月経 小屋 江戸 時代。 下着を着けなかった江戸時代の女性。生理になったときの驚きの処理方法とは(2)

月経不浄視が少女の命を奪う。ネパールの「チャウパディ」

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縄文時代は女性の方が立場が上 縄文時代まで遡ると女性の方が立場が上でした。 女性は採集、男性は狩猟を担当するという当時の生活スタイルでは、男性の狩猟では、必ず獲物を取れるとは限りません。 一方、 女性の採集は、成果を着実に取れる上、木の実などは貯蔵もできます。 そういうわけで、男性は女性にモノを言えるような立場ではありませんでした。 邪馬台国の女王卑弥呼 古代の日本、邪馬台国と呼ばれていた時代の女王が卑弥呼です。 小国同士で争っていた日本を統一したのは、卑弥呼を女王とした邪馬台国でした。 彼女は占いや呪術によって、神のお告げを聞くことができる女性でした。 卑弥呼の性格が分かる記事はこちら 農耕と武士社会により男性の立場が上がる 農耕によって男性の地位が上がる しばらく女性優位の時代が続いていたがその意識は弥生時代から古墳時代に向けて変わり始めました。 古墳時代から、 男性が能率の良い農耕に従事するようになってからは、男性の地位も徐々に上がるようになります。 武家社会で男性が優位になった そして完全に男女の違い逆転したのが、源平騒乱の時代です。 頻発する戦いの場で活躍したのは、 馬に乗り、武器を巧みに操る男性でした。 縄文時代の狩猟の力の名残が生きました。 また、合戦における働きにより 男性には俸禄が与えられ、彼らが経済面を取り持つようになっていた。 こうして武士社会の中から男尊女卑の考えが広まり始めたのである 単純に体力や筋力があって戦えることが、大きな価値を持った時代なんですね。 でも現代は戦いができなくても価値を生み出せる時代。 明治維新後の女性の地位改善 平塚らいてうの女性解放運動 平塚らいてうが生まれた1886年の明治の時代は、男尊女卑の思想が当たり前の時代でした。 それが当たり前の社会に疑問を抱き、通っていた日本女子大学校の教育方針の影響もあり、男女平等思想に関心を抱きます。 そして 1911 年に 「青鞜社(せいとうしゃ)」を創立。 そして作家であった事から、日本初の女性向け月刊誌「青鞜(せいとう)」を出版し、男女差別問題や婦人解放運動を行います。 青鞜の初刊では、 「元始女性は太陽であった」という有名なフレーズが記載されています。 1919年には、 「新婦人協会」を設立し、女性解放運動に大きく貢献しました。 女性の地位が上がり始める現代 戦力が必要なくなった現代、女性が権力を上げるのも遠くないのかもしれません。 現代では、女性社長や、女性も働く夫婦共働きも普通になってきてます。 日本の女性社会進出はOECDでビリ 2 2017 年は、『働き方改革』が話題に上がったり、「プレミアムフライデー」が始まった年でした。 仕事の効率化も大事ですが、その前に私の意見としては、高齢者と女性の働ける環境をもっと整えるべきと思います。 日本はOECD29ヶ国で28位と、女性が活躍できる環境がない国と言えます。 それだけのポテンシャルがまだまだあるはずです。 参照:JB PRESS『女性の社会進出、日本は29カ国中28位という現実』( 2017. 17 ) M字カーブも少しずつ改善されてきている M字カーブというのは、横軸を年齢、縦軸を女性の就業率にとった時、 20代後半〜30代あたり(出産、育児が忙しい時期)にかけて下がり、その前後で上がっている形が、Mの字のようである事からきています。 要因としては、未婚化が進んでいることは小さな要因で、政策によるところが大きいようです。 もっと女性が働きやすい社会にするにはどうしたらいいんだろう。 <参考記事> 労働人口が減っていく そして、労働生産人口が減っている現代だからこそ、女性がもっと活躍しなければならない時代になっているといえます。 さらに、今の日本でいきなり賃金が上がることは考えにくいので、共働きもスタンダードです。 サービス業が増える 産業構造の高度化(産業の比重が経済発展にともない、第一次産業から第二次産業、 さらには第三次産業へと移行していくこと)により サービス業の従事者が増えていること、AI などの自動化により、 「人らしさ」が求められるサービス業も必要とされます。 簡単に要約すると、ポイントは3つ• AIの発展のより、男性のブルーカラー(作業労働者)の給与が下がっていく• AIができないのはEQ(感情の知識)を必要とする女性の看護師、介護士などのピンクカラーの仕事• EQ(感情の知識)は、女性の方が高い。 AIに代替されることはない つまり、女性が得意な「ホスピタリティ」を要する仕事はこれからの時代でも代替されることはないと思われています このあたりに詳しいのが、橘玲先生です。 私も橘先生の本を参照しております。 「人生は攻略できる」大変オススメの図書です。 まとめ 確かに、「男性優位な社会」はいまだに健在しています。 それは世界的にもそうです。 先日のツイートです。 韓国の話題の映画が、男女差別問題を話題にしています。 女性の間でも世代間の意見の違い、男性の間でも色々な意見があります。

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江戸時代の遊女に生理休暇はあった?自分で自分の代金を払って休んだか

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江戸時代の女性は生理のときどのように処理していたのか? 現代の女性たちは生理用のナプキンやタンポンで処理していますが、そうしたモノのなかった江戸時代の人たちは、生理のときにはどのように対処していたのでしょうか? 現代人が普通に使用しているパンティのような下着もなく、困ることはなかったのでしょうか? 実は、あまり困らなかったようなのです。 当時も手作りナプキンがあった 江戸時代には、 ぼろ布や浅草紙を、ふんどしのようなもので包んで押さえることがあったようです。 浅草紙というのは使用済みの和紙、たとえば筆で文字を書いたあとの紙を水にぬらし、たたいてくだき、すいて平らに薄くのばしたものです。 現代風にいえば、再生紙です。 とても安いために、庶民の間ではよく使われていました。 トイレットペーパとして使われるほか、生理の際にも丸めてナプキンかわりにされていました。 天然素材をそのまま使った!? 都市部では浅草紙などを使うことができましたが、農村部にはそんなものはありません。 紙そのものが貴重品ですので、トイレや生理などに使うわけにはいきません。 代わりに、田舎には天然の素材がたくさんありました。 綿やススキの穂など柔らかいものをナプキン代わりに当てたり、タンポンのように膣に挿入したりもしていたようです。 田舎のことゆえ、垂れ流しにしているケースも少なくなかったようです。 江戸時代には「血」は不浄のものとされていましたので、 農村部では生理期間中は家族とは接しないように離れなどの別の部屋で生活することもありました。 誰とも接しないため、生理の血を気にすることもなかったのかも知れません。 富裕層ではサラシの布も使われた!? 裕福な家庭の女性たちはサラシの布をフンドシのように巻いたり、布をあてたりしていました。 赤ちゃんのおしめのようなものなので、その都度洗わなければなりません。 また遊女たちの中には、和紙をたたんでタンポンのように膣内に挿入しておく人もいました。 当時の女性は膣を締める力が強かった!? 江戸時代の女性たちは 膣の力で生理の血液を漏らさずためることができたそうです。 これは、江戸時代に限ったことではなく、昭和の前期頃まではそうしたことのできる女性は少なくなかったようです。 常に着物を着てすり足のような歩き方をしていたために、股間の筋肉が鍛えられていました。 そのため膣を締めつける力も強く、意思によってぴったりと閉じておくことができたのでしょう。 膣内にためておいた血を、用をたす時に尿を出すのと同じ要領で一気に排出していたのです。 現代の女性でも、入浴中は膣をしめて漏れないようにすることのできる人はいますが、鍛えれば誰にでもできるようです。 これは経血の多い人のための、コントロール法としても知られています。 生理の出血そのものが少なかった 一説によると、月経のときの出血は、体内の毒素が多いと多くなるそうです。 江戸時代の人々は、農薬も防腐剤も、大気汚染も化学化合物もない環境で生活していたため、体内に毒素がたまらず、生理の 出血そのものが現代人に比べてはるかに少なかったと言われます。 そのため、出血してもサッとふくだけですんだのだとか。 生理痛に悩まされるという人も、めったにいなかったようです。

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月経不浄視が少女の命を奪う。ネパールの「チャウパディ」

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ネパールの一部地域では、月経中の女性を不浄な存在だとみなすヒンズー教の古い慣習が残っている。 地方によっては、生理が終わるまで小屋での寝泊りを強いることもある。 (中略) このヒンズー教の慣習は「チャウパディ(Chhaupadi)」と呼ばれ、ネパールでは10年前に禁じられた。 しかし、特に同国の西部地域では、いまだに根強く残っている。 引用元:AFPBB News「」 ------ 月経中の女性が穢れているという考え方は、ヒンドゥー教に限らず世界中の宗教に見られ、月経小屋の慣習も世界各地に存在する。 『旧約聖書』のレビ記第15章には、「女性の生理が始まったならば、7日間は月経期間であり、この期間に彼女に触れた人はすべて夕方まで汚れている。 生理期間中の女性が使った寝床や腰掛けはすべて汚れる。 (中略)もし、男が女と寝て月経の汚れを受けたならば、7日間汚れる。 またその男が使った寝床はすべて汚れる」とある。 また、『クルアーン(コーラン)』雌牛章にも、「それ(月経)は不浄である。 だから月経時には、妻から遠ざかり、清まるまでは近づいてはならない」とある。 日本では、平安時代に「血の穢れ」が制度化され、貴族社会から徐々に一般社会へと広まった。 一般社会への影響力が最も強かったのは、室町時代に中国から入ってきた「血盆経」という偽経である。 女性は月経や出産の際に、経血で地神や水神を穢すため、死後、血の池地獄に堕ちるが、血盆経を信仰すれば救われるという内容で、仏教各宗派が女性信者を獲得するため積極的に唱導を行った。 月経小屋の慣習も日本各地に見られたが、江戸時代に積極的に血盆経の唱導を行った宗派の勢力が強かった地域に、より多く確認されている。 記事中に、ネパールでは10年前に月経小屋の慣習が禁じられたとあるが(正確には2005年)、日本では近代化を急いでいた1872(明治5)年に、「血の穢れ」に基づく慣習が正式に廃止された。 たまたま大蔵省を訪ねた西洋人が、幹部が妻の「産の穢れ」を理由に欠勤していることに驚き、抗議したことがきっかけだと言われている。 月経小屋の慣習が廃止されたことについて、当時の女性たちの「タヤ(月経小屋)におらいでもよくなったのは、神様が往生して罰をあてなくなったのだろう」「はじめのうちは、おとましいようで心がとがめた」といった聞き書きが残されている。 しかしネパール同様、日本でも長い間続いてきた慣習が一気に解消されることはなく、地域社会に残存した。 福井県敦賀市白木では、1960年代半ばまで月経小屋が機能しており、食事と経血の手当ては小屋でしなければならなかった。 女性史研究者の田中光子は、1977年に敦賀市白木を訪れ、50代から70代の女性たちに月経小屋や産小屋についての聞き取り調査を行っている。 彼女たちが実際に経験した月経についての慣習は、神棚への供物の禁止、神社への接近の禁止、乗舟の禁止、月経期間中の1週間は食事を家の外でとらねばならないというものだった。 軒下や玄関先で食事をしていると、男児たちに指を差されたり蔑みの言葉を投げられたりして、「かなしかった」と回想している。 当時すでに月経小屋に隔離されることはなくなっていたが、月経期間が終わると湯を持って小屋へ行き、身を清めなければならなかった。 月経中だからといって労働が軽減されることはなく、家事育児、肥料を担いでの山越え、鍬を振り上げての株抜き、畦作り、水汲みなどを普段どおりに行った。 また、「月経中は穢れているので、海神の怒りを買う」という理由で、戦前は全国的に見られた乗舟禁止の慣習が、白木では戦後も続いていたため、普段であれば舟でいける場所へ、月経中は荷物を背負って山を越えなければならなかった。 福井県敦賀市色浜で使われていた産小屋兼月経小屋(撮影:はくのともえ) 月経小屋の慣習について、「日々の重労働から解放され、体を休めることができた」「人目に触れなくなることで、経血の流出に煩わされずに済んだ」「女性だけが集まる場所で、性についての知識を継承することができた」という肯定的な見方もあり、実際に、「タビグラシ(他火暮らし・月経小屋で過ごすこと)が楽しかった」という記録もあるが、少なくとも白木には当てはまらない。 現在もネパールだけでなく、世界各地に「血の穢れ」を根拠とした差別的慣習がある(日本でも"伝統的文化"の中で生き続けている)。 他文化を尊重すべきという立場から、こうした慣習について云々すべきではないという意見もあるが、そこに不浄視や差別が存在する以上、「文化」とは呼べない。

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