片伊勢武。 フィギュアスケート・全日本ノービスで見つけた未来のスター候補達 【ノービスA男子】|ウォーカープラス

全日本選手権 全選手結果

片伊勢武

「 男子出場選手の結果と得点順位はどうなったのか?結果速報をすぐに見たい方は「目次」から選んで読み飛ばすことができます。 」 フィギュアスケート八戸国体2020 競技日程スケジュール まず フィギュアスケート八戸国体2020の競技日程スケジュールについてです。 競技種目 フィギュアスケート 男子 大会名称 氷都新時代!八戸国体2020 国民体育大会 主催 公益財団法人日本スポーツ協会 他 競技日程 2020年1月28日 火 ~2月1日 土 1月28日:都道府県別公式練習、少年男子SP練習 1月29日:少年男子SP競技、少年男子FS練習 1月30日:少年男子FS競技、成年男子SP練習、成年男子SP競技 1月31日:成年男子FS練習、成年男子FS競技 開催場所 三沢アイスアリーナ 〒033-0151 青森県三沢市南山3丁目116-5 0176-57-2100 会場アクセス 【電車、バスの場合】 「三沢駅」からバスで「アイスアリーナ前」下車 【車の場合】 三沢空港から車で10分 テレビ地上波放送・ネット配信スケジュール 予定 【テレビ地上波放送】 現時点で放送スケジュールは見当たりませんでした。 【ネット配信/スカパー&Jスポーツ】 現時点で放送スケジュールは見当たりませんでした。 男子出場選手 フィギュアスケート八戸国体2020の男子出場選手は以下の通りです。 情報が分かり次第更新します。 男子滑走順 フィギュアスケート八戸国体2020の男子滑走順はで情報をまとめていきます。 過去のフィギュアスケート八戸国体の試合映像 過去開催されたフィギュアスケート八戸国体の試合映像は以下動画から確認することができます。 フィギュアスケート映像ネット配信サービス フィギュアスケートに関する映像ネット配信サービスなら 1ヶ月の無料体験でスポーツコンテンツが年間10,000試合以上見放題の「DAZN」がおすすめ! フィギュアスケート八戸国体2020 男子結果速報 それでは早速 フィギュアスケート八戸国体2020の男子結果速報をまとめていきます。 ここでは、男子出場選手の得点結果を滑走順に速報していきます。 また、男子出場選手の試合終了後の順位も速報していきます。 ハイライト動画と共にまとめていきますので、気になる選手、応援選手の試合結果、成績をご覧ください。 【少年男子ショートプログラム SP 】結果速報 【少年男子ショートプログラム SP 】結果速報を以下まとめていきます。 滑走順 01 小林隼 滋賀県 02 坂東凜 茨城県 03 鈴木零偉 広島県 04 三島悠生 広島県 05 栁澤翔 茨城県 06 誉田知己 愛知県 07 木科雄登 岡山県 08 加賀谷脩人 青森県 09 古家龍磨 福岡県 10 及川蓮太 岩手県 11 小形冴々也 青森県 12 大島光翔 埼玉県 13 吉岡希 兵庫県 14 志賀海門 神奈川県 15 佐々木晴也 愛知県 16 三宅星南 岡山県 17 藤城柊治 東京都 18 清水晴陽 大阪府 19 加藤海里 岩手県 20 廣田聖幸 千葉県 21 松岡隼矢 福岡県 22 片伊勢武 兵庫県 23 福島寛輝 神奈川県 24 菊地竜生 東京都 25 國中敬太 大阪府 26 森田真沙也 京都府 27 本田ルーカス剛史 滋賀県 28 森口澄士 京都府 29 佐藤由基 千葉県 30 大中惟吹 埼玉県 得点結果&順位 1位 木科雄登 岡山県 70. 19 2位 三宅星南 岡山県 69. 70 3位 片伊勢武 兵庫県 67. 61 4位 本田ルーカス剛史 滋賀県 67. 47 5位 吉岡 希 兵庫県 60. 47 【少年男子フリースケーティング FS 】結果速報 【少年男子フリースケーティング FS 】結果速報を以下まとめていきます。 滑走順 01 小林隼 02 藤城柊治 03 坂東凜 04 古家龍磨 05 加藤海里 06 廣田聖幸 07 大中惟吹 08 佐藤由基 09 志賀海門 10 鈴木零偉 11 森田真沙也 12 清水晴陽 13 松岡隼矢 14 國中敬太 15 三島悠生 16 菊地竜生 17 佐々木晴也 18 大島光翔 19 森口澄士 20 本田ルーカス剛史 21 吉岡希 22 三宅星南 23 片伊勢武 24 木科雄登 得点結果&順位 1位 三宅星南 岡山県 130. 85 2位 大島光翔 埼玉県 113. 22 3位 本田ルーカス剛史 滋賀県 111. 91 4位 片伊勢武 兵庫県 108. 23 5位 木科雄登 岡山県 105. 73 【成年男子ショートプログラム SP 】結果速報 【成年男子ショートプログラム SP 】結果速報を以下まとめていきます。 滑走順 01 須本光希 大阪府 02 坂上智哉 茨城県 03 渡邊純也 兵庫県 04 友野一希 大阪府 05 小曽根孝浩 茨城県 06 小田尚輝 岡山県 07 福田志門 京都府 08 國方勇樹 東京都 09 時國隼輔 滋賀県 10 日野龍樹 愛知県 11 鎌田英嗣 東京都 12 山隈太一朗 兵庫県 13 中村優 北海道 14 山本恭廉 愛知県 15 山田耕新 福岡県 16 櫛田一樹 岡山県 17 小林諒真 神奈川県 18 中野紘輔 福岡県 19 鎌田詩温 北海道 20 唐川常人 神奈川県 21 神戸巧輝 埼玉県 22 辻村岳也 滋賀県 23 松坂悠飛 京都府 24 小林建斗 埼玉県 得点結果&順位 1位 友野一希 大阪府 78. 76 2位 中村優 北海道 71. 77 3位 須本光希 大阪府 68. 76 4位 日野龍樹 愛知県 68. 53 5位 小林諒真 神奈川県 64. 38 【成年男子フリースケーティング FS 】結果速報 【成年男子フリースケーティング FS 】結果速報を以下まとめていきます。 滑走順 01 小曽根孝浩 02 松坂悠飛 03 神戸巧輝 04 福田志門 05 坂上智哉 06 山本恭廉 07 唐川常人 08 鎌田英嗣 09 時國隼輔 10 鎌田詩温 11 國方勇樹 12 山田耕新 13 小林建斗 14 辻村岳也 15 櫛田一樹 16 山隈太一朗 17 渡邊純也 18 小田尚輝 19 小林諒真 20 日野龍樹 21 中野紘輔 22 中村優 23 友野一希 24 須本光希 得点結果&順位 1位 友野一希 大阪府 133. 40 2位 中村優 北海道 131. 22 3位 須本光希 大阪府 128. 09 4位 山隈太一朗 兵庫県 121. 04 5位 鎌田英嗣 東京都 118. 24 フィギュアスケート八戸国体2020男子結果まとめ フィギュアスケート八戸国体2020男子結果、成績、得点順位は以下の通りです。 【少年男子ショートプログラム SP 】 1位 木科雄登 岡山県 70. 19 2位 三宅星南 岡山県 69. 70 3位 片伊勢武 兵庫県 67. 61 4位 本田ルーカス剛史 滋賀県 67. 47 5位 吉岡 希 兵庫県 60. 47 【少年男子フリースケーティング FS 】 1位 三宅星南 岡山県 130. 85 2位 大島光翔 埼玉県 113. 22 3位 本田ルーカス剛史 滋賀県 111. 91 4位 片伊勢武 兵庫県 108. 23 5位 木科雄登 岡山県 105. 73 【成年男子ショートプログラム SP 】 1位 友野一希 大阪府 78. 76 2位 中村優 北海道 71. 77 3位 須本光希 大阪府 68. 76 4位 日野龍樹 愛知県 68. 53 5位 小林諒真 神奈川県 64. 38 【成年男子フリースケーティング FS 】 1位 友野一希 大阪府 133. 40 2位 中村優 北海道 131. 22 3位 須本光希 大阪府 128. 09 4位 山隈太一朗 兵庫県 121. 04 5位 鎌田英嗣 東京都 118.

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フィギュアスケート2019

片伊勢武

昨年、3連覇を達成し、今年も春先まではノービス年代では絶対的な存在だった佐藤駿。 その様相が変わってきたのはブロック大会の頃。 近畿の片伊勢武、中部の佐々木晴也が急成長を見せ、その一方、佐藤駿は思うような演技が出来ずにいたのだ。 ただそれは決して彼のコンディションが悪かったからではない。 未完成のトリプルアクセルに試合で挑戦することにこだわったため、演技を崩してしまっていたのだ。 そして迎えた最後の全日本ノービス。 やはり4連覇へのプレッシャーはあったという。 「とても緊張しました。 今までよりも皆がとても上手になっていて、追いつかれてきていたので大丈夫かな、と心配でした」 片伊勢選手、佐々木選手の急成長に「勝てないかも、という思いはありました」という。 それも緊張につながったようだ。 練習での確率はまだ「五分五分」だというトリプルアクセル。 それでも3月の北日本大会からずっと挑戦を続けてきた。 ただ現状の仕上がりだと、大会4連覇を優先してトリプルアクセルを回避する選択肢もあったはずだ。 「トリプルアクセルを入れないと駄目だと思ったんです。 先生にも『変えたら?』と言われたんですが、僕が『やりたい』と言って挑戦しました」 コーチからの回避の提案を拒否し、自分の意志で挑戦したのだという。 その裏には強い思いがあった。 「羽生結弦選手を超えたいんです」 追いつきたい、のではなく、超えたい。 その思いが彼を駆り立てたのだ。 そして彼は全日本ジュニアでもトリプルアクセルに挑戦する。 ノービス年代のうちにトリプルアクセルを成功させることは羽生結弦にも出来なかったことだ。 だからこそ、頑張って今季のうちに降りたい、と語る。 これから先、彼はどんな挑戦を見せてくれるのだろう。 期待して見守りたいと思う。 悔しい出来栄えだったが、高い能力の片鱗を見せた片伊勢武 スタイルがとても良く、氷上で映える選手だ 近畿ブロックで100点超えを果たし、一躍優勝候補として臨んだ片伊勢武、しかし全日本ノービスの舞台ではいつもの平常心で演技をすることは叶わなかった。 「昨日の夜は心が痛くてあまり眠れなかった」と独特の表現でプレッシャーがあったことを打ち明けた片伊勢選手。 「練習通り」と自分に言い聞かせて滑ったそうだが、「やっぱり本番という意識から、プレッシャーがいつもの演技をすることを邪魔した」という。 「出来栄えは50点ぐらい」と自分の力を出し切ることが出来なかったことを悔やんでいたが、「そういうのを跳ね除けるような強い自分でありたい」と前を向いた。 この経験を糧としてさらなる成長を見せてくれることだろう。 近畿ブロックに比べて進歩したのはループジャンプ。 彼にとっては習得に最も時間がかかったジャンプであり、実はこの試合では「ループはダブルにすることも考えていた」という。 「でも逃げては駄目だと考えて挑みました。 その結果、試合本番で決めることが出来たんです」。 全てのジャンプを得意なジャンプにしたいと語る片伊勢選手。 ミスの多かった試合ではあるが、その中でまた一つ課題をクリアすることが出来た。 「全日本ジュニアではまだこのままでは駄目だ、と先生に言われました」 目標としていた全日本ジュニアへの推薦出場は勝ち取った彼だが、沢山の課題があることも痛感している。 コンテンツシートを見たところ、納得の行かない点が多々あったようだ。 「結果は2位ですけど、全然嬉しくない。 自分はもっともっと出来る。 これをバネにして頑張りたい。 全日本ジュニアでは最後まで思い切ってスピードを出した演技をしたいです」 この飽くなき向上心、必ずや実を結ぶ。 それはそう遠くはないことだろう。 ミスはあったものの、着実な進歩を見せた佐々木晴也 プログラムの強弱を演じ分けることに気を配ったという。 表現力も向上した 決して満足の行く演技とは言えなかった。 いくつかのミスを犯した試合となってしまったが、スピードに乗ったスケーティングは目を惹くものがあり、そのおかげもあったのだろう、本人にとっても望外の高得点をマークし、3位に入賞することが出来た。 「中部ブロックでも2コケ1パンク、この試合でもミスが出てしまいました。 1か月であまり変えることが出来なかった。 そこはとても悔しい」 「練習からしっかりとジャンプを決めて、本番で練習通りの演技が出来るようになりたい」と今後への意欲を見せた。 今季、向上したスケーティングについては、「クラブで円になって色んなステップを練習する時間があるんです」とクラブでの地道な練習の成果だと語る。 昨年の全日本ノービスでは2位に入る活躍を見せた佐々木選手、しかし今年の春から夏にかけては不調の時期があった。 このことについては「実は靴が壊れてしまって、靴の種類を変えたところ調子を崩してしまったんです」と意外な原因があったことを話してくれた。 今は全く問題ないようだ。 「今は悔しい気持ちもありますが、3位になってみると、この1年よく練習してきたな、と嬉しい気持ちもあります」 今回は佐藤駿の上手さを改めて痛感した試合となったようだ。 ただ同時に「自分の演技が出来ればもっと近付ける」と前を向くことも忘れなかった。 「全日本ジュニアでは、自分の出来ることを全て出来るように、順位は10位以内を目指したいです」 そう意欲を見せた彼にとっては、佐藤駿との再戦だけでなく、同じクラブのライバル、壷井達也との対決も待っている。 「達也君は、去年のノービスまではいいレベルで戦っていたんですが、上手くなったな、遠い存在になったな、という気持ちがあります。 ここから沢山練習して、差を縮めていきたい」 壷井選手からは「最近、ちょっと舐められてるんです。 練習中に、『お前、真面目にやれ』とか言われるんです。 自分も言い返せるように頑張りたい」 何とも微笑ましいライバル関係だ。 こうしてクラブ内での切磋琢磨があることが、彼の成長にもつながっているのだろう。

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直通運転

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~ 氣との出会い ~ 心身統一合氣道会・本部師範 片 岡 武 壽 私が初めて「氣」というものを知ったのは私の師であり、王選手の一本足打法や千代の富士を指導した ことで有名な、当時合氣道十段の藤平光一先生を通じてであった。 先生は戦後、合氣道を海外に普及さ せ、世界中に「氣」のことを知らしめたが、それにいち早く目をつけたのが、文化大革命で当時アメリ カに亡命していた中国人の指導者で、その後気功法協会を設立して、氣のブームを巻き起こした。 先生は当初、合氣道を通じて「氣」のことを指導していたので武道家として見られることが多く、その 意味で今は亡き力道山や極真空手の大山倍達なども、先生にだけは一目も二目もおいていたという。 し かし先生の本当の念願は武道の根底にある「氣」の原理を健康や事業や日常生活の問題に活用してもら うことにあったので、意を決して昭和46年に財団法人氣の研究会創設し、日本の多くの人たちに氣の実 在を知ってもらうため東奔西走を重ねた。 私も縁あって学生時代に先生と出会い、現在栃木県にある総 本部にて氣の研究啓蒙活動に参画している。 私は小さいころから先生のお名前だけはよく父から聞かされていた。 合氣道の達人で凄い人がいるとい う話だった。 父のほうは柔道出身で旧制中学時代には白帯で団体全国優勝をしたほどの猛者だった。 その後、頭山満や内田良平に師事し、戦前は石原莞爾氏との関わりで機密情報員として満州に渡り、満 州某重大事件に関わるなど情報収集活動に従事していた。 その後は後任を児玉誉士夫氏にゆずり、国内 で神兵隊事件や東条首相暗殺計画、平沼首相暗殺計画に連座。 いずれも未遂に終わったがその関わりで 各地を転々としていた。 中野刑務所を出獄後、右翼の大川周明氏と福島の滝場で行をしていたが、偶然にも同じく行に来ていた 藤平先生と巡り合ったという。 当時先生は大川塾で合氣道の出張指導をされていて、その縁で3日間飲 みかわしたという。 その時の印象がよほど強烈であったらしく私も何度もそのときの合氣道の話を聞か されていた。 父の友人からも同じような話を聞かされたことがあった。 その人も柔道出身の六尺以上の大男だったが 「いやー、本当にすごい武道だよ。 小娘と思って油断もしたんだが、とびかかっていった瞬間、小手を ひねられあっという間に投げ飛ばされていたんだ」というのである。 信じられない話だったが世の中に そんな不思議な武道があるものならぜひやってみたい、と子供心に思ったものだった。 高校に入り私は剣道部に入部した。 武道は元来好きだったせいか結構熱心に稽古し、大学受験が迫って もクラブ活動はやめず担任や周りが騒ぎはじめた。 それでも無視していたところ業を煮やした母親が最 後に父に訴えてしまった。 父が私を呼び一方的通告をしてきた。 要するに浪人をさせるつもりはないと のこと。 現役で受からないときはその時点で大学はあきらめるようにとのことだった。 最後に、「その 時には合氣道の藤平君のところに内弟子に入れるつもりなどで、その覚悟でいなさい」と言われてしま った。 父の命令は我が家では絶対であったため逆らうことはできない。 私は受験前3か月から猛然と受験勉強 に入った。 家庭の経済状況からいって国立大学に入ることが第一条件であったが私自身は私学のW大学 が志望であった。 そのためW大学合格通知後、国立大学の二次試験答案を白紙で提出してしまった。 早 速家族会議が開かれ非難囂々の兄弟たちの中で針の筵に立たされた。 私はひたすら両親に懇願し授業料 を自分でまかなうという条件で、入学を許可してもらうことになった。 1970年代の大学紛争の時期で あった。 大学では長年の夢であった合氣道の会に入部した。 しかしながらどんな存在かあこがれていた藤平先生 に、直接手ほどきを受ける機会は殆どなかった。 先生はその頃海外に出張されることが多く、この世界 では神様のような存在であったため、たまに日本に帰られても学生の身分ではただ遠くから拝見するだ けであった。 学生紛争が激しくなるにつけ、授業がないのを幸いに私は合氣道の稽古に集中していった。 クラブだけでは物足りず、近くにあった本部道場やその他の町道場にも顔を出し一日8時間くらいの稽 古はざらであった。 しかしながら稽古を重ねれば重ねるほど疑問が湧いてきた。 成程合氣道の技は武道 も何も知らない素人相手には良く効くのだが果たして他の武道に対して本当に有効なのだろうか?と。 私は他の武道をやっている連中に片っ端から挑戦してみた。 柔道に対してはかかってくる前にうまく関 節技をかけることができればよいがつかまれてしまうとどうしようもなかった。 剣道に対しては逆に相 手のふところに入ってしまえば処理できるのだがその前に叩かれてしまう。 空手やボクシング相手にも やってみて、うまくいく場面もあったがたいがいは動きが早く手首はつかめずその前にノックダウンを くう。 これはダメだと思った。 大体合氣道は試合はなく型を練習する武道なので、お互い同士でも段々 強くなると頑張りあって投げられなくなる。 相手にも触らず投げるなど夢のような話であった。 何かが違う。 本物が知りたいと願っていたちょうどそのころ、先輩が「片岡、面白いところがあるから 行ってみないか」という誘いがあった。 一九会道場という山本鉄舟の流れをくむ禅、禊の道場である。 「三日間ただ大声を出していればよい。 酒も飲み放題」という口車に乗せられ、興味本位に道場に出か けたが、行ってみてすぐに先輩に騙されたことに氣づいた。 他に仲間が十人ほどいたが、皆半ば強制的 に連れてこられた者ばかりであった。 荷物や金銭、靴など取り上げられ白装束に着替えさせられ逃げ出 すわけにもいかない。 まあ乗りかかった舟と思い始めてみたが、とにかくひどい荒行であった。 朝4時 にはたたき起こされ一日中祝詞の文句を大声で叫び、少しでも声が小さくなると周りから先達が寄って たかって背中や顔や腿を平手で叩きまくる。 正坐で行うが一日10時間も行うため膝は痛い、背中は腫れ あがる。 声はかれて出なくなるでヘトヘトになった。 それが三日間続く。 とうとう二日目に脱走者が出 た。 三日目には隣でやっていた男が泡を吹いて失神してしまった。 それでも何とか三日間の行を無事終え最後の日には小宴を催してくれた。 その時のお酒が先輩が言った 飲み放題の酒かとようやく解る。 後で聞いたところ、ここは素人の行う荒行では日本一だとのこと。 家 に帰りついてから二日二晩死んだように眠り続けた。 しかしこれが癖になり、私は学生時代ほとんど毎月この道場に通い詰めるようになった。 この道場で行 っている呼吸法が、現在心身統一合氣道で「氣の呼吸法」として継承しているものである。 でも不思議 な効力をもたらすことが分かった。 この時以来、私は酒を飲んでも悪酔いすることがなくなり、一日2 時間くらいの睡眠でもその当時平気でもつようになったのだ。 ある人はこの呼吸法を続けていたところ、 40年来の水虫が治ったという。 C型肝炎が治った、血圧が下がったという例も数多くある。 当時、呼吸法と合氣道がどのようにつながっているのか分からなかったが、その道場での行が終わって から合氣道の稽古に行くと、普段投げるのに困難な相手を不思議に簡単に投げることができる。 今から 思うとリラックスできていたのだろう。 この一九会道場で伝説的な修行をした人がいて、いつも道場の 奥様からその話を聞かされていたのだが、その人物が奇しくも藤平光一先生であった。 勉学という点では決して真面目な学生ではなかった私も、紛争という時代背景の中で将来の進路を決定 しなければならない時期にきていた。 いたずらに時が過ぎゆくうち、クラブの一年先輩で今はサンフラ ンシスコで合氣道の道場をやっている人の口添えがあり、私は長い間の念願であった藤平先生の下に入 門することができた。 先生はすでに合氣道の技ではなく、氣の原理を純粋に研究する会を主催されておられ、そこには企業の 経営者、学者、医師、弁護士など様々な会員がいて、作家の宇野千代さんなども来ておられた。 先生の肉体は私が想像していた通り超人的強さを保持していたが、そこでは肉体の理よりむしろ心の理 を中心に「心が身体を動かす」という原則に基づき、すべてを明快に説いておられた。 合氣道の理につ いても同様であった。 「相手の肉体を動かそうと思うから難しい。 相手の心を導けば自ずから身体は導 ける。 ちょうど椅子に腰かけようとする相手の心が椅子に行った瞬間に椅子を引けば相手がどんなに大 きくても転がる」と。 「ただし相手の心を導く前に自分の心がコントロールできてなければ相手の心を 捉えることはことはできない。 自らの心と身体を統御することこそ最も大事なことである」と説かれた。 肉体の動きばかりにとらわれていた私には、初め何のことか分からなかったが、先生は実際に体で行っ てみせた。 なるほどその通りだった。 ようやく私は相手の身体の動きだけではなく、相手の心を見る余 裕もなかったことにも氣づいた。 先生は「心にはプラスとマイナスがある」とも説かれた。 「氣を出すのはプラス、氣を引っ込めるのは マイナス。 この世は相対的世界であるからプラスも事実ならマイナスも事実。 どちらが正しいと誰もき めることはできない。 神は愛なりも真実なら、天地無情もまた正しい。 それを決めることができるのは 本人自身の心次第で、どちらが好きかという問題だけだ」と。 「明るい生き生きとした、楽しい成功す る人生を歩みたければプラスを選べばよいし、暗いじめじめした不健康な人生を選びたければマイナス を選べばよい。 東へ行きたければ東に向いて歩めばよい。 西へ行きたければ西に向いて歩めばよい。 た だし、西に向いて歩みながら東へ行きたいというのは間違いである」と。 簡単な理屈であったが、絶対的強さや真理ばかりを探究していた私には、頭から冷水を浴びさせられる ほどショックであった。 そうだ、なぜ今までそんな単純な理に氣づかなかったのだろうかと思った。 私 はそれまでの考えをすっかり切り捨て、先生の下に飛び込む決意をした。 昭和48年、まだ海のものとも山のものとも分からない氣の研究会に入職。 それから45年、現在は心身 統一合氣道会と名称を変え、氣のブームに乗って国内だけでなく、海外22ヵ国3万人の会員を擁する会 になっている。 生涯の師を初めて紹介してくれた父は、30数年前、腐敗しきった日本の政治組織を改革しようと全国 を行脚し、有志を集め伊勢の地で全国有志連合会という会を組織し、その結成大会の壇上で演説中に倒 れ他界してしまった。 その後何度も、今生きていればと思わない日はなかったが、父が成しえなかった 道を代わって歩んでいると考えれば、数々の親不孝も許してもらえるのではないかと思う。

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