで、執行役員を10年以上務めてきた経験をもとに、女性が生き生きと働くためにリーダーができることを一冊にまとめています。 働く女性たちへのラブレター、そして、女性たちと共に働く上司の皆様への応援歌的な本になったと世永さんは言います。 女性だけでなく、メンバーの背中を押していきたいリーダーの人には学べるヒントが多く掲載されているので、是非読んでみてください。 ・・・ Oisix ra daichiは、仲間を募集しています! 多くの人が、安全でおいしい食卓を笑顔で囲むために。 食を作る人が、報われ、誇りを持てる仕組みを構築するために。 Oisix ra daichiは 「これからの食卓、これからの畑」を理念に、食べる人と作る人を繋ぎ、持続可能な社会を実現するため、これまで誰もやったことのない事業に果敢にチャレンジしてきました。 2000年からインターネットで野菜を販売したり… 忙しいお母さんに向け、ミールキットを開発したり… 買い物難民の自宅に宅配スーパーをしたり… 様々な食の社会課題に対し、ビジネスというアプローチで変化を創り出す 「Change Maker」になる。 これが私たちが大切にしてきたことです。 そんなOisix ra daichiでは、Change Makerとして共に働く仲間を大募集しています。 カジュアルな面談の場を通じて、業務の内容などを説明していく機会も設けています。

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株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド 育児をしながらキャリアアップ↑|アパレル・ファッション業界の求人、転職ならクリーデンス

サマンサタバサ 世永亜実

生産管理 部長 原岡浩平 「オレはゆくゆく会社を興す。 その時は一緒にビジネスをやろう!」 広島県福山での高校時代、同級生である寺田にそう熱く語りかけられたのが原岡浩平である。 下校後は毎日のように一緒に遊び、夏休みには男ばかり10人でキャンプを楽しんだ仲間同士。 当時から友人を「将来一緒に仕事ができるかどうか」で見極めていたという寺田に見込まれた男である。 その原岡は高校時代の寺田について、こう語る。 「当時から寺田は抜群のリーダーシップを発揮して、常にグループの中心にいました。 人のことをよく見て、相手がどうしたら喜んでくれるか、どうすればグループがうまくいくのかと心配してくれる優しさがあった。 それは今も昔もまったく変わりません」 高校卒業後は別々の道を歩んだが、12年前、電気メーカーのグループ会社でIT関係の仕事に就いていた原岡に、遂に寺田から「今こそ一緒に」との声がかかる。 子供が生まれたばかりの時期でもあり、周囲は反対したが、原岡に迷いはなかった。 かくして二人は高校時代の夢を果たすこととなる。 「当時はまだ社員十数名の会社でしたが、『やるぞ!』という活気がみなぎっていた。 私も経理以外はほぼすべての仕事をしました。 まったく違う業種に飛び込んで、一からの勉強でしたが、寺田の決して妥協せず、自分自身に一番厳しく向き合う姿勢に多くを学びながら、夢中で働きましたね」 現在、原岡は生産管理を統括。 商品の発注・納品・出荷、クオリティやデータの管理から、店舗と自社ブランドの拡大などマルチに活躍している。 その原岡がサマンサタバサの強みと考えるのが、バッグの製作を委託するメーカーとの強力なパートナーシップ。 「サマンサタバサは日本のメーカーが培ってきたノウハウを活かしたジャパンブランド。 だからバッグメーカー十数社はすべて国内。 創業以来変わらない顔ぶれです。 お客様が喜んでくれる品物を提供することで共に利益を上げて豊かになる。 だからバッグメーカーの会社説明会や採用面接の会場探しを手伝ったりすることもあるんです」 メーカーとの毎週、毎月の打ち合わせや年4回の生産ミーティング。 ブランド長やデザイナー、プレスチームとのブランドミーティング。 そうしたきめ細かな作業を積み重ねて目指すのが、原岡の言う「お客に喜んでもらえる良い品物」。 1シーズンに100シリーズもの商品を並べるコンセプトも、顧客がいつ何度店を訪れても常に新しい商品との出会いを楽しめるようにという願いゆえ。 そしてさらなる目標は世界ブランドとなることである。 「そのためにも今後は、どうしたらお客様に喜んでもらえるかをさらにしっかりと考え、進めていきます。 それに、より力を入れていくことが必要ですね」 サマンサタバサには寺田自身が行なう男性社員向けの研修がある。 原岡自身、その研修は「目からウロコだった」と語るが、実際、元は親友同士の寺田と原岡の? 「今では寺田はトップとして、私は社員の一人として、各々の役割があり、表面的には友人関係ではありません。 でも夢を実現して寺田と共に邁進できる私は、本当に幸せ者だと思います」 人生最良にして最高の出会い プレスグループ 部長代理 世永亜実 「前の仕事よりも1円でもお給料が安かったら、入社しません!」 5年半前の入社面接で世永亜実はそう言い放った。 それを怒るどころか「生意気で面白い。 やってみなよ」と受け止めたのが寺田である。 「今では顔から火が出る」と言う世永は、また「でもそれは『自分の発言に対して責任を持て』ということだったんですね」。 入社と同時にヒルトン姉妹とのコラボレーションが始まり、世永は姉妹の担当となる。 当時は共に若く無名。 来日する姉妹を空港へ迎えに行き、ホテルへ送る。 そんな毎日が刺激的だったという世永は夜中までガムシャラに働いた。 夢中で働いて寺田に『仕事で100点を取るな!帰れ!』と叱られ、帰宅するふりをして社に戻り、夜明けまで働いたこともある。 「疲れて力尽き、パソコンを枕に寝ているのを寺田に見つかり、『何やってんだー!』と怒られたこともあります(笑)」。 そう笑う世永は自分達を? 「会社の規模が小さかった頃は寺田の車の助手席に乗って、仕事のやり方について相談したりできました。 そのうち思わず私が泣き出してしまい、車を停めて延々話し合ったこともあります。 今は寺田の目的地まで同乗して打ち合わせをするのがやっとですから」 そんな時代を経てプレスとして成長した世永が語るサマンサタバサの宣伝コンセプトは明確だ。 代理店もアートディレクターも入れず、広告撮影もすべて自分達の手で行なうのは、型にはまった宣伝でなく、血の通った愛情ある等身大の宣伝がしたいからである。 「根本にあるのは商品への愛情。 デザイナーが一生懸命作った品物を多くの人に知ってほしい。 たとえばビヨンセをプロモーション・モデルに起用する場合も、ただビヨンセを使った広告ではなく、ビヨンセにサマンサタバサのバッグを好きになってほしい。 そのビヨンセをみんなにも知って好きになってほしい。 そんな時も寺田の前向きさに救われてきたと世永は語る。 「寺田は常々『ピンチの時にチャンスがある』と言う通り、私が焦っていると『チャンス、チャンス』。 失敗した時は『よかったじゃん。 それに気づけて』と言ってくれます。 まだ若かった私にプレスという責任ある仕事を任せてくれた勇気、いつも無言で見守ってくれた頼もしさにも感謝しています。 すべての人それぞれに合ったタイミングで舞台を与え、自由にパフォーマンスさせるプロデュース力はすごいですね」 そんな寺田のことを世永は「胸を張って世で一番尊敬できると言えるビジネスマン」と言い切り、寺田との出会いを「人生最良にして最高の出会い」と語る。 その出会いによって人生のすべてが変わり、今は仕事も人生もすべてが楽しいと言う世永。 その充実感のもう一つの源は7カ月になる長男だ。 「家では仕事の電話をしながら子供をあやし、洗濯機を回してますよ(笑)。 私は仕事も、家事や育児も両方やっているのが合っているんです」 そんな世永を力強く支援しているのが、総務の小宮山らの奮闘によりオープンしたサマンサタバサの託児所だ。 出産後3カ月で職場復帰した世永の長男は、託児所の入所ベビー第一号。 今は3時間ごとに階下の託児所へ向かい、授乳している。 授乳の時間でなくても、世永を託児所へ誘いに来るのが寺田だ。 「子供の顔を見に行こうって(笑)。 そんな社長の下で、子供のそばで安心して働ける私は恵まれていますよね」 プレスの顔から一瞬、母の顔に戻って、世永は微笑んだ。 男が男に惚れた!この会社に骨を埋めると決意 海外事業 部長代理 総務 採用担当 中岡俊也 ヴィクトリア・ベッカムやビヨンセ、ペネロペ・クルスらセレブとのコラボレーションを行なう海外事業、そして年々飛躍的に増える採用の担当。 中岡俊也はその二足のわらじを履きこなし、日本を世界を駆けめぐる。 アメリカン航空、カンタス航空に勤めた後、98年にサマンサタバサ入社。 ほぼ同い年で、会社を興して社長を務める寺田に憧れ、「いつかは自分も起業を!」との思いを抱いての転職であった。 だが入社後すぐ寺田の強烈なリーダーシップと求心力、統率力に圧倒されることとなる。 「目指すは世界ブランドでも、寺田は精神的には心と心でつながる浪花節。 すべて自分達の力でダイレクトに行なう。 それは緊密な人間関係を築き、同じ目線で握手してくれる人と仕事をしたいと願うからである。 その体制の下、中岡は契約や商品開発のための海外出張の手配やスケジュール管理、セレブの来日時の交通手配やプレス発表、インタビュー、警備警護などを担当する。 もちろん自ら海外出張もするが、今まで特に印象的だったのが一昨年、ペネロペ&モニカ・クルス姉妹とのマドリードでの初対面だったという。 「マネジャーと我々だけのランチだと思っていたら、ペネロペとモニカ、弟やその彼女などファミリーが勢ぞろい。 スペインでは『客は家族同様に』という考え方があるらしいのですが、家族ぐるみの歓迎に『絶対に成功させよう!』と思いましたね。 ペネロペ姉妹はバッグの商品開発もキャッキャッと実に楽しそうにやってくれましたよ」 また中岡は2006年11月のニューヨーク出店までのオペレーションにも携わった。 これを北米進出の第一歩として、今後も虎視眈々とタイミングを見計らい、精査しながらグローバルな展開を目指す。 またその一方で注力するのが人材の採用である。 新卒採用を開始した05年は60人、06年が120人、07年189人、08年は220人と新卒の採用は飛躍的に伸びているが、採用の決め手となるのは「素直であること、嘘をつかない人であること」である。 「謙虚で素直で、人の言うことをまっすぐ聞ける人間性。 社内教育では培えないその土台がある人、いい人の原石を採用することが私の使命。 以前は寺田と一緒に面接をしていましたから、寺田の人の見方もわかってきました」 そう語る中岡が見るサマンサタバサの社内はチームワーク上々。 「イベントまであと一週間となると『うりゃーっ!』と取り組んで結果を残す集中力、チームワークは抜群ですよ。 うちは社内恋愛禁止、給湯室トーク禁止なんですが、これもひそひそ話が噂を呼んで、尾ひれがついたり、派閥ができたりするのを防ぐためなんです」 こうして中岡が採用した人材に寺田が常々求めるのは「自ら感じて、考えて、行動する」こと。 たとえば社内に辛そうな人がいたらそれを感じ取り、「なぜか」と考え、本人か上司と話し合うなど行動せよということである。 「『無関心になるな』ということですね。 それは寺田に徹底的に言われましたよ。 多すぎて覚えていられないくらい叱られたしね。 でも寺田のすごいところは人を叱る時でも、相手に合わせ、思いやって叱り方を変えるところ。 『この会社に入った以上、幸せにするのはオレの仕事だ!』という兄貴的な愛情があふれているんです」そう語る中岡には、今やまったく起業への憧れはない。 「この会社に骨を埋めますよ。 寺田には『そろそろ卒業しろよ』なんて冗談言われてますが(笑)」 この快適に働き続けられる環境作り。 総務 部長代理 小宮山香織 サマンサタバサが代理店として輸入・卸を手がけ、まだ店舗もなかった10年前を知る女性社員、それが小宮山香織である。 総務もプレスもなかった時代、デザイン以外8~9足のわらじを履いて、寺田と共に突っ走ってきた。 「以前はデザイナーも一人しかおらず、雑誌もこちらからアプローチしないと掲載してくれませんでした。 家の押入れを整理すると今でも昔のバッグが出てきますが、絶対に捨てられませんね。 そんな大変な頃の経験を若い社員に継承していくことが大切だと思います」 そう語る小宮山は現在、総務の要として会社を切り回す。 「ペン1本、電球1個まで細かい仕事も私の担当。 でも頼ってもらえるのは嬉しい」と笑う小宮山。 その原動力は「社員みんなにとっていい環境を作りたい」との思いである。 その一つが昨年秋にスタートした社内託児所。 都庁への申請や書類作りなどに奮闘したのが小宮山であった。 「サマンサタバサの販売スタッフは若いけれど優秀な女性ばかりです。 その人達が出産したからといって仕事を続けられないのは悲しい。 だから託児室や男性の育児休業など社員が働き続けられる仕組みと選択肢を増やしてあげたいんです。 大勢の人の協力でやっと託児所へ都庁の承認が下り、寺田から『香織のおかげだよ』とねぎらってもらった時は嬉しかったですね」 社員旅行や新年会、12月の寺田の誕生日など社内のイベントにも心を尽くす。 そのモットーは「お金をかけずに手作り」。 07年の夏の沖縄旅行では宴会会場に櫓を組み、さらしを巻いた寺田が太鼓のバチを振るい、男性社員が盆踊りを披露した。 全社員が楽しみにするイベントの相談をする時にも、小宮山は寺田のアイディアに感心した。 「たとえば『今年の新年会は屋形船にします』と言うと、寺田は『みんな年に一度着飾って来るのを楽しみにしてるんだから、屋形船じゃない方がいいよ』。 その通りですよね。 常にどうしたらみんなが一番喜んでくれるかを考えてくれる。 だから私達も毎年毎年よりよいものを一生懸命考えないと」 寺田が長いつき合いの小宮山を驚かせることはまだまだ多い。 たとえば10年前からまったく変わらぬ優しさ。 相手の立場に立ち、女性の気持ちを汲んでくれる心遣いだ。 そんな寺田の優しさはサマンサタバサが準社員として雇用している障害者にも向けられている。 「寺田が障害のある子達に『食べる?あげる!』とリンゴを配ったことがあります。 みんな喜んで、手にぎゅっと包んだまま帰った子もいました。 また寺田の著者をあげた時は『漢字が読めないので、お父さんに読んでもらいました』『社長はすごいと思います。 本をくれて嬉しかったです』なんてお手紙をくれたりね。 寺田の優しさと、サマンサで働く喜びを味わってほしいという思いが伝わっているのでしょうね」 そんな優しさの一方、チャレンジする勇気を持ち、一つの物事を多角的に見つめてあふれんばかりの意見やアイディアを生み出す寺田を尊敬するという小宮山。 「記憶力もすごくいいから、同じ失敗を繰り返すと『それ、二度目だよね』って言われてしまいます」と苦笑する。 だが、そんな尊敬すべき寺田に気軽に物を言えるのも、いわば10年選手である小宮山の特権である。 「寺田が『具合が悪いんだよ。 病気かも』なんて言うと、みんな『大丈夫ですか?』『病院へ行った方がいいですよ』と言うけど、私は『絶対違いますよ。 元気でないと大好きなカレーライス食べられないですよ』なんて(笑)。 本当は心配だけど、寺田にはいつも明るくあってほしいですから。 こんなのは私にしかできないことでしょうね」 頼もしく大らかに社内を取り仕切る小宮山はそう言って楽しそうに笑った。

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