力 なき 者 たち の 力。 static.datasciencetoolkit.org:カスタマーレビュー: 力なき者たちの力

「力なき者たちの力」ヴァーツラフ・ハヴェル

力 なき 者 たち の 力

NHKEテレの『100分de名著』の番組を見てハヴェルの『力なき者たちの力』(人文書院、2019年)と本書をさっそく購入しました。 ヴァーツラフ・ハヴェル(1936年10月5日 - 2011年12月18日)は、出発はフランツ・カフカ賞を受賞するほどの劇作家ですが、1989年のビロード革命の中心者であり、チェコスロバキア大統領(1989年 - 1992年)ならびにチェコ共和国初代大統領(1993年 - 2003年)になった人です。 本書の中の「はじめに」で書かれているように、『力なき者たちの力』は単に社会主義時代のヨーロッパの歴史の1ページを教えるだけではなく、多層的な読みが可能であり、言葉とは何か、それが日常生活の中でどのような役割を担っているのかを考えるきっかけを与えてくれ、さらに文学者としてのハヴェルは、自分の言葉を用いて生あるいは政治を芸術としてとらえていたのだとします。 そして注目すべきは、『力なき者たちの力』は勿論、本書と番組が糾弾するのは現在の日本の政治体制、社会体制そのものでもあることです。 放送の中で著者の阿部氏の注目すべき発言は(全体的に若干省略しすぎで、ごく一点意味を変えない程度に言葉を変えました)・・・ 「検閲・・・自己検閲・・・空気を読む雰囲気が少しずつできる・・・当時のチェコだけではなく、今でもどこでもあり得る状況になっていく」、 「理性、良心、責任を捨て、居場所つまりイデオロギーに頼る」(イデオロギー=ある種の権力と考えても良いと思う)、 「体制からの要求を察知し、盲目的に行うことを「オートマティズム=自発的な動き」と呼ぶが、それは「忖度」する、「空気を読む」ということになる」、 「そしてそれは特定の誰かの責任ではなく全体のシステムの問題なのだ」、 などです。 またここまでの発言を引き出したMCの伊集院光氏の貢献も大きいと思います。 さらに番組の中では、ハヴェルが「ポスト全体主義体制」について批判した、次のような内容も紹介しています。 「ポスト全体主義体制の生は偽りや嘘ですべて塗り固められている」、 「権力はみずからの嘘に囚われており、そのため、すべてを偽造しなければならない」、 「過去を偽造する。 現在を偽造し、未来を偽造する。 統計資料を偽造する。 ・・・なんでもできる警察組織などないと偽る」 あまり個人的な解釈を加えることはしませんが何を言わんとしているかは明らかです。 これらはそのまま、現在の安倍政権の真実と志向するものを批判した一文と考えて何ら間違いが無いように読めます。 NHKの官邸寄りの報道は、まさしく「理性、良心、責任を捨て」、「忖度をし」、「物質的安定」を求め、その結果として権力に対して目をつぶり、伝えるべきものを伝えず(ポスト)全体主義の横暴に加担していると言わざるを得ません。 ただし、そうしたNHKの中にも、こうした特番を製作し、国民に提示したいと願う良心的な製作者がいてくれることに救われます。 番組としてはこれまで第二回が終わったところですが、これから以降の回も楽しみです。 ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を読んだ時、 「プラハの春」について教えられた。 今からわずか50年前のこと。 ワルシャワ条約機構軍20万人がチェコスロヴァキアへ侵攻。 民主化路線を 「正常化」に戻すように、ドプチェク政権に圧力をかけた。 ・・ただ一つのことだけは明白であった。 チェコは占領者の前で頭を 下げなければならず、永遠にアレクサンドル・ドプチェクがしたように、 声をつまらせ、どもり、肩で息をしなければならなくなったのである。 祭りは終わり、屈辱の日が来た。 ・・ (『存在の耐えられない軽さ』) ヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011)。 チェコの反体制知識人、戯曲家。 プラハの春以降、多くのひとが社会の空気を読み、事なかれ主義に傾倒して いったなか、1978年に当書『力なき者たちの力』を刊行し、その10年後の ビロード革命で大統領に選出される。 この解説書は、阿部賢一氏が、 ハヴェルの(政治家ではなく)文学者としての側面に焦点をあて、彼が「生」 「政治」「芸術」「言葉」をどう捉えていたかを教えてくれる。 プラハの春以降、チェコでは監視社会、巧妙な官僚支配が消費社会と 結びついて「ポスト全体主義」と呼ばれる体制が生まれた。 そこでは イデオロギーは閉鎖的な特徴から宗教の性格を帯びる。 人びとは催眠術に かかったように思考停止して、与えられた「故郷」を受け入れる。 そうすればすべてが明快になり、謎・疑問・不安・孤独が消えていく。 例え自分の理性や良心や責任を差し出しても構わないと思ってしまう。 こういう人生をハヴェルは「嘘の生」と呼び、「真の生」を獲得するには 個人が(たとえそれぞれは小さなとるにたらぬ力でも)自分の頭で考え 行動する必要があるいう。 ハヴェルの『力なき者たちの力』はアラブの春にも影響を与えている。 日本に暮らす私たちもいろんな組織の中で、例えば企業では社風とか、 学校では校風とかという空気感(一種のイデオロギー)に覆われている。 常に無言の同調圧力にさらされて酩酊状態になっている。 こんな生き方は 「嘘の生」なのか。 中国の台湾、香港、ウィグル自治区に対する態度を見て いると、これこそが「ポスト全体主義」の典型ではないのか。 さまざまな疑問が浮かんでくる。 100分de名著は、誰もが名著と知る名著ばかりでなく、今回のように、まだあまり知られていない名著をも紹介してくれる。 ハヴェルの名を、そして『力なき者たちの力』の存在を知ったことは貴重な経験であった。 1989年、チェコスロヴァキアのビロード革命を成し遂げたヴァーツラフ・ハヴェルが、1970年代に著した『力なき者たちの力』の解説という形を借りて、本書は、そのビロード革命の時代背景を解説する。 あの時代、6月18日のポーランドの非共産党国家の成立を皮切りに、10月23日のハンガリーの非共産党国家成立、11月9日のベルリンの壁の崩壊、11月17日のチェコスロヴァキアにおけるビロード革命、12月25日のルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊と続く、東欧革命の流れの中にあって、自分たちの力が、まったく新しい我々の共同体を築き上げることができるとの希望が生まれた。 そして、既存の権力が価値を失ったとき、この共同体を生み出せるのは、現状を批判する思考と真摯な言葉の力だけだと信じることができた。 ポスト全体主義の特徴として、権力が匿名化されている(p. 38)にしても、権力が力を持つ限り、いわゆる政治活動の余地はなく、そればかりか権力は個人の生に介入してくる(p. 40)。 そもそも「イデオロギー」が支配するところでは、ある種の「見せかけ」の世界が提供されるのだ p. どうすれば、その「虚の生」から脱し「真実の生」を取り戻すことができるのか。 「憲章七七」による合法的な抵抗があったことも紹介されるが(p. 46)、「良い仕事は悪い政治の真なる批判になる(p. 59)」とか、「前-政治的」なものを絶やさないという戦略の方に共感を覚える。 「前-政治的」なものとは、政治という形をとる以前のもので、音楽、文学などの芸術、学問、宗教など多種多様なもののことである(p. 74)。 戯曲家ハヴェルは、演劇が違う生の在り方を意識させる触媒になると信じていた(p. 104)。 演劇は上演されることによって「今、ここに」あるという状況をつくるという(p. 102)。 大統領になった以降も、「今、ここ」での実践を重視した(p. 113)。 そうすることで、過去と未来の間に明解な一線を引き、今まさに生まれようとする新しい社会と新しい意識を、過去の重圧から解放することを、ハヴェルは望んだのだろう。

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ロックフェスで政治を語れない日本の危うい兆候 中森明夫氏が語るハヴェル『力なき者たちの力』をいま読む意味(1/5)

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ポスト全体主義と表現される体制側に 何度も投獄されるなかで、この本を書き上げ、 市民による非暴力活動で民主化を果たしたと されています。 事実より政治的力が優先する社会は、 うまくいかないのでしょう。 いずれ、崩壊する社会であると この本は伝えています。 ハヴェルさん、 良い本をありがとうございました。 ・あらゆる生産手段が国有化そして中央で管理されることで・・・権力構造はみずから(例えば官僚と警察の領域)に投資するという先例のない、絶対的な能力を手に入れ、まるで雇い主が一人しかいないように、あらゆる市民の日常生活の操作が容易にできるようになった(p13) ・青果店の店主は、「全世界の労働者よ、一つになれ!」というスローガンをショーウィンドウの玉ねぎと人参のあいだに置いた・・・そうしなかったら、厄介なことになるかもしれない。 「飾り」がないじゃないかと咎められるかもしれない(p15) ・イデオロギーは体制と人間のあいだの「口実」の橋となり、体制が目指すものと生の目指すもののあいだの大きな亀裂を覆い隠す。 ・・・それゆえ、この体制内の生は、偽りや嘘ですべて塗り固められている(p20) ・スローガンを飾るのをやめたらどうなるだろう・・・店主の地位は奪われ、運搬業者の助手に配置換えとなる。 給料は下がる。 休日のブルガリア旅行の可能性は消える。 子どもたちの進学が危ぶまれる(p34) ・1974年、私がビール工場で勤めていたころ、上司はSという人物だった。 ビールの製造のことをよく理解し、貴族のような誇りを自分の仕事に持っていて、工場でよいビールを造ることだけを考えていた・・・工場の主導を握っていたのは、この分野にそれほど詳しくもなければ、この仕事にたいした関心もない、けれども政治的に影響力を持つ人びとだった。 工場の経営はどんどん傾き、Sの提案に反応しなかったばかりか、Sに対して敵対的な態度を取るようになり、Sの仕事を妨害するようになった・・・Sは政治的に有害な人物と見なされ工場から追放(p71) ・我が国の法律だけ知っている者がいたら、私たちがなぜ不満を述べるのかまったく理解できないだろう。 裁判官および検事を全面的に隠れて操作している政治、実際には明らかにされない裁判手続き、治安組織による職権乱用、司法に対する治安組織の優越、意図的に曖昧になっている条文の馬鹿げた拡大解釈など(p88) ・民主主義は技術文明、産業社会、消費社会に振り回されており、それらを前にして無力になっているからである。

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力なき者たちの力の通販/ヴァーツラフ・ハヴェル/阿部 賢一

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『力なき者たちの力』に書かれていることは何も特殊な権力下の状況ではなく、まさに日本の状況と見事に一致して見えてくる、これは日本のことを言っているかのような・・・。 例えば、次のような一節があります。 〈表現の不自由は、自由の最高形態とされる。 選挙の茶番は、民主主義の最高形態とされる。 (略)権力は自らの噓に囚われており、そのため、すべてを偽造しなければならない。 過去を偽造する。 現在を偽造し、未来を偽造する。 統計資料を偽造する。 (略)何も偽っていないと偽る。 /このような韜晦(とうかい)のすべてを信じる必要はない。 だが、まるで信じているかのように振る舞わなければならない、いや、せめて黙って許容したり、そうやって操っている人たちとうまく付き合わなければならない。 /だが、それゆえ、噓の中で生きる羽目になる〉 厚労省の統計不正や財務省の公文書改ざん、最近では桜を見る会のデータ廃棄から、いまや文化への抑圧(アート展の中止)にまで及ぶ日本の現状と重ねあわせて読めてしまいます。

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