ひめ じ まさん かい がく。 往来物解題・た行

和漢朗詠集

ひめ じ まさん かい がく

【年代】宝永二年(一七〇五)書。 【分類】地理科。 【概要】大本一冊。 鶴岡城下ならびに領内の様相を、名所旧跡・社寺と祭礼を中心に記した往来。 本文を行書・大字・五行・無訓で記す。 鶴岡を中心とする庄内地方の教育史はもとより、文化史を跡づける重要な資料である。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]大嶋屋伝右衛門板。 【分類】教訓科。 【概要】中本一冊。 『大学(朱熹章句)』の本文を児童向けに平易に注釈した往来。 『大学』本文をいくつかに区切って楷書・大字・六行大・付訓で記し、続けて割注形式で本文の大意を示す。 さらに、頭書に語注を補足し、随所に挿絵や教訓歌を掲げて『大学』の趣旨を敷衍する。 松川半山画。 【年代】天保一五年(一八四四)序。 弘化二年(一八四五)刊。 [京都]林芳兵衛ほか板。 【分類】教訓科。 【概要】中本一冊。 『大学(朱熹章句)』の童蒙用絵入り注釈書。 「経典余師」の体裁に挿絵を加えた編集形式をとり、『大学』本文を細かく区切って大字・六行・付訓(訓点)で掲げ、平易な割注を添える。 頭書に「孔子略伝」「『大学』由来」「孔子門人略伝」「学問の大意」などの関連記事と挿絵を載せる。 巻頭に「忠・孝」図二葉と返り点等の読み方を示した「読法(よみほう)」を掲げる。 為永春蝶(狂花亭)補。 渓斎英泉(一筆庵)画。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]英文蔵(青雲堂)板。 【分類】教訓科。 【概要】異称『〈心学捷径〉大学笑句』『〈心学捷径〉大学評註』。 中本一冊。 『大学章句』をもじった町家子弟用教訓書。 例えば『大学章句』冒頭の「大学の道は明徳を明らかにするに在り」は、「勘略の道は米穀を麁末にせぬに有り」といった具合に書き替えるように、全文を倹約や金銭道徳、勤勉などの通俗教訓とした『大学』のパロディである。 本文をいくつかに句切って楷書・大字・六行・付訓で掲げ、割注を置いて同様の教訓を展開し、さらに町人風俗図を所々に挟む。 また、巻末に為永春蝶作『士農工商心得草』を付すが、これは「士は志なり」「農は納なり」「工は業なり」「商は笑なり」という四民心得を面白おかしく諭した教訓である。 【年代】文化六年(一八〇九)刊。 [大阪]河内屋茂兵衛ほか板。 【分類】教訓科。 【概要】半紙本一冊。 『大学』(新本)の読法や注釈を示した絵入り教訓書。 まず『大学』本文を「行書・大字」と「楷書・小字」の二体・五行・付訓で記し、挿絵数葉を挟む。 また頭書に、『大学』の書名の由来や「三綱領」「八条目」など本文中の要語についての説明を補足するほか、巻頭に「読書指南」や「仁・義・礼・智・信の図」を掲げる。 【年代】寛政八年(一七九六)刊。 [大阪]河内屋八兵衛(崇高堂・泉本八兵衛)板。 【分類】女子用。 【概要】異称『〈大学〉女子訓』『女子訓』。 大本二巻合一冊。 鈴木春信画)を前半に合綴した版もある(ただし序文末尾の「安永きのとの末の春」を削除)。 長谷川光信(松翠軒)画。 【年代】寛延元年(一七四八)刊。 [大阪]糸屋市兵衛ほか板。 また別に[大阪]阿波屋文蔵ほか板あり。 【分類】教訓科。 【概要】半紙本三巻三冊。 『大学』本文中の要句(三七句)を抄出して、和漢の故事や平易な通俗教訓を交えた略注とともに、見開き一丁(巻首・巻末は半丁)の挿絵を掲げた絵本。 『大学』の基本理念たる三綱領・八条目を順序立てて解説するものではなく、金言名句として知られる要語を中心に採録して絵本化するのが特徴(採録順序は必ずしも『大学』本文の順ではない)。 上巻に一二葉、中巻に一三葉、下巻に一二葉の合計三七葉の挿絵を載せる。 『大学』の説く教えが「上は雲上より初て、士農工商のいとなみ、下は深山幽谷の賤の男、賤の女の業に至るまで」万人のものであるという理念に基づいて編んだ童蒙向け啓蒙書である。 落合範国(大賀範国・一渓)画。 【年代】嘉永(一八四八〜五四)以降刊。 [江戸]岐阜屋清七(正文堂清七・正文堂)板。 【分類】産業科。 【概要】異称『大工番匠往来』『番匠作事往来』。 中本一冊。 「凡、番匠作事取扱文字者、今般御拝領之屋敷・御館向就建者、撰吉日良辰為致地祭…」で始まり、地鎮祭、建築関連職人、建築用材、神社仏閣の建築、武家屋敷の建築、城郭建築、左官、瓦葺、棟上の儀式などについて記す。 本文を大字・五行・付訓で記す。 巻頭に「上棟四方堅規式之図」、頭書に「造宮堂木品積心得之事」「追掛大栓継(以下数々の継ぎ方を図解)」等を載せる。 作者の活動年代からして嘉永以降の刊行であろう。 【年代】江戸中期刊か。 刊行者不明。 【分類】教訓科。 【概要】異称『太閤状』。 大本一冊。 『太閤御掟二拾ヶ条』と『太閤御控三拾ヶ条』から成る手本。 同様の書名を持つ数種があるが、それぞれ内容が異なる。 まず『太閤御掟二拾ヶ条』は、「欲にはなれよ」「大酒呑へからず」「朝寝すへからす」「女に心を免へからす」など二〇カ条の教訓で、末尾に、正直・堪忍・用捨・分別・思案を薬種に譬えて、これを毎日服すべしとする「御調合薬之事」と、無理・慮外・過言・無心・油断を戒めた「禁物之事」を付す。 また、末尾に教訓歌一首を置く。 本文を大字・五行・無訓で記す。 【年代】書写年不明。 【分類】教訓科。 【概要】異称『太閤之条』。 大本一冊。 太閤秀吉作に仮託した壁書形式の教訓。 正しい者は強いこと、本務を弁えること、孝行すれば他人も親子であること、耕作と商いの双方を学ぶべきこと、家業に出精すべきことなど、生活の諸方面においておしなべて注意深く生きよと諭す。 本文を大字・二行・無訓で記す。 【年代】江戸中期刊。 [仙台か]刊行者不明。 【分類】教訓科。 【概要】異称『太閤秀吉公三拾ヶ条』。 大本一冊。 秀吉作を装った壁書スタイルの教訓。 第一条が「天道は偏に正直にして叶。 非道にして仏神の加護なし」以下三〇カ条から成る。 説くところの教訓は、正直、福人は大敵、科ある身の置き所なし、大切・安堵、分別、貴賤との参会、人に勝つ苦労、算用、修行、家業、火事、見知らぬ者からの贈り物、諸道、公事、孝行、知音へ宿を貸す、夫婦、男女、覚悟、地頭・代官への服従、農業・商業、祝言、酒、世上の批判、喧嘩、他人の美女、見知らぬ者との遭遇、親を恐れよ、愚痴など処世訓全般で、本文を大字・五行・無訓で記す。 末尾に「心だに誠の道に叶ひなば、いのらずとても神やまもらむ」の教訓歌一首を付す。 装訂から江戸中期の仙台板と考えられるが不詳。 【年代】万治二年(一六五九)刊。 [京都]飯田忠兵衛板。 【分類】教訓科。 【概要】大本一冊。 原本は伝わらないが、刊記までを忠実に写した和学講談所旧蔵(現内閣文庫蔵)の一本が存する。 各条とも「…事」で終わる一行ないし二行の簡潔な箇条で全七三条からなり、途中教訓歌二首をはさむ。 第一条「天道者偏直而叶非道者無仏神加護事」を冒頭にすえ、以下、潔白、任務、富貴、修行、親への服従、農商両道、算用、男女関係、交際、家職出精、芸能、喧嘩、公事、存分、酒、その他公私にわたる生活上の心得を列記する。 本文を大字・五行・付訓で記す。 玉晁(続学舎)書。 猿猴庵(高力種信・種麿)跋。 【年代】明和(一七六四〜七二)以前作か。 寛政九年(一七九七)原筆、弘化三年(一八四六)重写。 文化五年(一八〇八)跋。 【分類】地理科。 【概要】異称『大黒舞名古屋町尽し』。 大本一冊。 大黒舞の門付(かどつけ)歌に名古屋の町名・橋名・寺社名等の地名を詠み込んだ往来。 「花の名古屋の町わりも、紙面四角に碁盤割、年の重なる清須越、小金の釜をも堀江町…」のように七五調の文章で各地名を列挙していき、最後に「…八十余りの老人が、沖をはるかに見渡せは、金青丸といふ船に、千石・万石の夕暮に、あや錦の帆を上けて、艫(とも)に大黒帆にゑひす、千石船に万石の、こなたの御蔵こぎよせん、治る御代とめてたき哉」と結ぶ。 弘化三年重写本は本文を大字・八行・稀に付訓で記す。 また、巻頭に大黒舞の図一葉を掲げる。 【年代】文政(一八一八〜一八三〇)頃作・書。 【分類】地理科。 【概要】異称『泰産詣之事』。 『上毛古書解題』(本書には「産泰」と記すが「泰産」の誤りであろう)によれば、三月三日の節句の日に前橋八幡明神を出立し、上泉・江木を経て、勢多郡泰産神社への参詣路の沿って名所や名物を記した往来で、社前茶店の賑いや名物甘酒などにも触れるという。 【年代】弘化四年(一八四七)刊。 [江戸]藤岡屋慶次郎板。 【分類】地理科。 【概要】弘化四年刊『女今川岸姫松』の頭書に所収。 「願事のかへりまうしの為、此頃、大師河原平間寺へ詣候所、道すがらの景色いふ計なく伶覚まいらせ候…」で始まる女文形式で、江戸より川崎大師河原平間寺までの参詣路沿道の名所旧跡と川崎大師の景趣・縁起等を記した往来。 早朝に江戸を立ち、参詣路に沿って泉岳寺・海晏寺・鮫洲観音・六郷川を経て川崎大師に到るコースの風景などを略述する。 【年代】南北朝時代作。 室町中期書。 【分類】古往来。 【概要】大本一冊。 前半「畳字門」には「治術・方便・披露・露顕・陳状・陳謝・賢愚・照覧…」以下約二五〇語を列挙するがイロハ順になっていない点で『拾要抄』と異なる。 また後半部「事項門」は、虫・魚・武具・薬種・官次第・神主・七大寺・六勝寺・執柄家氏寺・諸寺・四季・十二月異名・干支・方角などに分けて約三〇〇語を集録する。 本文を大字・四行・無訓で記す。 深沢菱潭書(本文)。 青木東園書(再録本文)。 【年代】明治六年(一八七三)序・刊。 [東京]書学教館蔵板。 樋口徳蔵(弘成堂)売出。 また別に[東京]福田屋勝蔵(万延堂)板(明治初年板)あり。 【分類】歴史科。 【概要】異称『〈片仮名附〉泰西三字経』。 半紙本一冊。 神の天地創造、アダムとイブの神話から始まって、ノアの方舟、バビロニア建国、ペルシア帝国、ローマ帝国、イエス処刑、トルコ帝国、十字軍、コロンブス新大陸発見、アメリカ建国、フランスのナポレオン統治、電信機その他の発明、ピーター大帝のロシア帝国といった西洋史のあらましを紹介した後で、フランクリンなど偉人の略伝や、ヨーロッパ諸国の地名を列挙する。 本文を楷書・大字・三行・無訓で記し、さらに巻末に楷書・やや小字・六行・付訓の本文を再録する。 なお、この再録部分のみを抜刷にした『〈片仮名附〉泰西三字経』が、同年に東京・福田屋勝蔵等一〇書肆から出版されたが、同書は青木東園書とするから、再録本文は東園の筆である。 【年代】寛政九年(一七九七)書・刊。 [大阪]渋川与左衛門板。 【分類】合本科。 【概要】異称『大成筆海重宝記文章蔵』。 横本一冊。 「用文章」「商売往来」「諸職往来」「百官名」「月名」等を集録した往来。 口絵に貴人に手紙を捧げる図を掲げ、続く「用文章」には、まず「年頭状・同返事」から「歳暮祝儀状・同返事」の五節句・四季行事・通過儀礼などの消息文例三八通と、雑の部として、「普請出来歓状」〜「婚礼祝儀状・同返事」の吉凶事に伴う文例七六通の合計一一四通を収録する(大字・七行・付訓)。 次に、付録記事として「吉書初」「七夕詩歌」「入学吉日」「潮汐満干」「月の異名」「十干異名」「十二支異名」「十二時異名」「南膽部州大日本図」「日本六十八州並受領」「京都案内并洛外近辺道法」「江戸方角分量之図」「大坂案内の歌并近辺道法」、さらに「商売往来」(「堀観中著」と記す)や「諸職往来」、また末尾に「色紙・たんざく押法并題の歌書やう」「書状したゝめやうの事」「物数書法」「当用諸礼躾方并茶湯心得の事」「朱肉こしらへやうの伝」「俳諧仕やう略式大意」「古筆極札印尽」「古今茶人花押鑑」「諸氏名字大全」「本朝歴代鑑」「救急妙薬秘方」等の多彩な記事を載せる。 【年代】安永六年(一七七七)刊。 [江戸]伊勢屋治助板。 また別に[江戸]榎本屋吉兵衛板(後印)あり。 【分類】消息科。 【概要】大本一冊。 ほぼ月次順に「年始に遣状」から「歳暮に遣状・同返事」までの二六通を収録した用文章。 四季時候の文を主とし、各例文を大字・五行・ほとんど付訓で記す。 巻頭に『和漢朗詠集』中の詩歌、前付に「韓退之文妙」「曽称天満宮霊松記」「天伸経」、頭書に「六芸之図并解」「書状封目の上高下」「大不成就日・願成就日」「偏冠尽」「五性名頭字」「大日本国中之異名」「手形証文尽」「諸国御関所附」「近代年号」「十二月之異名寄」等の記事を掲げる。 【年代】天保二年(一八三一)刊。 [京都]須原屋平左衛門ほか板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈万家重宝〉大成用文章』。 大本一冊。 文意を即座に把握したり、検索しやすいように、消息文例毎に見出し用の挿絵(目次にも同様の挿絵)を掲げた用文章。 消息文を「諸祝儀書状之部」「万悦状之部」「諸見舞状之部」「商人取引懸合書状之部」「証文手形請状之部並書状尊卑文格」の五部に分類する。 収録書状はそれぞれ「年頭祝儀状」以下二八通、「平産悦状」以下六通、「参宮留守見廻状」以下二一通、「遠方掛合状」以下三三通、「預申金子証文」以下九通で、合計九七通の文例を収録。 各例文を大字・六行・付訓で記す。 巻末には書簡作法の基本や月の異名、時候の詞などを簡潔にまとめる。 【年代】嘉永四年(一八五一)刊記。 慶応年間(一八六五〜六八)刊。 [大阪]秋田屋市兵衛ほか板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈万家重宝〉大成用文書』『大成用文』。 中本一冊。 「年頭状」から「年賀歓状」までの四六通を収録した用文章。 四季時候の手紙、商用文、吉凶事に伴う文の順に収録する。 本文を大字・四行・所々付訓で綴る。 巻頭に風景画二葉を掲げる。 また、小泉本の刊記に「嘉永四年一一月」とあり、池田東籬亭編、池田関山(東籬亭二男)の旨を記すが、表紙見返しに「慶応新版」とあるので他書の刊記の流用と思われる。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]鶴屋喜右衛門板。 【分類】消息科。 【概要】半紙本一冊(ただし版面は中本大)。 前半に「年始之状」〜「旅行之人え遣す文」の二七通の消息文例、後半本文欄に「店請状」〜「諸品書入」、同頭書に「持参金請取」〜「留守之節手紙請取」の合計二三通の証文手形文例を収録した用文章。 前半部頭書には「書状封じ様」「様之字の事」「むかふをさしていふときには」「みづからをさしていふことば」など書簡用語・作法関連の記事を載せ、前半部と後半部の仕切りに「書法大概(手形証文の書法)」を掲げる。 本文を大字・五行(証文類は七行)・所々付訓で記す。 青木臨泉堂(源至誠)書。 【年代】文化七年(一八一〇)作。 文化一四年刊。 [江戸]英屋大助ほか板。 【分類】消息科。 【概要】異称『早引用文』。 大本または半紙本一冊。 前半に消息文例、後半に証文手形(「証文文例」)を収録した用文章。 消息文例は、「十二ケ月之部」「吉事の部」「凶事の部」「病事の部」「神仏の部」「廻状の部」「旅行の部」「教誡の部」「雑の部」の全九部からなり、それぞれ、「農工商上輩(めうえ)の年始状」以下二九通、「安産悦の文」以下一四通、「大水見舞の文」以下八通、「病気見舞の文」以下九通、「祈祷頼み遣す文」以下一一通、「祝儀振舞の廻状」以下五通、「旅の餞別の文」以下八通、「遊女狂する人を戒る文」以下四通、「入学の人を賀す文」以下二八通の合計一一六通を収録する。 本文を大字・五行(証文類は六行)・付訓(所々に左訓あるいは注記)で記す。 例文中には江戸の名所や著名人などを頻出させ、例えば「歌川豊国」には「中橋上槙町ニ住居、一陽斎ト号ス」などと細字で注記するように、関連情報を随所に鏤める。 また、手形証文は「借用申金子之事」など一一状の文例を掲げる。 【年代】江戸後期刊。 刊行者不明。 【分類】語彙科。 【概要】異称『〈新刻訂誤〉歌字尽大成』『〈訂誤〉歌字尽大成』『改正歌字尽』。 横本一冊。 本文を大字・五行・付訓で認め各行の左側に暗誦用の和歌を付す。 収録語彙は四五八行・二二八四字に及び、『小野篁歌字尽』(一二六行・六二五字)の三・六倍と類書中最大を誇る。 各行共通部首の漢字五字という『歌字尽』の基本を忠実に踏襲し、全体の九割以上が一行五字、半丁五行を保つ。 基本形以外では俗字・世話字・宛字も多く、稀に割注形式の語注を付す。 寛文二年(一六六二)刊『小野篁歌字尽』(本文冒頭が「椿」で始まる)の増補版で、「椿…」の一行が一二〇行目に移動しているように配列は大きく異なる。 巻頭では『小野篁歌字尽』が「誤半(あやまりなかば)に居し、民間の害と成て人を盲(くらく)す」と注意を促し、小野篁の略伝にまつわる妄説などを指摘する。 平田登圃書。 松斎吟光画。 【年代】明治一八年(一八八五)序・書・刊。 [東京]須原鉄二(畏三堂)板。 【分類】女子用。 【概要】異称『〈貴女至宝〉女用文姫鏡』。 半紙本二巻二冊。 上巻に女性の各種教養、下巻に女子消息文例等を収録した百科的な女用文章。 上巻は、頭書欄のほかに本文を一段あるいは二段に分けた形式(上巻前半部は頭書を含め三段、後半部は二段)で、「小倉百人一首」「女学のいとくち」「烈女三十六家撰」「女子品さため」「女子の心ばえ」「女子礼式」「化粧のまき」「楽器名どころ」「歌がるたの事」「香をきく事」「習字の事」「文章の事」「九々の声」「和歌の事」「源氏物語作者の事并ニ香の図」「女子節用字づくし」「裁縫手引草」「婚礼の次第」「よろづ乞もの折形」「年中祝事女子こゝろ得艸」「新年中行事」の二一項を収録する。 下巻には「年始の文」〜「約束がへの文」までの文例五三通を収録するが、内容は前半部が四季折々の手紙で、後半部が吉凶事に伴う手紙やその他諸用件の手紙である。 この消息部分は、概ね大字・七行・付訓の並べ書きで記し、文例毎に「熟語」と称する言い替え表現を掲げるのが特徴。 また下巻凡例で、従来から使われてきた「まゐらせ候」や「めでたくかしく」の誤用について指摘する。 一方、下巻頭書には「十二ケ月の異名」「女文章正字解」「玉章したゝめ心得」「児育くさ」「所帯のこゝろえ」「新大和ことば」「新大和ことば」「用文かなつかひ」「百人一首読みかた」「諸芸道しるべ」「女文章適語の解」などの記事を掲げる。 なお、上巻巻頭に色刷り口絵数丁を載せる。 名和対月書。 中尾諠明(竹涯)序。 林華蹊画。 【年代】明治一二年(一八七九)刊。 [大阪]前川善兵衛ほか板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈日用宝鑒〉大全作文自在』。 半紙本二巻二冊。 同時期の類書中ではかなり大部な用文章。 上巻に「歳首之賀辞」から「開店報告之帖・同じく返状」までの六八通、下巻には「送友人行米国文」から「馳走になりし礼状」までの三〇通の合計九八通の例文を集録した用文章。 徴兵召募、造幣局拝見、帆前船製作注文、商法会議所景況、国立銀行設立、新聞演説会、幼稚園入学などの新しい題材を積極的に盛り込んだ種々の例文を大字・五行・付訓で記し、漢語の大半に左訓を施す。 例文毎に割注付きの類語集を細字で付記する。 頭書には膨大な消息用語・日常漢語を書簡類語別またはイロハ別に掲げる。 このほか上巻目次に続けて折り込みの「〈東京以西〉電信賃銭表」(銅版印刷)を綴じ込むほか、下巻後半に、「証券文例(二三例)」「届書之部(三〇例)」「願書之部(四九例)」の順に数多くの証文類文例を載せる(やや小字・七行・ほとんど付訓)。 青木東園書。 易堂序。 【年代】明治一九年(一八八六)序。 明治二〇年刊。 [大阪]河内屋忠七(赤志忠七・忠雅堂)蔵板。 [東京]辻岡文助ほか売出。 【分類】消息科。 【概要】半紙本二巻二冊。 合計一三四通の消息文例を一七部門に分類して収録した用文章。 各部の収録書状数は次の通り。 頭書もかなり充実しており、「書札認方ノ心得」「書簡中要語」「時令之称」「居所之称」「人倫之称」「物貨雑称」「日本帝国郵便規則」「電信取扱規則」などを掲げる。 【年代】文化(一八〇四〜一八)頃刊か。 [江戸]鶴屋喜右衛門板(文政四年(一八二一)求板)のほか各種板行されている。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈文章法則〉大全消息往来〈講釈附〉』『〈増補〉大全消息往来』。 中本一冊。 多くが「消息往来」「続消息往来」「消息往来講釈」の三部を合本したものだが、稀に「消息往来」に代えて「増字消息往来」を収録するものもある。 うち「消息往来」は文化(一八〇四〜一七)頃刊と思われる鶴屋喜右衛門板『消息往来』とほぼ同様。 「続消息往来」は『消息往来』に漏れた消息用語を無秩序に羅列したもの。 「消息往来講釈」は、『消息往来』の本文から要語をとり上げて割注を施したもの。 本文を大字・五行・付訓で記す。 基本的に行書体だが、「講釈」の要語のみ楷書体で記す版や、巻頭に「士農工商図」や「書筆心得」を掲げた版もある。 文化頃初刊と推定されるが、文化年間の刊記を有するものは未見。 諸本のいずれが初板本の系統であるかも不明である。 西野古海校。 【年代】明治一二年(一八七九)刊。 [東京]山崎屋清七(山静堂)板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈開明〉大全消息』。 中本一冊。 「続消息往来」は、前者の補遺で、「夫、人の等級、華・士族、平民、亦、血族、父母、子孫、兄弟、姉妹、夫婦…」と書き始め、人倫、疾病・治療、贈答等々から書止までの語彙を列挙する。 さらに「消息往来講釈」は、前記二本の要語解に相当するものの、文中以外の類語も掲げて割注を施すのが特徴。 いずれも本文を大字・五行・付訓(漢語に左訓)で記す。 なお、頭書に「布告新聞漢語字類」を載せる。 松川半山画。 【年代】安政三年(一八五六)刊。 [大阪]敦賀屋彦七(文会堂・梅村彦七)板。 【分類】消息科。 【概要】小本一冊。 江戸後期に流布した『大全消息往来』と同様の内容を袖珍本仕立てにしたもの。 本文に「消息往来」と「続消息往来」を収録し(五行・付訓)、頭書に適宜図解を交えながら「消息往来講釈」を掲げる。 また、巻頭に「本朝三筆図」「士農工商図」等を載せる。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]出雲寺万次郎板。 また別に[金沢]川後房板あり。 【分類】合本科。 【概要】中本一冊。 「消息往来(真・草二体、両点付)」「消息往来講釈」「商売往来」「名物往来」「苗字尽」「御府内町名尽」から成る往来。 「消息往来」以下三本はそれぞれ流布本と同じ。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]上州屋政次郎板。 【分類】産業科。 【概要】中本一冊。 見返に「篇并ニ冠構字づくし」(後半は裏表紙見返に掲げる)を載せる。 なお、本書は付録記事も含め江戸書肆・山口屋藤兵衛板の『商売往来』(題簽)と酷似しており、その模刻と見られるが、山口屋板との区別を装うために「大字増補」「大全」といった見せかけの書名に改めたものとも考えられる。 本文を大字・五行・付訓で記す。 【年代】文化三年(一八〇六)書。 文化一一年刊。 [江戸]大和田忠助板。 また別に[江戸]英平吉(万笈閣)板あり。 【分類】産業科。 【概要】異称『〈新撰増字〉大全商売往来』。 大本一冊。 全体としては元禄板の約二・七倍の文字数で綴った長文で、ほぼ元禄板同様に各分野の語彙を列記するが、金銀貨幣の所では「元禄之金銀、乾金、享保当時之文字、南鐐…」といった旧貨幣と現行貨幣との区別するなど、当用を重んじた改編も見られ、分野別では、日用品(紙類)・家財・雑具・遊具・細工物・大工道具・農具・釣道具・砂糖類(菓子)・絵具・獣類・虫類・青物・野菜・草木・花・果実・諸職業などの語彙を増補した。 本文を大字・五行・付訓で記す。 竹堂書(文久元年(一八六一)板)。 【年代】天保一三年(一八四二)序・刊。 [江戸]山城屋政吉ほか板。 また別に[江戸]藤林屋久兵衛(玉金堂)板、[江戸]若林喜兵衛(玉養堂)板等(後印)あり。 【分類】産業科。 【概要】異称『〈改正〉大全商売往来〈講釈附・子供節用〉』『商売往来講釈』『古今商売往来』。 中本一冊。 「商売往来」「拾遺商売往来」「商売往来講釈」の三編を合冊した往来。 まず最初に天保一三年に「商売往来」「拾遺商売往来」を合綴した『古今商売往来』(江戸・山城屋佐兵衛ほか板)が刊行され、その後、「商売往来講釈」が増補されたものと思われる。 続く「拾遺商売往来」(近沢幸山作)は、『商売往来』に漏れた語句で綴ったもので、「抑商賈人、上者公卿・侯家之弁御用、下者至樵夫・杣人・賤女迄、而商於其日用…」と書き始め、冒頭に商人の心得に触れ、衣冠束帯、女服、僧徒官服、絹布類、畳縁、果物、青物・乾物・野菜類、蒸菓子、干菓子、魚鳥、獣、虫、草木、器財、測量用具、家具、雑具、道具、薬品の順に語彙を列挙し、後半で経史・六国史・三部書・和歌三代集・同五代集・同八代集・同十三代集・同二十一代集・四書・五経・十三経等々の和漢書・仏典(名数)を列記する。 最後の「商売往来講釈」は、元禄板『商売往来』本文を語句毎に区切って大字で掲げ割注を施したもの。 いずれも本文を大字・五行・付訓で記す。 なお、天保一三年板には「拾遺商売往来」の末尾に「若林久兵衛」と記載する。 また、これとは別に、天保一三年の刊記を有し、見返に「周仙堂先生拾遺、蒼松軒先生註」と記したもの(江森本)や、弘化三年(一八四六)の金水陳人序文を付す弘化四年・吉田屋源八板(東京学芸大学本)もあるが改竄であろう。 【年代】文化一二年(一八一五)刊。 [京都]梅村伊兵衛(梅茶堂)ほか板。 【分類】消息科。 【概要】半紙本一冊。 「年頭状」から「祝言文章」までの一二五通を収録する。 例文は四季折々の手紙と吉凶事・諸事に関する書状、商用文などを明確な分類意識によらずに雑然と配列する。 四季時候・四季行事の手紙から一生の儀礼に伴う祝儀状、農家または商家の日用書簡など、あらゆる状況の例文を用意するのが特徴。 『町人取遣状』と同様に、本文を大字・五行・付訓で記すが、筆者は別で字配りも異なる。 見返に「十干十二支」「知死期操様」「九九」「片仮名イロハ」「十二月異名」、目録部・頭書に「諸証文手形案文」「百官名尽」「東百官名尽」、巻末に「京町づくし」「大日本国尽」を収録するが、これらも『町人取遣状』の模倣である。 青木東園(理中)校・書。 東生亀治郎跋。 【年代】明治八年(一八七五)刊。 [東京]東生亀治郎(袋屋亀次郎・万巻楼)板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈増訂再版〉大全諸証文例』。 中本一冊。 内容は明治八年板と全く同じ。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]椀屋伊兵衛(江島伊兵衛)ほか板。 また別に[大阪]河内屋平七ほか板あり。 【分類】語彙科。 【概要】異称『〈増補〉大全世話字往来』。 中本一冊。 ただし本文冒頭二行を改刻する。 「夫、天地万物の始は太極なり。 是より陰陽わかり、二儀、又両儀といふは、天地をいふなり…」で始まる文章で、天地・日月・地名・人倫・身体・生物・金石・器財・仏教・儒教その他・芸能・数字(大数・小数)・和漢人物・日本(社数や古名)等の語彙を大字・五行・付訓(稀に割注)で列挙する。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]椀屋伊兵衛板。 【分類】社会科。 【概要】異称『〈増補〉大全世話字往来』。 中本一冊。 「世話千字文」「大全世話字往来」ともに大字・五行・付訓で記す。 青木臨泉堂書・跋。 【年代】天保七年(一八三六)刊(再板)。 [江戸]北島長四郎ほか板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈諸人日要〉一寸案文』『世話字用文章』『世話字用文』。 小本一冊。 合計一一五通を収録。 なお、本書広告に「此書、他本と違、専児童に文字をおしへんために世話字・俗字を集、文章に書くわへ、頓(とみ)に要談をなさしむ。 依て『世話字用文章』ともいふ」と記す。 【年代】嘉永五年(一八五二)刊。 [江戸]新庄堂(糸屋庄兵衛か)板。 【分類】消息科。 【概要】異称『早便利手紙案文』。 中本一冊。 「年始の文」から「雪降之文」までの六一通を収録する。 四季行事や通過儀礼に伴う手紙も多いが、「女房聞合の文」「物騒噺しの文」「談義之文」など世俗的な例文を含む点に特色がある。 本文を大字・五行・所々付訓で記す。 頭書に「手形証文」「大日本国尽」「名頭字」「難字尽」「江戸年中行事」「服忌令」「武家諸役名」「太刀折紙并目録注文書様」「隅田川往来」を収録する。 松川半山画。 【年代】天保九年(一八三八)頃刊。 [大阪]秋田屋太右衛門(宋栄堂)板。 【分類】消息科。 【概要】異称『書状手習鑑』(前半部)、『増補手習鏡』(後半部)。 半紙本一冊。 「年頭祝儀状」から「帰国土産饋状」までの六一通を収録した前半部(『書状手習鑑』)に、『増補手習鑑』と題して「年甫披露状」から「事始之状」までの二五通を追加したもの。 増補した例文は四季・五節句、通過儀礼等吉凶事、商家関連、その他諸事に関する書状で、『書状手習鑑』に未収録の書状を網羅的に補充したものである。 頭書は、「曽我状・同返状」〜「義経含状」の部分は『書状手習鑑』と同様で、新たに「消息千字文」を追加した。 本文を大字・六行・付訓で記すが、「年甫披露状」のみは、楷書に近い行書で一字一字分かち書きにする。 西川竜章堂書。 浦辺昭注・書。 山川澄成序。 【年代】天保八年(一八三七)序・刊。 [大阪]敦賀屋九兵衛ほか板。 【分類】合本科。 【概要】異称『〈新撰大全〉童子往来百家通』『〈校正増益〉大全新童子往来』。 大本一冊。 標記の書名は見返題。 本書は天保八年・嘉永五年(一八五二)・慶応四年(一八六八)と重版され、さらに明治初年にも再板された、江戸後期を代表する大阪板系統の合本科往来。 原型の天保八年板(外題『大全新童子往来』)とその増補版(外題『童子往来百家通』)の二種ある。 まず原型は、本文に「商売往来」「和俗制作の字」「立春書初詩歌」「七夕之詩歌」「庭訓往来」「実語教・童子教」「江戸往来」「書簡作法」「瀟湘八景之詩歌」「近江八景之詩歌」「四季雑小謡」等を収録するもので、書簡作法以下を割愛した簡略版もある。 本文を大字・六〜七行・付訓で記す。 頭書に「証文認様之事」「七以呂波」「今川状」「新今川童子教訓条々」「御成敗式目」「流人赦免状」「伊豆国院宣」「高倉宮令旨国々被施行状」「平家追討之院宣」「木曽義仲願書」「熊谷状・経盛返状」「義経注進状」「腰越状」「義経含状」「曽我状・同返状」「弁慶状」「風月往来」「能謡濫觴之事」「能・狂言名家之伝」「猿楽名家之伝」「諸礼当用躾方之条々」等を載せる(簡略版は「風月往来」以下収録せず)。 一方、増補版は、本文に「年中往来」「大日本国全図」「五性相生花押」「男女相生名尽」「塵刧記」「年中二十四節」、頭書に「諸職往来」「書札要略」「小野篁略伝」「小野篁歌字尽」等を収録した三〇丁分を追加したものである(追加分は表紙の目録簽に表示)。 前付・後付は、原型・増補版とも同じで、「天神経」「暦代文字」「真草古文字偏冠尽」「文房四友故事」「和漢名筆略伝」「野馬台詩」「以呂波の文濫觴の事」「潮の盈虚之事」「改正服忌令」「六十図」等を載せる。 本書増補版は、あらゆる分野の往来や記事を多く盛り込み、合本科往来中最も浩瀚なものである。 【年代】文政八年(一八二五)刊。 [京都]山城屋佐兵衛ほか板。 【分類】女子用。 【概要】異称『〈婦人文章〉針刺宝』。 横本一冊。 女用文章に種々の付録記事(前付)を加えた往来。 女用文章は「年始の文」から「年忘に招文・同返事」までの六六通を収録し、五節句や通過儀礼に伴う祝儀状、その他吉凶事にまつわる手紙、また、誘引状・依頼状その他諸事の手紙の順に掲げる。 消息例文を大字・八行・付訓で綴る。 前付に、女の四徳・女の職分・身だしなみなどを説いた「女教訓身持鏡」を始め、「小笠原諸礼式」「男女相生鏡」「婦人諸病妙薬」「万しみ物落し様」「化粧の仕様」「衣服裁ものゝ秘伝」など庶民女性に必要な事柄を種々記す。 阪田映高書。 百井堂千戸画。 【年代】天保一五年(一八四四)刊記。 弘化二年(一八四五)刊。 [京都]菊屋七郎兵衛ほか板。 【分類】合本科。 【概要】異称『〈初学必用〉万宝古状揃大全』。 大本一冊。 宝暦七年(一七五七)刊『万宝古状揃大全』の改刻本に単行本の往来物数点を合綴したもので、書名に『古状揃』とあるが、実質的には合本科往来である。 本文を大字・七行・付訓で記す。 いずれも、頭書に「商売往来」「大日本国尽」「執筆秘伝鈔」「楠壁書」「木曽願書」「正尊起請文」「勧進帳」「義経含状」「頼朝廻宣状」「曽我状・同返状」「武家諸役名目」「当流祝言小謡」「九九之かけ声」「七伊呂波」「消息往来」「商家往来」(増補版にはさらに「文章速成」「手形証文案文」「十二ケ月之異名」「初心立花之心得」「茶の湯之事」「謡の心得之事」「当流躾方」「十二月往来」等)を掲げ、前付・後付に「学文十徳」「五節異名」「篇冠構尽」等の記事を載せる。 青木東江(清輔)校・序。 太田百祥(華陰)・菅原道義(原田精翁・一醒斎)序。 青木東園(理中)書。 【年代】明治八年(一八七五)序・刊。 [東京]東生亀治郎(亀次郎・万巻楼・東生書館)板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈漢語註解〉大全普通文章』。 中本二巻二冊。 上巻『大全普通文章』、下巻『大全諸証文例』から成る用文章。 青木輔清の序によれば、三谷演の前著『普通文章』が広く世に行われ板木が摩滅したため、巻末の「諸規則」を改正して再刻したものという。 上巻には、「歳端之文」をはじめとして、四季・雑を交えた私用文例六三通を収録し、さらに巻末付録として、「郵便規則略」「海外郵便差し出し手続並税則の略」など郵便に関わる規則を添える。 文例は「開歳之吉祥、千里同泰、不可有休期…」のように、漢語がかなり混じるものの比較的穏当な文体で、各文例の最後に、例えば「玉暦正朔、アラタマルトシノハジメ」「斗転洪釣、同上」「玉履踏順、トシヲムカヘシコト」のように、より難解な漢語への替え言葉を付す。 菅原道義の序の後に、「蘇武小伝」「驛逓局隆盛図」「招魂社境内図」「東京裁判所」「隅田川雪景」の銅版画五図が付され味わい深い。 一方、下巻「大全諸証文例」は、「雑証之部」「諸請書之部」「諸願書之部」「商会之部」「諸届之部」の五部に分け、それぞれ「借用証文」以下三三例、「出頭請書」以下四例、「帰県願」以下三七例、「売買為替約定書」以下一三例、「出産届」以下一九例の合計一〇六例を収録する。 上下巻とも、大字・五〜六行・所々付訓(漢語の多くに左訓)で記し、本文の所々に「地所規則節略」「利息制限法略」「建物書・入質規則略」「代理人規則」等の関連法規を掲げる。 菊池三渓(純)校・序。 【年代】明治一二年(一八七九)序・刊。 [京都]福井源次郎(正宝堂)蔵板。 福井孝太郎売出。 【分類】消息科。 【概要】半紙本二巻二冊。 「賀新禧文」から「米寿ノ賀宴ヲ催ス之文」まで六一通を収録した用文章。 大半が漢語消息で、「丸山賞雪文」「嵐峡観花誘引之文」「宇治川蛍狩之翌日新蛍一籠ヲ某生ニ贈ル文」など京名所を題材にした例文や季節の行事に関する手紙が多く、諸用件の手紙を所々に挟む。 各例文を大字・六行・付訓(所々左訓)で記す。 頭書には「作文ノ方法ヲ論ズ」のほかに、本文要語(漢語)の類語や言い換え表現などを多く掲げ、任意の語句に施注する。 【年代】宝暦一三年(一七六三)刊。 [大阪]田原屋平兵衛ほか板。 また別に[京都]菊屋七郎兵衛板(安永八年(一七七九)求板)。 【分類】消息科。 【概要】異称『大船用文三韓蔵』『大船用文』。 大本一冊。 五節句その他の年中行事や日常万般の諸用件に題材を求めた消息文三八通を収めた用文章。 概ね、上方(とりわけ大坂)町人の営む社会生活に即した内容で、文例毎の末尾で文中の語彙と文例全般の大意を解説するのも特徴。 また、例文中の第二一状「朝鮮人来朝当地殊之外賑鋪…」、第二三状「朝鮮書記墨蹟一幅被進上候…」は明らかに朝鮮通信使の来日を意識したもので、巻首付録記事にも「大船図」「朝鮮国信使解纜図」「朝鮮人行列之図」「朝鮮楽器図」「同武器図」「朝鮮八道総図」等や、「朝鮮人の詞尽」「朝鮮の仮名」「同数字」「唐以呂波」「朝鮮両京八道」「朝鮮名所」「同土産名物」「朝鮮人朝貢の濫觴」等の記事を収録する。 本往来は、近世における一一回の朝鮮通信使のうち享保ないし寛延度の経験をもとにして作成し、本書刊行翌年(明和元年(一七六四))の来日に備えて出版されたものであろう。 なお、本書の改題・改訂本に明和四年刊『明和用文法書苑』(大阪・田原屋平兵衛板)があるというが未見。 巻菱潭書。 黙堂序。 【年代】明治一一年(一八七八)序。 明治一三年刊。 [東京]山口屋藤兵衛(荒川藤兵衛)板。 【分類】消息科。 【概要】異称『文章大成』。 半紙本三巻合二冊。 第一冊(一・二巻)に「消息文例」「証書文例」、第二冊(三巻)に「訴訟文例」「公用文例」を収録した大部な用文章。 公用文、特に訴訟関連の文書を多く採り入れるのが特徴。 「消息文例」の部は、「賀歳首書」から「贈未会之人書・同報簡」までの三八通で、開校、油絵、博覧会、天長節など近代的な題材を交えた四季や慶事の手紙が中心である。 本文を大字・五行・付訓で記し、頭書「鼇頭類語註訳」に本文要語とその類語を略注とともに掲げる。 続く「証書文例」の部には、「預金証書」から「頼母子講金証書」までの三一例を収録し、関連知識として頭書に「改正証券印税規則」「地所質入書入規則」等の諸規則を掲げる。 下巻には、「訴状表紙之式」から「訴答文例中改正之条」までの訴訟関連の書式と、「送籍願書」から「貿易品買取御届書」までの公用文書式三四例を収録し、頭書に「改正訴答文例」等の関連法令を掲げる。 なお、本書は明治一一年刊の先行用文章(書名不明)を明治一三年に改題・板行したものである。 柴野栗山(邦彦・彦輔・古愚軒・三近堂)書。 大原東野(民声・如水)画。 【年代】享和三年(一八〇三)序。 文化四年(一八〇七)刊。 [京都]銭屋儀兵衛(梶河儀兵衛・梅花書屋)蔵板。 【分類】語彙科。 【概要】明暦(一六五五〜五七)頃の和刻本は中本一冊。 文化四年板は大本一冊。 明の太祖の洪武四年(建徳二年(一三七一))刊の手本で、主に天地・草木・鳥獣・魚虫・家屋・家財・諸道具・楽器・衣類・武具・馬具・農具・身体に関わる語彙を集めており、単漢字に続けて二字熟語を配列する。 わが国に移入された年代は明らかでないが、明暦頃に『魁本対相四言雑字』(全七七句三八語)として覆刻された。 同書は「天・雲・雷・雨、日・月・斗・星、江・山・水・石、路・井・墻・城…」で始まる本文を楷書・大字・二行(一行・八字)・無訓で記し、各漢字の左側に絵図を掲げる。 さらに、文化四年にそれを和訳した『対相四言』(山田汝明注、柴野栗山書)が刊行されたが、この文化板でも、漢字一字ないし二字の日常語二八〇語を絵図とともに列挙する(楷書・大字・付訓)。 文政四年(一八二一)に『新刊四言対相』が刊行されたほか、『大阪出版書籍目録』によれば、既に天明三年(一七八三)頃に藤田徳右衛門編『対相四言』(大阪・和泉屋文助板)も上梓された。 【年代】江戸後期刊。 刊行者不明。 【分類】合本科。 【概要】大本一冊。 前半に「古状揃」(柱)を合綴した大部なもので、単なる用文章とは異なる。 前半「古状」部には、前付に「男女相性之事」「御改正服忌令」「諸礼絵抄」を掲げ、本文に「実語教・童子教(三段組は異色)」「西湖八景詩歌」「自遣往来」「今川状」「腰越状」「含状」「手習状」「熊谷送状」「経盛返状」「弁慶状」「大坂進状」「同返状」「風月往来」を収録し、頭書に「年始遣書状」を含む「自遣往来」以外は、基本的に頭書絵抄(語注および図解)を施す。 また後半「用文」(柱)部は、前付に「五性書判」「月の異名」「立花図」「九九之次第」「八算掛割術」「見一九段割掛算」「初心立花仕様」を載せ、本文に「新年祝儀に干肴一箱贈る手紙」以下四三通(本文中にやや小字で記した替文章も含む)を収録した用文章で、末尾数通を披露状の類とする。 頭書には、天地・草木・魚・貝・虫・鳥・衣服・食物・器財・言語の一〇部に分けて語彙を集めた「世話用文字」や、「書簡用語集」「諸飾り」「目録書き方」「十二月献立」「大日本国尽」「篇冠尽」、末尾に「男名尽」「七ッイロハ」「法躰名つくし」を掲げる。 なお、「古状」部はやや小字・九行・付訓、「用文」部は大字・四行・付訓で記す。 井上俊乂書。 【年代】嘉永四年(一八五一)序。 安政六年(一八五九)刊。 [江戸]和泉屋吉兵衛板(再刻)。 【分類】歴史科。 【概要】半紙本または大本二巻合一冊。 歴代天皇の賛美を基調とした記述で、徳川時代になって皇統が廃れたのではなく、ますます確固たるものになったと説いたり、最後に、中国では王朝の交替が激しいのに対して日本は万世一系の皇統たることを強調して締め括る。 嘉永四年頃の初刊と推定され、初板本は本文を楷書・大字・五行・無訓で記した半紙本と思われる。 この半紙本にも多くの異板が見られるほか、注解本など、幕末から明治初年にかけて多数刊行された。 境野熊(熊蔵)序。 【年代】明治一五年(一八八二)刊。 [名古屋]鬼頭平兵衛板。 【分類】歴史科。 【概要】半紙本二巻合一冊。 同本文の語句を二字ないし四字ずつ区切って、大字・六行・付訓で記し、各句毎に小字の割注を施す。 施注の傾向は、漢字四言一句になった結果、文脈が把握しにくい箇所を中心に各句が意味する人物や事跡・事件などを簡潔に補足するものである。 重野安繹(士徳・厚之丞・成斎)序。 橋本貞秀(玉蘭斎・蘭斎・歌川貞秀・五雲亭・寿山・橘庵)画。 佐瀬得所(松城)書。 【年代】明治七年(一八七四)作・序・刊。 [東京]蕉鹿居蔵板。 大和屋喜兵衛(江藤喜兵衛・宝集堂)売出。 【分類】歴史科。 【概要】大本四巻附刻一巻五冊。 注解を口語で綴るなど、童蒙の暗記に役立つように編集・注釈上の種々の工夫が施す。 本文を楷書・大字・六行・付訓で記し、数句毎に詳細な割注を施す。 第一巻巻首に「歴世天皇系図併年号」「執政部門興廃之図」を掲げるほか、各巻に歴史的名場面の挿絵を多く挟む。 また、附刻一巻には『〈刪補〉大統歌』本文を楷書・大字・五行・無訓で、また『大統歌』原文を楷書・小字・九行・無訓で記す。 【年代】明治一五年(一八八二)刊。 [埼玉県横見郡]内山作信(白玉堂)蔵板。 長島為一郎ほか売出。 【分類】歴史科。 【概要】中本二巻合一冊。 本文を各単語または数語に区切って楷書・やや小字・九行・付訓で記し、平易な割注を施したもの。 丸付き数字によって『大統歌』原本の丁数をそれぞれ明示する。 四十宮苞序。 橋本孝(晩翠)跋。 【年代】明治四年(一八七一)序。 明治五年刊。 [徳島]井上不鳴蔵板。 [東京]松井栄助ほか売出。 【分類】歴史科。 【概要】半紙本二巻二冊。 『大統歌』本文の大意を分かりやすい俗語によって解釈したもので、例えば書名の『大統歌』については「日本ノ帝(ミカド)ノ宝祚(ミクラヰ)、万代(ヨロヅヨ)ノ大統(オホキナルツギメ)ヲ唐(カラ)ノ歌ニ作レルナリ」と説く。 本文を数句毎に区切って大字・六行・無訓で掲げ、各段毎に割注を施す。 施注にあたっては、本文で用いられている漢字を四角で囲んだり、天皇または皇子には二重線を付すなど種々の記号で読者理解の一助とする。 なお、『大統歌』末尾の「勿謂覇興」以下一六句を時勢に合わないものとして省くのも特徴。 本書のみならず、『大統歌』には下巻末尾数行を削除した版もいくつか見られる。 阪崎親成序。 【年代】明治一五年(一八八二)序・刊。 [名古屋]梶田勘助板。 【分類】歴史科。 【概要】半紙本二巻合一冊。 『大統歌』本文を楷書・大字・六行・無訓で記し、頭書に、「〔大統〕 で示して略解する。 文章全体の大意にはほとんど言及しないが、一句四言という制約のため難解な本文中の要語(特に人名・事跡)について簡潔に解説する。 〔小泉〕 【所蔵】小泉ほか。 若林長栄画。 【年代】明治七年(一八七四)刊。 [大阪]中川勘助板。 また別に[大阪]秋田屋市兵衛(大野木市兵衛)板あり。 【分類】地理科。 【概要】異称『〈文明〉大日本往来』『〈改正〉大日本往来』『〈島有三編輯・開化〉大日本往来』『開化大日本往来』。 半紙本二編六巻六冊。 まず、「端言」として「諺に地理を知らざる人々は、足なき人に異ならずと、其歩むべき踏出しは、まづ我国の華も香も、しりて他国に移るべし…」と七五調の文章で、地理的教養の重要性や世界における日本の位置と国勢のあらましを述べ、以下、五畿八道毎に各国の地理・歴史・産業などを紹介する(初編は畿内・東海道・東山道・北海道、後編は北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道・琉球国)。 本文を大字・五行・付訓で記す。 また、各巻に数葉の風景画を載せるが、近世以来の名所のほかに「大阪川崎造幣寮の図」や「神戸(港)の図」など新時代を象徴する図も多い。 なお、第一巻冒頭に、臥竜軒貞義作の「大日本之図」「北海道全図」を掲げる。 【年代】明治四年(一八七一)序・刊。 [東京]椀屋喜兵衛(万笈閣)板。 【分類】地理科。 【概要】異称『英字国尽』『英学国尽』『英字大日本国尽』。 中本一冊。 「日本国尽」「十干十二支」「四方」をそれぞれ英字三体(ローマン体大文字・小文字、イタリック体小文字)で表記した往来。 左開きの造りで、各頁を左右二列に分けて、最上段に漢字表記、その下に続けて三体の英語表記を三段で掲げる。 なお「日本国尽」は、五畿八道・二島・八丈島・小笠原島・琉球までの国名・地名等を列記する。 【年代】明治年間刊。 [東京]大橋堂板。 【分類】地理科。 【概要】中本一冊。 「名頭尽」「大日本国名尽」「世界国尽」の三編を収めた往来。 前二者は近世以来のものとほぼ同じ。 「世界国尽」は五大洲毎の主要国名(七二カ国)を列挙したもの。 本文を楷書・大字・五行・付訓で記す。 なお本書の作者を「加藤富三郎輯書」とした東京・錦栄堂(大倉孫兵衛)板があるが、作者を改竄したものであろう。 【年代】明治五年(一八七二)刊記。 明治六年刊。 [東京]和泉屋市兵衛(甘泉堂)板。 【分類】地理科。 【概要】異称『大日本国尽〈附海外同盟国〉』。 半紙本一冊。 各頁に三段の界線を設け、最上段に郡名、下二段に各国名と石高などを記した往来。 五畿八道毎に順々に掲げ、最後は「二島(壹岐・対馬)」「属島(北蝦夷=樺太と無人島=小笠原島)、さらに「琉球藩(一五島)」の名称を記す。 巻末二丁は「海外同盟国」と題して、当時の日本との同盟国一六カ国の名称(漢字表記)と仮条約(調印)年月日、本条約(批准書交換)年月日を最上段に注記する。 本文は全て楷書体・付訓。 【年代】明治七年(一八七四)刊。 [京都]石田忠兵衛(文明書楼)ほか板。 【分類】地理科。 【概要】異称『〈平木保景著〉大日本国尽』『〈平木氏〉日本国つくし』。 半紙本二巻四冊。 書名に『大日本国尽』と称するが、近世流布本『国尽』のような地名の列挙ではなく、各国の地理・歴史・産業等について詳述した往来。 例えば冒頭の「山城」には「山城の国、石高二十二万石余なり。 京都はむかし平安城といふところなりしが、桓武天皇のはじめてひらかせたまひしより、御一新まではみかどのいませし都会なり…」のような仮名交じり文で平易に記し、以下、各国別に石高、沿革、寺社・名所旧跡、その他地名・物産、また維新後の現況(特に交易場の記述が目立つ)などを略述する。 序文には、日本の国土や物産、中世以降の西洋文明の伝播などについて略述する。 また、下巻末尾に「無海十四箇国」「高山」「大川」を列記する。 本文を大字・六行・ほとんど付訓で記す。 巻頭に銅版刷の「大日本府県全図」のほか、五畿八道の各章毎に色刷り地図を掲げる。 【年代】安政六年(一八五九)以前刊。 [江戸]寿堂板。 また別に[江戸]山本某板あり。 【分類】地理科。 【概要】異称『名頭国づくし』。 半紙本一冊。 『大日本国州名(州名帖)』と『名頭字彙』を合綴した陰刻手本。 本文を概ね楷書・大字・三行・無訓で記す。 【年代】明治一六年(一八八三)刊。 [東京]編者蔵板。 また別に[東京]井上勝五郎板あり。 【分類】地理科。 【概要】異称『明治新撰名頭国尽』。 半紙本一冊。 日本全域を畿内・八道に分けて、八六カ国の国名を列記した教科書。 楷書・大字・三行・付訓で記す。 明治初年の区画改訂を受けて、陸奥を陸前・陸中・陸奥に、出羽を羽前・羽後に分け、また北海道を加えるのが特徴。 なお、本書は「名頭尽」と合綴されている。 梅村相保(静巌村清)書。 【年代】明治五年(一八七二)序・刊。 [行田]博文堂板。 【分類】地理科。 【概要】半紙本一冊。 皇国観念に基づき、神代からの国史を点描しながら、日本の国土・地理・産業・文化や明治初年の東京府下の現況などを綴った往来。 「我日本帝国は、太平洋西北の隅に位せる一大島なり。 北緯二十六度三十五分より四十九度の間にて、東経百二十九度と百五十度にあり…」と始まる文章で、日本国土・国勢・行政・地理・物産・文化および、中古・中世・近世から現在に至る推移、また首府・東京の繁栄ぶりを紹介し、かかる有り難い時代に生まれた国民は、おのおの「興起勉励し、鴻恩万一に報ゆる」のが国民の職分であると説いて結ぶ。 本文を大字・四行・付訓で記す。 頭書には国号・国郡・戸口・気候・人種・文字・国教(僧侶)・植動産・礦山・製造・貿易・海陸軍・電信線・鉄道・海路里程概略等の説明を補足する。 【年代】明治九年(一八七六)刊。 [東京]小林鉄次郎蔵板。 【分類】地理科。 【概要】中本一冊。 「大日本国名尽」「世界国尽」「名頭字」から成る往来。 「大日本国名尽」は東海道から北海道まで畿内八道六六国の旧国名を記し、頭書に全国七一六の郡名を掲げる。 また「世界国尽」は五大洲毎の主要国名を列挙したもの。 「名頭字」は「源・平・藤・橘…」で始まる流布本に同じ。 【年代】明治一一年(一八七八)刊。 [東京]上阪久次郎(松永堂)板。 【分類】地理科。 【概要】異称『府県往来』。 中本一冊。 日本の国土と、府県名および府県庁所在地、所轄郡数などを七五調で綴った往来。 「大日本は亜細亜の中、東の方に位して、豊葦原の中津国、又蜻蛉洲とも旧称す。 直径凡一千余里、其表面は十六万…」で始まる本文を楷書・大字・六行・付訓で記す。 また、頭書「改正府県表」には、三府三五県の郡名・郡数を旧国名毎に記す。 青木東園書。 【年代】明治一八年(一八八五)刊。 [大阪]中野啓蔵(桑林堂)板。 また別に[大阪]松浦要祐(松栄堂)板あり。 【分類】消息科。 【概要】異称『記事論説文章大成』『鼇頭記事論説大日本文章大成』『〈鼇頭〉大日本文章大成』『記事論説文範』。 半紙本一冊。 消息例文・証書書式・各種文案から成る用文章。 本文を大字・五行(証文類は八行)・付訓(漢語に左訓)で記す。 「証書々式文例」には「田畑書入質ノ証」以下一八通を載せる。 頭書の大半を占める「記事論説文範」は各種文章の模範文で、春・夏・秋・冬・遊記・記事・伝・論・説・書・序・題・跋・祝文・引・祭文の一六部毎に合計七三例を掲げるが、頼山陽・伊藤博文・柴野栗山など著名人の文章も多く含まれる。 このほか頭書に「書簡雑語(「存門類」など一一類毎に掲げた漢語消息文の文句や書簡に多用する異称類)」「諸願ノ部(「人力車検印願」以下一五例)」「諸届ノ部(「出産届」以下一六例)」を載せる。 巻頭二丁(題字・「吉備真備公略伝」・凡例)は銅版印刷。 蔀関牛画か。 【年代】江戸後期刊。 刊行者不明。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈商人用文〉大福帳』『商人文章大福帳』。 やや小型の中本一冊。 「売先得意頼状」から「歳暮之祝義状」まで一〇九通を収録した用文章。 『大阪出版書籍目録』に文政四年(一八二一)刊『商人取引状』の抜刷本と記すが、全くの異板で、「斎非時呼に遣す状」に続いて「踊見之状・同返事」二通を新たに追加したものである。 例文には四季の手紙や吉凶事に伴う書状も含まれるが、大半が商人用文でそれらを冒頭に掲げる。 本文をやや小字・六〜七行・所々付訓で記す。 見返に宝船の図、前付に「大日本国尽」「片仮名イロハ」「十干・十二支」「様之字之事」「脇付之高下」「同返札之時は」「書状封様之事」、末尾に「算法智恵の輪・出世算法早指南」と題した記事(「第五、八さんの割こゑの事」から始まる)を合綴する。 【年代】正徳四年(一七一四)刊。 [大阪]吉文字屋市兵衛板。 【分類】地理科。 【概要】大本一冊。 「泰平往来」「諸国(大日本国尽)」「官名」から成る手本。 「泰平往来」は、まず「抑江府年頭之御規式、元日、二日、御一門之御方々、国主、城主之歴々、三献之御祝、其外、諸侯昵近之面々…」と筆を起こして、正月朔日、二日に将軍家一門、各国諸侯以下諸役人、続いて三日に諸大名の子息以下の新年挨拶を始め、五日寛永寺僧侶の挨拶、六日諸国寺社の挨拶、七日「七種之御粽」献上、一一日御具足祝いを始めとする新年儀式のあらましと城中の模様を綴り、君主を「前代未聞の名君」と讚える。 後半では、まさに「国家安全、理民長久の瑞相、泰平繁昌」の今日の江戸は、日本諸国のみならず中国・朝鮮・琉球・オランダなど近隣諸外国からも崇敬されることを述べた後、江戸府内、東西南北の地名と繁栄ぶりを紹介する。 「国尽」は五畿内以下の諸国名、「官名」は「太政官・左大臣・右大臣…」から「…督・佐・尉・志」までの官名・官位を列挙する。 本文を大字・三行・無訓で記す。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]山口屋藤兵衛(錦耕堂)板。 【分類】歴史科。 【概要】異称『泰平古状揃』。 大本一冊。 本書の改題本に「〈頭書講釈〉両点古状揃」がある。 「今川状」「手習状」「腰越状」「義経含状」「弁慶状」「熊谷状」「経盛返状」「大坂状」「同返状」の九状を収録する。 このうち、「大坂状」「同返状」については略注を置かず、代わりに「太刀折紙請取渡之事」など本文と無縁の記事を掲げるのは、『大坂状』の不穏当な表現を憚ってのことであろう。 【年代】安政四年(一八五七)書。 【分類】教訓科。 【概要】大本一冊。 全編一通の仮名文で綴った教訓。 「太平之御代麥蒔親父も鍬を杖に突て新金の土も動かぬ君か代と寿を句に作り、ざこ曵魚者も浪しつか成事を述る能節に生れて、辻談儀きく事有かたき世界にて候。 かしく」というのがその全文で、大字・五行・稀に付訓で記す。 紀州地方で使用された手習い本中に所収。 【年代】宝暦二年(一七五二)刊。 [大阪]泉屋喜太郎板。 【分類】合本科(節用集)。 【概要】大本一冊。 本文欄に用文章「日用文章筆牘」、頭書欄に節用集「節用福聚海」を収め、さらに前付に多彩な記事を盛り込んだ浩瀚な往来。 「日用文章筆牘」の部分は頭書を二段に分かつ「三階板」形式で、上段に一三部門分け・二行両点の「節用福聚海」、下段に消息例文の類語・類句を集めた「替詞」(敬意の上中下別を示す)を収録する。 「日用文章筆牘」自体は、「春の状」「夏の状」「秋の状」「冬の状」「祝賀状」「不祝義」「見廻状」「頼状」「雑之状(「女中方への文之格」数通を含む)」の九部に分けて合計で約二〇〇通を収録する。 また、四五丁に及ぶ前付には、「改正七以呂波」「小野篁歌字尽」「天満宮御伝」「十二月因縁」「当用書札秘説」「四民の事」「万積物図式」「日用食礼」「万証文手鑑」「百宮名尽」「暦の大略の事」「筆道初学抄」「文房重宝記」「名乗手鑑」等の記事を載せる。 なお、本書寛政(一七八九〜一八〇〇)頃再板本には、巻末に寛文八年(一六六八)原板、寛政一二年求板『庭訓往来抄』約九〇丁を合綴した版もある。 【年代】文政一二年(一八二九)書・刊。 [江戸]刊行者不明。 【分類】社会科。 【概要】『千字文』形式で社会生活全般にわたる語彙を列挙した往来。 天地、各地の繁栄、皇室、政治、人品、建築、動物、調度、服飾、家業、学芸、眷属、人倫、保身、社交、鉱物、慶事、歳時、旅行、趣向、音曲、睡眠、必需品、運動、植物、文具、健康、経書、教戒、才能、性質、公務等に関する語彙を列挙する。 「日月清明、天下泰平…」で始まる本文(全四八八字)を楷書・大字・二行・付訓(両点)で記した陰刻手本。 【年代】江戸後期書。 【分類】社会科。 【概要】周興嗣作『千字文』形式で社会生活全般にわたる語彙を列挙したもの。 天下泰平、季節、朝廷、将軍・諸侯、祝祭、人倫、武芸、規式、教戒、応対、芸能、保健、消息、納務、商用、苦難、宗教、理非、人情、聖賢、平和等の類語を収録する。 「天下、泰平、国土、安穏、日月、循環、春夏、秋冬、禁裏、至尊…」で始まる本文を行書・大字・七行・無訓(ごく稀に付訓)で記す。 【年代】嘉永(一八四八〜五三)頃刊。 [京都]菊屋七郎兵衛板。 【分類】消息科。 【概要】半紙本一冊。 「四季之部」「売用之部」「要用之部」「諸見舞・祝儀之部」「諸証文手形請状之部」の五部に分類し、それぞれ「年頭披露状」以下一七通、「店開申遣状」以下一二通、「未逢人之遣状」以下一七通、「火事見舞状」以下一五通、「預申銀子之事」以下一四通、合計七五通を収録する。 本文を大字・五行・付訓で記し、所々に月異名や書簡作法についての記事を載せるほか、巻末に「高下九品之事」「十二月異名」などを掲げる。 【年代】嘉永元年(一八四八)刊。 [大阪]秋田屋市兵衛ほか板。 【分類】消息科。 【概要】半紙本一冊。 「年頭披露状」から「初而注文申遣状・同返事」までの三四通の例文を集録した用文章。 五節句・四季贈答の手紙、慶賀祝儀状などで、商用文はほとんど含まない。 冒頭の数通だけは、差出人・宛名人・脇付・追伸文等を明記して実際の手紙文の様子を示す。 本文を大字・六行・付訓で記す。 また、目次の末尾に「篇并冠字づくし」を掲げる。 【年代】嘉永三年(一八五〇)刊。 [大阪]敦賀屋九兵衛板。 【分類】消息科。 【概要】異称『〈御家流〉大宝用文章大成』。 半紙本一冊。 「年始状」〜「久々不逢人え遣状・同返事」の消息文例三三通を収録。 庶民生活中心の吉凶事に伴う書状とともに、「店開を賀す文」「荷送り状」などの商人用文や「豊作賀状」「田植助合頼状」など農民用文など基本的な例文を一通り収録するのが特徴。 本文を大字・五行・所々付訓で記す。 頭書に「書翰上中下次第」「諸国御関所」「日本大川」「大日本国名」「万物数量字尽」、および「店請状」〜「借用証文」の手形証文文例七通のほか、巻末に「十干・十二支」「月之異名」を掲げる。 【年代】寛延四年(一七五一)刊。 [京都]藤屋武兵衛板。 【分類】消息科・地理科。 【概要】大本一冊。 「新年祝儀に扇子一箱贈る状」から「歳末祝儀の礼状」まで、五節句祝儀や四季贈答、年中行事に伴う手紙など二三通を収録する。 準漢文体書簡ながら「かしく」で結ぶ例文を二通含む。 本文を大字・四行・付訓で記す。 前付に「内裏参向之図」「太宰府天満宮参礼」「筑紫安楽寺御祭」「愛宕山道之風景」「鞍馬山僧正坊図」「片仮名真字・古文字いろは」「始文字製図」、頭書に「小野篁歌字尽」「判形相性之事」「十干十二枝」「大日本国づくし」「篇冠構づくし」「四季之異名」「人の名づくし」「諸商看板因縁」「立花初心伝」「花洛東山詣」「洛西山嵯峨名所」「京町竪横小路」、巻末に「叡山赤山明神図」を掲げる。 なお、本書の改題本『買得用文都土産(買得用文)』が宝暦四年(一七五四)頃に刊行されたが、現存本(小泉蔵)では収録順序が「買得往来」「買得用文」の順に変更された。 【年代】安政四年(一八五七)書。 【分類】語彙科。 【概要】異称『大名苗字尽往来』『諸大名苗字尽』。 大本一冊。 韻文体をやめて単に大名の苗字を列挙するが、天保一一年板の順序と一部異なる。 本文を大字・三行・無訓で記す。 【年代】寛政一〇年(一七九九)作。 文政五年(一八二二)書。 【分類】地理科。 【概要】異称『大門方角名所』『大門往来』。 大本一冊。 武州足立郡大門宿(埼玉県浦和市)方面の地名・名所を列挙した往来。 まず「高千百三拾七石七斗三升五合、反別百八拾九町八反七畝拾弐歩。 宝暦十辰之年(一七六〇)御検地、従御高札東者…」と筆を起こし、東・西・南・北の各方角毎に村名・寺社名・河川名その他の地名を列挙し、最後に同地の老若男女がともに農業に出精して年貢皆済し、子孫に相続すべき旨を述べ、「恐々謹言、敬白」と結ぶ。 本文を大字・四行・無訓で記す。 甲斐千代子書か。 【年代】元文(一七三六〜四〇)頃作。 江戸中期書。 【分類】女子用。 【概要】異称『よめのしるべ』。 大本一冊。 熊本藩儒の大塚退野が、享保一一年(一七二六)丙午生まれの娘が嫁ぐ際の教訓として綴ったもの。 「君子につかふまつり様の事」「君子の父母につかふまつりやうの事」「身のまもりよふの事」「身のたしなみやうの事」「召つかひの男女あわれみやうの事」の五章を説く。 続いて、舅姑への孝養、男女の別、使用人への慈悲などを説く。 また末尾に藤崎某妻・丹から「おるい」へ宛てた一通の教訓の文を付す。 謙堂文庫本は本文をやや小字・一〇行・所々付訓で記す。 【年代】明治六年(一八七三)刊。 [京都]乙葉宗兵衛板。 【分類】理数科。 【概要】半紙本一冊。 新暦採用に伴い太陽暦の概略を記した教科書。 「太陽暦の訳」「太陰暦の訳」「地球の日輪を廻る訳」「月輪地球を廻る訳」「昼夜十二時を改め廿四時に分る訳」「太陰暦を廃(やめに)せられて衆庶(おおくのひと)自由を得たる訳」「太陽暦は永々の重宝なる訳」の七項に分けて説き、新暦制定を「愚痴蒙昧の心目を一掃し、知識開化の大基礎と成るは、今度の改暦なりと有難く忝く思ふべき事ならずや」と大いに讃えて結ぶ。 本文をやや小字・九行・付訓で記す。 なお首題に続けて「遠藤茂平抄録」と記すため、先行類書からの抄録か。 福田理軒(三野農人)校・序。 青木東園書。 玄々堂画。 珍水徴序。 【年代】明治六年(一八七三)序・刊。 [東京]順天堂塾蔵板。 島屋平七ほか売出。 【分類】理数科。 【概要】中本二巻二冊。 太陽暦に関する諸説を一問一答式に綴った教科書。 上巻(第一本)には巻頭に「太陽暦十二宮躔次(てんじ)の図」を掲げ、本文には「改暦の問答」以下一〇項を、また、下巻(第二本)には「地球の太陽を繞(めぐ)り一年を作(な)す説」以下一二項をそれぞれ収録する。 太陽暦の概説にとどまらず、「閏年を知る算法」や「旧暦の月日を太陽暦の月次に化(な)す算法」など、暦法上の各種計算方法にも言及する。 また、近世の『大雑書』等に見られる吉凶事などの迷信を一掃しようとする意識も強く、科学的な観点から暦法を捉えようとする点は大きな変化である。 なお、上巻巻頭に「太陽暦之歌(漢詩文)」、下巻末尾に「太陽暦の和歌(「一三五七八十や十二月、日数三十一日と知れ」など三首)」を掲げる。 【年代】天保(一八三〇〜四四)頃書。 【分類】地理科。 【概要】縦長本一冊。 「上野国群馬郡赤坂之庄和田之郷高崎古来者、和田六郎兵衛義信公鎌倉より落て居住す…」と筆を起こして現・高崎市方面の歴史と地理を略述した往来。 まず和田義信や井伊直政以来の沿革や慶長三年の町割で「高崎」と称するようになった経緯に触れ、続いて、方位別に高崎宿内の町々や寺社(あるいはその縁起・宗旨・祭礼等)の名称を列記する。 本文をやや小字・八〜九行・無訓で記す。 【年代】安永七年(一七七八)書。 【分類】地理科。 【概要】特大本一冊。 群馬県高崎市方面の地理を綴った往来。 於是改地名号高崎云々…」と書き始め、まず天正年間(一五七三〜九一)以降の沿革や高崎の地勢・立地に触れ、続いて、同所の町名や宿駅・町並みの様相、各種物産や取引売買の盛んな様子、寺社の縁起・祭礼、庶民の風俗・遊芸、周囲の山々などを紹介する。 同地の地理・歴史から経済・社会・風俗まで幅広く記述する点に特色がある。 本文を大字・五〜六行・稀に付訓で記す。 【年代】天保一三年(一八四二)以前作・書。 【分類】地理科。 【概要】豊後国高田(大分県豊後高田市)地方の二五社の縁起・景趣と、各社を順礼する沿道の神社仏閣・名所のあらましを記した往来。 「時候暖和に任せ、兼て示し合の通り、二十五社の順拝、近日打立、札所の順逆に係らず、片路の様なく、道筋の神社仏閣序に拝礼致すべく…」で始まる一通の書簡文で、琵琶島・第一一番常行枯木天神・雲鶴山常仙寺・慈雲山補陀寺から八坂権現・三ッ川長勝寺・中島飛天神・恵想寺・森村天神・岩松八幡までの寺社や名所を、古今の伝承・由来や霊験・景観・宝物等とともに紹介する。 【年代】江戸後期書。 【分類】地理科。 【概要】異称『高遠御城下寺社巡』『高遠往来』。 信州高遠藩の城下の寺社を歴覧する紀行文風に綴った往来。 「兼々申談候通り、衣更着の彼岸中、いざや名に逢ふ高遠の、御城下に聞へたる、神社仏閣拝み巡り、是を次手に児童に、寺号・山号・宮社の、由来や又は文字をも、教知らせ申べくと…」で始まる七五調の文章で、高遠城(兜が城)・峯山禅寺・竜沢山桂泉院・白雲山西竜寺・諏訪明神以下の寺社とその縁起・景趣・宗旨などを略述する。 作者は、上伊那郡河南村の手習師匠。 【年代】慶応三年(一八六七)書。 【分類】社会科。 【概要】中本一冊。 「盛岡御城天守御三階、御本丸、御玄関、御殿廻、御広間、御納戸、御台所、御勘定御門、塀、外堀、櫓。 御役人者、御席詰、御老中、御用人、御目付…」と筆を起こし、まず盛岡城の結構、城中・城外の諸役人の名称を列記し、さらに橋普請・河川治水、建築用材、鷹野場所・往還の整備、海岸の警備、参勤交代時の諸準備、年貢上納、寄進・祭礼、人足・雑役などの公務(高役)全般と役人心得を記した往来。 本文を大字・六行・無訓で記す。 本書は、奥州志和(紫波)郡小屋敷村(岩手県紫波町)で使用された往来物で、筆者・倉蔵は「奥州南部志和郡伝法寺通小屋敷村」の住人である。 なお、本書とほとんど同内容の往来として、元治元年(一八六四)書『当用文記(当用文章)」がある。 【年代】江戸後期刊。 [高山]なめりかわや(滑川屋)長三郎板。 【分類】地理科。 【概要】半紙本一冊。 飛騨高山で取り引きされる諸品・物産や諸職の名称を記した往来。 「飛騨国大野郡灘郷・高山一之町を登れば、まづ御坊坂には飴菓子之類品々有之…」と筆を起こし、地域毎の産物や周辺から集積する物資を数多く紹介する。 末尾では地域の諸職業や身体・疾病・化粧・芸能・人倫等、若干の語彙を列挙したうえ、「…女房・朋友寄集り、賑々敷、幾久目出度、子孫繁昌たるべきものなり」と結ぶ。 地方の物産を扱った田舎板の往来として貴重である。 【年代】明治二五年(一八九二)刊。 刊行者不明。 【分類】地理科。 【概要】飛騨高山の町名を列挙した「高山町名称」(四九町名)、また同地の橋梁名をあげた「橋名」(七)、さらに同地の寺社名を集めた「寺名」(二六)、「神社」(九)の四編を集めた往来。 多くの地名に読み仮名を付す。 歌川広重(安藤広重・一幽斎・一遊斎・一立斎・立斎)画。 【年代】文政一〇年(一八二七)序・刊。 [江戸]岩戸屋喜三郎(栄林堂)板。 【分類】産業科。 【概要】異称『多可羅婦祢』。 中本二編二冊。 前編は諸職人の図と関連の狂歌を職業毎に掲げたもので、冒頭の「番匠(だいく)・鋸のめでたき御代の例(ためし)とて、けふや子の日の松の木をひく」以下三八業種(三八首)を載せる。 後編は、前編と同様の体裁で諸商売をテーマにした往来である。 呉服屋・両替屋・材木屋・金物屋・米屋・小間物屋・酒屋など三八業種の絵図と狂歌を載せる。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]和泉屋庄次郎板(後印)。 【分類】社会科。 【概要】大本一冊。 【年代】江戸中期刊。 [大阪]柏原屋清右衛門(渋川清右衛門)板。 【分類】消息科。 【概要】大本一冊。 「太刀・小袖を進上する状」以下の書状一五通と「ほとゝきすいつかとまちしあやめ草、けふはいかなるねにか鳴へき」以下の和歌九首を綴った手本。 主として知人とやりとりする私信を収録し、中には「風呂焚き招待状」といった生活感のある文面も見える。 本文を大字・四行・無訓で記す。 【年代】安永五年(一七七六)書。 【分類】教訓科。 【概要】大本一冊。 安永五年写本『女今川〈并〉女小学』中に所収。 「御手前万事御才覚肝要に候。 先書に何事も天道次第との御文躰尤其分成も候へとも、唯、善天天道より金銀米銭を与事は無之候…」で始まる一通の手紙文(沢庵の書状に仮託)で、天道の働きと人間の才覚の重要性を説いた往来。 「天道は此方次第の物」であり、才覚を働かせ、「借銀・借米」をせず、分限に応じた生活、要は「心たに信の道に叶ひなは、祈らす迚も神や守らん」の心構えで生活すべきだと説いて締め括る。 大字・七行・無訓で記す。 【年代】文政五年(一八二二)刊。 [仙台]伊勢屋半右衛門(裳華房)板。 【分類】地理科。 【概要】中本一冊。 仙台から竹駒稲荷(宮城県岩沼市)までの名所旧跡・神社仏閣、ならびに竹駒稲荷の景趣・縁起等を記した往来。 「這回(このたび)御心願之儀、被為有、竹駒参詣思召立候に付、御案内傍御供可申旨、致承知候…」で始まる手紙文の体裁で、芭蕉の辻から出発し、五軒茶屋・広瀬川・大年寺・長町・諏訪明神・名取川・中田町・前田川天満宮・熊野権現等をめぐって、岩沼町・竹駒神社に至る道順のあらましを紹介する。 本文を大字・五行・付訓で記す。 巻頭に「同神社全景図」、頭書に広瀬川以下の沿道風景図と「仙台三十三番御詠歌」掲げる。 【年代】文政九年(一八二六)作・書。 【分類】地理科。 【概要】異称『竹田往来』。 佐渡国雑太(さわた)郡竹田郷真野村(佐渡郡真野町)の沢田城(檀風)の由来や歴史、また城下の神社仏閣・名所旧跡の縁起・景趣等を述べた往来。 冒頭部で「…抑、此竹田村者、往古本邦之府中、称雑太郡雑太村、何頃致竹田、不知其来由…」と地名の由来から書き始めるが、「古老之膾炙難信用…」と考証的姿勢も示す。 以下、同地の地勢・自然、領主・本間氏と檀風城の沿革や威容、城郭の様子、また城下の地名・名所・寺社の縁起・景趣・祭礼、四季の風景などを記す。 重写本は大字・五行・無訓の手本様に記す。 【年代】嘉永二年(一八四九)書・刊。 梅花堂天年蔵板。 【分類】教訓科。 【概要】異称『〈手習状之事〉武田信玄公御教訓書』『手習教訓状』『信玄手習帖』『信玄公手習状』。 大本一冊。 武田信玄が永禄元年(一五五八)五月に書き記した教訓書に仮託して、手習いの心懸けを中心に日常百般の教訓を説いた往来。 「夫、手習者、尋蒼頡・羲之源汲水、露遠波之流伝、空海・道風之筆道、磨玉、林烏玉之書、朝早起、濯口、攘意、読書物、夕遅寝、洗足、静性案義理。 立身之基無過学文、貫道之器不如手跡。 学詩以言、学礼以立者、魯人之庭訓也…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。 富田助之進(誉文)書。 【年代】寛永一八年(一六四一)書・刊。 刊行者不明。 【分類】教訓科。 【概要】異称『筆道之事』。 大本一冊。 建部伝内が子息に対して書き付けた筆道心得を、高弟の富田助之進が書して上梓した手本。 第一条「一、手習之時先心を幽玄に取静め、手本の心をさとり、ひち、手くひを料紙、机にもたせす、はやからす、遅からす可有御習事」以下の全一二カ条を大字・四行・無訓で記す。 手跡稽古上の基本的心得とともに、伝内の書論の一端を述べたものである。 【年代】江戸後期書か。 【分類】地理科。 【概要】重写本は大本一冊。 江戸・関東を中心に日本全国の名所旧跡・名物等を略述した往来。 以下、以上の金銀を支度して、松前・奥州から関東を経て、伊勢参詣を果たし、次いで京都を巡って敦賀へ抜け、佐渡へ戻る順礼の旅を想定しながら、江戸を中心とする名所のいくつかを点描する。 各地を順々に紹介するだけではなく、日光山東照大権現・東叡山寛永寺など特定の名所に焦点を当てて記述するのが特徴。 佐渡で使用された幕末の往来であろう。 重写本は大字・七行・無訓で記す。 【年代】文政(一八一八〜三〇)頃作。 【分類】地理科。 【概要】半紙本一冊。 佐渡国羽茂(はもち)郡多田(駄太)村周辺の地理を記した往来。 「羽茂郡多田村者、三方山に而、対海船泊り也…」で始まる文章で、多田村の地勢・人口・石高・町名、諸国との流通、村内の産物(日用品)、質素・勤勉な風俗、寺社(特に諏訪大明神に詳しい)、重陽の祭礼の様子、水産業・水産物(魚貝類)、古領主・本間信濃守の城跡などについて略述し、最後に、徳行・忠孝に励むべきことを諭す。 重写本(日大本)は大字・七行・無訓で記す。 島宗義徳(東嶽)書。 養拙閑民序。 【年代】明治八年(一八七五)序・刊。 [長岡]松田某板。 【分類】女子用。 【概要】異称『〈女童〉裁縫教草』。 半紙本一冊。 「夫れ、世に女子と生れては、習ふべき事おほけれと、先第一は父母に孝、兄弟互に睦ましく、嫁しては夫に貞を立て、舅姑を尊敬し、幼き時は怠らず、手習・算術・裁縫等、ならふぞ女子の務めなり…」で始まる七五調の文章で、まず女子教訓一般に触れ、続いて、衣服裁縫に関する基礎知識(産着・三ッ身・四ッ身・本裁等の寸法、縫製上の男女の違い、織物・染物および産地等)を略述した往来。 本文を大字・四行・付訓で綴る。 巻頭に裁縫図(色刷り)と「一ッ身裁ち」「三ッ身裁ち」「四ッ身裁ち」「本裁(男製・女製)」の図を掲げる。 【年代】明治一〇年(一八七七)刊。 [長野]藤森平五郎(藤森舎)板。 【分類】女子用。 【概要】異称『〈女童〉裁縫のしをり』。 半紙本一冊。 「まをすもかしこき事ながら、眼にこそ見えね誰も皆、天津御神の結びにて、生れ出でたる事なれば、先第一に天地の、神を敬ひ父母に、孝を尽すぞ人の道…」と筆を起こして、まず女性に必要な嗜みと、その中での裁縫の重要性を述べ、以下、裁縫の基礎知識を七五調の文言で書き連ねる。 本文を大字・四行・付訓で綴る。 巻頭に、裁縫教訓歌三首と一ッ身裁ち・三ッ身裁ち・四ッ身裁ち・本裁ち(男製・女製)・羽織表裁ち・西洋巾両面物羽織表裁ちの図解を掲げる。 本文・付録記事とも『裁ぬひをしへ草』と酷似した箇所が多い。 【年代】元禄(一六八八〜一七〇四)頃作か。 江戸中期〜後期に多数刊行。 【分類】地理科。 【概要】異称『〈筆道幼学〉竜田詣〈倭文章〉』『〈頭書絵入・平仮名附〉新板竜田詣』『竜田往来』『立田往来』『竜田帖』『大和往来』『大和路往来』『五畿内名所』。 流布本の多くは中本一冊。 諸本によって内容に異同があるが、正徳五年の「大和廻竜田詣さそひにやる文」は、「日来(ひごろ)申合まいらせ候竜田詣の御事、紅葉も漸々時分にて候まゝ、何比(いつごろ)覚し召、御立候はんや…」で始まり「…御目にかゝり御物かたり申まいらせ候。 めでたくかしく」と結ぶ女文形式で奈良より大和路をたどって竜田に遊び、次いで大坂を経て京都に至るまでの名所旧跡・神社仏閣等を紹介する。 ただし、後世に流布したのは、「内々竜田詣之事、紅葉も漸可得時候…」で始まり「…猶又東山之参会、近日之条、心緒期其節候。 穴賢々々」で終わる享保一九年本所収の「竜田詣」の方である。 浦井丞右・船田雅通跋。 【年代】宝暦六年(一七五六)刊。 [江戸]鶴本平蔵(常春堂)板。 【分類】地理科。 【概要】大本一冊。 『竜田詣』と銘打った単行刊本としては現存最古。 何頃おほし召立候はんや。 そこもと次第に候。 此月中頃よく候はん哉…」で始まる本文を大字・四行・無訓で記す。 また「仮名文章」(冒頭丁には「仮名の一ノ十」とある)は、「新年祝儀状」から「嫁入りする人への教訓状」までの四季折々の手紙、諸用件の手紙など三〇通(全文散らし書き)を収録したもの。 【概要】特大折本一帖。 目上への婚礼祝儀、同輩への婚礼祝儀、里入・部屋見舞、婚礼振舞の案内、歯黒染・岩田帯祝儀、安産祝儀、普請成就祝儀に分け、それぞれ一・二通の竪文(散らし書き)の実例をわかりやすく例示した手本。 礼儀作法書というよりは、婚礼に関わる形式的で煩瑣な手紙の書き方を、実用に即した例文で示そうとしたものであろう。 【年代】江戸後期書か。 【分類】地理科。 【概要】甲斐国山梨郡一丁田中村(山梨県東山梨郡)の沿革や領域、寺社、施設などを略述した往来。 「甲斐国山梨郡栗原筋一町田中村者、往古高五百七十五石三斗三合之村方に候之処…」と筆を起こし、正徳四年(一七一四)の検地による反別改めの推移や田畑石盛などについて延べ、寺社社領(御朱印地・御黒印地)、除地、用水、御普請橋などを紹介する。 本書は同地寺子屋師匠の慎斎旧蔵書というが、慎斎の作か。 【年代】文化六年(一八〇九)刊。 [江戸]伊勢屋金兵衛(栄樹堂)板。 【分類】社会科。 【概要】中本一冊。 「ほしまつるにはのともし火九のへに、あひあふかすも空にしるらん」(後柏原院)以下一〇〇首の七夕和歌を集めたもの。 半丁に四首ずつ配列し下方に和歌の作者を記す。 本文をやや小字・八行・付訓で記す。 見返に七夕風景(天の川)の図を掲げる。 【年代】文化六年(一八〇九)刊。 [江戸]美濃屋千八(千寿堂)板。 また別に[江戸]吉田屋三次郎板あり。 【分類】社会科。 【概要】異称『七夕歌づくし』。 中本一冊。 『七夕うたづくし』と『はさみ細工紋切かた』から成る往来。 『七夕うたづくし』は七夕詩歌(歌四八首・漢詩六編)を集めたもの。 『はさみ細工紋切かた』は、正方形の紙を半分に折った状態(一ッ折り)や、一ッ折りをさらに二分〜五分割(二ッ〜五ッ折り)した状態で鋏を入れて特定の紋所を作る方法を図解したもの。 実用性も備えるが一種の遊戯書である。 なお、この両者はそれぞれ単行本でも刊行されている。 歓会堂補。 流渡亭吉正画。 【年代】天保二年(一八三一)序・刊。 千穐庵板。 【分類】社会科。 【概要】異称『七夕の詩歌』。 中本一冊。 筆道指南の筆者が門人の児童のために編んだ七夕詩歌集(小冊子)。 まず「憶得少年長乞巧、竹竿頭上願絲多」以下六編の漢詩を掲げ、続いて「秋の夜をながきものとはほし合の、かげ見ぬ人のいふにぞありける」(能因法師)以下一一四首の和歌を並べるが、うち冒頭二一首の名歌には作者名を記す。 本文をやや小字・九行・付訓で記す。 巻頭に歓会堂による七夕由来の記事と流渡亭画の「七夕まつりの図」を載せる。 静斎英一画。 【年代】江戸後期刊。 [江戸]丁子屋平兵衛(文渓堂)板。 【分類】社会科。 【概要】異称『七夕詩歌集』。 中本一冊。 巻頭に序文を兼ねた「七夕の由来」と「七夕の図」を掲げ、続く本文でまず「七夕詩」数編を列挙し、その後で「七夕和歌」一七五首を収録する。 本文をやや小字・八行・付訓で記す。 また、色刷り表紙に秋の七草をあしらった大和綴じ和装本を描き、その表紙に書名を刷り込む。 【年代】江戸後期刊。 [名古屋]松屋善兵衛板。 【分類】社会科。 【概要】半紙本一冊。 半丁を三列三行の九升(漢詩文は三列四行の一二升)に分けて界線を設け、各升に七夕詩歌一編ずつを掲げた往来。 全四丁半のうち三丁半が和歌で残りが漢詩文という構成で、「あひ見ても猶行末の契りをや、結ひかさぬるたなはたの糸」以下六三首と、「斜漢没時人不寝」以下の二四編を掲げる。 刷表紙に七夕飾り等を描く。

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【今日好き】ももかい別れた?カップル解消でビジネスの疑いも。

ひめ じ まさん かい がく

下記クリックで好きな項目にジャンプ• しかも、寺に鬼を招き入れて寺の子供をほとんど全滅させ、岩柱のトラウマを作った張本人です。 岩柱の過去の描写から 「鬼を招き入れた子供って獪岳?」と噂されていましたが、それが紛れもない事実だったようです。 その証拠は以下のことから分かります。 獪岳と寺の子供の首飾りが同じ 獪岳は 勾玉 まがだま のような首飾りをしています。 そして岩柱の過去の記憶に出てきた子供も同じ首飾りをしています。 ここまで共通点が多いと別人と言う方が難しいですよね。 獪岳と岩柱・悲鳴嶼 ひめじま の過去に出てくる子供が一緒 獪岳と岩柱がそれぞれ過去を回想するときに同じ子供が登場します。 岩柱の回想では顔が映っており、獪岳の回想に登場する子供は顔が真っ白です。 しかし、両者の回想に登場する子供を見比べると 髪型や着物の柄が一緒です。 獪岳の回想の「金を盗んだことを罵られようが」の部分で映ってる子供が悲鳴嶼さんの寺にいた子供と同じっぽい。 罵られた事に腹を立てたのか、金を盗んだ事実を悲鳴嶼さんに知られたくなかったのか — キャメル natsuonosuke このことから見ても、 獪岳と岩柱は同じような思い出を持っているのが分かります。 獪岳はお金を盗んだことを子供たちに罵られたこともあり、子供たちの顔はあまり思い出したくないのかもしれません。 獪岳が岩柱の寺にいたことを公式でも認めている 上に書いたものも獪岳と寺の子供を結びつける証拠になりますが、さらに確実な証拠があります。 それは鬼滅の刃の公式で 「獪岳は岩柱の寺にいた子供だった」と認めていたんです。 この文には「お金を盗んだ獪岳が寺の子供たち責められ、寺を追い出された」と書いてあります。 岩柱は炭治郎に「言いつけを守らず日が暮れても寺に戻らなかった」と言っていましたので、 事実とは少し違う形で岩柱は過去を記憶しているようです。 【鬼滅の刃】獪岳 かいがく が鬼に寺の家族を襲わせた理由は? 岩柱いわく、 「獪岳は寺の者たちを鬼に売った」と言われています。 しかし上で少し触れたように岩柱の誤解が多少なりとも混じっているので、 本当の真実は闇の中です。 ここでは、 「獪岳がなぜ鬼に寺の家族たちを売って襲わせたのか?」について考えてみました。 獪岳は常に自分ファーストの部分がありますから、自分が助かるために家族を売ったというのはとてもしっくりきます。 ただ 子供だった獪岳なりに自分の生存方法を精一杯考えた結果で、とても人間臭い行動でもあります。 獪岳は寺の子供に仕返しをしたかったから 獪岳は寺のお金を盗んだことで他の子供に寺を追い出されてしまいました。 なぜ寺のお金を盗んだかは謎のままですが、獪岳的に何か理由があったのだと思います。 でも、獪岳は寺を追い出された。 鬼が出ると言われている夜の闇に一人取り残されて、誰も迎えに来てくれない。 そして、人食い鬼が表れた。 裏切られたと思っただろう。 絶望しただろう。 寺の子は獪岳を殺そうとした。 だから、逆に殺してやった。 — yuu🍑 yuu47003257 それに絶望した獪岳が寺の家族を売ったと考えると、人間臭い獪岳の性格がより鮮明になってきますよね。 しかも獪岳が抱いた憎しみや怒りは一時的なもので、その惨劇があった後に 「 後悔の念から鬼殺隊に入隊した」という流れも獪岳なら有り得そうです。 鬼が本当に怖い存在だとわかっていれば、流石に寺の子供たちも獪岳は追い出していないと思われます。 獪岳を含む 寺の子供たち全員が鬼の存在をナメていたのではないでしょうか? で、寺の子供を脅かそうと思い鬼を寺に誘導したけど、結果的に取り返しのつかない状況になってしまったと考えることもできます。 ただ獪岳の人間性をみると、怯えや恐怖、怒りや憎しみといった感情で行動していることが多いので、上述したものよりは可能性は低そうですが・・・。 その鬼が「寺の藤の香を消してくれ」的なことを言って獪岳は藤の香を消してしまった。 獪岳は寺にいた子供たちに追い出されていますので、「言いつけを守らなかった」と言っている岩柱は多少誤解している部分がありそうです。 そこらへんの情報は詳しく書かれていないので、何かの機会に書かれることを期待したいところですね! 関連:.

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【鬼滅の刃】上弦の睦・獪岳(かいがく)が4巻に登場してた件!

ひめ じ まさん かい がく

生涯 [ ] 出自 [ ] 忍城城主・成田氏長と、最初の正妻 で城主・の娘との間に生まれる。 外祖母となる(由良成繁の妻)は、12年()に金山城がの軍勢に襲撃された際、71歳という高齢にも拘らず籠城戦を指揮した人物であり 、甲斐姫の母も武芸に秀でていたという。 天正元年()、成田氏と由良氏の関係悪化に伴い、母とは2歳の時に離別した。 その後は氏長継室となったの娘の下で育てられたが 、継母や巻姫や敦姫といった腹違いの妹たちとの仲は良好だったという。 19歳となった甲斐姫はその容姿から「東国無双の美人」と評されたが 、武芸や軍事に明るかったことから、「男子であれば、成田家を中興させて天下に名を成す人物になっていた」とも評された。 甲斐姫、巻姫、敦姫のほかに氏長には天正14年()に亡くなった嫡子と 、のまたはに嫁いだ女子が存在したと考えられている。 この女子について、『重興小山系図』では「(政種の)母は成田下総守藤原氏長の女」、『』では「(政種の)妻は氏長の娘」と記されているが 、『重興小山系図』の記述については年代的に考えて「妻」の誤伝だろうと指摘されている。 忍城の戦い [ ] 忍城址にある水城公園。 豊臣方との約1か月に渡る籠城戦の末に開城した 天正18年(1590年)、による小田原征伐の際、500余の兵と城下の民たち合わせて3,000人程度が籠もる忍城に率いる約2万3千人の豊臣秀吉軍が侵攻した。 忍城は湿地を活かして築城されている上に、城代・が率いる籠城軍の士気は高く、城攻めは難航した。 この籠城戦の最中に城代の泰季は発熱を起こし、そのまま病死したが 、奥方と甲斐姫は泰季からの「大任を受けながら途中で死を迎えることは残念。 万が一の時にはを私の代わりに」との遺言を受けると一門や家臣を集め、泰季の嫡男・長親を総大将とすることを命じた。 成田勢の抵抗に対して三成はと同様にの戦法を採用。 城の周囲にと呼ばれる長大な堤防を築き、水を引き入れて成田勢を無力化する作戦に出た。 周辺地域の地形的な問題もあり堤内の水位は芳しくなかったが 、とから水を引き入れたことで()には堤内は水で満ちた。 一方、忍城周辺は()頃から時の風雨に見舞われた。 この風雨により、同日夜半に2箇所で堤が決壊、濁流が石田勢を押し流し、270人近くにおよぶ溺死者を出した。 成田勢が夜陰に乗じて堤を破壊したためだとも言われる。 ()、やを攻略したの軍勢が援軍として差し向けられると 、() に長政が自ら陣頭に立ち大手口( )から攻撃を仕掛けた。 浅野勢が本丸に迫る勢いを見せたため、報告を受けた城代の長親が出陣しようと試みたが 甲斐姫はこれを押し留め、自らが鎧兜を身に付け、成田家に伝わる名刀「浪切」を携え、200余騎を率いて出陣。 甲斐姫の到着より先に佐間口を守備していたが手兵を引き連れて応援に駆けつけていたこともあって浅野勢の侵入を阻止することに成功し、甲斐姫も多くの敵将を討ち取ったとされる。 - - - () 、豊臣側は石田・勢が下忍口( )から、浅野・勢は持田口( )から、・勢が佐間口( )から三方面同時に侵攻を開始し 、浅野長政、・父子らが布陣した持田口では両軍による激しい戦闘が行われた。 成田勢は真田の兵に出城を攻め落とされ 、浅野勢の攻勢の前に持田口の捨曲輪が攻め破られ多数の死傷者を出した。 成田勢は他方面でも豊臣側の軍勢と対峙しているため援軍を派遣することが出来ず 、本丸から甲斐姫が200余騎を率いて持田口に加勢した。 その際、甲斐姫はの三宅高繁という武将と対峙すると相手を弓矢で討ち取ったと伝えられている。 ()、北条側の総大将のが豊臣側に降伏。 小田原城の受け渡しが行われた後も忍城の成田勢は籠城を続けていたため、秀吉の命により城主の氏長が使者を派遣し小田原開城の報と忍城開城を指示。 使者の説得を受けて城代の長親は開城を決断し、() の開城の際には甲斐姫をはじめ奥方、巻姫、敦姫らが甲冑を身につけて馬に乗り、籠城した諸士に囲まれながら城を後にしたと伝えられている。 姫らの退出後、豊臣側の総大将の三成が忍城に入り、城代の長親の立会いの下で城の明け渡しが行われた。 忍城退出後の動静 [ ] 『成田記』による記述 [ ] 『真書太閤記』や『成田記』には、忍城を明け渡した後の成田氏と甲斐姫の動静について次のような内容が記されている。 豊臣方に抵抗した成田家はに預けられる身となったが、同年に氏郷がに移封されたことに伴い、これに従った。 氏郷は氏長らを粗略に扱うことはなく、会津領内をが治めていた当時に軍事的な要衝とされたの守備を一任し1万石の采地を与えた。 領地を得たことで氏長の下にはかつての家臣たちが集まり始めたものの、氏郷は家臣の中から上方で召抱えたばかりの浜田将監と弟の浜田十左衛門を与えた。 同年、陸奥国中部で発生したに呼応しての軍勢が会津領内のに侵攻するとの情報が入り 、氏長はに加勢するため主だった家臣を率いて塩川へ出陣した。 浜田兄弟は福井城の留守役を任せられていたが、ある晩に謀反を企て本丸に攻め入ると成田家の譜代の家臣や氏長の妻を殺害した。 この一報を知った甲斐姫は謀反を起こした浜田兄弟に対して怒りを露わにしたという。 一旦は200余人を有する浜田十左衛門の兵に対し、十数人足らずの甲斐姫は追い詰められるが反撃に転じると、甲斐姫は馬を使って逃走を図る十左衛門に迫るとこれに斬りつけて落馬させ、その首を討ち取った。 浜田兄弟の謀反を知り福井城へ引き返した氏長の軍勢とへと落ち延びる途中だった甲斐姫の手勢が合流。 これに蒲生氏の援軍が加わり 福井城を包囲した。 将監は逃走を図ろうとしたが、を携えて待ち伏せていた甲斐姫と対峙。 甲斐姫が一瞬の隙を見逃さず将監の太刀を払い落とすと、すぐさま右腕を斬り落とし、生け捕りとした。 将監はのうえとなり、首は城外に晒されたという。 甲斐姫の武勇伝を聞いた秀吉は、姫を気に入り側室として召抱えることになった。 蒲生氏郷に預けられていた氏長は姫の口添えもあって、天正19年()に主として2万石の領主に取り立てられた(後の)。 『関八州古戦録』による記述 [ ] 一方、甲斐姫が秀吉の側室となった経緯について『関八州古戦録』は「蒲生氏郷はにより会津に移封された後、氏長に1万石の采地を与えた。 秀吉がの百々塚に立ち寄った際、の岡本清五郎という者が『氏長の娘が無雙の容姿と志操堅固の持ち主であり、忍城の戦いにおいて母(太田資正の娘)と共に甲斐甲斐しく振る舞った』と噂をしていることを聞き、密かに面会した。 その後、に戻った秀吉は会津に使者を送り、氏長の娘を側室とするため上京するように伝えた。 さらにからの奉書が届くと氏郷は侍女を多数、成田氏家臣の吉田和泉守を介添えとして騎馬武者10人、足軽270余人を帯同させ、12月29日にへと送った。 その後、この娘の訴えにより秀吉は氏長に烏山の領地を与えた」と記している。 同様の説話は著の『』 、成島司直により編纂された『』 、の盛衰を描いた『北條記』に記されている。 このうち、『改正三河後風土記』では「氏長の女子」と記されているのに対して『藩翰譜』や『北條記』では「氏長の妹」と記されているが 、歴史家のは「妹とするのは間違い 」、歴史学者のは「氏長の年齢から娘とするのが妥当 」と指摘している。 このほか、小山市において伝承が残されている。 その後 [ ] 大坂城での甲斐姫の生活ぶりは定かではないが 、『伊達世臣家譜面』によると、秀吉には16人の側室が存在し 、の著作によると、そのうちの名前が判明している人物の一人として甲斐姫の名が挙げられている。 3年()にで行われたの際、甲斐姫が詠んだと考えられる歌が残されていることから、秀吉が亡くなる間際までその近辺に存在したものと考えられるが 、同年()の秀吉没後の消息は途絶えている。 一説によると甲斐姫はの信任を得ての養育係を務めたとも 、武勇を生かして的な役割を果たしたとも 、秀頼と側室との間に生まれた娘(後の)の養育係を務め 、の後に共にのにあるに入ったとも言われる。 一方で、秀頼に仕えた局や侍女を示す文献資料の中に甲斐姫の名は確認できない。 実在を巡る議論 [ ] 美しさと武芸の才能を兼ねそろえた人物とされ、忍城の戦いにおいて継母らと共に籠城軍を指揮した説話は 、後世に編纂された『成田記』や『真書太閤記』などを通じて伝えられている。 ただし、時点において確認ができる事柄は、彼女がの側室の一人となり、死の間際まで務めていた点のみだという。 甲斐姫に関しては、その当時の多くの歴史的な女性と同様に、実在したことを確認できる詳細な記録は残されておらず 、後世に編纂された書物のみであることから、実在性を疑問視する指摘もある。 甲斐姫に関する説話は年間に執筆された『真書太閤記』に詳細に記述されており 、から年間に執筆された『成田記』も参考書の一つとしている。 の推移を記述した『成田記』は、作者の小沼十五郎保道が著した以前に、その基となる『旧成田記』が存在したものと考えられるが 、『回国雑記』などの一級資料のほかに『関八州古戦録』『』などのを参考とした内容となっている。 歴史学者のは「良質資料には見えないが、『三姉妹の長女』『留守中の居城防衛に奮戦』『武勇と美貌が秀吉の目に留まり側室となった』『秀吉の取り成しにより成田氏の存続が果たされた』といったことが場面を変えつつ複数の所伝がある。 合戦後、3万石の大名として存続する過程で大きな役割を果たしたのだろう」としている。 前述のように甲斐姫の消息は秀吉の没後に途絶え、領地の烏山に移り住んだ記録はなく 、成田氏の菩提寺であるにあるには彼女の墓は存在しない。 一方で、埼玉県に土着した吉羽氏には、甲斐姫から贈られたと伝えられる秀吉の使用したが残されている。 吉羽氏は元々は成田氏の家臣で、後に甲斐姫の父である氏長の子を奉じて幸手に移り住んだという。 これらのことから甲斐姫と吉羽氏は、忍城の戦いの後も交流を続けていたものと推測されている。 平成24年()8月、甲斐姫が秀吉の主催した醍醐の花見に列席した際に詠んだと考えられるのが発見された。 この短冊はにあるに保管されていたもので、花見で詠まれた和歌の120番目に甲斐姫のものと考えられる歌が記録されている。 署名は「甲斐」ではなく「可い」となっているが、作家のは「甲斐姫の短冊にほぼ間違いない」としている。 また、119番目には「い王(わ)」と署名された短冊が残されており、山名は「い王」が秀頼の娘の母の小石の方ではないかと指摘しているが 、同寺の学芸員は「当時の女性は文字を書く際にを使っていたので、署名が仮名でも不思議はない。 しかし、『可い』が甲斐姫であるかは史料がないため、同一人物であるかは分からない」としている。 甲斐姫の消息 [ ] にある。 豊臣秀頼の娘はこの寺に入りとなったが、甲斐姫がこれに同行したとする説がある。 豊臣秀頼は、正妻ののほかに側室をもうけていた。 その内の一人はのの一族である の娘 でといい 、秀頼との間に娘をもうけた。 小石の方と甲斐姫はそれぞれ異なる出自を持つが、武蔵国と伊勢国の成田氏が混同されたため「秀頼の娘と関わった」とする説が生まれたと推測されており 、その中には秀頼の娘は甲斐姫の実の娘とする説も存在する。 秀頼の娘は城主・の家臣であるの下に預けられ、その妻が乳母を務めた。 20年()、の際に秀頼の娘はと共に大坂城にあったが、落城後に京都郊外に潜伏していたところをに徳川方のにより捕らえられ 、国松もに徳川方に捕えられた。 国松は死罪となったものの、秀頼の娘はの助命嘆願もあって死を免ると後に鎌倉にある東慶寺に入り 、落飾して天秀尼となり30歳前後のころに第20世住持となった。 天秀尼は2年()に37歳で亡くなった が、東慶寺にある天秀尼の墓の横には従者のものと見られるがある。 この塔の側面には「台月院殿明玉宗鑑大姉 天秀和尚御局 正保二年乙酉九月二十三日」と記されている が、これが甲斐姫の墓であり 、上述のように秀頼の娘と共に寺に入った従者が甲斐姫であるとの説がある。 『新東鑑』によれば、秀頼の娘の乳母を務めた三宅善兵衛の妻は大坂の陣の際に夫が戦死したため、主の三宅氏の下に預けられたと記されている。 また、宝篋印塔の形状や「」の戒名は、従者が生前に高貴な身分であったことを示しており 、従者は三宅善兵衛の妻ではなかった可能性がある。 三宅善兵衛の妻とは別に秀頼の娘の養育にあたった身分の高い人物が存在し 、「男性であっても困難な戦場からの脱出行」や「助命のための千姫との交渉」を手助けし、共に東慶寺に入り死の間際まで守り続けた可能性がある。 著の『のぼうの姫 秀吉の妻となった甲斐姫の実像』では、甲斐姫であれば上記の条件にすべて符合するのではないか、としている。 伝承 [ ] 縁切橋と涙橋 金山城主の由良成繁は忍城主の成田氏長に娘を嫁がせたが成繁は氏長を次第に疎むようになり、娘を返すように迫った。 氏長は妻と離縁しなければならなくなり城の裏手にある上荒井曲輪から妻を見送ることになった。 曲輪(後の行田市城西1丁目1番地付近( ))には城門と橋が架かっており、そこで氏長と甲斐姫は妻を乗せた籠を見送った。 一行はさらに北に進んだ場所にある橋を渡ったが、そこで妻は涙を流したという。 その後、一行は皿尾口の門( )を抜けて、方面を通り金山城へと向かった。 後に氏長と甲斐姫が見送った橋は「縁切橋」、妻が涙を流した橋は「涙橋」と呼ばれるようになった。 にもこの2つの橋は存在し、地元の若い男女連れは決してこの橋を渡ろうとはしなかったという。 笄堀 忍城の戦いの際、大手門の北西に位置する北谷口にの軍勢が襲来した。 事前の軍議では北谷口方面の地形的な問題点が指摘されていたが、実際に大谷勢の攻勢に遭ったことから早急に堀を掘削する必要に迫られた。 そこで、城内に立て籠もっていた婦女子たちを集め、夜通しで掘削工事を行い、一夜限りで堀を完成させた。 この堀は南北に5から6m、東西に約50mと細長い形状をしていたことから、女性が髪掻きに使うになぞらえて「笄堀」と呼ばれた。 著の『武蔵志』によると、この掘削工事を甲斐姫が指揮したとしており 、「氏長の娘の械(カイ)が仕女を統率して堀と土塁を築いた。 今では堀のことを「掻髪堀」と呼んでいる」と記している。 家系 [ ] 関連作品 [ ] 小説• 『笄堀』()• 『紅蓮の狼』() - 主人公。 『水の城 いまだ落城せず』()- 美しさと気性の荒さを併せ持ち、もし男性であったなら家臣や領民を災禍に巻き込みかねない、猪突猛進型の人物として描かれている。 『』()- 他国に知られるほどの美しさを持つが、武芸に秀でており男性並みの怪力を見せる。 お転婆な性格だが、成田長親のことを密かに慕う人物として描かれている。 『忍城の姫武者(上・下)』() - 主人公。 『甲斐姫物語』() - 主人公。 『』に連載された『甲斐姫翔る あかね色の道』を加筆修正したもので、その生涯が描かれている。 小冊子• 『忍城甲斐姫物語』(行田青年会議所)- 1995年発行。 忍城築城から、との攻防戦での活躍や謀反討伐譚、秀吉の側室として生きる姿と、後の天秀尼とともに鎌倉・東慶寺へ入寺して亡くなるまでが記されている。 作中では秀頼の娘は甲斐姫と豊臣秀頼の間に生まれた実子という説を採っている。 『』(、演:)- 小説の項を参照。 『のぼうの城』(和田竜、)• 『涙切姫〜のぼうの城 甲斐姫外伝〜』(和田竜、) - 主人公。 『のぼうの城』のスピンオフ作品で、甲斐姫の視点から長親や忍城の戦いを描いている。 『』 - 原作漫画第8巻に掲載。 ゲーム• 『』( 声:)- シリーズ3から主役ステージのあるプレイアブル・キャラクターとして加わり、パッケージにも登場している。 男勝りの性格で武芸に秀でているが、庶民としての生活に憧れを抱いており 、父の氏長がの家臣という設定で、主君として氏康に従っている。 『』 武将列伝 第六章「成田の甲斐姫」(、、声:) - 甲斐姫自体はver1. 20である「戦国大戦 - 15XX 五畿七道の雄 -」より登場。 脚注 [ ] 注釈 [ ]• ただし、によれば太田資正の娘は永禄9年(1566年)頃に氏長と離婚して以後は父や弟の下で暮らした としており、それが正しければ太田資正の娘の方が氏長の最初の正室で、甲斐姫の母はその継室ということになる。 また、黒田説が事実ならば後述される甲斐姫が継室の太田資正の娘に育てられたとする楠戸義昭の記述は矛盾を来すことになる。 この失態により三成は「戦下手」との評価がなされ 、諸将の嘲笑の的となったと伝えられているが、こうした低評価はの後に徳川家によって広められたものだという。 三成と浅野長政が交わした書簡には、三成は水攻めではなく力攻めを希望していたと記されている。 また、水攻め自体が秀吉からの直接の指示で行われたもので、豊臣家の権威を世間に示すためのパフォーマンスだったとする説もある。 忍城の戦いの際に豊臣秀吉、石田三成、浅野長政らが交わした現存する書状の中で、戦闘が行われた形跡が確認できるものは、忍城の支城である( )の攻防戦に関する書状のみである、とする説もある。 ()に行われた戦闘は浅野長政との襲撃により豊臣方が勝利したが、双方に多数の死傷者を出した。 一方、から長政に充てられた書状には7月5日の戦闘において多数の死者が発生していることを憂慮する内容が記されている。 この他、水攻めのための築堤工事の最中に戦が終結し、忍城への水攻めも総攻撃も実際には行われなかった、とする説もある。 () や()とする資料もある が、浅野長政の書状の中に7月14日の明け渡しが明記されている。 周辺には福井城という城郭は存在しないが 、湖南町に「」という地名があり 、その周辺地域に存在する城郭のひとつを氏長が与えられた可能性がある。 一方、蒲生氏や成田氏の分限帳の中に、浜田兄弟の名を確認できない ことから、逸話を疑問視する指摘もある。 『真書太閤記』に関しては歴史書としての信憑性を疑問視されている。 戒名の「明玉」とは、生前の人物像を表し、「明朗快活で澄んだ心の女性」を意味する。 出典 [ ]• ホームページ. 2012年4月1日時点のよりアーカイブ。 2013年1月24日閲覧。 『論集戦国大名と国衆12 岩付太田氏』岩田書院、2013年、26-27頁、33-34頁。 『戦国女系譜 巻之一』、1994年、230-233頁。 、10頁• 2012年11月3日閲覧。 、113頁• 、174頁• 、194頁• 、224-225頁• 槙島昭武著、中丸和伯校注『改訂 関八州古戦録』新人物往来社、1976年、531-532頁。 、136-137頁• 校注、 監修『改正三河後風土記 下』、1977年、25-26頁。 、138頁• 、150頁• 、43頁• 、151頁• 、39頁• 北鎌倉 松岡山 東慶寺. 2012年11月3日閲覧。 、157-158頁• 、152-155頁• 、174頁• 、168頁• 、164頁• 、258-259頁• 『水の城 いまだ落城せず』、2000年、18-19頁。 『『のぼうの城』オフィシャルブック』、2012年、53頁。 鳳書院. 2015年12月31日閲覧。 行田青年会議所広報委員会『忍城甲斐姫物語』行田青年会議所、1995年、49頁。 2013年1月24日閲覧。 2013年1月26日閲覧。 参考文献 [ ]• 大澤俊吉『行田の伝説と史話』、1981年。 小沼十五郎保道著、大澤俊吉訳・解説『成田記』歴史図書社、1980年。 『城と姫 泣ける戦国秘話』、2010年。 西野博道『歴史ロマン・埼玉の城址30選』、2005年。 『のぼうの姫 秀吉の妻となった甲斐姫の実像』、2012年。 三池純正『豊臣家 最後の姫 天秀尼の数奇な運命』、2013年。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 埼玉県ホームページ.

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