思い出のマーニー 感想。 思い出のマーニーの正体は?アンナの人形の謎と日記を破いたのは誰?|MoviesLABO

思い出のマーニーは、ひどいし、つまらない?面白い?評価・感想

思い出のマーニー 感想

思い出のマーニーを見に行って来ました。 スタジオジブリの米林宏昌(よねばやしひろまさ)監督作品です。 面白かったです。 いや、面白いとはまた違う感じかも知れません。 いわゆるジブリファンタジーとは違うような感じだし、分かりやすいキャラクターが出てくる訳でもないので、すごく小さな子供たちにはちょっと難しさが残るかもとは感じました。 杏奈やマーニーと同じ、小学生の高学年ぐらいだったら多分、大丈夫だと思います。 僕は大好きです。 思い出のマーニー。 ネタバレしていますので、注意してくださいね! これから見ようと思っておられる方は、こんなブログなんかここまでにして、今すぐ劇場に行って下さい。 ほんとに。 少し泣きました。 アンナの存在を認められるかそうでないかで、かなり評価が分かれそうな気がしました。 僕は、杏奈(あんな:短い髪の子)が持ってる暗い雰囲気が大好きですので、むしろ、後半の元気になる感じに違和感がありましたが、それは好みだし、思い出のマーニーという物語上そういうものなんだろうと自身を納得させました。 ただ、何となく、元気になったけど、性格は暗いまま、というほうがよかったなと思いました。 杏奈は、信子(のぶこ:杏奈の療養先にいる同世代の女の子)にいきなり酷い事を言って、結局最後までたいしたフォローもないんですが、これが正直、自分にも思い当たる節があって、勝手にめちゃくちゃ心が痛みました。 杏奈は信子に本当に悪い事をしたと思います。 アンナの状態をうまく言えないのですが、出来るだけ自分に当てはめ言葉にしようと試みると、多分もう、めちゃくちゃなんだと思います。 クソみたいに自分勝手でめんどくさい人間なのは自分でも痛いほど分かってるんですけど、もう、ほっといてほしい。 今すぐ極度に一人になりたいというか、一生考え続けたいというか、誰にもコントロールして欲しくないというか、空気を揺らさないでほしいというか、なんというか。 アンナも同じ気持ちだったかどうか、本当の所は分かりません。 同じ頃の僕は、アンナとは違って両親もそばにいてくれたし、周りのみんなもすごく優しかったんだけど、心も頭もなんだかめちゃくちゃで。 だから、アンナもそんな感じなのかな、とかなり勝手に痛みを感じてしまいました。 つまり僕は、アンナの気持ちが分かるんじゃなくて、アンナのような子は今も現実にいるんじゃないかな、と感じたのです。 それは、過去の、あの時の、僕のことなのかもしれません。 そしてそれは、杏奈の存在と同時に、アンナの存在も認められるというか。 信子には怒鳴りに行ってくれるような家族がいつもそばにいるけど、アンナは自分にはそんな家族はいない、というようなことを、ひたすら数限りなく考え続け感じ続けてしまっているのだと思います。 それでも杏奈はいつか、信子にしたことの大きさに、失ったものの大きさに苦しむかも知れません。 杏奈はマーニー(金髪の女の子)を許しても、信子には許されないでしょう。 杏奈であろうが、アンナであろうが、あなたはあなたでしかない、のだから。 劇中、信子はアンナに「あなたはあなたでしかない」というようなことを言います。 それは、酷く僕を揺らす言葉でした。 そう、僕は、一人しかいないのです。 今も昔も、そして、これからもずっと一人です。 信子も救えるように物語を導くべきなのかもしれません。 愛が足りないと言われれば、そうなのかもしれません。 逆に、子供なんて人間なんてそんなもんだ、と言える勇気があればいいんですけど、僕にはそこまでの勇気がありません。 すべてが、僕の勝手な思い込みなのかもしれませんが、やはり、ここのアクションだけは他と違ってどうしても引っかかったので、僕の勝手な想いを書きます。 だから、これからの杏奈もとても心配ではありますが、それでも僕は、杏奈のすべてを肯定すると思います。 マーニーは、アンナのそばに、ちゃんとそこに存在していて、アンナはちゃんと、肌のぬくもりだったり、息づかいだったり、生や性を感じている。 つまり、マーニーはアンナの想像上の人物などではなく、実際に出会っている、ということかと僕は感じています。 ようするに、現実と空想が入り乱れている物語ではないと僕は思います。 いや、想像なのか空想なのか現実なのか真実なのかどうかなんて、そんなのどうでもいいんです。 僕にも思い当たる節があるんです。 原作を読んでいないため、実際どういった扱いなのか分からないのですが、思い出のマーニーは、時空(祖母)や物質(人形)を超えたところでちゃんと触れ合えたというファンタジー、という建前の超現実的なドキュメンタリー、なんじゃないかと僕は感じました。 だからなのか、結構マーニーも酷いんですよね。 酷いというか、現実的というか、アンナの想いとの差がありすぎるというか、怖い感じさえするというか。 マーニーは、アンナがどこからきて、誰なのか知っていたのかも非常に気になります。 僕は上記の理由から、知っているような気がしています。 そして、それを、つまり結果的に、アンナを、サイロでだけではなく、その後の人生をもひとりぼっちにしてしまったマーニーに、最後、アンナは「許してあげる、あなたがすきよ、マーニー」とちゃんと会って伝える。 許しの物語。 むしろ、許すために、外側に行ったと言えるのかもしれません。 杏奈は、マーニーを、両親を、信子(内側)を、そして、自分を許すために。 マーニーは、両親を、恋人を、娘を、そして、自分を許すために。 思い出のマーニーは、杏奈を救おうとする物語であると同時に、マーニーを救おうとする物語でもあるのだと僕は思います。 マーニーの杏奈に対する「あなたのことをたくさん知りたい、でも、少しずつ知りたいの」というような言葉がとても印象的だったから。 あと、アンナとマーニー以外の登場人物にいまいち奥行きが無いと感じたり、全体的に動きが少ないと感じたり、何か軸になるアイテムが欲しいと感じたり、ストーリーに流れやメリハリが欲しいと感じたり、前半部分を短縮してアンナとマーニーのみに絞って90分ぐらいでもよかったのではないかなどと感じたりしましたが、それでも、僕は「思い出のマーニー」が好きだなと思いました。 それに多分、僕も、許したかったんだと思います。 そして、何よりずっと、許してほしかったんだと思います。 でも、それはもう、無理な事だから。 なんか、めちゃくちゃですいません。 僕は、今もあんまり変わっていないのかもしれません。 エゴでも何でも、映画と一緒に自身の心の揺れを自身で強く感じてしまいました。 こんなにも、泣いてしまうとは思いませんでした。 絵的なこと、背景とか、風景とか、あと、主題歌も、音楽も、声も、すごく心に染みました。 すごく好きな感じでした。 すごく良かったです。 米林監督を始め、関係者の皆様、素敵な作品をありがとうございます。 小舟が屋敷につくところとか、サイロのシーンとか、最後の許すシーンは、僕を掴んでずっと離してくれませんでした。 僕は、杏奈が誰かに愛されているということを知ったことよりも、誰かを愛してもいいんだと知ったことのほうが、すごくすごく、うれしかった。 また、見に行きます。 アンナとマーニーに会いに行きます。 いや、彩香に会いに行きます! 彩香(さやか)は眼鏡っこ。 自分は演技をしてる側の人間です。 偶然このブログを見つけました。 自分なりに観て感じた事を書きます。 杏奈は信子に酷い事を確かに言いましたが映画の最後に杏奈が素直に謝った事で信子は許したと俺は映画を観て思いました。 今度はゴミ拾いをしてもっとお互いを知りましょう。 て意味に聴こえました。 信子の言い方は確かにぶっきらぼうな言い方でしたが、あれは信子なりの杏奈への伝え方であり、そして信子のうわべだけで無い心からの杏奈へのメッセージだと思います。 杏奈も信子も不器用で素直じゃないんだなって観ててほっこりしました。 本当に嫌いになった人ならあんな言葉は書けないと思いますしあの後どうなったかは観る人の想像に任せますて感じがやはりジブリの良い所ですね。 昨日の金曜ロードショーで初めてこの映画を観たのですが、良い映画ですね。 心の奥が温かくなり また観たくなる映画です。 誰もが持ってる心の闇の部分にこの映画はそっと明かりを照らしてくれて癒してくれる そんな感じに思えました。 自分も今まで生きてそういう部分も沢山ありますし経験もしましたので本当心が癒されました。 沢山の人に思い出のマーニーは観てもらいたいですね。 こんにちは。 思い出のマーニーを金曜ロードショーで観て、この作品について調べていたところこの感想を見つけました。 非常に共感するものがあります。 私は現高校生で、多忙な毎日を送っています。 そのなかで、杏奈が言った、内側と外側を感じます。 私は人と一緒に行動することが苦手で、杏奈に重ねてしまうものがあります。 きっと、今このような人は、私以外に沢山あります。 しかし私は、両親に愛されています。 このような性格だけど友達にも恵まれている環境にいます。 こんな私だけど、そばにいてくれる人がいます。 なんでこんな性格なのに愛してくれてるのかといつも思います。 (見せかけの愛でも私が愛と感じればそれでいいのです。 ) 友達から、私の一つの名前を呼ばれるたび、私の存在を呼ばれるたび、本当に泣きたくなります。 それは愛を感じれるから。 この作品には、ジブリの中でも、特に、愛を感じれる作品だと私は感じました。 マーニーや、杏奈は率直に愛していると伝えています。 おばさん夫婦は、杏奈を優しく見守っています。 養母は、彼女に伝わらなくとも彼女を愛しています。 それぞれがそれぞれの形で、愛を伝えています。 本当に、言葉にできない、愛に溢れた作品です。 私も、この物語が好きです。 長文失礼致しました。 金曜ロードショーを観てからの2日、僕の中の杏奈な自分 中身はおっさんです が中々消えなくて、ここに辿り着きました マーニーは杏奈が創り出した妄想だと僕は思っています 自分を外側に置いた杏奈が、自分がなりたい存在で肯定してくれる存在を求めていたのかなあと そのうち祖母の話しに引っ張られ、都合の良い存在でなくなったマーニーを許した時、杏奈自身の事も許せたのだろうと 本当は違うと思っていても、人の優しさの裏側を疑ってしまい、素直になれなかった杏奈 マーニーは辿り着けない理想の自分 結局、僕は杏奈でもマーニーでもない存在の大人になったけれど、小説や映画を観ると現れてきて、恥ずかしいやら愛おしいやら きっと、色んな人の中に、それぞれの杏奈とマーニーが居るんだろうなあ そんなこんなで、思い出のマーニー好きです 駄文乱文失礼 はじめまして。 私も金曜ロードショーで初めて見ました。 通りすがりに思わずお邪魔しちゃいます。 私も泣きっぱなしでした 風の谷より泣きました。 笑 いやでも正直ジブリだと忘れていました。 終始やわらかい綺麗な絵でしたねーそこにまずグッと。 杏奈に共感というか、そうゆうのとは少し違いますが 実はわたし杏奈くらいの歳の頃の記憶がないんです。 あまり。 大人になって自分でやっと理解したんですが たぶん子供ながら自分の記憶を消したんだなって。 だから分かります。 もう一人の自分がいつもどこかで見ているのが。 自分を許すかぁ。 ありがちな話だけどこんなふうに一本の映画として見るのは なかなかないもんで いい作品でした。 お邪魔しました。 正直 このジブリ いや ドラマをみてとっても最高でした! テスト休みで 借りてみていたよですが かるいきもちで見るものでわ ないと思いました! 自分も マーニーみたいな子と 一緒に遊んだりしたいです! 正直 非現実的ですが マーニーのこと 好きになりました! 杏奈のあの くらい感じといい なんともいえません! 自分の一番好きな場面わ 2人で ボートに乗り マーニーが あなたわ私の大事な 秘密よ と手をとりあうところが 好きです! 自分も マーニーが住んでいた お屋敷にいってみたいです! 最後にわまさか 杏奈の おばぁちゃんだったとは びっくりしました!マーニー 本当に人柄といい 声といい 大好きです! ぜひ みてください! はじめまして 私は、15年10月9日金曜ロードショー、地上波として初公開の夜に見て、虜になりました。 私も、杏奈と同様、そして杏奈以上にプリシラ・アーンさん同様、高校の頃、どん底に暗かったです。 その後、手当たり次第にいろいろな方の感想やレビューを読んで見ましたが、「これぞ、鑑賞文の鑑」と言えるレビューにようやく出会えました。 ご自分の体験に引きつけて、誰のマネでもない文章をお書きで、敬服致します。 さて、ついては2点お伺いしたいことがあって、書き込ませて頂きます。 Q1 「㊿年前」という数字は、劇中のどのセリフからわかるのでしょうか。 私はアニメを5、6回再生してみましたが、この数字に思い当たる箇所がありません。 それで、地上波版ではカットされたシーンがあるのかも、と思い、劇場でご覧になったまなべやさんにお聞きしております。 Q2 貴レビューの初め辺り「アンナ」というのは、どういうイメージに対しての命名でしょうか? まだ見ぬ原作のAnnaはそんなキャラクターかもしれない、という御推測かな、と まず思いましたが文章内容から推してそうではなさそうですね。 では、杏奈の無意識・潜在意識・意識下・超自我・等々と呼ばれるもののことか、と思いましたが、「アンナの存在を認められるかそうでないかで、かなり評価が?・・・」「(アンナは)一人になりたいというか、一生考え続けたいというか、誰にもコントロールして欲しくないというか、空気を揺らさないでほしいというか」といった記述からは、杏奈本人も意識していない、別の自分とか、精神分析学によってのみ表面化させられる何ものかをお考えでないことも明白ですね。 と三つめの推測をしましたが、それなら「杏奈の内面(もしくは、心中)」で済むことだし、第一、「 信子には怒鳴りに行ってくれるような家族がいつもそばにいるけど、アンナは自分にはそんな家族はいない、・・・」の部分は、血縁者がいないことが作品内現実とされている以上、「アンナ」でなく「杏奈」と書かれる筈だ…と考えると、内面でもなさそうです。 「アンナ」という名で表される何かを設けて論じる点こそ、貴レビューの最もユニークな部分であり、かつ、核心でもあろうかと愚考します。 お手数ですが、よろしければ、お手すきの折にでも、「杏奈」/「アンナ」の使い分けを教えて下さいませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。 皆さん、ブログを読んで頂き沢山のコメントまで頂き、本当にありがとうございます。 すべてに返信できなくて申し訳ありません。 一つ一つ全部読ませて頂いています。 皆さんの様々な感想がとても興味深く胸を熱くしております。 村崎真惟さん、質問ありがとうございます。 もちろん自分の考えが正解ではありませんが、様々な感想がある中、皆さんの感想の返信に通づるものもありますし、今自分が考えている事をお答え出来れば、と思います。 自分もすべてに答えを出せている訳でない為、理詰めでなく感覚的な部分が多々あること、了承下さい。 Q1 の「50年前」の件ですが、自分にもその認識はありません。 もしかすると原作の記述に、マーニーの日記に何かそういった年代との繋がりが記されているのか、マーニー自身の年代的にそういう事と認められるのか、など何か記述があるのかも知れません。 例えば映画の中の小物の年代的にそういう風に認められるのかも知れませんが、映画の中にはっきりと50年以上前だという記述みたいな証拠は無かったと思います。 見落としていたらすみません。 Q2 の「杏奈」と「アンナ」の違いですが、様々な感想があると思いますので、あくまでも自分の認識という事で書かせて頂きます。 自分の中では、アンナは悲しみを請け負う人、杏奈は普通のフラットな杏奈という認識でした。 ちなみに、杏奈は喜びを請け負う人、ではありません。 「もう一人の自分」や「杏奈の内面」という言い方も僕は正しいと思うのですが、支配されているほうが杏奈で、支配している方がアンナです。 未来が杏奈で過去がアンナ。 親が杏奈で子がアンナ、だと僕は思ってるんですけど、ここがすごく難しくて、今の僕の考えでは、やっぱり親杏奈子アンナなんです。 何故か逆じゃ無いと感じるんです。 単なる記述の問題なのかな。 親が子(自分自身の子供の頃)に会いに行く、過去の自分に会いに行く、そういう感覚なのかも知れません。 この考えは、思い出のマーニーの物語ともリンクしていると言えるかも知れません。 杏奈とアンナ、二人は同一人物です。 そこに時間の流れがあるだけです。 いつも一人なのです。 毎日毎日悲しみを請け負っているアンナがいることを、杏奈自身が認める(許す)物語なんじゃないか、と。 マーニーがアンナに許しを乞い、行動できないアンナに変わって杏奈がそれを許します。 存在を認めて、尚且つ、いい子いい子してあげることは、同時に、普通の人物である自分(杏奈)がすべての悲しみを支えなければいけなくなる為、杏奈の今後がとても心配です。 僕が最終的に杏奈が笑顔になって少し違和感があったのは、それが、アンナではなく杏奈のもののように見えたからです。 正直、まだ早すぎると思います。 これからもアンナがそばにいることを隠す必要は無いと思います。 もしかすると内側にいる人は、アンナを全く意識していないのかも知れません。 存在を認めた後なのか、それ以前なのかは難しいところです。 人ぞれぞれなのかもしれません。 外側の人は、アンナの存在を完全に認識しており、申し訳ないと思いつついつも押し付けており、この世界は悲しみに溢れているため、自分を守りたいがためにアンナを守る時、杏奈が変わって内側の人間に強く出てしまうこともあるのだろうと思います。 それが、人間の強さの源泉、なのかも知れません。 時に、負の感情から強さが溢れる出る事もあると思います。 自分を守りたいが為の行動を非難する事は僕には出来ません。 それを、僕は肯定したいのです。 杏奈のすべてを肯定したいと思っています。 それでも、まだまだ先は長い。 まだ何もかもが始まったばかりです。 だから杏奈だろうが、アンナだろうが、あんたはあんたのようにしか見えない、と信子に言われても、そんなこと初めから分かってる、ということなんだろうけど、そういうお前こそ、自らのノブコに気がついて無いだけじゃないのか、無視するなよ、という憤りもアンナにはあったのかも知れません。 ひどい八つ当たりなのかもしれませんが笑 でもこれは、信子はすでに、自らのノブコの存在を認め許し、尚且つ守り育みながら行動しているかも知れない、とも言えると思います。 信子の強さを認めるかどうか、など様々な意見があると思います。 僕は、杏奈は信子のようにはなれないと思っています。 なぜならそれは、もう杏奈じゃないからです。 そもそも、なる必要もありません。 それこそ、杏奈はアンナを含めて、すべてが杏奈そのものなのです。 この辺りの解釈が人ぞれぞれなのも、この映画の面白いところだと感じます。 だからこそ、外側と内側のどちらが居心地が良くて優れているかなども、やっぱり人それぞれで、それが個々の感想の違いなんかにも現れているのではないか、とも感じています。 決して、外側駄目で内側万歳ではない、と僕は思っています。 その逆も然りです。 もちろんそうなんですが、自意識と言うか、認識は残酷です。 現実は残酷です。 僕も多分、僕があまり好きでは無いのかも知れません。 暗くても明るくても大好きだよ、と、そんな言葉を、僕が僕に言えたら良かったのかも知れませんね。

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映画『思い出のマーニー』評価は?ネタバレ感想考察/ジブリ最後のファンタジーは記憶と許し

思い出のマーニー 感想

映画の方は「もし評判が良ければ..」ぐらいなんだけれど、原作は読んでみようと思って手に取って見た。 手元に届いて意外に思ったのは、400ページのけっこう厚い本だったこと。 勝手な思い込みでだけれど、もう少し薄い本を想像していた。 主人公はアンナという名の少女。 もっと幼いころに両親を亡くし、プレストン夫妻という養父母に育てられた。 物語は、喘息の転地療養のために、プレストン夫妻の古い友人であるペグ夫妻の元に、アンナが出発するシーンから始まる。 この冒頭の短い出発のシーンに、アンナが抱えるものが暗示的に描かれている。 喘息以外に「やってみようともしない」ことを大人たちが心配していること。 普通の子どもたちが考えるような「友だち」とか「一緒に遊ぶ」とかいったことに興味がないこと。 自分だけ「外側」にいるように感じていること...。 そこには「心の問題」が垣間見える。 ペグ夫妻の元でアンナは、行きたいところに行き、したいことをして暮らす。 時に問題を起こすこともあるのだけれど、ペグ夫妻は、全面的にアンナを受け止めてくれる。 そんな暮らしの中で、アンナは同じ歳ぐらいの少女マーニーと出会う。 物語はこの後、アンナとマーニーの「大人たちには秘密の」面会を繰り返し描き、やがてそれも終わるときが来て...。 マーニーの登場後に、私の頭に常にあったのは「マーニーとは誰なのか?」「そもそも実在するのか?」ということだ。 もちろんマーニーはアンナと普通に話をするし、触れることもできる。 しかし、その実在を危うくするようなことが、物語のそこここに潜んでいる。 面白かった。 アンナがかなり無茶な行いに及ぶので心配になってしまうが、そういった奔放さもこの物語には必要だったのだと思う。 「マーニーとは誰なのか?」というミステリーの要素、子どもらしい無邪気さと少しの残酷さ、アンナの回復、そういったことが混然となって物語を引っ張っていく。 最後に。 どの版にあるのかどうか分からなけれど、私が読んだ「特装版」には河合隼雄氏による「「思い出のマーニー」を読む」という題の解説が付いていた。 物語に「解説」なんて要らないという声もあるだろう。 しかしこれは、物語全体に新しい光を当てる素晴らしい解説だと思う。 (ファンタジー小説についてのブログ記事が集まっています。 ) (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。 はじめまして。 しょっちゅうお邪魔させていただいているのですけれども、 この記事には今まで以上の興味を惹かれたので書き込みします。 びっくりしたのが、 >マーニーの登場後に、私の頭に常にあったのは「マーニーとは誰なのか?」「そもそも実在するのか?」ということだ。 もちろんマーニーはアンナと普通に話をするし、触れることもできる。 しかし、その実在を危うくするようなことが、物語のそこここに潜んでいる。 これです。 そういう話だったんですね。 しかも感想を読ませていただくにあたり、 思っていた以上に深そうです。 しかもしかも、解説が河合隼雄先生だなんて。 うひゃあ。 いいものを見せていただきました。 バックナンバー• 9 カテゴリー• 221• 399• 244• 123• 128• 103• 135•

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思い出のマーニーは、ひどいし、つまらない?面白い?評価・感想

思い出のマーニー 感想

ここのレビューは業界関係者や身内が多いのでしょうか? ここのレビュー評価がとても良かったので鑑賞してみたら、余りにもひどすぎたのでとても残念でした。 本気でこれを良い映画だと言うのでしたら、日本のアニメ映画の未来はありません。 「風立ちぬ」は宮崎駿監督の最後の作品だからこそ許される…利益度外視の芸術的な意義深さ社会的に後世に残す意味のある素晴らしい作品でしたが、この作品にはそもそも映画化される意義もあまりなければ、そもそも実写でも良かったのではないでしょうか…。 そもそも、ジブリはどこへ向かっているのでしょうか? 一体いつまでこうした赤字映画を垂れ流し続けるのでしょうか? 作品を製作することを決めた時点で、ある程度こうした失敗作になる可能性は容易に推測できたのではないでしょうか…。 ジブリの経営幹部の判断が甘いとしか言い様がありません。 ジブリは、日本及びアジアのフロントランナー会社です。 もうそろそろディズニーを単なる大衆向けの大味な娯楽作品だとか馬鹿にしていないで、もっとビジネスベースにで厳しく現場や監督を管理して、必死にマーケティングやコンテンツのマルチチャネル化に取り組むべきだと思います。 「かぐや姫の物語」も仕方ないのかもしれませんが、そもそもは興行的な利益が出せない監督は容赦なく切るべきです。 一般的な会社なら、利益を出せない社長 監督 は即クビです。 お金や時間をかければ良い作品ができるのは当たり前です。 登場人物の歩き方やモーションの不自然さから、監督が普段からミュージカルや実写の映画をあまり観ていないのもすぐに判りました。 恐らく、アニメ作品ばかりを見て研究しているので、そこからの影響がどうしても大きくなるのだと思います。 また、この映画は実写で良かったのではないでしょうか? アニメでしか表現できないことを映画にする意味はありますが、「ここまで実写に近づけている」とか、「アニメでここまでこだわっている…」というテクニカルなこだわりは製作者側の単なるエゴでしかありません。 日本の鑑賞者は、作品の曖昧さや不明瞭さを勝手に深い意味があるのだと自己説得していますが、海外の鑑賞者はそんなこと通用しません。 この作品も海外で受け入れられることはないでしょう。 いつかジブリが、CG映画にリアルさを求めすぎて経営破綻しかかったゲーム会社のスクウェアのようになるのではないかと心配にさえなってきました。 日本のアニメは儲かるんだ!!アジアのアニメはジブリを見習え!!ということを自ら発信してもらわなくては、日本のアニメ映画ならびに日本のコンテンツの未来はありません。 企画の選定の段階から、映画化したあとのマネタイズまで、ワンコンテンツでいかにマルチマネタイズできるかを、きちんと冷静に判断しながら、良い作品をきちんと作ってほしいです。 最近のジブリはその基準がぶれています。 そうならなければ、日本から次世代の優秀なクリエイターたちが育てません。 あと、個人的に思ったのは監督は恋愛をしたことが本当にありますか?女性のスタッフの意見をきちんと取り入れたら、こういった映画にはならないのではないかと思いました。 大した恋愛経験もない監督の独りよがりな視点から見た女性の心情物語であったような気がして、まったく女性からの視点を無視した構成と演出だなあと感じてしまいました。 監督はまだ若いですから、是非とも次の作品には、自分のエゴからではなく、洞察力のある作品を期待しています。

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