天 三 月 イラスト。 不忍池辯天堂 公式ホームページ

天三月 series05

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いつ、だれが、何のために、どうやって作ったのか?日本には古くから「奇跡」と伝えられる建造物がありますが「天之逆鉾(あまのさかほこ)」は「日本三奇」の1つとして江戸時代の医者、橘南谿が記した書物の中で紹介されております。 天孫降臨の地、高千穂峰の山頂に突き立てられた「天之逆鉾」は、神話の中で「イザナギ」「イザナミ」の夫婦神が日本列島を作るために、大地に突き刺しかき混ぜたとされる、霧島東神社の社宝。 の記事はこちら 今回は、標高1574mの高千穂峰の山頂にある「天之逆鉾」に行ってまいりました。 鹿児島市内から高速道路を使って約1時間30分。 「高千穂高原ビジターセンター」の駐車場で車を降ります。 駐車場はかなり広めで乗用車は500円で停めることができます。 駐車場のすぐ近くに無料休憩所があり、トイレもあります。 登山に行く前に必ず立ち寄りましょう! その隣に、食事やおみやげが買えるお店があるのですが、ここで準備をし忘れた方には必需品となる、軍手と竹の杖が買えます。 正直、軍手?杖?いらないんじゃないの~?と思いながら買ったのですが、後でこの軍手と杖がどれだけ大事な物だったのかを思い知らされるはめになります…。 装備に不安がある方は購入するのをオススメします。 この竹の杖、男の子なら分かると思うのですが、なんかワクワクしてしまいますよね~。 装備を整え、いざ出発です!鳥居をくぐってのスタート! 砂利の道が少し続き、天孫降臨神籬斎場(ひもろぎ斎場)が見えてきます。 たくさんの登山客の方が、山頂の「天之逆鉾」を目指し登っていました。 振り返ると遠くに駐車場が見えます。 ここまででだいたい20~30分くらい。 岩石地帯がはじまり、ここで軍手をしてきてよかったと心底思います。 岩石の要所に金色の目印があるのですが、他の登山客の方に聞いたところ「登りやすい場所」に目印があるそうです。 私たちもこの目印を探して登っていきました。 岩石地帯を抜けると、なにやら人だかりが。 約1時間、苦労して登った先で、その場にいた登山客のおじさんに 「天逆鉾?まだだよ?あの山の上(写真の赤い丸で囲っているとこ)だよ」と指をさされて言われた時、私たちは壊れました。 「?…嘘ばっかり~おじさんの横に逆鉾あるじゃないですか~」…。 実際、ここでやめて引き返す方も結構多いそうです。 あまりのしんどさに正直悩みましたが「天逆鉾」見ずして帰るわけにはいきません! 視界の横に広がる巨大なカルデラを横目に、高千穂の峯を進みます。 超絶ヒットした映画「君の名は」を見た人なら、なんとなく分かると思うのですが 名シーン、黄昏時の場所を思い出しテンションが上がります。 360度パノラマの雄大な自然を見ながら峯を伝い、少し下ったその先に鳥居が見えてきます。 ここは、かつての霧島神宮の跡地。 石碑にはこう書かれています。 「霧島神宮元宮之記」この背門丘の地は、人皇第二十九代欽明天皇元年(皇紀一二〇〇年・西暦五四〇年)、僧慶胤が神殿を造営し、天孫天津日高彦火瓊々杵尊を奉齋せし聖地なりと伝う。 これ霧島神宮の創祀なり。 山頂を目指すにあたり、改めて参拝をし、最後の登山に気合いをいれます。 石や木、網などで階段上の道が作られており、幾分登りやすくなっておりますが この道は帰りが危険でした。 かなり滑りやすく、杖がマストアイテムとなっております。 そして、30分程かけて、ついに頂上に! 見下ろすと駐車場がさらに小さく見え、標高1574m。 だいぶ上まで登ってきたのがわかります。 高千穂峰一帯の霧島山系は、22の単式火山が一つの地域に密集しており世界でも珍しいとされ、昭和9年3月に日本発の国立公園に指定されています。 そしてついに、今回の目的である「日本三奇」の1つ「天之逆鉾」をこの目にしました。 山頂に突き立てられた霧島東神社の社宝「天之逆鉾」は、残念ながら触ることはできません。 「天之逆鉾」は諸説あります。 国家の安定を願い、二度と振るわれることのないようにとの願いをこめて高千穂峰に突き立てた矛は、実は高千穂の噴火により折れてしまい、人々は恐れて、埋まったままの柄はそのままにし、刃の部分は島津家に献上した上でレプリカ(現在刺さっているもの)を山頂に刺し、その後、刃の部分は神社に奉納して祀ったが、いつしか流出して個人の手を転々とし現在は所在不明となってしまった。 また、本物は実は伊勢神宮にある。 等、現在の真相は誰も知らない状態にあり、まさに「日本三奇」の1つといえます。

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若く自惚れも強かった馬天ノロは、 先代からすべてを教わったので、 これ以上学ぶものなど何もないと思って 教えを受けませんでした。 ところが、馬天ノロが24歳になった時、 島添大里按司が八重瀬按司に滅ぼされてしまい、 大グスク按司から頼まれて、兄が佐敷按司になりました。 兄が按司になると 出陣のための儀式や 戦勝祈願などを執り行なわなければなりません。 そういう事は先代からは教わっていませんでした。 今になって、先代が言った事の意味がわかり、 サスカサノロを探しますが見つかりません。 噂では、グスク内にいて殺されてしまったのだろうと言います。 馬天ヌルは後悔しますが、後の祭りでした。 伯母である大グスクノロに教えを請いますが、 大グスクノロは後継者の若ヌルの指導に忙しくて、 なかなか教えてくれません。 そして、五年後には大グスクも攻め落とされ、 大グスクノロも亡くなってしまいます。 出陣の儀式は教わりましたが、 まだまだわからない事がいっぱいありました。 玉グスクノロか糸数ノロに頼もうかとも思いましたが、 大グスクの落城の後は 疎遠になってしまい、頼む事はできませんでした。 それから二年が経って、 父のサミガー大主の所で働いているウミンチュから、 久高島に七年間もウタキに籠もって 祈りを続けているノロがいると聞きます。 七年前と言えば島添大里グスクが落城した時です。 もしかしたら、サスカサノロではないだろうかと思って、 すぐにでも久高島に行きたかったのですが、 教えを請うとなるとしばらく留守にしなければなりません。 姪のマシューを一人前のヌルにしてから行こうと諦めます。 旅をするには身を守らなければならないと思い、 30歳を過ぎているのにマチルギから剣術を習います。 マシューを相手に稽古に励んでみるみる上達します。 そして、マシューを佐敷ヌルに就任させると 馬天ヌルは旅に出るサハチ夫婦と一緒に久高島に渡ります。 共に旅をしたヒューガには以前から好意を持っていました。 しかし、ノロとして そんな事はしてはいけないと気持ちをずっと抑えていました。 久高島でフカマヌルと会い フカマヌルに娘がいる事に驚き、 ヌルはマレビト神となら結ばれてもいいと聞きます。 その時から、馬天ヌルの心の中で、ヒューガはマレビト神となるのでした。 馬天ヌルはウタキに籠もっているサスカサノロと出会い 教えを請い、許されて、共にウタキに籠もります。 半年後、佐敷に帰った馬天ヌルは 余計な物をすべて捨て去ったかのようなさっぱりとした顔付きで、 まるで神気が漂っているようでした。 何事にも囚われる事なく、自由気ままに暮らし、 自然の成り行きで、ヒューガと結ばれて、娘のササが生まれます。 ササが生まれてからは、娘を育てるためにおとなしくしていましたが、 40歳になった時にウタキ巡りの旅に出ます。 旅は五年にも及び馬天ヌルは各地で奇跡を起こして、 各地のノロたちから尊敬される存在となっていくのでした。 テンペストでは 野心家でもある聞得大君は、 かつての第一尚氏王朝時代のような 絶対的な存在に戻すことが目標である。 そのためには伝説の神器が必要だ。 それが馬天ノロの勾玉だと知り、血眼になって探します 「ところで馬天ノロの勾玉 まがたま の捜索は進んでおるか?」 「それが地方のノロたちを総動員して探しておりますが、まだ見つかりません」 現在の聞得大君の勾玉は 馬天ノロの首飾りを模造したものである。 この馬天ノロの勾玉こそ王権の象徴である。 王宮には未だに第一尚氏王朝の逸話を語り継ぐ者たちがいる。 殊に絶対王政を信じる役人に顕著だ。 それは第一尚氏王朝の祖である尚巴志の英雄譚が ロマンを掻き立てるからだろう。 男が尚巴志に憧憬を寄せるなら、 女は伝説の女性に憧れる。 それが馬天ノロだ。 彼女の勾玉を手に入れれば聞得大君の立場は不動のものになり、 評定所の役人どころか三司官までも無視することはなくなるだろう。

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神様に誘われて・・・・・:◇ 馬天ノロ ◇

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いつ、だれが、何のために、どうやって作ったのか?日本には古くから「奇跡」と伝えられる建造物がありますが「天之逆鉾(あまのさかほこ)」は「日本三奇」の1つとして江戸時代の医者、橘南谿が記した書物の中で紹介されております。 天孫降臨の地、高千穂峰の山頂に突き立てられた「天之逆鉾」は、神話の中で「イザナギ」「イザナミ」の夫婦神が日本列島を作るために、大地に突き刺しかき混ぜたとされる、霧島東神社の社宝。 の記事はこちら 今回は、標高1574mの高千穂峰の山頂にある「天之逆鉾」に行ってまいりました。 鹿児島市内から高速道路を使って約1時間30分。 「高千穂高原ビジターセンター」の駐車場で車を降ります。 駐車場はかなり広めで乗用車は500円で停めることができます。 駐車場のすぐ近くに無料休憩所があり、トイレもあります。 登山に行く前に必ず立ち寄りましょう! その隣に、食事やおみやげが買えるお店があるのですが、ここで準備をし忘れた方には必需品となる、軍手と竹の杖が買えます。 正直、軍手?杖?いらないんじゃないの~?と思いながら買ったのですが、後でこの軍手と杖がどれだけ大事な物だったのかを思い知らされるはめになります…。 装備に不安がある方は購入するのをオススメします。 この竹の杖、男の子なら分かると思うのですが、なんかワクワクしてしまいますよね~。 装備を整え、いざ出発です!鳥居をくぐってのスタート! 砂利の道が少し続き、天孫降臨神籬斎場(ひもろぎ斎場)が見えてきます。 たくさんの登山客の方が、山頂の「天之逆鉾」を目指し登っていました。 振り返ると遠くに駐車場が見えます。 ここまででだいたい20~30分くらい。 岩石地帯がはじまり、ここで軍手をしてきてよかったと心底思います。 岩石の要所に金色の目印があるのですが、他の登山客の方に聞いたところ「登りやすい場所」に目印があるそうです。 私たちもこの目印を探して登っていきました。 岩石地帯を抜けると、なにやら人だかりが。 約1時間、苦労して登った先で、その場にいた登山客のおじさんに 「天逆鉾?まだだよ?あの山の上(写真の赤い丸で囲っているとこ)だよ」と指をさされて言われた時、私たちは壊れました。 「?…嘘ばっかり~おじさんの横に逆鉾あるじゃないですか~」…。 実際、ここでやめて引き返す方も結構多いそうです。 あまりのしんどさに正直悩みましたが「天逆鉾」見ずして帰るわけにはいきません! 視界の横に広がる巨大なカルデラを横目に、高千穂の峯を進みます。 超絶ヒットした映画「君の名は」を見た人なら、なんとなく分かると思うのですが 名シーン、黄昏時の場所を思い出しテンションが上がります。 360度パノラマの雄大な自然を見ながら峯を伝い、少し下ったその先に鳥居が見えてきます。 ここは、かつての霧島神宮の跡地。 石碑にはこう書かれています。 「霧島神宮元宮之記」この背門丘の地は、人皇第二十九代欽明天皇元年(皇紀一二〇〇年・西暦五四〇年)、僧慶胤が神殿を造営し、天孫天津日高彦火瓊々杵尊を奉齋せし聖地なりと伝う。 これ霧島神宮の創祀なり。 山頂を目指すにあたり、改めて参拝をし、最後の登山に気合いをいれます。 石や木、網などで階段上の道が作られており、幾分登りやすくなっておりますが この道は帰りが危険でした。 かなり滑りやすく、杖がマストアイテムとなっております。 そして、30分程かけて、ついに頂上に! 見下ろすと駐車場がさらに小さく見え、標高1574m。 だいぶ上まで登ってきたのがわかります。 高千穂峰一帯の霧島山系は、22の単式火山が一つの地域に密集しており世界でも珍しいとされ、昭和9年3月に日本発の国立公園に指定されています。 そしてついに、今回の目的である「日本三奇」の1つ「天之逆鉾」をこの目にしました。 山頂に突き立てられた霧島東神社の社宝「天之逆鉾」は、残念ながら触ることはできません。 「天之逆鉾」は諸説あります。 国家の安定を願い、二度と振るわれることのないようにとの願いをこめて高千穂峰に突き立てた矛は、実は高千穂の噴火により折れてしまい、人々は恐れて、埋まったままの柄はそのままにし、刃の部分は島津家に献上した上でレプリカ(現在刺さっているもの)を山頂に刺し、その後、刃の部分は神社に奉納して祀ったが、いつしか流出して個人の手を転々とし現在は所在不明となってしまった。 また、本物は実は伊勢神宮にある。 等、現在の真相は誰も知らない状態にあり、まさに「日本三奇」の1つといえます。

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