とらドラ 結末。 小説『とらドラ!』の魅力、名言を全10巻分ネタバレ考察!

【ネタバレ注意】聖なるオタクが感動したアニメ「とらドラ!」とは?

とらドラ 結末

とらドラ!【第6巻】あらすじ まず、クラスで出し物決めをする。 なぜか「プロレスショー(ガチ)」という、あんまりボーイミーツガール青春ラブコメでそれはどうなのかな……というネタが(原作者により)チョイスされる。 ちなみに、本当にプロレスをやる。 大河と亜美が。 女子プロレスである。 あとミスコンをやる。 ベタにミスコンをやる。 もちろん、大河は出る。 メインヒロインなのだから当然だ。 ちなみに亜美ちゃんはなぜか司会。 ボンテージに鞭、というファッションで。 亜美様、開き直って女王様キャラを前面に押し出し始めています。 あらすじ的には、大河のアピールタイムの途中で、次巻へ続く、になる。 とらドラ!【第6巻】ネタバレ 「あらすじ」では文化祭の話しかしなかったが、この巻の真の主題はそこにはない。 6巻の裏テーマは、「親と子の物語」だ。 大河の、父親が登場するのである。 大河の屈折した性格がいかに育まれたのか、大河のでっかいマンションのひろーい一室に一人寂しく暮らしていた少女の孤独はいかに形成されていったのか。 そして、父無し子である竜児は、彼自身どのような孤独を抱えていたのか。 それが複雑に絡み合い、もつれ合い、悲劇的なひとつの、小さな結末を招く。 ハッピーエンドはここにはない。 人生のすべての要素が、ハッピーエンドばかりで終わるわけではない。 これは、そういう物語だ。 さて、ネタバレのはずなのだが、まったくネタをバラしていなかった。 説明していこう。 大河と父親は険悪である。 基本情報からいくと、まず、大河の両親は離婚している。 親権は父親が取った。 で、父親と暮らしていたのだが、それが再婚した。 継母と大河は、折り合いが悪かった。 ある日、「こんな家出ていきたい」と言ったら、父親は、大河に高級マンションの一室をぽんと貸し与え、要するに、本当に追い出した。 そこで暮らしている中で竜児に出会い、彼との関係に救いを見出していく—というのが大河というヒロインの物語の大筋であるわけだが、結局のところ、大河と父親の関係はどうなるのか? これが、どうにもならないのである。 大河の父は、どうしようもないクズ、性格破綻者としてのみ描かれる。 シリーズの結末で、大河は実母との関係を再構築し、実母と継父の家庭に収まるという終幕に至るのだが、 実の父親との関係は最後まで修復されない。 だが、この時点では、竜児はそんなことは知らない。 大河は、もう薄々「この父親とはダメだ」と悟っているのだが。 この巻の途中で、竜児は大河の父親と対面する。 そして、「娘と仲直りしたいんだけど」などというような話をされる。 竜児は、大河の父親を信じてしまう。 竜児には父親がいない。 ちなみにアニメ版では、竜児の父は竜児が生まれもしないうちに竜児の母を捨てた、という設定になっている。 原作では、竜児の父親がどうしなったのかについては、とうとう最後まで明かされない。 このコミカライズでは、どうなるのかは分からない。 だが、とにかく、竜児は父親が欲しいのである。 それが、竜児の孤独だった。 そして、それは己のエゴだということに気付かぬまま、大河とその父の関係を修復させようと、尽力を始める。 間は飛ばそう。 大河は、竜児の孤独を知り、それが竜児の為の代理行為に過ぎないということを理解しつつも、父親が自分に差し出した手を取ってしまう。 そして、裏切られる。 文化祭に来てね、待ってるから、という娘の嘆願を、 クズ親父は踏み躙る。 そして、大河の父は、それっきり物語の中に姿を見せることは、ついにないのである。 とらドラ!【第6巻】感想 この巻は、重い。 とにかく重い。 そして、エグく心の深いところに刺さってくる。 エンターテイメントではない。 だからあんまり何度も読み返したいというものではない。 特に、大河とその父親にまつわるシーンは、何度読み返しても胸が痛い。 とはいえ、原作にある話なのだからコミカイライズしないわけにもいかないのであり、原作で原作者が訴えたかった、これも重要なテーマの一つではあるのだ。 とらドラ!は、単なるありきたりな、 「ライトな」娯楽作品ではない。 人間ドラマなのである。 それを象徴するのがこの巻だ。

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とらドラ!の感想/考察/ネタバレ

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説得力のある文章を書きたいというあなた! 誰かを「そそる」文章を書きたいというあなた! 文章の 「書き出し」に工夫をしてみてはいかがですか? 書き出しは、ポップソングでいえば「開始10秒のイントロ」、漫才でいえば「つかみのボケ」、飲み会でいえば「一杯目のビール」。 読み手のハートをぐっと捉えて期待感をあおるという、非常に重要な役割を持っています。 他の人が書かないような書き出し、ひとヒネリ加えた書き出しを身に付けたいのなら、 文学作品を参考にするのが一番です。 今回は、昭和の文学作品を題材に、思わず「こんなのアリ?」とのけぞってしまうような「反則テク」を5パターン紹介いたします。 太宰、三島、芥川…大作家たちの書き出しテクまとめ 1. 定番ネタをいじくろう!(安部公房『壁』) いかにも小説らしい、定番の書き出し文といえば、 「朝、目がさめると…」というもの。 目覚めの瞬間から小説を書き出すのは、鉄板テクともいえますね。 有名なところでいえば、 フランツ・カフカの『変身』。 「目がさめるとベッドの上で大きな毒虫になっていた」というあまりにも唐突な冒頭文は、文学ファンならずとも耳にしたことがあるのでは? 他にも大ベストセラー 『世界の中心で愛を叫ぶ』の冒頭文、「朝、目が覚めると泣いていた。 いつものことだ。 」などなど、 「どいつもこいつも目覚めすぎ!」と食傷気味になるくらい、目覚めの情景から始まる小説は枚挙にいとまがありませんね。 安部公房の 『壁』の冒頭文もまた、 「目を覚ましました。 」という、ど直球の冒頭文から始まります。 語り手はそれを「いつもあること」と認めていますが、「毒虫に変身していること」や「泣いていること」がいつものことだというのではなく、あくまでも「目を覚ます=いつものこと」という、当たり前の確認をしているのです。 そのうえで語り手は、 「しかし、なにが変なのでしょう?」という、意味が通っているようで通っていないような疑問を投げかけます。 なんだか、すごく変なことが起こりそうな気がしませんか?(実際に変なことばかり起こります) 2. 「誕生秘話」を疑え!(三島由紀夫『仮面の告白』) 一人称小説が引き起こす最大の矛盾のひとつとして、「 作中の時間経過と時制表現のズレ」があります。 語り手自身の「誕生」から「成長後(現在)」までを物語るような、タイムスパンの長い小説ならなおさらのことです。 ここでもし仮に、「私が生まれた(I was born)」と語り手であるデイヴィッド自身がいったなら、彼はその出来事をいったいいつ語っていることになるのでしょうか。 作中のすべての出来事が終わってから? それとも誕生した直後? いずれの場合にしても、〈「書く」という行為〉と〈作中人物が認識可能な時間〉とのあいだに、論理的な飛躍が生まれてしまうのが「小説」という形式の矛盾なのです。 そんな矛盾をふまえてか、J. サリンジャーの代表作、 『ライ麦畑でつかまえて』の冒頭文では、出生から現在にいたるまでの自伝的・回顧的内容について小説がやたら語りたがることを、一人称の語り手自らが 「デイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれ」と一蹴しています。 さて、前置きが長くなりましたが、三島由紀夫の 『仮面の告白』の冒頭文には 「私は自分が生まれたときの光景を見たことがある」との記述があります。 とんでもなくウソ臭い告白ですよね? 周囲の大人の反応も、ある程度しかたのないことなのかもしれません。 しかし、そのウソ臭さこそが、小説の語りの本質なのかもしれないと、改めて考えさせてくれる冒頭文です。

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小説『とらドラ!』の魅力、名言を全10巻分ネタバレ考察!

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先週のお題が「わたしの本棚」で、漫画や本をいくつかご紹介させていただきました。 でももう一個、語っておきたいシリーズの本があるので今回ご紹介させてください。 ってやっぱりめちゃくちゃいいよね はい!です。 私がはじめてシリーズ全巻集めて隅々まで読めた唯一の本。 本・活字が苦手な人でも読みやすい 本当に活字という活字が苦手で、小説読むのなんて全然続かなかった。 昔朝読書が必ずあって、野球にハマってたときに「バッテリー」とか読んでたけどこれも続かず。 というか、バッテリーがだんだんホモに見えてきてしまって見れなくなったのもある。 一冊読むのにも一苦労だったあの頃。 そんな私がこのだけは読めました。 なんでかっていうとはじめにアニメを全話見ていたから。 いつも活字読んで想像して、ああ、こういうことかって理解して読み進めるタイプなので・・・ すでにアニメを見ていた私にとっては、声も姿も情景も全て思い浮かんでいた。 もちろん大河はだし、はだ。 たぶん小説とか好きな人ってこういう情景ごと自分なりに解釈して想像するのが好きなんだと思うけど、私は別にそんなことない。 むしろアニメが好きで小説を読んだから、そのアニメを軸にもっと事細かに展開されていく小説がおもしろかった。 「アニメ」では物足りなかった 先ほどにも綴ったように事細かに展開されていく小説がおもしろかったのです。 そう、事細かに。 アニメの、とってもおもしろかったんだけど、特に最後・・・が何を考えているのかさっぱりわからん。 なんならって悪者なんじゃないか、どんどん進んでいくにつれてって・・・わーわー騒ぎ立てて、結局、何がしたいの・・・って。 そこでその辺も気になったことだし、原作である小説を見てみよう!と思ったのがきっかけ。 アニメとは 『』は2008年10月から2クールにわたって放送されたアニメ作品。 さんの原作は累計300万部突破の人気作で、が出しているガイドブック『このがすごい』にもたびたびランクインしています。 青春時代らしい葛藤を抱えた個性豊かなキャラクターと、彼らの恋愛劇が多くの感動を呼んだ作品です。 原作もいい、絵もいい、声もいい、動きもいい、音楽もいい・・・ アニメ自体は高評価だったんじゃないかと思います。 もちろん高評価な分、否定的な話も多いですが。 私はそのアニメに対しての批評に関しては全て原作が解決してくれたものだと思っています。 確かに私も批評としてはあった。 だから物足りなかった。 でも原作を読んだら全てすんなりと受け入れられたし、アニメがさらに面白く感じられた。 (アニメ2周して、原作読んで、さらにまたアニメを2周して、を繰り返しているほど見ています。 ) そのくらい原作では、アニメじゃ描ききれなかった全てのキャラの心情が読み取れる 大人で有名な亜美ちゃんの心情は上手い感じに描かれてると思いますが…それさえも更にぐっと心が近寄ります。 みのりもしかり。 ってほんとに好きだったの?なんで大河に怒ったの?なんで竜児に怒って、なんなの幽霊って…! よくわからなかった気持ちも露わになります。 そして大河。 なにより大河の想いってどれだけ重要なんだと思う。 亜美ちゃんは最初大河のこと嫌いだったけど、なぜなら自分をさらけ出しても愛してくれる人がいるから、でもそうじゃないってわかって、でも大河の気持ちを知ってるのは私しかいないから、って見守るようになって… そんな大河だからこそ、小さな体で1人で抱えてることって、実はものすごく多いんですよね。 それは恋愛のこと、友達のこと以上に、家族のことかもしれない。 だからこそ、大河の気持ちが読み取れる原作はものすごく泣けましたね… ていうか大河どんだけいい子なの…すき… しかも、進路とか悩み始めた高校生の時に読んでたからなおさら共感。 最終回間際の親と子の話は見物です。 ちなみにゴールデンタイムもなかなか面白かったです。 原作者のさんは女性。 だから心理描写とか異常なまでにうまいんですよね。 ところどころらしいギャグ要素なんかも散りばめられてて、本当にちょうど良く読めます。 ゴールデンタイムもなかなか良かったけど、やっぱりが本当に良かったなあ。 misallychan.

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