ブルータス おまえ も か。 「ブルータス、お前もか・・・」

情熱大陸

ブルータス おまえ も か

ブルータス、お前もか Et tu, Brute! :ジュリアス・シーザー ||||||| ブルータス、お前もか Et tu, Brute! 「ジュリアス・シーザー」という劇の中でシーザーが登場する場面は三つしかない。 ひとつは凱旋して栄光の絶頂にあるシーザー、二つ目は占い師の不吉な言葉に迷うシーザー、そして最後はブルータスらによって倒されるシーザーだ。 これらの場面を通覧して観客が受ける印象は、シーザーという人物が歴史上の英雄に相応しい勇猛壮大な人物だというよりは、優柔不断でスケールの小さな人間だというのが偽らぬところだろう。 彼は栄光の絶頂にあっても細かいことにこだわり、妻の迷信に振り回されて政治を放り投げようとし、最後にはいとも簡単に殺されてしまう。 シーザーが果たして本当に優柔不断な男であったのかどうか、それはわからない。 シェイクスピアが依拠したプルタークの英雄伝は、シーザーを英雄として描いている限りで、彼の人間的な弱さを強調するようなところはない。 シェイクスピアはおそらく、民間に伝わっていたさまざまな俗説を考慮しながら、ことさらにシーザーを弱い人間に仕立て上げたのではないか、そんな風にも受け取られる。 演出家の中には、そんなシェイクスピアの意図を拡大解釈して、シーザーの弱さを強調するあまり、癲癇持ちであったとか聾唖であったとか主張するものもある。 さてシーザーが出てくる場面で最初の印象的な部分は、占い師の言葉を巡るものだ。 シーザーの凱旋を祝う群集の中から、シーザーに呼びかけるものがある。 シーザー:誰だ 人ごみの中からわしを呼ぶのは? どんな音よりも甲高い声で「シーザー」と叫ぶのが聞こえたぞ いっていろ 聞いてやろう 占い師:三月十五日に気をつけなされ シーザー:何者だ ブルータス:占い師があなたに「三月十五日に気をつけろ」といっています(第一幕第二場) CAESAR:Who is it in the press that calls on me? I hear a tongue, shriller than all the music, Cry 'Caesar! ' Speak; Caesar is turn'd to hear. Soothsayer:Beware the ides of March. CAESAR:What man is that? BRUTUS:A soothsayer bids you beware the ides of March. Ides of March とは、各月の半ばの特定の日をさす言葉で、3月の場合には15日にあたる。 ブルータスらの反逆者はその日にシーザー打倒を計画している。 それを占い師が予言しているのだが、シーザーはまともに取り合おうとしない。 劇の初めの部分で、これから訪れるであろう運命を予言する言葉を吐かせるのは、シェイクスピアの常套手段だ。 ここでは占い師にその言葉を吐かせるわけだが、シーザーにはそれをまともに受け取る心の余裕がない。 そのかわりに取り巻きの人物たちの品定めにうつつをぬかす。 シーザー:アントニー アントニー:はい わしの周りには太った男だけを近づけるようにしてくれ 髪をこぎれいになでつけ 夜はぐっすり眠るようなやつをな あのキャシアスは痩せていわくありげな顔つきをしている あいつは考え事が多すぎる ああいう男は危険だ(第一幕第二場) CAESAR:Antonius! ANTONY:Caesar? CAESAR:Let me have men about me that are fat; Sleek-headed men and such as sleep o' nights: Yond Cassius has a lean and hungry look; He thinks too much: such men are dangerous. この部分は、プルタークの英雄伝では、キャシアスとブルータスが一緒くたに扱われている。 シェイクスピアはそこからブルータスを除くことで、これから展開する劇との間で整合性を図ったと思える。 シーザーの優柔不断振りがもっともよく現れるのは、3月15日の当日になって、改めて予言にこだわる部分だ。 妻のカルパーニアが予言の内容を憂え、シーザーにどこにも出かけないでと懇願する。 それに対してシーザーはどう振舞うべきかさんざん悩むのだ。 いったんはカルパーニアの願いを容れて議事堂に赴くのをやめるが、結局はいくハメになる。 それも主体的な意思に基づいてというより、成り行きにまかせてという色彩が強い。 シーザーはこの成り行き任せの態度を、次のような勇者らしい言葉で紛らわしているのだ。 シーザー:臆病者は死ぬ前に何度も死ぬ思いをする 勇者が死を味わうのは一度きりだ この世の中でもっとも奇怪なことは 人間が死を恐れることだ 死は絶対避けられぬものなのだから 死ぬべきときがくれば必ず死ぬのだ(第二幕第二場) CAESAR:Cowards die many times before their deaths; The valiant never taste of death but once. Of all the wonders that I yet have heard. It seems to me most strange that men should fear; Seeing that death, a necessary end, Will come when it will come. シーザーは一回だけ、勇者らしい態度を見せる。 だがそれは殺される直前だ、そこのところが観客には心憎く映る。 シーザー:わしはあの北極星のように不動だ 確固としてゆるぎない点にかけて 天空で並びないあの星のように不動だ 空には無数の星明りが散りばめられ それぞれが燃えて光を放っているが 不動の星はただひとつしかない 世の中も同じこと 無数の人間がいて それぞれが血肉を持ち 理性をそなえているが その中で わしの知る限り 揺るぎのない地位を占め 不動であるものは ただひとりしかいない それはこのわしなのだ(第三幕第一場) Caesar:But I am constant as the northern star, Of whose true-fix'd and resting quality There is no fellow in the firmament. The skies are painted with unnumber'd sparks, They are all fire and every one doth shine, But there's but one in all doth hold his place: So in the world; 'tis furnish'd well with men, And men are flesh and blood, and apprehensive; Yet in the number I do know but one That unassailable holds on his rank, Unshaked of motion: and that I am he, この言葉の中でシーザーは自分の力に酔いしれている。 そこには専制君主がよく発する唯我独尊的な傲慢さがこめられている。 この傲慢さが自ら死を招き寄せたのだ、シェイクスピアはそういっているかのようだ。 そのシーザーが最後に発する言葉が、かの有名な言葉だ。 シーザー:ブルータス お前もか! 第三幕第一場) CAESAR:Et tu, Brute! Then fall, Caesar. これはプルタークの英雄伝には出てこない。 かといってシェイクスピアの独創でもないらしい。 ローマの歴史家スエトニウスの伝えでは、シーザーは死に及んでギリシャ語でこれに相当する言葉を発したということになっているが、スエトニウス自身はそれを容認していない。 ともあれシーザーのいまはの言葉として伝えられていたものを、シェイクスピアが取り入れたというのが真相のようだ。 だがこの言葉が世界中に広まるようになったのはシェイクスピアの功績である。 ||| 作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved C 2007-2010 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである.

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ブルータス、おまえモカ

ブルータス おまえ も か

想像と違った。 読んで、読む前に抱いていたイメージとだいぶ違っており、驚いた。 想像と違ったこと。 一、主人公はシーザーではない。 二、「ブルータス、お前もか」は、クライマックスのセリフではない。 主人公に関してだが、題名と反しではなく、 ブルータスである。 シーザーはセリフも、登場シーンもブルータスと比べるとずっと少ない。 そして物語の半ばで暗殺されてしまう。 五幕構成の劇だが、暗殺シーンは第三幕である。 そしてこの三幕目に有名なセリフがある。 の 松岡和子訳によればこうだ。 シーザーの生死がメインではないとすると、この戯曲はどのような物語なのか。 ブルータスに視線を向けてみる。 戯曲全体を通しブルータスは高潔な人物として描かれている。 この戯曲は、この高潔な人物が、友人でありローマのヒーローであるシーザーを殺すことを決意し、実行し、しかし暗殺することで手に入れるはずだったものをその高潔さゆえに逃し、ローマから追われる立場になってしまうまでの物語である。 物語はシーザーがローマに凱旋してきたところから始まる。 数々の勝利をおさめ、ローマの英雄であるシーザーは、しかし英雄がゆえに、かつての友人らから嫉妬されていた。 さらにシーザーが王位につくのではないかとの噂もあり、その嫉妬心は殺意にまで膨れ上がっている。 そんな友人らのなかにあって、ブルータスは特殊である。 彼は、嫉妬心ではなく一人の人間が全権力を掌握することに対し憂慮を抱く。 シーザーが王位につくということは、ローマの共和政治が崩れに移るということである。 ローマの未来のために、ブルータスは暗殺計画に加わることを決意する。 暗殺は成功した。 しかし、彼のローマを思う心は民衆に伝わらない。 シーザーの右腕であったによって扇動された民衆は、ブルータスらをローマから追放する。 市民一同 さあ、燃えさしを持ってこい、おい! 松明を持ってこい! ブルータスの家だ、キャシアスの家だ、ぜんぶ焼いちまえ! 何人かはディーシアスの家へ行け、キャシカの家にもだ、リゲリアスの家にもだ! さあ、行け! ブルータスはローマのために友を裏切ったが、ローマの運命に裏切られたのだった。 悲劇である。 戯曲の原題は 『The Tragedy of Julus Ceasar』、 「の悲劇」。 友人に殺されてしまっただけの悲劇ではなく、彼の暗殺に関わった多くの人々にとっての悲劇である。 その後のローマ 読み終えてから、その後ローマはどうなったのかが気になった。 世界史の本をぱらぱらと捲る。 ブルータスらの奮闘も空しく、ローマの共和制は帝政へと移行する。 の時代である。 ブルータスの心配は杞憂に終わる。 の治めた200年あまり、ローマの平和は続く。。 『自省録』を書いた もの一人だ。 もっとも、永遠に平和で繁栄した国家が今までの歴史には存在しないように、もやがては衰退していくのだが。 でも、ブルータスの心配もよく分かる。 現代の日本に物語を重ねてみる。 20XX年。 日本の政治は民主主義により愚民政治に陥っていた。 そこにカリスマ的な政治家が一人。 彼は言う。 「このままでは日本はだめになってしまう、議会を通しであーだこーだやっているよりも自分ひとりで政治を行った方がマシだ」。 彼はまず武力を味方につける。 そしてその武力を背景に全権力を掌握しようとする……心ある他の政治家は、なんとしてでも彼を止めようとするだろう。 たとえ、自分が殺人犯となったとしても。 こう考えると、帝政でローマは平和になったんだからいいじゃん、とは言えないだろう。 みんな大好き この戯曲はの中期の作にあたるそうだ。 1623年出版。 考えてみれば400年近く前に書かれた物語である。 今でも世界中で上映されていることを考えると、はやはりすごい。 『』は でも新しく でもないのか? 出版されている。 こちらは 訳。 光文社では今のところ6作の劇が出版されている。 『Q1』という普通の『』とは別の版を元に訳したものも出ているそうで気になっている。 また近年、 『堀の中の』なる映画も上映されたらしい。 イタリアの囚人が、更生実習の一環としてこの戯曲の上演を行う様子を撮ったドキュメンタリーだそう。 こちらも気になる。 さらに加えると、この戯曲ではブルータスの敵として書かれている。 このをメインの登場人物に据えた戯曲もは書いている。 『と』である。 こちらも未読だが、読んでみたい。 『』にはびっくりするほど恋愛要素がなかったが、『と』は題名て恋愛要素がありそうだ。 戯曲は小説よりも短時間で読めるのがよいと思う。 は、戯曲初心者にも分かりやすい…気がする。 登場人物はどの作品も多いけど。 ということで、忙しい時はを読もう! dokusyotyu.

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「ブルータス、おまえもか」: ta meta ta phonetika

ブルータス おまえ も か

伝承 [編集 ] 紀元前44年3月15日、は自らの古い友人であり、腹心でもあった元・元老院議員マルクス・ユニウス・ブルトゥスや、部下でブルトゥスの従兄弟、かつての敵だったらによって暗殺された。 カエサルは暗殺の際にブルトゥスの姿を認めるとひどく落胆し、で自身の体を覆う仕草を見せて " Et tu, Brute? " と呟いたという。 よく誤解されるが、カエサルがブルトゥスへの揶揄を呟いたという伝承自体はシェイクスピアの史劇以前から存在し、一から完全に創作した場面ではない。 カエサルに限らず教養ある古代ローマ人は古代ギリシャ語を流暢に話したと伝えられることから、こう言い残したとしてもさほどの不自然さはない。 一方、" Et tu, Brute? " という言い回しで定着させたのは間違いなくシェイクスピアである。 『ジュリアス・シーザー』では「我が子、 ブルータス、お前もか? もはやカエサルもここまでか!」(Et tu, Brute? Then fall, Caesar! )と続く形になっている。 ちなみに、シェイクスピアは同作以外にも似た場面と台詞を使用している。 解釈 [編集 ] 古くから史実かどうかについて、歴史学者の間でローマ時代から議論が行われている。 は「カエサルはブルトゥスの姿を見ると、トーガで身を覆う仕草を見せた」と伝えており、動揺を示しつつも言葉でなく仕草で現したと主張している。 スエトニウスに至っては「カエサルは言葉を残す暇もなく、刺されて死んだ」と伝えている。 仮に " Et tu, Brute? カエサルは後にで養子のに謀殺されたを除いて息子はなく、他に子供はの妻であったの一女のみである。 したがってこれは、当時からカエサル落胤説が囁かれるほどに寵愛されていたブルトゥスに対する言葉と考えられている。 もう一つの説としては、古代ギリシャの格言を引用したのではないかとする論がある。 『ジュリアス・シーザー』の台詞も " Et tu, Brute? " だけが広がり "Then fall, Caesar! この論に立つ場合、「息子よ、お前も私と同じ末路を辿るだろう」(ブルトゥスが元老院で失脚することへの予測)であったと主張される。 他に「次はお前の番だ」(Your turn next)とする説 、「先に向こうで待つぞ、若造!」(To hell with you too, lad! )とする説 など多様であるが、無言で死んだとするスエトニウスも自らが聞いた説として "tu quoque, fili mi" (息子よ、お前までが)を書き残している。 これは18世紀のラテン語の教本である "De Viris Illustribus" などに引用されており、現代に影響を残した。 フランス、イタリア、スペインなどロマンス語諸国では、"et tu, Brute" より "tu quoque, mi fili" もしくは "tu quoque, Brute, fili mi" を使う事が多い。 出典 [編集 ]• Shakespeare, William; S. Johnson, Alfred Harbage Editors 1960. Penguin Books. Suetonius, The Lives of Twelve Caesars, Life of Julius Caesar• Suetonius, The Lives of Twelve Caesars, Life of Julius Caesar,• Dyce, Alexander; quoting Malone 1866. The Works of William Shakespeare. London: Chapman and Hall. 648. Plutarch, The Parallel Lives, Life of Caesar• 1998. Latomus 57: 61・71. Woodman, A. 2006. Classical Quarterly 56 1 : 175・189. Fighting for Rome: Poets and Caesars, History, and Civil War. Cambridge University Press. 0-521-58026-9. Lhomond De Viris Illustribus, 関連項目 [編集 ]• ウィキクォートに に関する引用句集があります。

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