山口組 引退。 六代目山口組の島田紳助引退で取り沙汰された大物組長が引退…そのほか人事面での改革が断行中

神戸山口組・大澤忠興舎弟が引退 直系組長の引退や解散が続き、士気を危惧する声も|ニフティニュース

山口組 引退

井上邦雄組長 の直系組長が、また1人、組織を去ることになった。 ゴールデンウイーク明けに髙橋久雄幹部が引退し、自身が率いた雄成会の解散も表明。 神戸山口組の決定を待たずに、地元の京都府警本部に意思を伝えたためか、5月12日付で破門が下された。 その処分と同時に、何の前触れもなく、大澤忠興舎弟 徳誠会総裁=茨城 の引退も、各傘下組織に通達されたのだ。 「昨年末から本家の許可を待たずに直系組長の引退、解散が続いとったが、大澤舎弟は若中の大瀧一門・徳誠会会長に跡目を託しとったから、円満引退いうことやな」 ベテラン記者 大澤舎弟にとっては、人生で二度目の引退である。 三代目山口組 田岡一雄組長 時代からの直系組織、中西組の最高幹部を務めた山川賢一初代と、昭和45年ごろに縁を持ち、大澤舎弟は山川組の舎弟頭などを歴任。 山川組の解散後は、芳菱会 瀧澤孝総長 に移籍して若頭補佐を務め、そののち舎弟に直った。 平成21年、瀧澤総長の引退により國領屋一家 現・戸塚幸裕二代目 が誕生すると、自身が率いた大澤組の跡目を譲って業界から引退。 しかし、平成27年12月、神戸山口組に参画し、三代目山川組組長として現役復帰を果たしたのである。 それは同時に、國領屋一家との間に火種が生まれる結果ともなり、翌年の8月、茨城県石岡市にある山川組本部に襲撃が発生。 止まっていた車両にトラックが特攻したのだ。 同じ日には、静岡県浜松市の國領屋一家本部と傘下組織に相次いでトラックが突入する報復攻撃が起きた。 その後、大澤舎弟は若中から舎弟に直り、大瀧会長を後継に据えて自身は総裁に就任。 徳誠会に改称したのちも総裁を務め、定例会などには変わらず出席する姿が見られた。 「今年で77歳になり、年齢も考慮して引退を決断した可能性もあるが、何より、全幅の信頼を置く大瀧会長に組織を任せ、もうやり残したことはないという心境なんやないか。 それにしても髙橋幹部の引退が尾を引いとるようで、今後、神戸山口組の士気に関わりかねんで」 同 昨年11月、兵庫県尼崎市で古川恵一幹部が射殺され、初めて直系組長が抗争の犠牲となった。 さらに12月、六代目山口組 司忍組長 と神戸山口組に対する特定抗争指定が決定する直前には、太田守正舎弟頭補佐が突如として引退を宣言。 出席すると思われた納会当日、意思を告げるとそのまま立ち去ってしまったのだった。 今年1月には安岡俊蔵舎弟が引退し、二代目誠会が解散。 神戸山口組直参でもある同会の柴崎勝若頭も引退した。 いずれも事前に意思を伝えていたが、神戸山口組の決定がないまま引退したとして、一部では物議を醸したのである。 こうした状況下で、神戸山口組の発足メンバーである髙橋幹部が現役を退いたことは、神戸山口組の団結にも関わりかねないとさえ囁かれたのだ。 「京都府警に引退宣言する前、神戸山口組の最高幹部に決意を伝えとるそうや。 突然、音信不通になったわけやないし、よほどの事情があったんと違うか」 関西の組織関係者 さらに、追い打ちを掛けるかのようなタイミングで、神戸山口組の中核組織である五代目山健組 中田浩司組長=兵庫神戸 直系組織の最高幹部が、離脱したという。 六代目山口組・三代目 竹内照明会長=愛知 の野内正博若頭率いる野内組への移籍だった。 その直系組織は関東に本拠を置いており、野内組の関東への進撃が強まっている印象だ。 しかし、切り崩しの目的は神戸山口組の弱体化だけでなく、分裂終結を見据えた体制固めである可能性も浮上。 ある他団体幹部が言う。 「今は六代目山口組といえど、余裕のある状況ではないはず。 特定抗争指定だけでも行動が制限されている上に、新型コロナウイルスだ。 ほとんど動けない状態だろう。 行動力と戦闘力あってこそのプラチナ山口組だが、分裂問題や新型コロナが終わったあと、それ以前の姿に完全に戻るのは難しいと思われる」 先を見越しているからこそ、強い組織力を今後も維持するために勢力拡大を続けているという見方も、一部ではされているのだ。 「野内若頭はまだ50代で、六代目山口組・髙山清司若頭の信頼も厚い。 六代目山口組を離脱して以降、山健組は幾度となく危機に直面してきた。 井上組長の四代目時代には、最高幹部だった織田絆誠会長 現・絆會 と山健組直参たちの一斉離脱、京都府警による井上組長と中田若頭のダブル逮捕。 中田五代目体制が樹立して以降では、山健組系組員2名が弘道会のヒットマンに命を奪われ、抗争が激化。 そして、中田五代目自身の現場不在が続いているのだ。 「せやけど、この抗争は組織が存続すること自体に意味があるはずや。

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大澤忠興舎弟が引退 神戸山口組が直面する“勢力異変”

山口組 引退

閉じる ゴールデンウイーク明けの5月7日、予期せぬ事態が起きた。 神戸山口組 井上邦雄組長 の結成当初からのメンバーである髙橋久雄幹部が引退し、自身が率いる雄成会 京都 の解散も決めたというのだ。 特定抗争指定に突入して以降、各地の主要拠点が警戒区域に指定され、六代目山口組 司忍組長 と神戸山口組は著しく行動を制限された。 新型コロナウイルスの感染拡大によって各会合も中止となり、さらに身動きが取れない状況に陥っている。 髙橋幹部が引退を決意するに至った背景には、こうした現状も影響を及ぼしたのではないかとさえ囁かれたのである。 「髙橋幹部が本拠を構える京都市も特定抗争指定の警戒区域になり、組事務所への出入りは禁止された。 それに、新型コロナによる自粛ムードで業界の景気は悪くなる一方。 組員もそう多くはなかったようだから、組織運営に支障を来した可能性はある」 他団体幹部 髙橋幹部は、事前に神戸山口組の最高幹部に引退を申し入れていたという。 「4月末か5月上旬のことで、その時点では保留になっていたはずだ。 それが、7日の夕方になって髙橋幹部が地元の京都府警本部に現れ、担当の警察官に自身の引退と雄成会解散の意思を伝えたと聞く」 同 行動に移すタイミングが素早かったこともあり、一部では特定抗争指定逃れの偽装解散を疑う声もあった。 「もしそうならば、処分状を作成するなどしていただろうが、処分状も警察当局にとっては判断材料の一つにしかすぎない。 組長自身の今後の身の振り方はもちろん、傘下組員たちがカタギになるのか、現役を続行するならどの組織に移るのかなど、詳しく聞き取りをする。 警察が重視するのは実態であるため、偽装するのは困難だ。 しかも、髙橋幹部は神戸山口組からの決定を待たずに府警本部へ出向いたようだから、本人の意向に偽りはないだろう」 業界ジャーナリスト それを裏付けるかのように、同日には六代目山口組から各ブロックに重要通達が回ったのだ。 「髙橋幹部が引退して組織が解散したことを知らせると同時に、一切関わらないようにと注意を促す内容だった。 つまり、引き抜きや攻撃は御法度としたわけだ。 無用なトラブルを避けるためだったと思われる」 同 さらに、4月28日に出所した宅見勝若頭射殺事件の実行犯である元組員に関しても、勧誘を禁止する内容が付け加えられたという。 「六代目山口組は髙橋幹部の引退が決定的となって、即座に通達を出した。 特定抗争指定で厳しい規制が掛かる中でも、執行部が迅速に対応できる体制にあるということだ。 それが抗争再燃に向けて水面下で準備を進めている表れなのか定かではないが、六代目山口組が臨戦態勢を続けているのは間違いなさそうだ」 同 一方の神戸山口組は、昨年末に太田守正舎弟頭補佐が引退し、太田興業も解散。 さらに、年明けには安岡俊蔵舎弟が引退し、二代目誠会が解散、同会の柴崎勝若頭も引退していた。 今回の髙橋幹部の引退により、最も多かった時期の直参28人から23人に減少。 同じく「幹部」を務めていた古川恵一幹部は、六代目山口組・髙山清司若頭が出所して約1カ月経った昨年11月、二代目竹中組 安東美樹組長=兵庫姫路 に所属した経歴を持つ朝比奈久徳元組員によって、兵庫県尼崎市で射殺された。 朝比奈元組員は犯行後、京都に向けて逃走。 京都府警に発見されて身柄を確保されたが、髙橋幹部を狙いに行ったと供述したという。 以後、神戸山口組の直参引退、解散が相次いだのだ。 髙橋幹部の経歴を振り返ると、今回の引退という選択が、いかに苦渋の決断だったかが伝わってくる。 京都の名門テキヤ組織として知られる地蔵組の若頭を務めた髙橋幹部は、六代目山口組の若中だった地蔵吉一組長が平成19年3月に引退したのに伴い、二代目地蔵組組長として直参に昇格。 平成21年、雄成会に改称した。 司六代目体制では総本部当番責任者を務めるなどしたが、平成27年の山口組分裂では神戸山口組に参画し、六代目山口組から破門処分を受けた。 神戸山口組では平成29年4月、若中から新たに設けられた「幹部」に就任。 発足当初のメンバーの引退は、髙橋幹部が初めてとなった。 「名門組織の流れが途絶えたのは残念やが、神戸山口組が戦い続けるいう姿勢に変わりはないやろ」 関西の組織関係者 六代目山口組の中核組織である三代目弘道会 竹内照明会長=愛知 では、風営法違反容疑などで三度も愛知県警に逮捕された松山猛統括委員長が、4月29日に処分保留となり釈放されていた。 野内正博若頭を筆頭とする弘道会の執行部メンバーが再び揃い、より結束が強まったといえる。 組員に暴行を加え、重傷を負わせたとして傷害罪に問われた植野雄仁・二代目兼一会会長 大阪中央 の初公判が、大阪地裁で行われたのだ。 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、法廷内ではマスク着用が義務付けられ、一般傍聴席は35席から11席に減らし、間隔をあけた着席が求められた。 そんな異様な雰囲気の中、植野会長もマスクを着けて入廷。 逮捕から2カ月間の勾留を強いられていたが、やつれた様子はうかがえなかった。 起訴状によると、昨年5月20日の午後3時半ごろ、東大阪市にある六代目山口組・橋本弘文統括委員長 当時=のちに引退 率いる極心連合会 解散 の本部事務所1階において、A組員に対して平手や拳で顔を殴り、足で蹴るなどの暴行を加え、左目失明など全治約1カ月のケガを負わせたとされる。 裁判官から起訴内容について問われた植野会長は、証言台の前でしばらく沈黙したのち「間違いありません」と認めた。 ところが、植野会長の意向と同様と思われた弁護側が、「犯人性は争う」などとして無罪を主張。 「傷害結果が生じていることは争わないが、ケガの程度については争う。 また、どうして傷害が生じたのか。 暴力そのものが、どういったものなのかよく分かっておらず、なぜそうなったのかを争う」と述べたのである。 検察側は冒頭陳述で、暴行の経緯をこう明らかにした。 A組員は事件の数日後、極心連合会の傘下組織の跡目を継承する予定になっていたが、事務所にいた同会最高幹部がそれに異を唱え、A組員が反論。 立場が上の最高幹部に対して暴言を吐くなどしたため、その場にいた極心連合会副会長だった植野会長が咎めたという。 しかし、なおも反発したことから植野会長が暴行に及び、A組員による謝罪があるまで続けたのだった。 暴行は事務所の別室で行われたため直接見た人物はおらず、検察側は医師の診断書の他、「会議室から怒鳴り合う声が聞こえた」などと話した最高幹部らの供述調書を、証拠として提出。 「被告人が起訴内容を認めたのに弁護側が無罪を主張し、検察側は戸惑いを隠せない様子やった。 しかも、弁護側は被害者のA組員が『殴られた』とは言っておらず、『ドアに当たった』と供述しているとして、検察側に新たな証拠の開示を求めたんや。 裁判官から『 暴行を 直接見ていたという人はいないのか』と問われ、『直接は…』と言ったきり検察官が沈黙する場面もあったで」 地元記者 植野会長は昨年6月20日、証拠隠滅の罪に問われた裁判で懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けている。 証拠隠滅事件は一昨年2月、兼一会本部前での傷害事件に関して、犯行状況が映った事務所の監視カメラ映像を消去したというものだった。 大阪地裁は「植野会長の指示、了承のもとに行われた」としたのだ。 「とにかく、警察当局が植野会長に狙いを定めとった。 特定抗争指定の効力が発生した直後も、組員5人以上が集結しないか兼一会周辺を監視しとったくらいやからな」 前出・地元記者 植野会長は5月8日に保釈され、現場復帰を果たしたが、今後は分裂抗争とともに、法廷闘争にも臨むことになりそうだ。

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本誌だから書ける!「紳助と山口組」衝撃の全内幕(1)

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ゴールデンウイーク明けの5月7日、予期せぬ事態が起きた。 神戸山口組 井上邦雄組長 の結成当初からのメンバーである髙橋久雄幹部が引退し、自身が率いる雄成会 京都 の解散も決めたというのだ。 特定抗争指定に突入して以降、各地の主要拠点が警戒区域に指定され、六代目山口組 司忍組長 と神戸山口組は著しく行動を制限された。 新型コロナウイルスの感染拡大によって各会合も中止となり、さらに身動きが取れない状況に陥っている。 髙橋幹部が引退を決意するに至った背景には、こうした現状も影響を及ぼしたのではないかとさえ囁かれたのである。 「髙橋幹部が本拠を構える京都市も特定抗争指定の警戒区域になり、組事務所への出入りは禁止された。 それに、新型コロナによる自粛ムードで業界の景気は悪くなる一方。 組員もそう多くはなかったようだから、組織運営に支障を来した可能性はある」 他団体幹部 髙橋幹部は、事前に神戸山口組の最高幹部に引退を申し入れていたという。 「4月末か5月上旬のことで、その時点では保留になっていたはずだ。 それが、7日の夕方になって髙橋幹部が地元の京都府警本部に現れ、担当の警察官に自身の引退と雄成会解散の意思を伝えたと聞く」 同 行動に移すタイミングが素早かったこともあり、一部では特定抗争指定逃れの偽装解散を疑う声もあった。 「もしそうならば、処分状を作成するなどしていただろうが、処分状も警察当局にとっては判断材料の一つにしかすぎない。 組長自身の今後の身の振り方はもちろん、傘下組員たちがカタギになるのか、現役を続行するならどの組織に移るのかなど、詳しく聞き取りをする。 警察が重視するのは実態であるため、偽装するのは困難だ。 しかも、髙橋幹部は神戸山口組からの決定を待たずに府警本部へ出向いたようだから、本人の意向に偽りはないだろう」 業界ジャーナリスト それを裏付けるかのように、同日には六代目山口組から各ブロックに重要通達が回ったのだ。 「髙橋幹部が引退して組織が解散したことを知らせると同時に、一切関わらないようにと注意を促す内容だった。 つまり、引き抜きや攻撃は御法度としたわけだ。 無用なトラブルを避けるためだったと思われる」 同 さらに、4月28日に出所した宅見勝若頭射殺事件の実行犯である元組員に関しても、勧誘を禁止する内容が付け加えられたという。 「六代目山口組は髙橋幹部の引退が決定的となって、即座に通達を出した。 特定抗争指定で厳しい規制が掛かる中でも、執行部が迅速に対応できる体制にあるということだ。 それが抗争再燃に向けて水面下で準備を進めている表れなのか定かではないが、六代目山口組が臨戦態勢を続けているのは間違いなさそうだ」 同 一方の神戸山口組は、昨年末に太田守正舎弟頭補佐が引退し、太田興業も解散。 さらに、年明けには安岡俊蔵舎弟が引退し、二代目誠会が解散、同会の柴崎勝若頭も引退していた。 今回の髙橋幹部の引退により、最も多かった時期の直参28人から23人に減少。 同じく「幹部」を務めていた古川恵一幹部は、六代目山口組・髙山清司若頭が出所して約1カ月経った昨年11月、二代目竹中組 安東美樹組長=兵庫姫路 に所属した経歴を持つ朝比奈久徳元組員によって、兵庫県尼崎市で射殺された。 朝比奈元組員は犯行後、京都に向けて逃走。 京都府警に発見されて身柄を確保されたが、髙橋幹部を狙いに行ったと供述したという。 以後、神戸山口組の直参引退、解散が相次いだのだ。 髙橋幹部の経歴を振り返ると、今回の引退という選択が、いかに苦渋の決断だったかが伝わってくる。

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