バグラチオン 作戦。 ピョートル・バグラチオン

【1812】ナポレオンのロシア遠征:戦争の変化がもたらした戦略的失敗とは

バグラチオン 作戦

非常に運良くいけば、もしかしたら前線145キロ後方のべレジナ川のラインという事も。 戦史家リデル・ハート著書の「第二次世界大戦」の中に・・ブッシュとその幕僚が、べレジナ川までの後退を望み、適時そこまで後退できれば、ソ連の攻勢の調子を狂わせる事ができるはずであった。 というような事が記述されています。 実際に当時、指揮していたブッシュとその幕僚がべレジナ川までの後退を望んだのだから、そこにある程度の展望があったのではないかと思います。 ただ、私個人の意見としてはべレジナ川でも厳しいのではないかと・・・ もともと南部にソ連軍の攻勢がくると予想されていた事から、中央軍集団は兵力を引き抜かれ34個師団に弱体化していましたし、そのうち装甲師団はわずか1個師団。 予備兵力も少数。 そのうえ、航空兵力も他戦線に送られ、戦闘機はわずかしかなくたったの40機。 だから実際にソ連の攻勢が始まると、制空権は握られ空からの攻撃でドイツ軍は大損害を被っています。 また、パルチザンによるドイツ軍後方への攻撃も見逃せません。 攻勢開始前にパルチザンの大規模な破壊工作が行われ、1万5千ヶ所で爆破工作があり、鉄道は破壊され補給線を乱され電話線も千ヶ所以上で切断されています。 制空権と後方の破壊活動の大きな被害はヒトラーの口出しとは関係なく被ります。 これはかなりの痛手です。 まあ、それでも中央軍集団がヒトラーの計画した固定防御戦略を採らず、最初から機動防御戦を行っていたら、史実よりは良い結果が出ただろうとは思います。 A ベストアンサー 兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。 別に兵器に限った話ではないのですけれど。 1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。 なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。 つまり整備が大変だったからです。 1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。 例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。 一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。 カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。 しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。 しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。 その勝因は、戦車を集中して運用したからです。 プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。 チームとしての全体のバランスが重要です。 サッカーもそう。 軍隊(戦争)もそうなんです。 第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。 カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。 だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。 でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。 アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。 だから、それ用のための性能を重視しました。 そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。 これぞアメリカ人の超合理主義。 「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。 戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。 いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。 それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。 これが基本的に理解できなかったのが日本軍。 理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。 基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。 日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。 3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。 しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。 これは日本工業力の限界。 そしてなによりエンジンの性能が低かった。 3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。 だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。 日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。 ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。 しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。 しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。 戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。 ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。 自動車運転は「特殊技能」扱いです。 ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。 だから運用にも限界があるのです。 国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。 兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。 別に兵器に限った話ではないのですけれど。 1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。 なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。 つまり整備が大変だったからです。 1対1で強い戦車があ...

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もしも、ドイツがバグラチオン作戦で勝ってたらどう変わってた...

バグラチオン 作戦

バグラチオン作戦は中央軍集団が壊滅したという意味ですね。 ドイツの攻勢の終わりはスターリングラード戦で敗北の始まりはツィテダレ作戦です。 どちらにもあまり影響はしないと思いますけど。 圧倒的多数の兵力差で西側連合軍とのオーバーロード作戦 ノルマンディ上陸作戦 と歩調を合わせて行われています。 成功と言ってもソ連軍を敗退させることは不可能ですし、ドイツ側の作戦自体ソ連には筒抜けでしたから、取れる有効な手段はヒトラーが死守命令を出さずに順序だった撤退を許可して少しでも中央軍集団を温存することに専念することくらいでしょうか。 怒濤の如くのソ連軍の進撃もワルシャワ手前で一旦は止まっていますから、バルカン諸国の離反を少し止めることが出来、ヒトラーが重要と考えていたハンガリーに強固な防衛戦を築く事が出来た程度でしょうね。 西側連合軍もライン川を目指して迫ってきており、ヒトラーのハンガリーへの固執と考え合わせるとウィスラ川に強固な防衛戦を築いてワルシャワ手前や東プロイセンで阻止しようとは考えなかったと思います。 この少し前にマンシュタインは馘首されてドイツ国防軍首脳に有能なブレインはいなくなっていますから。 中央軍集団はソ連軍の攻撃後24時間でほぼ崩壊しています。 ソ連軍200個師団に対してドイツ軍は34個師団ですし、ソ連の戦争経済は英米からの援助などで最高潮に達している時代でした。 ウディブスクとミンスクなどで40万人のドイツ軍は死亡もしくは捕虜となっていて中央軍集団は完全に消滅しています。 どうやっても勝ち目はありませんし、ソ連の悪路は使いにくいためドイツは鉄道輸送に頼っていましたけどその鉄路すらゲリラにより寸断れさて補給や撤退すら困難でした。 史実を前提とする限り、ドイツが勝つ方法はありません。 バグラチオン作戦は東部戦線を事実上終わらせた作戦であり、第二次世界大戦における陸戦の最終到達形態でした。 にあるとおりで、当時の地球上にこれを止める方法はありません。 ヒトラーの行った確地戦略がまずかったとかなんとかいう指摘はありますが、ソ連軍の攻勢方法が進化したのが根本の原因です。 仮に確地戦略を放棄して機動防御で支えようとしても、ソ連側の火力優勢と航空優勢に捕まってまともな戦闘にならずやっぱり壊滅するだけでしょう。 史実より少々ドイツ側の戦力が多かったとしても、これはどうにもなりません。 後知恵で言えばさっさとソ連領内から撤退して防衛線を短縮するべきだったのかもしれませんが、そうなると中小枢軸国が動揺して降伏したり敵に回ったりする可能性がでてきます。 また、「撤退して」と口で言うのは簡単ですが、実行面で敵正面から兵力を引き抜いて戦線を下げるのはかなり難しく、そこで失敗する可能性も多々あります。 史実よりドイツ側の空軍や砲兵が有力だったとしても、やはり止められないでしょう。 突破正面に空軍や砲兵を集中するためにソ連軍は多大な努力を行っており、攻撃側がどこで攻撃を始めるかのイニシアティブを持つという当たり前の現象故に、後手に回った側が対抗するのは至難の業です(飛行場の数は有限だが、攻撃側は飛行場を整備するところから準備できるので、集中できる密度が段違いになる)。 ドイツが勝つためには最低でも大量のジェット戦闘機か何かで圧倒的な制空権を確保できるのが前提です。 あとはルーデルが100人ぐらいいれば攻撃部隊を阻止できたと思います。 そのぐらいの無理な仮定が必要であり、まじめに考察する意味はほとんど存在しません。

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バグラチオン(ソビエト軍、ロシア西部奪還作戦)

バグラチオン 作戦

> >ソ連軍の夏季大攻勢(作戦名「バグラチオン」) (概要) 「バグラチオン」とは、ナポレオンのロシア遠征時に活躍したロシアの将軍ピョートル・イワノヴィッチ・バグラチオンに由来し、ナポレオンに「ロシア軍でもっとも勇敢な将軍」と賞賛された。 作戦前の戦線は、1943年のクルスク戦でドイツ軍が敗れた後の1943年末から1944年5月にかけ、ドニエプル川右岸のウクライナからドイツ軍を掃討しており、ソ連領で回復していない地域は白ロシア地方のみとなっていた。 この白ロシア地方には、ドイツ軍主力として装甲兵力を含む多数の野戦部隊を擁する中央軍集団が防衛していたが、前年のクルスク戦以降その地上兵力は消耗していた。 さらに西方においてはさまざまな情報から連合軍によるフランスへの上陸作戦は目前であるとドイツ側も察知しており、ドイツ軍は主戦場である東部戦線から西部戦線への部隊の移動、補充をする必要が生まれた。 ついに6月6日にノルマンディー上陸作戦がおこなわれるにいたって、西部戦線への地上兵力や航空兵力の抽出が顕著となり東部戦線の戦力は大きく弱体化していた。 また、この頃から本格化したドイツ及びドイツ占領地区への爆撃に対抗するためにドイツ空軍、特に戦闘機が西部戦線に移動され、東部戦線の防空力も低下していた。 バルト海から黒海にわたる両軍の戦線は、中央軍集団が作戦域としている白ロシア地方がソ連側に大きくつきだした形を取っていたため、今後の独ソ戦を優位に進めるために、ドイツへの最短経路である白ロシア回復と、消耗していたとはいえ東部戦線で最大の兵力を有する中央軍集団へ損害を与えることが不可欠となっていた。 一方、ドイツ側もソ連軍が夏季攻勢に出ると予想していたが、ガリツィア方面からバルト海にめがけて突出部を切断する大攻勢を加え、北方・中央両軍集団の背後を遮断してドイツ本土への退路を一気に断つ可能性が高いと結論づけた。 その結果、中央軍集団は第4装甲軍など主力部隊を側面に移動させ、南接する北ウクライナ軍集団との協調にあてた。 これにより、ミンスク=モスクワ街道の正面は戦力が大きく低下することとなる。 (作戦兵力及び損害) 作戦兵力 ドイツ側 ソ連側 800,000 戦車 553輌 航空機 839機 火砲 9,500門 1,700,000 戦車 4,008輌 航空機 6,334機 火砲 24,000門 損害 ドイツ軍 ドイツ側発表 戦死 260,000 戦傷 250,000 捕虜 116,000 ソ連側発表 戦死 400,000 戦傷 590,000 捕虜158,000 ソ連軍 戦死 178,507 戦傷 587,308 (作戦推移と結果) 3年前にドイツ軍がソ連に侵攻した「バルバロッサ作戦」開始日と同日の6月22日未明、空爆とともに一斉に三方向から中央軍集団に攻撃を開始した。 急進するソ連軍に兵数の劣るドイツ軍は奮戦を見せたものの、圧倒的な兵数のソ連軍によって各所で分断され、統一した作戦のもとで連携して反撃することすら困難な状況になった。 この大攻勢で、7月3日までには白ロシアの首都ミンスクが占領され、この日までにドイツ軍は25個師団が壊滅したと見られる。 8月末にはドイツ軍は、ワルシャワ東方20キロのヴィスワ川東岸まで押し込まれた。 ドイツ中央軍集団は攻勢前には90万人とされた兵力が攻勢後には半減し、事実上の壊滅状態となった。 一方ソ連軍も被害は甚大で、ドイツ軍は新しく中央軍集団司令官になったモーデル元帥のもと事前に組み上げられた拠点陣地と機動防御戦術を有効に活用した粘り強い防御戦を行い、また隣接する南方軍集団からの側面援護により、攻撃開始から2週間でソ連軍の攻勢の勢いは鈍っていき、東部戦線全体の戦線崩壊という最悪の事態はなんとか避けられた。 ソ連軍は70万人以上の死傷者を出したが、戦車などの物的被害はもちろんのこと、人的資源の枯渇しつつあった上に、たくさんの熟練兵を失ったドイツにはこの後、ソ連軍に対する攻勢はもちろん、有効な防御戦構築すら不可能となった。 また、6月6日には英米連合軍「ノルマンディー上陸作戦」により、第二戦線(西部戦線)が形成されつつあり、ドイツは二方向から敵に押し出され、ドイツの敗北は決定的となった。 戦線の推移(1)・・・青色の部分がドイツ軍が失った地域 (画像をクリックすると大きくなります) 戦線の推移(2)・・・1943年8月1日〜1944年12月1日 (画像をクリックすると大きくなります) > >ソ連軍の夏季大攻勢(作戦名「バグラチオン」).

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