羅生門 下 人 その後。 映画『羅生門』あらすじと解説/ここが見どころ!

下人の変化の象徴「羅生門」芥川が仕掛けた門の役割を考察してみた

羅生門 下 人 その後

【高1・現代文】羅生門 下人のその後の行方について【想像】 高校1年です。 現代文で羅生門(芥川龍之介)を習っています。 下人のその後の行方について創作作文を書かなければならないので 皆さんが下人のその後をどのように想像しているのか参考程度に知りたいです。 また、最後の一文は、雑誌初出時と今では文が変わっているそうですが、 芥川龍之介は何を意図して書き直したのでしょうか?? できるだけ多くの回答お待ちしています。 補足gardenhomaheさん 残念ながら日比谷生ではありません。 そんなに頭良くないです; 芥川は下人に悪を見出すという様な道徳心や功徳心を描出したかったわけではないでしょう。 例えば、サバンナのハイエナは生きるために知恵の利いた生き方をしていますね。 人間獣というものを想像すれば、下人は驚くに足らぬ、何でもない生き方をしているのです。 従って、彼の行為には悪も愚劣さも伴わない。 ただ生きるために生きているのです。 その後なんて想像するのも退屈な位、何てことのない人生を過ごすのでしょうが、創作なら、それは君の感受性の問題だから、煮るなり焼くなりして味を付けてやればいいことです。 最後の一文は芥川の趣味でしょう。 余韻を含ませることで、「生きるために生きる」という鬱屈としたテーマの小話の最後に、申し訳程度の彩りを添えたかったのではないでしょうか。 私はそういう風に解釈していますが、ご参考までに。 黒洞々たる夜を歩く下人は、自分が発熱しているのに気づいた。 やがて咳き込み、全身の関節が痛んみはじめた。 羅生門で老婆と問答しているあいだに、疫病をうつされたらしい。 下人の足取りは重くなり、夜があける頃には、通りの家の軒下にうずくまっていた。 やがて意識は朦朧とし、遠くなっていった。 朝になると、家の住人が眼を覚まして、家の前に倒れている下人に気づいた。 住人は「この男はもう死ぬだろう」と下人を羅生門のところまで運び、そこに捨てた。 下人は微かな意識で、自分が羅生門の死体の群れのなかに横たわっていることに気づいた。 そして、白髪頭の猿のような老婆が今、自分の身体を探り、そして衣服をゆっくりを剥ぎ取っていく、その感触だけが脳裏に広がっていった。

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【高1・現代文】羅生門 下人のその後の行方について【想像】

羅生門 下 人 その後

【高1・現代文】羅生門 下人のその後の行方について【想像】 高校1年です。 現代文で羅生門(芥川龍之介)を習っています。 下人のその後の行方について創作作文を書かなければならないので 皆さんが下人のその後をどのように想像しているのか参考程度に知りたいです。 また、最後の一文は、雑誌初出時と今では文が変わっているそうですが、 芥川龍之介は何を意図して書き直したのでしょうか?? できるだけ多くの回答お待ちしています。 補足gardenhomaheさん 残念ながら日比谷生ではありません。 そんなに頭良くないです; 芥川は下人に悪を見出すという様な道徳心や功徳心を描出したかったわけではないでしょう。 例えば、サバンナのハイエナは生きるために知恵の利いた生き方をしていますね。 人間獣というものを想像すれば、下人は驚くに足らぬ、何でもない生き方をしているのです。 従って、彼の行為には悪も愚劣さも伴わない。 ただ生きるために生きているのです。 その後なんて想像するのも退屈な位、何てことのない人生を過ごすのでしょうが、創作なら、それは君の感受性の問題だから、煮るなり焼くなりして味を付けてやればいいことです。 最後の一文は芥川の趣味でしょう。 余韻を含ませることで、「生きるために生きる」という鬱屈としたテーマの小話の最後に、申し訳程度の彩りを添えたかったのではないでしょうか。 私はそういう風に解釈していますが、ご参考までに。 黒洞々たる夜を歩く下人は、自分が発熱しているのに気づいた。 やがて咳き込み、全身の関節が痛んみはじめた。 羅生門で老婆と問答しているあいだに、疫病をうつされたらしい。 下人の足取りは重くなり、夜があける頃には、通りの家の軒下にうずくまっていた。 やがて意識は朦朧とし、遠くなっていった。 朝になると、家の住人が眼を覚まして、家の前に倒れている下人に気づいた。 住人は「この男はもう死ぬだろう」と下人を羅生門のところまで運び、そこに捨てた。 下人は微かな意識で、自分が羅生門の死体の群れのなかに横たわっていることに気づいた。 そして、白髪頭の猿のような老婆が今、自分の身体を探り、そして衣服をゆっくりを剥ぎ取っていく、その感触だけが脳裏に広がっていった。

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芥川龍之介 羅生門

羅生門 下 人 その後

-あらすじ- ある日の暮れ方、一人の下人が奉公先から 暇を出された(解雇された)ので、羅生門の下でぼんやりと雨止みを待っている。 数年のうちに地震や火事や飢饉などが続いて起こったせいで京都は 酷く荒れ果てており、空には死人の肉を狙う鴉が舞い、不気味なほどにひとけも少ない。 下人はさっきから「このままでは 盗人になるよりほかあるまい」と考えているのだが、一方でその考えを強く肯定できず、 どうしたもの かと思案している。 ともかく今日の寝床を確保しようと羅生門の楼の上に出るが、人のいないと思っていた楼の上には火がついていて、どうやら 人がいるようである。 上にいたのは痩せ細った 老婆で、死体の髪の毛を一本一本抜いている。 それをみた下人は激しく憎悪し、老婆の前へおどり出る。 老婆は驚くが、「これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、 仕方がなくする事じゃわいの」と言う。 それを聞いた下人は「 きっと、そうか」と念を押し、「では、 己 おれが 引剥 ひはぎを しようと恨むまいな」と言うが早いか老婆の着物を剥ぎ取り、暗い夜の中にまぎれていった。 ・『羅生門』-概要- 主人公 下人 物語の仕掛け人 老婆 舞台 平安京羅生門 時代背景 平安時代末期・晩秋 作者 芥川龍之介 -解説(考察)- ・下人はなぜ悪に走ったのか? 下人の自問自答・老婆とのやりとり あらすじでもみたとおり、下人は 職を失い、他に探せる職もありません。 そんな中、俺は盗人になるのか?それともどうにかして生きていくのか?いやどうにもならないだろう、やはり盗人になるほかあるまい、いや、でも、、、という 自問自答が下人の中で 際限なく繰り返されるのです。 盗人の他に道がないのであれば、論理的には下人は 盗人になるしかありません。 ですが、下人の 道徳観がそれを押しとどめているという形です。 つまり、下人は善悪の狭間で揺れているのです。 では、下人はどのようにしてその自問自答にけりをつけたのでしょうか。 その決め手となるのが物語終盤の 老婆とのやりとりです。 そのやりとりは大体以下のようなものです。 老婆 少しポップに脚色しましたが、大体こんなところです。 老婆の言い分にも うなずけるものがありますね。 まとめてみると、老婆の論理はこういうものです。 女(死体)は生きるために蛇を売っていた。 だからわし(老婆)も生きるために女の髪を毟ってかつらを売る。 ・生きるためには仕方がない 下人の論理 下人は羅生門の下で、 盗人になるかならまいか思案していました。 しかし、自分で決断することが出来なかった下人は、老婆とのやりとりの中で 悪事を肯定する論理(生きるためには仕方がない)を見出し、 悪に身を委ねることにしたのです。 下人の論理をまとめるとこうなります。 女(死体)は生きるために蛇を売る。 老婆は生きるために女の髪を毟ってかつらを売る。 じゃあ俺(下人)も生きるために老婆の服を剥いで売る。 見事に悪の因果が続いていますね。 こうした 人間のエゴを芥川龍之介は見事に描いています。 ・下人の行方は? 『羅生門』はハッピーエンドか 国語の授業などではよく、「作品のその後を想像して書きなさい」といった設問が見られたりします。 この『羅生門』も例に漏れず、「下人の行方を想像して書きなさい」という設問は多いようです。 「 下人はその後盗人の世界で名声をほしいままにし、活動範囲は海をこえて広がりました。 モンゴル帝国、東ローマ帝国へと移動しながら盗みの限りを尽くし、フランスでその盗みぶりは最盛を極めます。 「怪盗ルパン」の元となったのはこの下人だと言われたり言われなかったり、、、」 などと想像力を駆使して下人の行方を考えるのも楽しいですが、 作品の論理(下人の論理)に立つと、実は下人の行方は 容易に想像がつきます。 「俺(下人)も生きるために老婆の服を剥いで売ろう」と考えた下人は、その時点で悪の因果に 組み込まれています。 ですので、次には「 別の 誰かが生きるた めに下人の所有物を奪って売る」という場面が当然待ち構えているはずです。 つまり、羅生門の上にいた老婆の立場に下人が 置き換わるということですね。 こうした『羅生門』の作品構成にしたがえば、残念ながら下人にハッピーエンドは 待ち受けていなさそうにみえます。 『羅生門』-感想 ・結局『羅生門』はどこがすごいのか? 比喩表現が巧みだった! 『羅生門』ってなんでこんなに有名なんでしょうか。 もちろん、教科書にも載っていて結末(オチ)も面白いのですが、どうやらそれだけでもなさそうです。 次の文章を見てみてください。 少し 不思議な表現に気がつきませんか? 「羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである」 芥川龍之介(1997)『羅生門 蜘蛛の糸 杜子春 外十八篇』,p9,文藝春秋. 注目してほしいのは、この「 市女笠や揉烏帽子」という部分です。 この市女笠(いちめがさ)や揉烏帽子(もみえぼし)ってなんのことだか分かりますか? これは、平安時代の女性や男性の 被り物のことです。 こんな感じのやつですね。 市女笠が女性の、 揉烏帽子が男性のかぶり物になります。 話を元に戻しますが、ここでの表現(「市女笠や揉烏帽子」)というのは実は 比喩表現となります。 それって比喩なの?と思うかもしれませんが、例えるなら「おいそこのメガネ!」と言うのと同じですね。 物を指しているにも関わらず、それを着けている 人について言及しています。 比喩といえば「見ろ、人がゴミのようだ!(某大佐)」のような 直喩や「お前はゴミだ!(ただの暴言)」のような 隠喩が一般的です。 「おいそこのメガネ!」のような比喩は 換喩といい、一般的には使われることの少ない比喩ですので 高等テクニックだと言って良いでしょう(「花より団子」なんかもそうですね)。 そうした 換喩を芥川龍之介はさらっと使い、しかも読者にほとんど違和感を残しません。 そうした小技が作品の随所に見られ、結果的に 作品全体の質を高めることに繋がっています。 ・下人はどこにでもいる普通の人なんだと思う 職を失って、明日から食べるものもない。 もしこういう状況になったら あなたはどうするでしょうか? いやいや、そんなことは あり得ないよ。 日本は割と豊かだし、法や福祉の整備も割と整っているし。 生きるために仕方なく悪行をするシチュエーションなんてなんてほとんどないよ。 たしかに今の日本で下人と同じ状況になることは 考えにくいですが、時代が変わればこうならないとも限りません。 それに、そうなったら怖いなあ、あまり考えたくないなあ、という気持ちが、『羅生門』という作品を面白く 読ませているのではないかと思います。 誰だって下人になりうる 下人と同じシチュエーションにはならないかもしれませんが、 生きるためには仕方がないという論理は 日常的にみることができます。 たとえば畜産なんかもそうですね。 人間のエゴで 毎年何億羽といった数のひよこが殺されています。 これは 食べられる数ではなく、食用になれない身体の弱い個体を 廃棄する数です。 人間が生きるために 効率の良い生産が求められ、その結果 多くの命が 失われていきます。 これも、 生きるためには仕方がないの論理と言えます。 こうした目を向けたくない 人間の本質や 非情さを ありありと描いたからこそ、『羅生門』は高い評価を得て読み継がれてきたのではないのでしょうか。 『羅生門』と『今昔物語集』の違い 『羅生門』は『今昔物語集』から題材を取って創られました。 (「巻二十九第十八 羅城門登上層見死人盗人語(羅生門の上層に登りて死人を見る盗人のこと)」並びに「巻三十一第三十一 大刀帯陣売魚嫗語(帯刀の陣に魚を売る嫗のこと)」) ですが、元の作品と『羅生門』の違いは たくさんあります。 一部を例に挙げるとこんな感じです。 『羅生門』 『今昔物語集』 主人公 下人 盗人 門の名称 羅生門 羅城門 羅生門にいた人 老婆 嫗 女(死体) 蛇を売っていた 嫗の主人 下人が奪ったもの 老婆の着物 嫗の着物と死体の着物と鬘 もし時間に余裕があれば、それぞれの作品の相違点から『羅生門』を読んでみると、 面白い発見があるかもしれません。 時間がない方は、『羅生門』の 元ネタがあるんだ〜くらいに思っておいて、参考までにその違いを上の表で見ていただければ 嬉しいです。 以上、『羅生門』のあらすじと考察と感想でした。

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