フランケン シュタイン 本当 の 名前。 フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

「フランケンシュタインが作り出した悲しき怪物は、いまだに作られている」

フランケン シュタイン 本当 の 名前

豊島岡女子学園高等学校 福満梨那 呪われし創造主よ! おまえすらも嫌悪に目を背けるようなひどい怪物を、なぜつくりあげたのだ? フランケンシュタインが生み出した怪物の「叫び」である。 驚いた。 この小説を読む人は大抵、怪物の人間臭さに驚くだろう。 小説フランケンシュタインは一般的に知られている映画版とは全く違う。 怪物は感情を持ち、愛を求め、最後には醜いがために自分を見捨てた博士をも同情させる、見事な熱弁をするのである。 その告白の中で怪物は自分の存在について疑問を感じている。 いったい自分は何者なのか? これは怪物だけでなく人間なら誰しもが感じたことのある疑問なのではないか。 逆に言えば、人間にしか考えられない問題だとも思う。 動物も「思う」能力は持っているかもしれないが「考える」能力は人間のみに許されている能力である。 この思考においての点で怪物は非常に人間らしいと言える。 映画のイメージで怪物はろくに言葉も話せないという印象があったので、雄弁な告白シーンは予想外で思わず感情移入してしまった。 ここで「自分は何なのか」つまり自己の問題について考えてみようと思う。 近頃は個性とかアイデンティティとか自己に対する言葉が流行っている。 個性を大切に、とは言われるが実際どうなのだろう。 というのはまず、マイナス面の個性についてである。 この小説において怪物は好きでそうなった訳ではないが、極度に醜いということで人間から忌み嫌われている。 美徳、善意や知識があるにもかかわらず、である。 同じように、個性が強すぎると他者より劣っていると感じられる場合もあると私は思う。 例えば、お葬式に派手なスーツを着てきた人がいたらどうだろう。 大半は非常識な人だ、と思うに違いない。 いわゆるTPOに合わせる必要があるのだ。 しかし派手なスーツを着ることだって立派な個性ではないか。 個性を大切にしているではないか。 先日ある漫画を読んで印象深かった主人公の台詞がある。 何事も基本がないと始めようがない、ということである。 まずは型、常識を身につけ、それから自分らしさを出していく。 そうすれば自分のプラスの個性をもっと輝かせることができるだろう。 もっとも怪物の場合は先天的外見上の問題なので適用されないのだが。 もう少し個性について考えてみたい。 個性を大切に、に対する意見その二である。 ネットで次のような話を見た。 ある大学生の同好会があり、女子学生が一人で残りは全員男子学生だった。 その女子学生は人気があり男子学生は皆彼女を恋人にしようと自分をアピールしていたが、一人だけ消極的な男子学生がいた。 彼も彼女のことが好きだったが、自分が選ばれるわけがないと初めから諦めていた。 しかし最終的に彼女が選んだのはその内気な学生だった。 その理由は「彼が一番目立っていたから」。 なるほど、他の学生が自己アピール合戦を繰り広げる中で彼は何もせず「自分らしさ」を貫いたから逆に目立ったのか。 ではわざわざ個性を大切になんて言わなくても自分らしく生きていればおのずと個性はついてくるのだろうか。 かえってそう言われると自分の個性なんてわからないものだから自信が無くなる恐れもある。 個性など意識せずにいるほうが自分にとって良いのだろうか。 こうやっていろいろ考えてみると自分でも「型にはまれ」とか「自分らしく」とか矛盾したことも言っているので、個性にもやはり様々な考え方があるのだと思う。 本当に難しい問題である。 ただ、何も考えずに個性個性と言っていると単なるきれいごとにしか聞こえないので、安易に個性を出せと言うのではなく、よく考察した上で言ってほしいというのが私の主張である。 改めて読んだ感想を振り返ってみると、フランケンシュタインは何となく知っているから感想文も書きやすいだろうと思いこの本を選んだのだが、考えさせられることが多く、なかなか書くことを決められなかった。 また書いてみても難しく、何度もテーマを変えようと思ってしまった。 しかし話自体は面白くどんどん引き込まれたし、風景の描写などもその情景が目に浮かぶようで楽しむことができた。 著者メアリー・シェリーは一九歳の時にこの小説を書いたというから驚きである。 他の捉え方、読み方もふまえつつ、もう一度初めから読み直したいと思うような作品だった。

次の

フランケンシュタインの怪物

フランケン シュタイン 本当 の 名前

1.最低限必要な情報 論文とは、著者の研究成果がまとめられている文章です。 その研究内容を分かりやすく他者に報告することを念頭に置いて、要約を書く必要があります。 要約する上で必要になる(盛り込んで欲しい)情報は、次のようなものです。 その論文で論じるテーマ、もしくは扱う問題の説明(具体例を挙げて) 従来の研究が不十分/間違っているという根拠 従来の研究に代わる筆者の分析/主張(立脚する理論や分析手法の紹介も) 筆者の分析/主張を支える根拠/証拠/具体例 それ以外に何か特筆すべきこと 要約レポート(書評など)を書く際には、できればは第一段落に書いてくれると分かりやすいです。 第2段落以降は、について詳細に紹介してくれればいいです。 ただし、上記の内容が全ての論文に書いてあるとは限りません。 無ければ書かなくて結構です。 については、例えば「筆者に主張に対して予想される反論を想定し、筆者がそれに先回りして答えている部分」かもしれませんし、「筆者の主張が言語理論全体に及ぼす影響について論じている部分」かもしれません。 一概には決定できませんが、上記~のどれにも当てはまらないけど重要と思われるものについてもまとめて下さい。 (要約者による批評でも構いませんが。 ) 2.自分の言葉で 論文中には難しい表現がよく使用されています。 中には、表現自体が難しいというよりも、それ以前の問題として論文の中身が分からないという場合もあるでしょう。 こういう場合によく行われるのが、本文の「切り貼り」です。 自分の言葉を使わず、論文中の表現(つまり筆者の表現)の中から重要そうに見える部分だけを切り取って、それらをつなぎ合わせて文章を作るという手法です。 これは、現在の受験勉強重視型の学習がもたらした最大の弊害です。 たとえ部分的とはいえ、著者の文章(=著者の思考が言語化されたもの)をそのまま書き写すことは、著者の思考を理解できていなくても出来る盗作であり、自分で思考することを極力避けようとする非生産的な行為です。 そんなことばかりやっていれば、読解力/表現力の著しい低下を招くであろうことは火を見るより明らかです。 「理解したふり」をするには最良の手法なのですが(だから大学受験テクニックとして多用される)、そんな「ふり」をいくらやっても、本当の理解に達することはありませんし、自分の実力が伸びることもありません。 さらに問題なのは、文章の全体像を掴む練習も出来ていないことです。 受験勉強では、部分点を稼ぐためにキーワードを切り貼りしただけの文章が推奨されますが、そうやって作った切り貼り文章は、局所的には綺麗な文になっているのですが、全体を通して見ると繋がりの悪い不自然な文章になっているものが多く見られます。 つまり、「木を見て森を見ず」になっているのです。 もしくは、様々な人体部位を寄せ集めて作ったフランケン・シュタインのような文章といっても良いでしょう。 このような文章作成ばかりやっていると、携帯メールのような短い文章しか書けない人間になってしまいます。 大学生の間に本物の実力を身につけたいのであれば、「なんだかよく分からないから、筆者の言葉をテキトーに切り貼りしとけばいいや」と考えるのではなく、「よく分からないままだと要約も書けないので、もっとよく理解できるように努力しよう」と正攻法で考えてください。 そして、なるべく自分の言葉でまとめる癖をつけて下さい。 受験で部分点を稼ぐための勉強法では、就職に必要な実力は身につきません。 パソコンのことが分からなくて売り場の店員さんに質問した時に、パンフレットにも書いてある言葉と同じ説明がそのまま返ってきたら、客はどう思うでしょう? 自分が真に理解していなければ、相手に理解してもらうことも不可能なのです。 3.セクションの区切りに惑わされるな! 論文はどれもセクション(節)ごとに分かれていますが、その分け方に従って要約を書かなければいけないというルールはありません。 長い文章であれば、セクションごとに区切ってないと読みにくいものになってしまいますが、要約のような短い文章では、区切る必要はありません。 段落を改めるだけで十分です。 (ただし、要約文を箇条書きにするのはやめてください。 ) セクションを区切るのが、かえって危険なこともあります。 というのも、自分で考える意欲と気力と能力のない人ほど、論文のセクションの区切りをそのまま要約の段落に流用してしまうからです。 論文と同じ分け方で要約を書くということは、2節で触れたことと重複しますが、「訳も分からないまま、筆者の表現を流用すること」と同じです。 筆者の書き方をそっくりそのまま真似るだけではいけません。 何故そのような構成になっているのか自分で考えてみましょう。 そして、自分の中で論文のストーリーを再構成してみましょう。 (その際に役立つのが1節で挙げた5つの視点です。 ) セクションを区切ってしまうと、「とりあえず、このセクションだけをまとめればいいや」という安心感が出てくるのも事実です。 長い文章を要約するより、短く区切った方が要約はしやすくなります。 しかし、それでは論文の全体を通しての流れみたいなものが感じられなくなってしまい、結果的に「でたらめに散乱しているパズルのピース」を見せられたような印象を受けます。 例えばTVドラマ化されて有名になった『ドラゴン桜』を例にとって考えてみると分かりやすいでしょう。 TVでは毎回45分のストーリーに区切られていましたが、それらのストーリーを1ずつ要約したものを全11話分並べても、『ドラゴン桜』の紹介にはならないのです。 ではどうすればいいのか? Wikipedia(2007年5月2日現在)には以下のような紹介文が掲載されていました。 桜木は学校の経営状態を良くするためには進学実績、それも東大の合格者数を上げるのが手っ取り早いと考え、落ちこぼれ生徒を東京大学に合格させるために特進クラスを開設。 そこに以前から受験指導に大きな実績を上げつつも、いろいろな事情で表舞台から消えていた個性溢れる教師を集める。 一方で元々同校に在籍していた教師に対しては大規模なリストラを実施したため、当然のごとく教師からは反発する声が挙がる。 果たして建二の思惑通り、落ちこぼれは東大に合格し、同校は立ち直ることができるのか…? 」 物語の紹介なので、さすがに結末(論文では結論に相当)は書いてくれていませんが、それ以外は非常に参考になりますよね。 「なぜ弁護士の桜木が教師をやっているのか」、「桜木は何をしようとしているのか」、「それをするにあたり、どんな方法を採っているのか」、「それをするにあたり、どんな困難が生じるのか」など、ストーリー全体にかかわる内容がちゃんと盛り込まれています。 各エピソードの紹介ではないのです。 これは論文でも同じで、局所的に要約してもあまり効果がありません。 『ドラゴン桜』が全体を通して「大きなストーリー」になっているのと同様に、論文のストーリーをつかみ取ってください。 (そのために、冒頭で挙げた5つの点を常に考えながら読みましょう!) 4.TVのスポーツ解説者になれ! 要約する人は、筆者と読者の間に立って、読者に解説しなければいけません。 しかも、その本や論文を読んだことがない読者に対して説明するつもりで書かなければいけません。 その意味では、スポーツ中継の解説者に似ています。 野球の解説であれば、「ピッチャーが何故カーブを投げたのか」や、「どうしてこの場面で送りバントの指示が出たのか」などを視聴者に分かりやすく解説してくれますよね。 (私が授業で皆さんに解説しているように。 ) 本当に良い書き方がされている論文は、そのような筆者の意図がかならず論文中に書いてあります。 全く書かれていないものは無いはずです。 あるとすれば、それは論文ではなく小説でしょう。 小説のような物語では、登場人物の意図を解説したりしません。 (だって、それをいちいち言葉で解説してしまったら、読者が自由に解釈・想像する権利を奪うことになって、小説がつまらなくなってしまいましからね。 ) 小説(物語)の話が出たところで、ちょっと視点を変えてみましょう。 先ほどの『ドラゴン桜』も物語なので、これを例にとって考えてみましょう。 論文を要約するという作業は、『ドラゴン桜』を一度も見たことがない人にストーリーを教えてあげる作業に似ています。 つまり、単なるエピソードの紹介を11回分やるのではなく、このドラマの背景となる知識(「なぜ弁護士の桜木が教師をやっているのか」、「桜木は何をしようとしているのか」、「それをするにあたり、どんな反発があったのか」、「結果的に、それは成功したのか」などの情報)を教えることが必要になります。 「どうしてあの場面で直美(長澤まさみ)が怒ったのか?」と説明するためには、「彼女は主人公とは幼なじみで、密かに彼のことを想っている。 でも主人公にはカノジョがいて、、、」という情報も必要になるでしょう。 そのような背景は、内容を理解する上で必要不可欠な情報であり、それを知らないままストーリーを完全に理解するのは不可能なのです。 ストーリーを解説するわけですから、全体像を紹介することも忘れてはいけません。 例えば、要約の冒頭で、「この論文は~~について考察しており、その原因は~~だと主張している。 以下、この流れに沿ってまとめる」といったまとめ方をすると、要約を読む人にとっては、非常に分かりやすい文章だと感じるでしょう。 このとき、「以下、この流れに沿ってまとめる」という表現が重要な役割を果たします。 これは、要約文がどういう構成になっているのかということを予告する表現であり、読者にとっての「道しるべ」となるからです。 こういった表現があると、読者にとっては心の準備をすることができるので、より一層理解が進わけです。 5.主客の分離を! 最後になってしましましたが、 これは私が一番強調したい点です。 これは2~4節で述べたことと半分重複しますが、非常に重要な点です。 これができるかどうかで、大人らしい文章になるかどうかがきまってしまうと言っても過言ではないでしょう。 それは、筆者とは別の視点、つまり第三者の視点から要約を書くということです。 例えば、論文中でよくこんな文を見かけます。 それは、「~~~という視点から考察する」、「~~~について考えてみよう」、「~~~に他ならない」、「~~の理由は~~なのである」等々。 これらの表現は、実際に考察した本人、つまり論文の著者が使用するのであれば問題ありません。 しかし、これらの表現をそのままコピペして要約を書いてしまうと、まるで要約者が考察したような印象を与えてしまうので、決して要約では使用してはいけません。 要約者は論文著者の考えたことを要約しているだけであり、自分で考察したり分析したりしたわけではないからです。 筆者の言葉をそのまま切り貼り(コピペ)するだけでは、まるで著者本人が要約したような文章になってしまうので、第三者(=要約者)の存在が消えてしまいます。 これでは内容を客観的に読者へ伝えることが出来なくなります。 論文著者とは違う、第三者が要約して読者へ報告しているというニュアンスをきちんと出すためには、次のような表現を使用して下さい。 例えば、「筆者は~~の問題に対して、~~の視点から分析を行っている」とか、「従来の~~分析では不十分であるとし、代わりに~~という分析を提案している」、「~~を説明するために、~~の例が使用されている」、「~~を主張するために、3つの具体例が挙げられている」、「以上のような主張を行うにあたって、著者は3つの具体例を出している」等々。 (ただし、全ての文をこうやって各必要はありません。 あまり頻繁に使用し過ぎると、文体がワンパターンになってしまい、非常に不自然な文章になってしまいます。

次の

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

フランケン シュタイン 本当 の 名前

1.最低限必要な情報 論文とは、著者の研究成果がまとめられている文章です。 その研究内容を分かりやすく他者に報告することを念頭に置いて、要約を書く必要があります。 要約する上で必要になる(盛り込んで欲しい)情報は、次のようなものです。 その論文で論じるテーマ、もしくは扱う問題の説明(具体例を挙げて) 従来の研究が不十分/間違っているという根拠 従来の研究に代わる筆者の分析/主張(立脚する理論や分析手法の紹介も) 筆者の分析/主張を支える根拠/証拠/具体例 それ以外に何か特筆すべきこと 要約レポート(書評など)を書く際には、できればは第一段落に書いてくれると分かりやすいです。 第2段落以降は、について詳細に紹介してくれればいいです。 ただし、上記の内容が全ての論文に書いてあるとは限りません。 無ければ書かなくて結構です。 については、例えば「筆者に主張に対して予想される反論を想定し、筆者がそれに先回りして答えている部分」かもしれませんし、「筆者の主張が言語理論全体に及ぼす影響について論じている部分」かもしれません。 一概には決定できませんが、上記~のどれにも当てはまらないけど重要と思われるものについてもまとめて下さい。 (要約者による批評でも構いませんが。 ) 2.自分の言葉で 論文中には難しい表現がよく使用されています。 中には、表現自体が難しいというよりも、それ以前の問題として論文の中身が分からないという場合もあるでしょう。 こういう場合によく行われるのが、本文の「切り貼り」です。 自分の言葉を使わず、論文中の表現(つまり筆者の表現)の中から重要そうに見える部分だけを切り取って、それらをつなぎ合わせて文章を作るという手法です。 これは、現在の受験勉強重視型の学習がもたらした最大の弊害です。 たとえ部分的とはいえ、著者の文章(=著者の思考が言語化されたもの)をそのまま書き写すことは、著者の思考を理解できていなくても出来る盗作であり、自分で思考することを極力避けようとする非生産的な行為です。 そんなことばかりやっていれば、読解力/表現力の著しい低下を招くであろうことは火を見るより明らかです。 「理解したふり」をするには最良の手法なのですが(だから大学受験テクニックとして多用される)、そんな「ふり」をいくらやっても、本当の理解に達することはありませんし、自分の実力が伸びることもありません。 さらに問題なのは、文章の全体像を掴む練習も出来ていないことです。 受験勉強では、部分点を稼ぐためにキーワードを切り貼りしただけの文章が推奨されますが、そうやって作った切り貼り文章は、局所的には綺麗な文になっているのですが、全体を通して見ると繋がりの悪い不自然な文章になっているものが多く見られます。 つまり、「木を見て森を見ず」になっているのです。 もしくは、様々な人体部位を寄せ集めて作ったフランケン・シュタインのような文章といっても良いでしょう。 このような文章作成ばかりやっていると、携帯メールのような短い文章しか書けない人間になってしまいます。 大学生の間に本物の実力を身につけたいのであれば、「なんだかよく分からないから、筆者の言葉をテキトーに切り貼りしとけばいいや」と考えるのではなく、「よく分からないままだと要約も書けないので、もっとよく理解できるように努力しよう」と正攻法で考えてください。 そして、なるべく自分の言葉でまとめる癖をつけて下さい。 受験で部分点を稼ぐための勉強法では、就職に必要な実力は身につきません。 パソコンのことが分からなくて売り場の店員さんに質問した時に、パンフレットにも書いてある言葉と同じ説明がそのまま返ってきたら、客はどう思うでしょう? 自分が真に理解していなければ、相手に理解してもらうことも不可能なのです。 3.セクションの区切りに惑わされるな! 論文はどれもセクション(節)ごとに分かれていますが、その分け方に従って要約を書かなければいけないというルールはありません。 長い文章であれば、セクションごとに区切ってないと読みにくいものになってしまいますが、要約のような短い文章では、区切る必要はありません。 段落を改めるだけで十分です。 (ただし、要約文を箇条書きにするのはやめてください。 ) セクションを区切るのが、かえって危険なこともあります。 というのも、自分で考える意欲と気力と能力のない人ほど、論文のセクションの区切りをそのまま要約の段落に流用してしまうからです。 論文と同じ分け方で要約を書くということは、2節で触れたことと重複しますが、「訳も分からないまま、筆者の表現を流用すること」と同じです。 筆者の書き方をそっくりそのまま真似るだけではいけません。 何故そのような構成になっているのか自分で考えてみましょう。 そして、自分の中で論文のストーリーを再構成してみましょう。 (その際に役立つのが1節で挙げた5つの視点です。 ) セクションを区切ってしまうと、「とりあえず、このセクションだけをまとめればいいや」という安心感が出てくるのも事実です。 長い文章を要約するより、短く区切った方が要約はしやすくなります。 しかし、それでは論文の全体を通しての流れみたいなものが感じられなくなってしまい、結果的に「でたらめに散乱しているパズルのピース」を見せられたような印象を受けます。 例えばTVドラマ化されて有名になった『ドラゴン桜』を例にとって考えてみると分かりやすいでしょう。 TVでは毎回45分のストーリーに区切られていましたが、それらのストーリーを1ずつ要約したものを全11話分並べても、『ドラゴン桜』の紹介にはならないのです。 ではどうすればいいのか? Wikipedia(2007年5月2日現在)には以下のような紹介文が掲載されていました。 桜木は学校の経営状態を良くするためには進学実績、それも東大の合格者数を上げるのが手っ取り早いと考え、落ちこぼれ生徒を東京大学に合格させるために特進クラスを開設。 そこに以前から受験指導に大きな実績を上げつつも、いろいろな事情で表舞台から消えていた個性溢れる教師を集める。 一方で元々同校に在籍していた教師に対しては大規模なリストラを実施したため、当然のごとく教師からは反発する声が挙がる。 果たして建二の思惑通り、落ちこぼれは東大に合格し、同校は立ち直ることができるのか…? 」 物語の紹介なので、さすがに結末(論文では結論に相当)は書いてくれていませんが、それ以外は非常に参考になりますよね。 「なぜ弁護士の桜木が教師をやっているのか」、「桜木は何をしようとしているのか」、「それをするにあたり、どんな方法を採っているのか」、「それをするにあたり、どんな困難が生じるのか」など、ストーリー全体にかかわる内容がちゃんと盛り込まれています。 各エピソードの紹介ではないのです。 これは論文でも同じで、局所的に要約してもあまり効果がありません。 『ドラゴン桜』が全体を通して「大きなストーリー」になっているのと同様に、論文のストーリーをつかみ取ってください。 (そのために、冒頭で挙げた5つの点を常に考えながら読みましょう!) 4.TVのスポーツ解説者になれ! 要約する人は、筆者と読者の間に立って、読者に解説しなければいけません。 しかも、その本や論文を読んだことがない読者に対して説明するつもりで書かなければいけません。 その意味では、スポーツ中継の解説者に似ています。 野球の解説であれば、「ピッチャーが何故カーブを投げたのか」や、「どうしてこの場面で送りバントの指示が出たのか」などを視聴者に分かりやすく解説してくれますよね。 (私が授業で皆さんに解説しているように。 ) 本当に良い書き方がされている論文は、そのような筆者の意図がかならず論文中に書いてあります。 全く書かれていないものは無いはずです。 あるとすれば、それは論文ではなく小説でしょう。 小説のような物語では、登場人物の意図を解説したりしません。 (だって、それをいちいち言葉で解説してしまったら、読者が自由に解釈・想像する権利を奪うことになって、小説がつまらなくなってしまいましからね。 ) 小説(物語)の話が出たところで、ちょっと視点を変えてみましょう。 先ほどの『ドラゴン桜』も物語なので、これを例にとって考えてみましょう。 論文を要約するという作業は、『ドラゴン桜』を一度も見たことがない人にストーリーを教えてあげる作業に似ています。 つまり、単なるエピソードの紹介を11回分やるのではなく、このドラマの背景となる知識(「なぜ弁護士の桜木が教師をやっているのか」、「桜木は何をしようとしているのか」、「それをするにあたり、どんな反発があったのか」、「結果的に、それは成功したのか」などの情報)を教えることが必要になります。 「どうしてあの場面で直美(長澤まさみ)が怒ったのか?」と説明するためには、「彼女は主人公とは幼なじみで、密かに彼のことを想っている。 でも主人公にはカノジョがいて、、、」という情報も必要になるでしょう。 そのような背景は、内容を理解する上で必要不可欠な情報であり、それを知らないままストーリーを完全に理解するのは不可能なのです。 ストーリーを解説するわけですから、全体像を紹介することも忘れてはいけません。 例えば、要約の冒頭で、「この論文は~~について考察しており、その原因は~~だと主張している。 以下、この流れに沿ってまとめる」といったまとめ方をすると、要約を読む人にとっては、非常に分かりやすい文章だと感じるでしょう。 このとき、「以下、この流れに沿ってまとめる」という表現が重要な役割を果たします。 これは、要約文がどういう構成になっているのかということを予告する表現であり、読者にとっての「道しるべ」となるからです。 こういった表現があると、読者にとっては心の準備をすることができるので、より一層理解が進わけです。 5.主客の分離を! 最後になってしましましたが、 これは私が一番強調したい点です。 これは2~4節で述べたことと半分重複しますが、非常に重要な点です。 これができるかどうかで、大人らしい文章になるかどうかがきまってしまうと言っても過言ではないでしょう。 それは、筆者とは別の視点、つまり第三者の視点から要約を書くということです。 例えば、論文中でよくこんな文を見かけます。 それは、「~~~という視点から考察する」、「~~~について考えてみよう」、「~~~に他ならない」、「~~の理由は~~なのである」等々。 これらの表現は、実際に考察した本人、つまり論文の著者が使用するのであれば問題ありません。 しかし、これらの表現をそのままコピペして要約を書いてしまうと、まるで要約者が考察したような印象を与えてしまうので、決して要約では使用してはいけません。 要約者は論文著者の考えたことを要約しているだけであり、自分で考察したり分析したりしたわけではないからです。 筆者の言葉をそのまま切り貼り(コピペ)するだけでは、まるで著者本人が要約したような文章になってしまうので、第三者(=要約者)の存在が消えてしまいます。 これでは内容を客観的に読者へ伝えることが出来なくなります。 論文著者とは違う、第三者が要約して読者へ報告しているというニュアンスをきちんと出すためには、次のような表現を使用して下さい。 例えば、「筆者は~~の問題に対して、~~の視点から分析を行っている」とか、「従来の~~分析では不十分であるとし、代わりに~~という分析を提案している」、「~~を説明するために、~~の例が使用されている」、「~~を主張するために、3つの具体例が挙げられている」、「以上のような主張を行うにあたって、著者は3つの具体例を出している」等々。 (ただし、全ての文をこうやって各必要はありません。 あまり頻繁に使用し過ぎると、文体がワンパターンになってしまい、非常に不自然な文章になってしまいます。

次の