お粗末さまでした 意味。 「ご馳走様でした」と言って「お粗末さまでした」と言(1/2)

【必見】お粗末様でしたってどんな意味?使い方は?

お粗末さまでした 意味

「ごちそうさまでした」といった時に、「お粗末さまでした」といわれたり、いったりしたことがありませんか。 「お粗末さまでした」という言葉の意味を理解していないにもかかわらず、いわれたことがあるからという理由で「お粗末さまでした」という言葉を使ってしまうと、失礼になる場合があります。 「お粗末さまでした」という言葉の意味や使い方について、くわしくご説明します。 意味 「お粗末さまでした」とは、相手に提供したものが大したものではなかったと謙遜していう言葉です。 また、「ごちそうさまでした」という言葉に返答する際に使われる言葉です。 使い方 「お粗末さまでした」という言葉の使い方は、「ごちそうさまでした」といわれた時に返事として使います。 食事を出したときに多く使われます。 相手に提供した食事が、それほど労力を使っていなかったり、大したものではなかったりすることを謙遜していう言葉です。 粗末なものを出してすみませんという気持ちを込めて使う言葉で、日本人の謙虚さを表すような言葉のひとつです。 注意点 「お粗末さまでした」という言葉を使う場合には、注意しなければならないポイントがあります。 「お粗末さまでした」という言葉は、謙遜して使う言葉ですが、相手によっては「粗末なものでもてなすなんて失礼だ」と思ったり、「粗末なものを食べさせたのか」と不快に思ったりすることがあります。 そのため、相手によっては使い方に注意することをおすすめします。 「お粗末さまでした」という言葉の由来は、日本人ならではの謙遜の気持ちを表していると考えられています。 「ご馳走さまでした」という言葉の返事として使われています。 食事の際には「いただきます」「ご馳走さまでした」という言葉を使います。 「お粗末さまでした」という言葉は、「いただきます」「ご馳走さまでした」という感謝の気持ちに対して答える言葉です。 「いただきます」と「ご馳走さまでした」の由来や語源についてもご紹介いたします。 いただきます 食事をする際に「いただきます」と言います。 「いただきます」の語源は、神様からものをいただくという意味や、食材として使われているすべてのものに対して命をいただきますという感謝の気持ちを込める意味があると考えられています。 また、食材を育てたり捕ったりした人や、食材を運んでくれた人、調理を行った人など、食事に携わっている人たちに感謝の気持ちを込めていう言葉です。 ご馳走さまでした 食事を終えた際には「ご馳走さまでした」と言います。 「ご馳走でした」という言葉は、食事に携わった人へ感謝の気持ちが込められています。 「いただきます」と同様に、感謝の意味が込められている言葉です。 「お粗末さまでした」は方言なのか 実家や親戚の家、友人や職場など、おみやげを渡す場面では「お粗末さまでした」という言葉を使わないことをおすすめします。 おみやげを渡す際には謙遜をして「つまらないものですが」と言う場合があります。 「つまらないものですが」という言葉は、誠意を持って選んだけれど、相手が立派でつまらないものに思えますという意味がこめられています。 しかし、つまらないものを渡すという意味に捉えられる場合もあるため、失礼だと思うケースもあります。 おみやげを渡すときの言葉 おみやげを渡すときにおすすめの言葉をご紹介します。 ・心ばかりですが ・ほんの気持ちですが ・お口に合うとよいのですが ・お気に召すと嬉しいのですが ・ありきたりのものですが おみやげを渡すときには、謙遜することも大切ですが、相手のことを思って選んだことや、相手を喜ばせたいという気持ちを伝えると良いでしょう。 「お粗末さまでした」という言葉は、使うシチュエーションによっては失礼になる可能性があります。 「お粗末さまでした」は「ご馳走さまでした」という感謝の気持ちに対して、謙遜をする返事です。 「いただきます」や「ご馳走さまでした」は、食事を食べるために携わった人に対する感謝を表している言葉ですが、「ご馳走さまでした」という言葉は、料理を作った人に対して感謝を示している場合が多いです。 そのため、料理を作っていない人が「お粗末さまでした」と答えてしまうと、失礼だと捉えられてしまうケースがあります。 自宅でお客様のおもてなしをした場合 自宅でお客様を招いて食事などのおもてなしをした場合には、料理を作ってはいない人が「お粗末さまでした」と返事をすると、料理を作った人がたとえ身内であっても気分を害する可能性があります。 妻が料理を作ったにも関わらず、お客様を招いているのが夫だからといって、夫が「お粗末さまでした」と答えてしまうと、料理をした妻は気分を害することがあるため、使い方には注意が必要です。 お店で食事をした場合 お店で食事をして、お客様をおもてなしした場合にも「お粗末さまでした」と使うには注意が必要です。 「お粗末さまでした」という言葉は、料理を作った人に対しての感謝を示す言葉のため、お店で食事の代金を払ったからといって「お粗末さまでした」という言葉を使うことはふさわしくないと考えられます。 お店で料理を提供している場合にも、お客さんから「ご馳走さまでした」と言われた場合にも「お粗末さまでした」と答えるのはふさわしくないと考えられています。 お店でお客さんから「ご馳走さまでした」と言われた場合には「ありがとうございます」と答えることが一般的です。

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お粗末とは?意味や使い方、お粗末な対応の5個の特徴について解説

お粗末さまでした 意味

「馳」と「走」、どちらの漢字にも「走る」という意味があります。 食事の終わりに言う「ご馳走様」という言葉と「走る」という意味には、一体どのような関係があるのでしょうか。 昔は今のように簡単に食材を買いに行くことができず、 食事を作るのに遠くまで走って食材を調達しなくてはなりませんでした。 そんな風に、 走ってまで食事を用意してくれることに対して、丁寧な気持ちを表す接頭語である「御」、敬う気持ちを表現する「様」をつけて、「ご馳走様」と言うようになったのです。 昔ほど食材の調達が困難でなくなった現在であっても、買い出しに行くのに走る人がいて、また店に食材を並べに走る人がいて、料理するのに走る人がいる。 一度の食事のために奔走してくれるすべての人への感謝の気持ちを表した言葉だと言えます。 食事を出した際に「ご馳走様」と言われたら、なんと返事をするのがよいのでしょうか。 一般的には 「お粗末様でした」と返すのがよいと言われています。 「粗末なものを出しました」という意味です。 お茶をだしたりする際に「粗茶ですが……」と言ったり、贈り物をする際に「つまらないものですが……」と言って渡すというような、 自分が出したものを謙遜する日本人の謙虚な気持ちが表れた言葉ですね。 しかしながら、場合によっては「お粗末様でした」と言うと失礼になることも。 謙遜は日本古来の文化とも言えますが、近年では過度に謙遜しない人も増えてきました。 「お粗末様でした」と言うと、「粗末なものを出すなんて」と受け取られかねないのです。 そのような場合は「お口に合いましたでしょうか?」と返すのもよいでしょう。 海外には「ご馳走様」に訳される言葉はありません。 例えば英語では"I'm done(食べ終わりました). "や"That was delicious. (美味しかったです)"などと、食事が終わったことを知らせたり、味の感想を言ったりすることが多いんです。 国によっては、家族の長に「ごはんを食べさせてくれてありがとう」という感謝を表すこともあります。 しかしながら、特に何も言わないという国も多く存在し、しいて言えば「おいしかった」「ありがとう」と言うだけ、ということが多いようです。 このように、海外では「ご馳走様」に当たる言葉がないため、海外で食事をした後は作ってくれた人やお店の人に「おいしかった」「ありがとう」などという言葉をかけるのが適切かと思われます。 (食べましょう)"などと言ったり、神へのお祈りのあと"Amen. (アーメン)"と言うところもあるとか。 食べるという習慣は同じでも、言葉や言葉の持つ概念が国によって様々なのはおもしろいですね。

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他人に「お粗末様でした」と言われたら

お粗末さまでした 意味

前クールのOPでも似たようなタイトルで記事を書いた。 その描写を「深読み」して読み取った内容について記述したのが上の記事だ。 この記事を執筆したのち、で交流しているのフォロワー様から「カラ松の耳から飛び出した魚がトド松の頭に入っているように見える」という指摘を受けていた。 よく映像を確認すると確かにトド松の頭の中に魚が入っていたので、これはまた別の機会に考察してみようと考えていたのだが、私生活が(により)バタバタしているうちにそのことについて記事を書くことをすっかり忘れてしまっていた。 そんな折、先日2クール目に突入した「おそ松さん」の新しいOP映像を見て驚いた。 このことについて「深読み」であるという自覚は持ちつつも、やはりそこに何らかの意味を見出さずにはいられなかったので、今回も簡潔にではあるがこの描写について私が考えたことについてまとめておくことにする。 松野トド松の口から出ていく金魚とは何か 「ハト」と「魚」には「群れ」で行動するという特徴があることから、 「ハト」「魚」が体内から体外へ出ていくという描写が「群れを出て行く」という比喩ではないか という考え方もできる。 (より) 前回のOP考察記事において、私はこのようなことを書き残している。 しかし、前回カラ松の耳から飛び出した魚と、今回トド松の口から飛び出している金魚とではそれぞれが有するモチーフの意味に差異が生じているものと考えられる。 というのも金魚は室内で飼育する観賞用の生き物として捉えるのが一般的で、「『群れ』で行動する」という意味を与えるのに適しているとはいえないからだ。 つまり「魚」というモチーフそのものはカラ松から引き継いでいるとはいえ、そこに与えられている意味には違いがあると考えるべきであろう。 金魚は金魚鉢や水槽で飼育される生き物としてイメージされるのが常である。 金魚鉢や水槽の中で育てられている金魚は、その外側の世界へ自分から出て行くことはできない。 「おそ松さん」3話(「パチンコ警察」)7話Aパート(「トド松と5人の悪魔」)をみると、 松野トド松が5人の兄たちによる束縛からは逃れることができない存在であるということは繰り返し描かれていたことがわかる。 つまり、水槽という小さな世界の中にしか留まることのできない金魚と、6つ子という兄弟関係の中から抜け出すことのできないトド松には類似性があるのではないかと指摘できるのである。 金魚鉢、水槽の外に出されてしまうと生きてはいけない金魚を吐き出すという行為からは、 トド松がこれまでと同様に兄弟関係の外へ出ようとする外向性を示すということだけでなく、 兄弟関係の外の世界では生きていけないということを読み取ることができるように思われるのである。 また、前クールではカラ松の耳から魚が飛び出し、これがトド松の頭の中に入っているわけだがそのことについて考える前に前回の記事で私がどのように魚を理解しようとしていたか振り返る必要がある。 耳から出る魚はどう理解すればよいだろうか。 「耳から入る」ということはつまり「聞く」ということであるから、その逆は「聞き逃す」ことだ。 つまり耳から飛び出す魚は「何らかの聞き逃したこと」を意味しているものとみていいだろう。 こうして考えるとそれぞれの身体から出て行く「ハト」「魚」はそれぞれ「一松が言ったこと」「カラ松が聞き逃したこと」に置き換えられる。 (より) この考えに従うと、トド松の口から吐き出された金魚も「トド松が言ったこと」に置き換えられるわけだが、それがカラ松の耳から出ていったように「魚」の一種であることに注目しておきたい。 松野カラ松、松野トド松、魚。 この3つの要素が絡んでいる場面が「おそ松さん」本編の中に存在している。 釣り堀での会話のシーンだ。 2話、10話冒頭に挿入されている釣り堀でのシーンに、カラ松・トド松はいずれも登場している。 この釣り堀のシーンは「カラ松の言動が痛い」ということがことさらに強調されていることに特徴がある。 トド松はそのカラ松に対してツッコミを入れる、というだ。 カラ松はトド松から向けられる「痛い」という言葉の意味を正しく理解していない。 その意味でこれを「聞き逃したこと」と捉えるのであれば、トド松による「痛い」という言葉が「言ったこと」に該当するのではないか。 そしてトド松が「痛い」とカラ松に言葉を手向けるのは「自分と(痛々しい言動をとる)カラ松が兄弟であることが恥ずかしい」からで、要は「自分と距離を置くか、その言動をどうにかするかしてくれ」ということを言っていたものとみなしていいように思う。 トド松が兄弟たちと自分との距離を置く(関係を切り離す)ために吐き出した言葉がOP映像の金魚にあたるものなのだ。 しかしながらその一方で、兄弟たちとの関係を断ち切ることはできないというトド松の特性も金魚は示している。 というのも前クールでカラ松が「聞き逃した」ことに該当する一松の本音、すなわち「友達なんかマジ要らねえ。 だって僕にはみんながいるから」という兄弟への依存を示す言葉がトド松の頭の中に入り込んでいることが前クールOP映像ですでに暗示されているためだ。 これが膨らみ、金魚の形をなして吐き出されていることに着目したい。 このことから自分と兄弟との関係を切り離したいという気持ちを持ちながらも、実際には依存心からその関係を断ち切れないというトド松の姿が浮き彫りになる。 カラ松とは違って水槽の中から出ることはできない、その外で生きていくことができない金魚という魚を体内から取り出すという様子にはこのような意味が付与されているのではないか。 また、金魚といえば夏祭りでお馴染みの「」がある。 屋台で売り物にされる(搾取される)立場であるという意味も金魚には含まれているかも知れない。 搾取されるトド松についても3話、7話で描かれているからだ。 今後もまたトド松が兄たちから搾取されるという場面が描かれる可能性は十分に考えられる。 釣り堀のシーンに松野一松が登場していない理由 人との関わり方に関しても、カラ松と一松は「虚勢を張る」という共通点が見て取れます。 そして二人ともそういう態度をある程度意図的にとっています(カラ松のほうがやや無意識でやっているところは多いように見受けられますが)。 (中略)兄弟の中では比較的「弱い人間である」ということ、そしてそれを隠すために「虚勢を張っている」というところがこの二人のよく似ているところではないかという考えを持つに至りました。 (より) 過去に公開した記事において、私はこのような個人的解釈(カラ松と一松が兄弟の中でも比較的「弱い人間である」ということ、そしてそのために「虚勢を張る」ことが共通しているように思われるということ)について記述した。 しかしながら兄弟に対してもこうした態度をとるというところでは類似性が見て取れる。 5話Bパート「ンコ」の話の中で、一松はカラ松を除く兄弟の前で自身の本当の気持ちを暴かれてしまいます。 兄弟の前で本音を暴かれた際の動揺した様子を見る限り、「兄弟にさえ隠しておきたかった」本音であることは間違いありません。 そして、その場に「自分とそっくり」なカラ松はいなかったのです。 一松にとって、カラ松はいくら自分と似ているといったところで「痛い」の意味もよくわかっていないような鈍い男、自分の本心が気取られることはないと思っていたところは多少なりともあっただろうと考えます。 でも、あの場にカラ松がいたなら話は別です。 自分とよく似た存在であるカラ松に最大の弱点を曝け出すことになります。 (より) あの場にカラ松を立ち会わせなかったのは、一松がこれ以上ないほどの苦痛を味わうのを避けるための「救済措置」的に(結果的には)機能していたという可能性を私は考えている。 「釣り堀」に一松がいないのは、カラ松に対して彼の「痛々しい言動」を(改めるように言うことも含め)指摘することにより、自分の本心が気取られることを一松が恐れているためではないか。 「痛い」の意味を理解すれば、そのような態度をとってしまっていることについて今度は頭を悩ますだろう。 そのことを警戒しているからこそあの場には赴かないのではないか。 「まともに人と会話できない」という評価を下している十四松に対する態度や、何を考えているか理解することができない猫に対する態度をみても、松野一松が「会話での意思疎通が(比較的)困難」な相手に対しては(安心しきっているためか)温和な態度をとるということは指摘できる。 このことから一松がカラ松に対して見せる異様なまでの攻撃性は、カラ松が一松の本音に容易にアクセスできる可能性を有する(と一松が考えている)ために生じているものと私はみている。 そのため一松は「釣り堀」という、カラ松の痛々しい言動を指摘する場にわざわざ赴いたりはしない。 もっとも、今後の展開で足を運ぶことがある可能性も考えられるため、注目しておきたいところである。 松野一松の口から出ていく蝶とは何か それでは主題をOP映像の考察へと戻そう。 前クールOPでも白いハトを口から吐き出していた松野一松。 今クールOPでは蝶を吐き出している。 青虫からサナギとなり、そして 蝶 ちょうへと変身を遂げますので、蝶は変身を象徴します。 このため、蝶の夢は、人生の変身や転機を暗示した夢を意味しますので、蝶が夢に出てきたら大事な変身の時期であることを認識し、華麗に変身を遂げるよう心がけて下さい。 また、蝶は異性を意味し、自由と愛情の象徴でもあり、あなたの恋愛運を暗示することもあります。 (より) 夢占いにおいては蝶を「変身」の象徴と捉える見方があるようだ。 ではこの「変身」の象徴としての蝶が「吐き出されている」ことにはどのような文脈を読み取るのがよいだろうか。 一松自身の「変身」を示唆する言葉が一松の口から語られる• 一松以外の「変身」を示唆する言葉が一松の口から語られる• 「変身」の機会を奪う言葉が一松の口から語られる パッと思いついたものを箇条書きで列挙してみた。 体内から体外へと「変身」の象徴である蝶が飛び立っていることから「変身の機会を奪う言葉」という可能性も考えた。 個人的な願望について語るなら、吐き出される言葉は一松自身のためのものであってほしいのだが、それはあくまで私の望みにすぎない。 今後の展開を見守ることしかできないのがとてももどかしい。 それから、さらに「蝶」から想像したことがある。 中国のである「」という言葉だ。 《が夢の中で胡蝶になり、自分が胡蝶か、胡蝶が自分か区別がつかなくなったという「」斉物論の故事に基づく》自分と物との区別のつかない物我一体の境地、または現実と夢とが区別できないことのたとえ。 (より引用) ここから• 自分と、あるものとの区別がつかなくなる• 現実と夢とを区別できなくなる という意味が蝶に仮託されている可能性が導ける。 その場合、一松自身にそういうことが起こるという可能性以外に、一松の発言によって別の人物がそのような状態に陥るという可能性も考えられる。 一松の発言によってもっとも「揺さぶられる」可能性がある人物は(これまでも述べてきたように)一松との類似性がたびたび指摘できる松野カラ松である。 つまり、 一松の発言によって、カラ松が「一松と自分とを区別できなくなる」という展開が示唆されているのではないかと考えることができる。 実は、これは5話Aパート「カラ松事変」とBパート「ンコ」で描かれた二人の関係を反転させる内容になっている。 5話では、全体を通して「粗雑に扱われる松野カラ松」と「(本音が知られたことにより、カラ松を除く4人の兄弟からの)愛を与えられる松野一松」の対照的な姿を描いている。 その結果、松野カラ松は「(俺の)扱いが(一松とは)全然違う」と叫ぶ。 5話は松野カラ松が「一松と俺の扱われ方は全然違う」つまりは「一松と自分は区別されている」ことにひとまず気付くという物語なのだ。 カラ松のそうした「気付き」を反転させる(ことによってカラ松を揺さぶる)内容が一松の口から語られる、という意味を持つのが口から吐き出される蝶なのではないか。 13話ではトド松が「ンコ」の話題をカラ松のいる前で出すが、カラ松は首を傾げつつもそのことについて他の兄弟に尋ねることはまったくしなかった。 これはで指摘した「カラ松は大した抵抗をすることもなく何事も受け止めてしまう側面を持った(あるいはそういう役割を与えられた)キャラクター」という特性に従ったものだと私はみているのだが、だとすればなおのこと、 「気付き」の反転には一松本人がこの話題を口にするぐらいの大きな関係性の変化が生じる必要があるだろうと考える。 先に述べていたことと関連付けて述べるなら、そう、「変身」である。 これが一松の口から飛び立つ蝶に託された意味なのではないか。 一松とカラ松の関係性については今後も考察を続けていくが、13話の「じょし松さん」により「6つ子でない(他人の状態)では会話ができる」ことを読み取ることができた。 つまりこの二人の関係性について語る際には「兄弟関係」という要素に重点をおいた考察を展開する必要性があることが指摘できる。 また余談だが、前クールOPでは全員が体を内側を向けていたのに対し、今クールOPではおそ松・十四松・トド松が左に、カラ松・チョロ松・一松が右に体を向けているのが少し気になった。 今後の展開にこの組み合わせが関わる可能性もあるので、着目しながら視聴してみたいと思う。 【過去に執筆した「おそ松さん」関連記事】 スポンサーリンク yurico15.

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